リスボンから北へ約300km、ドウロ川北側の丘陵地に築かれた、起伏の多い街である。
人口約23万人、この国の商業の中心として栄えてきた。
・・・ポルトの歴史・・・ ポルトの創設は5世紀より以前にさかのぼり、ローマ帝国時代からの港町ポルトゥス・カレ(ラテン語でPortus Cale、「カレの港」の意)に起源をもつ。 だが、ローマ以前のケルト文化の名残であるシタデルも市外の中心にも残存している。 ローマ時代の周辺をコンダドゥス・ポルトカレンシスといい、ここに成立した王国が、ポルトガル王国となった。ポルトガルの名はこれに由来する。 ポルトを含む一帯は、イスラーム勢力に占領されたこともあったが、12世紀フランス王の一族であるアンリ・ド・ブルゴーニュがレコンキスタでこの地を奪回した。 1387年、ジョアン1世とイングランド王エドワード3世の第4子であるジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパ・デ・レンカストレとの結婚式がポルトで行われた。 イギリスとポルトガルの同盟関係は、この時代から始まっており、現代のNATOにまでつながる盟約関係である。 14世紀から15世紀にかけての大航海時代、ポルトで生産された船団は、ポルトガルの海軍の発展に大いなる貢献をした。 1415年に、ジョアン1世の子供であるエンリケ航海王子は、ポルトを出発し、モロッコの地中海に面する港町セウタを攻撃した。 エンリケ航海王子によるセウタ攻略がそれ以後のポルトガルの海外への雄飛への出発点であった。 18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。 聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ポルサ宮、聖フランシスコ聖堂などを含む旧市街地は、1996年、「ポルト歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録された。 |
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サン・ベント駅の北側にあるコンクレガドス教会である。
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クレリゴス教会 (Igreja dos Clerigos)は、ポルトガル・ポルトにあるバロック様式の教会。
鐘塔は『クレリゴスの塔』(Torre dos Clerigos)と呼ばれ、ポルト市内各所から眺められる、市の象徴となっている。
教会は、18世紀にポルトガル北部で優れた作品を残したイタリア人芸術家ニッコロ・ナッソーニが、
クレリゴスの修道士らの依頼で建てたものである。
教会の建設は1732年に始まり、1750年に完成した。長く後世に残る、教会前面の分割された階段は、1750年代に完成した。 教会のメイン・ファサードは、バロックの花輪模様や貝のモチーフで密に装飾され、ペディメントが打ち込まれた。 これは、17世紀初頭のローマ建築様式を元としている。窓上の中央帯状装飾は、典礼と香立ての象徴である。 側面のファサードは、教会歩廊の楕円形平面図をほとんど見せている。 クレリゴス教会は、典型的なバロックの楕円平面図を採用したポルトガル国内最初の教会だった。 多彩色の大理石製である主礼拝堂の祭壇は、マヌエル・ドス・サントス・ポルトの手によるものである。 教会の人目を引く塔は教会建物の後方に立つ。1754年から1763年までかけ建てられた。 バロック装飾は、設計そのものがトスカーナ地方のカンパニエーレ(フリースタイルの鐘塔)に触発され、ローマ・バロック様式からの影響を見せる。 塔の高さは75.6メートルあり、市を見下ろしている。 6階の頂上に上がるまで225段の階段がある。この大きな建築物は市の象徴となった。 ポルトで、ニッコロ・ナッソーニはミゼリコルディア教会、大司教宮殿、ポルト大聖堂の側面ロッジアなどの建設を完成させたとされている。 彼はクレリゴス修道会に入信し、自身の要望でクレリゴス教会の墓地に葬られた。 |
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カルモ教会 Ig. do Carmo は、サン・アントニオ大学病院の東側にある。 側面のアズレージョ(装飾タイル)がすばらしい教会である。
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ポルトガル写真集以外で画像が多いものは、特集版にしました。
教会、博物館、美術館、大学、建物の内部の装飾、お祭りのパレード、市場の人々、民族衣装の人々などお楽しみください。
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