ケイマ・ダス・フィタスのふたり
リスボンからセッテ・リオス・バスターミナルからバスで2時間30分程、
サンタ・アポローニア駅から列車で2時間でコインブラに到着する。
または、ポルトのカンパニャン駅から1時間で到着する。
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐ、ポルトガル第3の都市コインブラは、文化の中心である。
丘の上の大学を中心に広がる人口10万人ほどの小さな町だが、
ポルトガルの歴史の中で果たした役割は大きい。
多くの政治家や文化人たちを世に送ったコインブラ大学は1290年に
ディニス王によって創設された。
大学は最初リスボンにおかれていたが、その後コインブラに映ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年コインブラに落ちついた。
ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学で、
1911年にリスボン大学が建立されるまでは国内一の学術の中心地であった。
学生は黒いマントに身を包み町中を闊歩し、そのマントの裾に切れ目が多いほどもてる証だったという。
5月のこの卒業時期はケイマ・ダス・フィタス Queima das Fitas といわれている。
コンサートやパレードなどさまざまな催しが行われ、町はお祭り気分に包まれる。
その年の卒業生たちが、学部ごとのシンボルカラーのリボンを身に着け、それぞれの色で飾られた車で町中を行進する。
シンボルカラーのリボンを卒業のときに焼いたのが祭りの始まりで、ケイマ・ダス・フィタスとは、「リボン焼き」という意味である。
旧大学前から学部ごとに飾り付けられた山車(トラック)がスタートする。
水道橋、レプブリカ広場、5月8日広場、ポルタジェン広場を経由し、サンタ・クララ橋手前が終点となる。
パレード出発は、午後3時ごろからであり、最終の山車が橋に到着したのは、夜の9時半であった。
パレードの出発地点であるコインブラ大学の広場では、多くの学生たちがいた。
ビールを飲んだり、かけあったり、酔っ払い集団のようである。
そこで、なにか言い合っているふたりがいた。
「遊んでばっかりで、よく卒業できたわね。」
「君こそ、ギリギリだっだんだろ。」
「私は、バイトしてたのよ。しかたないでしょ。」
「バイトと勉強でよくがんばったよな。」
「そうよ、必死だったからね。」
「学業も人生経験も積んで、いい先生になるだろうね。」
「学校で子供たちと会えるのを楽しみにしているわ。」
「ボクも子供になって、指導してもらいたいなあ。」
「え~~~ 小学校からやり直したいの~~」
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