ピンクの家の前を歩くふたり
リスボンのカイス・ダ・ソドレ駅から列車で40分ほどで到着するカスカイス。
リスボンから便利な場所にあることもあり、身近なリゾート地である。
カスカイスが町として形成しだしたのは、12世紀のころである。
町が形成されだした初期のころは、隣の町であるシントラに多く依存していた。
13世紀になると、漁業や農業が盛んになり、リスボンへ食糧を供給するようになる。
14世紀になると人口も増え、行政面では、1364年に、シントラからの独立を達成し、
カスカイス及び周辺の村々は、ジョアン・ダス・レグラス卿が統括する地域になった。
中世以来、カスカイスは、漁業、リスボンへの航路の港町であったことから発展した
海運業、ワインやオリーヴオイル、穀物、果物を生産する農業が盛んであり、
テージョ川に近いという地理的要因もあり、リスボンを守る防衛拠点ともなった。
1488年ごろ、ジョアン2世は、海の側に小さな要塞を建設した。
この要塞は、最終的には防衛上、何一つ役に立つことはなく、
1580年のスペインとポルトガルの同君連合が成立した際も、貢献することはなかった。
この城塞は、フィリペ1世の時代に、ルネサンス建築の城塞へと拡張された。
また、カスカイス周辺の海岸線には、多くの城塞が建築され、多くが現存する。
1755年のリスボン地震において、カスカイスも大きな被害を受けた。
1774年、ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの経済政策により、
カスカイス近郊のカルカヴェロスのワイン生産の保護化、
王立の羊毛工場が建設され、19世紀初頭まで、残った。
半島戦争の期間は、カスカイスも他のポルトガルの都市同様、
フランス軍に占領された経験を持つ。
リスボンから近いおしゃれな町として知られるカスカイスである。
ピンクの壁が目立つレストランの前をふたりが歩いていた。
「暑くなってきたから、上着を脱いだわ。」
「ぼくは、大丈夫さ。」
「え~~ 暑くないの?」
「ぼくの故郷と比べると寒いくらいさ。」
「あらそう・・・ 毛皮のコートがいるわねえ・・・」
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