ブラガ中世祭りとふたり
ポルトのサン・ベント駅から近郊列車で約1時間10分でブラガに到着する。
30分から1時間おきに運行するので、行きやすい場所である。
ヴィアド・カステロから列車とバス、ギマランイスからもバスが出ている。
「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」という言葉からも明らかなように、
ブラガは、ポルトガルにおいて、信仰面で重要な役割を果たしてきている。
4世紀には、Patemusと呼ばれる司教がブラガに住んでいたとされる。
もっとも、聖オヴィディウス(Saint Ovidius)と呼ばれる聖者がブラガにおける最初の聖者とする説もある。
5世紀には、アウグスティヌスの友達でもあるパウルス・オロシウス(Orosius)がブラガに生まれ、神学、歴史の書物を著している。
6世紀には、ブラガの聖マルティン(Martin of Braga)が登場し、スエビ族をアリウス派からカトリックへ改宗させた。
また、このころ聖マルティンがブラガ近郊のドゥミオに修道院を建設したとされる。
西ゴート王国時代及びムーア人に支配されていたころのブラガの歴史は曖昧である。
ムーア人が8世紀にブラガを征服したことがわかっているが、レコンキスタによってフェルナンド1世が1040年にブラガを再征服した。
1093年から1147年の間は、ブラガは、ポルトガル伯領が設けられ、1070年には、司教座が設置された。
また、12世紀には、初代ポルトガル国王・アフォンソ・エンリケスの父親であるエンリケ伯爵の手によって、
ブラガは、ポルトガル伯国の中心として繁栄すると同時に、ブラガ大聖堂の建設が始まった。
中世のブラガは、大聖堂の周りを中心に発展し、古代ローマの断片を全て覆い尽くした。
メディヴァル(Medieval)と呼ばれる中世祭りは、ポルトガル各地で開催されている。
美しい城塞都市として人気のオビドスでも城塞都市丸ごとを使っての中世祭りが開催されている。
中世祭りの中でもポルトの南、約25km程の所にあるサンタ・マリア・ダ・フェイラ(Santa Maria da Feira)で開かれる中世祭りは、ポルトガルで最大規模を誇っている。
当時の服装に身をまとい、職人、商人、大道芸人、騎士、貴婦人、楽師などに扮している様子は、まるで中世へタイムスリプしたかのようである。
多くの人々が中世の衣装を身にまとい、見ているだけで楽しくなるようなダンスや歌、数々のイベントが繰り広げられる。
広場ではステージが作られ、幼稚園や保育園の子供たちの出し物をしていた。
ステージを待つ間は、客席で他の人の演技を見ている。
そんな待ち時間を楽しむふたりがいた。
「今日の衣装、かわいいでしょう。」
「とってもすてきだよ。」
「結婚式は、もっとすてきなドレスを買ってね。」
「もちらんだよ。」
「大きな家もほしいわ。」
「そうだね。」
「大きな会社の社長さんになってね。」
「なれるかなあ。」
「そんなんじゃだめよ。横のベッカム君に乗り換えちゃうぞ。」
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