ブラガ(Braga)はポルトガル北西部の都市であり、ブラガ県の県都。
ブラガを中心とするミーニョ都市圏は、リスボン都市圏、ポルト都市圏に次ぐポルトガルで第3の都市圏を形成する。
ブラガの歴史は古く、ローマ帝国の属州ガッラエキアの中心地Bracara Augustaとして繁栄した。
「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」という言葉からも
明らかなように、ブラガは、ポルトガルにおいて、信仰面で重要な役割を果たしてきている。
・・・ブラガの歴史・・・ ローマ時代 ブラガを中心とするミーニョ地方は、先史時代より人々が居住していた痕跡があるが、鉄器時代には、Bracari人と呼ばれる人々が住んでいた。 彼らは、現在のガリシア地方やポルトガル北部に居住していたとされる。 紀元前136年に古代ローマによるイベリア半島の征服が始まり、アウグストゥスの時代(紀元前20年ごろ)には、ローマ帝国の行政の必要上から、 ブラカラ・アウグスタ(Bracara Augusta)が建設された。 1世紀の間に、ブラカラ・アウグスタは、急激な発展を遂げた。 ローマ時代の最盛期は、2世紀に迎えた。 3世紀に入るころになるとディオクレティアヌスは、再編された属州ガラエキアの首都をこの地に置いた。 民族移動時代になると、ローマ帝国の影響が徐々に弱まっていき、ブラカラ・アウグスタを含む現在の北部ポルトガルとガリシア地方は、 中欧から移動してきたスエビ族の勢力範囲となった。410年には、スエビ族の王国が建国され、ブラカラ・アウグスタは、スエビ族の王国の首都となった。 しかし、584年ころには、ヒスパニアで勢力を拡大してきた西ゴート王国の領域に組み込まれた。 中世時代 西ゴート王国時代及びムーア人に支配されていたころのブラガの歴史は曖昧である。 ムーア人が8世紀にブラガを征服したことがわかっているが、レコンキスタによってフェルナンド1世が1040年にブラガを再征服した。 1093年から1147年の間は、ブラガは、ポルトガル伯領が設けられ、1070年には、司教座が設置された。 また、12世紀には、初代ポルトガル国王・アフォンソ・エンリケスの父親であるエンリケ伯爵の手によって、 ブラガは、ポルトガル伯国の中心として繁栄すると同時に、ブラガ大聖堂の建設が始まった。 中世のブラガは、大聖堂の周りを中心に発展し、古代ローマの断片を全て覆い尽くした。 とはいえ、ブラガは、16世紀になると商業の中心地から、取り残されてしまった。 大航海時代には、ポルトガルの商業の中心は、首都リスボンやアレンテージョ地方の首都であるエヴォラ、中部地方のコインブラに移ってしまった。 このような状況を変えたのが、16世紀のブラガの大司教を務めたディオゴ・デ・ソウザである。ソウザは、道路を拡張し、広場を作り、病院や協会を新たに建設した。 また、老朽化したブラガ大聖堂の改造にも着手し、当時の流行であったマヌエル様式の礼拝堂を増築した。 ソウザのブラガの改造によって、ブラガは、中世の都市からルネサンス時代を代表する都市へと変貌を遂げた。 ソウザの改造は、現在のブラガでも見ることができる。 |
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キリストの受難を表現する聖クルス教会は、兄弟愛による献身を表す純粋な建築物といえる。
17世紀はじめに着工され、完成したと言われている。
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聖ジョアン・マルコスに捧げられた建物も様様な建築様式が混ざり合って成り立っている。
下火になりつつあったロココ様式の影響から解放され、建物中心部が凸状に強調されている
ところからもわかるように、後期バロック様式の構造が見られる。
ファザードをみると古典的なレリーフも眼を引く。
この建物様式の融合は1787年、技師カルロス・アマランテによって実現した。
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大司教ジョゼ・デ・ブラガンサは、ポルトガル王ジョアン5世の弟にあたる。
廷臣で学識のある人物で、邸宅の側面を当時の趣向を取り入れて増築した。
アンドレ・ソアレスの活動初期の設計だと言われている。
邸宅の内部を見せてもらうことができた。
2階の部屋が教室になっており、勉強中であった。
アズレージョの階段と天井の装飾に特徴がある。
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ポルトガル写真集以外で画像が多いものは、特集版にしました。
教会、博物館、美術館、大学、建物の内部の装飾、お祭りのパレード、市場の人々、民族衣装の人々などお楽しみください。
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