リスボンのサンタ・アポローニア駅から列車で2時間40分、
セッテ・リオスバスターミナルからバスで3時間程で着く。
コインブラ、エヴォラ、ポルトからもバスが出ている。
カステロ・ブランコ市は人口30,649人の教区1つから成っている。
基礎自治体としては25の教区があり、約55,000人の人口を持つ。
カステロ・ブランコの名は、ルジタニア=ローマ時代の城または防衛定住地カストラ・レウカ(Castra Leuca)から生じている。 この場所はコリナ・ダ・カルドサの丘の頂上にあった。この丘の丘陵へ人々が定住していった。 1182年以前の歴史はわずかしか知られていない。 それにもかかわらず、この年以降の公文書には、ヴィラ・フランカ・ダ・カルドサと呼ばれたわずかな土地が、地元の貴族フェルナンデス・サンチェスによってテンプル騎士団へ寄進されたことが記されている。 1213年、自治制と特権を授けられ、初めてカステロ・ブランコの名が現れた。 ローマ教皇インノケンティウス3世は、1215年にこの自治制を承認し、カステロ・ブランコの名を与えた。 13世紀頃、テンプル騎士団が城壁と城を築いた。 1510年、新たな特権がポルトガル王マヌエル1世によって授けられ、1642年には町はVilaの地位を獲得した。 1771年、カステロ・ブランコは市に昇格し、教皇クレメンス14世は1881年にカステロ・ブランコ司教座を創設した。 1858年、アブランテス=カステロ・ブランコ間に電線が開通した。1860年、市に初めての公共の街灯が点った。 1959年、同名のカステロ・ブランコ県の県都となった。 カステロ・ブランコの最も重要な記念物は、司教邸宅庭園である。 ポルトガル国内で最も美しいバロック様式庭園の一つであり、寓話、王や星座などの像が池やテラス、階段の周りに設置されている。 市は、冷蔵庫や冷凍庫などを製造するセンタウロ社の本拠地となっている。 ダノンのポルトガル支社がカステロ・ブランコに工場を持っており、イベリア半島全体へ供給するダノンの日配品を製造している。 また、カステロ・ブランコは、脂肪分45%のフレッシュ・チーズ、カステロ・ブランコ・チーズ(Queijo de Castelo Branco)で名高い。 カステロ・ブランコには国立の高等工芸専門学校であるインスティトゥト・ポリテークニコ・デ・カステロ・ブランコがある。 農業、科学、経営、教育、芸術及び健康科学部門がある。 |
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歴代国王の像が置かれている宮殿庭園は旧司教館付属の庭園である。
ポルトガルで最も美しい庭園のひとつといわれている。
18世紀のバロック様式でアズレージョの階段がある。
幾何学模様の植木の間に彫像が置かれている。
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ポルトガル写真集以外で画像が多いものは、特集版にしました。
教会、博物館、美術館、大学、建物の内部の装飾、お祭りのパレード、市場の人々、民族衣装の人々などお楽しみください。
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