ポルトガル写真集 ギマランイス特集 Guimaraes
≪アルベルト・サンバイオ美術館 Museu Alberto Sampaio≫
ギマランイスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地である。
町の入口には、「ここにポルトガル誕生す Aqui Nasceu Portogal」と書かれている。
アフォンソ1世が生まれた城などゆかりの史跡も多い町である。
旧市街の家並みは時代に取り残され、歴史の重みを感じさせる。
都市の中心部である旧市街は南北に約850メートル・東西に約250メートルの狭い区域であり、
ポルトガル王国の建国後に建てられた歴史的建築物が並ぶ。
『エスプレッソ』紙による調査で、ギマランイスはポルトガルで2番目に住みよい環境の町であると評価された。
2001年、歴史的文化財を残すギマランイス旧市街は「ギマランイスの歴史地区」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
また、2012年にはこの年の欧州文化首都になっている。
・・・ギマランイスの歴史・・・
ギマランイスの名前は、868年に最初のポルトゥカーレ伯領を築いたヴィマラ・ペレス伯爵の名前に由来する。
1095年、ブルゴーニュ家出身のアンリ・ド・ブルゴーニュ(エンリケ)は、カスティーリャとレオンの王アルフォンソ6世の娘テレサと結婚し、ポルトゥカーレ伯に封じられた。
1109年6月25日、エンリケとテレサの息子アフォンソ・エンリケスがギマランイス城(英語版)内で生まれた。
1128年、アフォンソ・エンリケスは宗主国カスティーリャ=レオンの国王アルフォンソ7世に叛旗を翻してこれを打ち負かし、ポルトゥカーレ公爵として独立。
その後、オーリッケの戦いでイスラーム勢力に大勝すると、1139年、機に乗じてポルトガル王アフォンソ1世を称した。
1143年にはローマ教皇の仲介によってアルフォンソ7世もアフォンソ・エンリケスのポルトガル王位を承認し、これをもってポルトガルはカスティーリャ=レオン王国から正式に分離独立を果たして対等の国家となった。
アフォンソ・エンリケスは1139年にブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝、ポルトガル王国第一王朝)の初代国王に即位したことになる。
1147年、アフォンソ1世はリスボンを陥落させて王国の版図を一挙に拡大させた。
王国揺籃の地となったギマランイスには、その後、規模の大きい建造物が建ち並ぶようになった。
近代を迎える頃になると中世都市から近代都市へと変貌してゆきながら、しかし中心部だけは中世の街並みが維持され続けて今日に到る。
このような歴史的建造物の中には14世紀に建てられた市民の家屋も含まれているが、それらは1階が花崗岩、2階以上が木の枠組みで造られた伝統的建築物であり、今も人々が住む現役の住宅である。
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ギマランイス特集 Guimaraes≪アルベルト・サンバイオ美術館 Museu Alberto Sampaio≫
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会の修道院部分を利用した美術館である。
13世紀のロマネスク様式の回廊が美しい。
宗教画や彫刻のほか、ギマランイス出身の画家、アントニオ・ヴァスの絵画、
ジョアン1世がアルジュバロータの戦いで着たとされる上着などが展示されている。
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ギマランイス2
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