ポルトガル写真集 コインブラ特集 Coimbra
≪涙の館&キンタ・ダス・ラグリマスホテル≫
≪Quinta das Lagrimas & Hotel Quinta das Lagrimas≫
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市コインブラは文化の中心である。
丘の上の大学を中心に広がる人口10万人ほどの小さなまちだが、ポルトガルの歴史のなかで果たした役割は大きい。
多くの政治家や文化人たちを世に送ったコインブラ大学は1290年にディニス王によって創設された。
最初はリスボンにおかれていたが、その後コインブラに映ったりリスボンに戻ったりしながら、1537年コインブラに落ちついた。
ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学で、
1911年にリスボン大学が建立されるまでは国内一の学術の中心地であった。
学生は黒いマントに身を包み町中を闊歩し、そのマントの裾に切れ目が多いほどもてる証だったという。
・・・コインブラの歴史・・・
コインブラは古代ローマ時代にアエミニウム(Aeminium)と呼ばれた。
コインブラから南に約15kmにあるコニンブリガ考古遺跡は、イベリア半島に残る最大規模の都市遺跡であり、
かつてはケルト人の集落であったが、1世紀にローマ人によって都市が建設された。
属州ルシタニアの中心として繁栄を極めたが、5世紀の西ゴート族の進入によって破壊され、
この地域の政治の中心はアエミニウムに移った。
西ゴート王国時代には、コインブラは、エミニオ(Eminio)と呼ばれるようになった。
711年、ウマイヤ朝がイベリア半島に侵攻を開始するとコインブラは、イベリア半島北部のキリスト教世界と
半島南部のイスラム世界を結ぶ商業の中心地となった。
1064年、コインブラは、レコンキスタを展開したフェルナンド1世によってムスリムから奪回された。
コインブラを中心としたコインブラ伯領が設置され、モサラベの貴族シスナンド・ダヴィーディスに
よって統治されたが、後にポルトゥカーレ伯領に組み込まれた。
カスティーリャ王国から独立を達成したアフォンソ・エンリケスは、王国の首都をコインブラに定め、
1255年までブルゴーニュ王朝ポルトガル王国の首都であった。
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コインブラ特集 Coimbra ≪涙の館 キンタ・ダス・ラグリマスホテル≫
≪Quinta das Lagrimas & Hotel Quinta das Lagrimas≫
涙の館 Quinta das Lagrimas イネス・デ・カステロが住んでいたとされる館。
現在はホテルになっており、裏の庭園にイネスとペドロ王子が愛を語った恋人たちの泉 Fonte das Amoras がある。
その奥の涙の泉 Fonte das Lagrimas は、イネスがのどを切られて殺されたと伝えられる場所である。
底にある赤い石は、その時のイネスの血で染まったのだという。
泉の脇の石碑にはカモンイスの「ウズ・ルジアダス」の一節が刻まれている。
現在は廃墟になっている恋人たちの泉である。
キンタ・ダス・ラグリマスホテルは、イネスゆかりの涙の館をプチホテルとして改装。
部屋のインテリアもロマンティックである。
ミシュランの1つ星レストラン、プールやスパもあるホテルである。
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コインブラ6
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☆☆☆ ポルトガル写真集・特別編集版 ☆☆☆
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