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愛しのポルトガル写真集ギャラリー
(風光明媚な王家の避暑地シントラ4)
Portugal Photo Gallery --- Sintra 4

シントラ4 Sintra 4 6月1日 午前(小雨から晴天)

シントラは10年ぶりの訪問である。
シントラはリスボンのロシオ駅から列車で1時間くらいのところにある。
本数も多いので、リスボンから日帰りコースでいける場所である。
金曜日は、シントラの路面電車が運行するというので出かけることにした。
ポルトガル人気で、シントラの町は観光客であふれていた。

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シントラ75
ロシオ駅・シントラ in portugal
ロシオ駅
シントラ76
シントラ行き列車1・シントラ in portugal
シントラ行き列車1
シントラ77
シントラ行き列車2・シントラ in portugal
シントラ行き列車2
シントラ78
シントラ駅・シントラ in portugal
シントラ駅
シントラ79
電車型バス・シントラ in portugal
電車型バス
シントラ80
ペーナ宮殿入口・シントラ in portugal
ペーナ宮殿入口
シントラ81
ペーナ宮殿1・シントラ in portugal
ペーナ宮殿1
シントラ82
ペーナ宮殿2・シントラ in portugal
ペーナ宮殿2
シントラ83
ペーナ宮殿3・シントラ in portugal
ペーナ宮殿3
シントラ84
ペーナ宮殿4・シントラ in portugal
ペーナ宮殿4
シントラ85
ペーナ宮殿5・シントラ in portugal
ペーナ宮殿5
シントラ86
ペーナ宮殿6・シントラ in portugal
ペーナ宮殿6
シントラ87
ペーナ宮殿7・シントラ in portugal
ペーナ宮殿7
シントラ88
ペーナ宮殿8・シントラ in portugal
ペーナ宮殿8
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ペーナ宮殿9・シントラ in portugal
ペーナ宮殿9
シントラ90
ペーナ宮殿10・シントラ in portugal
ペーナ宮殿10
シントラ91
展望台・シントラ in portugal
展望台
シントラ92
展望台からの景色・シントラ in portugal
展望台からの景色
シントラ93
ペーナ宮殿11・シントラ in portugal
ペーナ宮殿11
シントラ94
ペーナ宮殿12・シントラ in portugal
ペーナ宮殿12
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礼拝堂1・シントラ in portugal
礼拝堂1
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礼拝堂2・シントラ in portugal
礼拝堂2
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礼拝堂3・シントラ in portugal
礼拝堂3
シントラ98
宮殿の彫刻1・シントラ in portugal
宮殿の彫刻1
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宮殿の彫刻2・シントラ in portugal
宮殿の彫刻2
シントラ100
宮殿の彫刻3・シントラ in portugal
宮殿の彫刻3
シントラ101
宮殿の彫刻4・シントラ in portugal
宮殿の彫刻4
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宮殿の彫刻5・シントラ in portugal
宮殿の彫刻5
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宮殿の彫刻6・シントラ in portugal
宮殿の彫刻6
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宮殿の彫刻7・シントラ in portugal
宮殿の彫刻7
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宮殿の彫刻8・シントラ in portugal
宮殿の彫刻8
シントラ106
立体アズレージョ・シントラ in portugal
立体アズレージョ
シントラ107
台所1・シントラ in portugal
台所1
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台所2・シントラ in portugal
台所2
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ペーナ宮殿13・シントラ in portugal
ペーナ宮殿13
シントラ110
ペーナ宮殿14・シントラ in portugal
ペーナ宮殿14
シントラ111
ペーナ宮殿15・シントラ in portugal
ペーナ宮殿15
シントラ112
シントラ宣伝カー・シントラ in portugal
シントラ宣伝カー
シントラ113
周遊バス・シントラ in portugal
周遊バス
シントラ114
坐る人々・シントラ in portugal
坐る人々
シントラ115
王宮1・シントラ in portugal
王宮1
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王宮2・シントラ in portugal
王宮2
シントラ117
王宮からの景色1・シントラ in portugal
王宮からの景色1
シントラ118
王宮からの景色2・シントラ in portugal
王宮からの景色2
シントラ119
王宮の噴水・シントラ in portugal
王宮の噴水
シントラ120
ムーアの城壁・シントラ in portugal
ムーアの城壁
シントラ121
階段の路地・シントラ in portugal
階段の路地
シントラ122
ホテルのレストラン・シントラ in portugal
ホテルのレストラン

 ≪シントラ4≫の手動・自動スライドショウはこちらからどうぞ!

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リスボン県
リスボン県地図

リスボンのロシオ駅から列車で約40分で到着する。
本数が多いので、日帰りコースとして気軽に行くことができる。

リスボンから西へ約20kmの距離にある。
深い緑に覆われた山中に、王宮を中心として、豪華な城館や貴族の別荘が点在する。
かつてイギリスの詩人バイロンが「この世のエデン」とたたえた。
美しい景観は、世界遺産にも登録されている。

ムーア人が築いた城の跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など、
様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名であり、
また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。

★シントラ王宮 - 14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。 イスラム教徒が残した建物をディニス王が居城とし、14世紀にはジョアン1世が増改築を行った。 ムデハル、ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなどの多彩な建築様式が見られる。

★ペーナ宮殿 - マリア2世の王フェルナンド2世が建設した。ドイツから建築家を呼び寄せ1885年に完成した。 イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなどの各様式の寄せ集めではあるがそれが奇妙な魅力を生んでいる。

★ムーアの城跡 - 7から8世紀にムーア人によって建設された。 1147年にアフォンソ・エンリケスにより落城され、その後修復されたが、現在は、廃墟のようになっている。 天気が良ければ、城壁の塔からシントラの町と大西洋が望める。

★レガレイラ宮殿 - 12世紀に建設された王族の別邸を利用して、20世紀前半に、イタリアの建築家ルイージ・マニーニによって改築された宮殿。 庭園には、深さ60mほどのらせん階段や洞窟が造られ、随所に錬金術やテンプル騎士団などのシンボルが施されている。

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「ポー君の旅日記」 ☆ 風光明媚な王家の避暑地シントラ4☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2018紀行文・21≫
    === 第4章●リスボン起点の旅 === 10年振りに行った標高500mの山中にある王家の避暑地だった

          《シントラに向かう朝》

 麻状の幅広赤帽子に、赤を基調に種々の色が縦横に走るチェック模様の長袖上着。 長袖は真夏の取材でも変えないのが写真家の流儀。ポルトガル各地のどこに行っても、歩道も車道も路地も広場も、全土変わらぬ〔石畳文化〕の地である。 石畳のことを〔カルサーダス〕という。

 そこを18年間に渡り、長時間歩き回る〔撮影取材旅〕を続けて来た経験で、Gパンに登山靴仕立てだ。 まさに、石畳には靴底がガッチリした登山靴が最適だと野老は思う。 石畳は山歩きに似て凹凸気味のため登山靴仕様だと、歩きやすく疲れにくいのだ。 いつもの、右肩に赤いベルト掛けの赤ショルダーバック。 左手に首に吊るしたニコン一眼レジタルカメラを握りしめる〈撮影取材旅姿〉の写真家は、朝がた冷え込んだ広場の空気を深く吸い込み、ふ〜とひと呼吸。 四角に仕切られた〔フィゲイラ広場〕の空は、申し分ない〈ポルトガルブルー〉ひと色に満足気味である。

 6月1日、金曜日の早朝だった。 宿から一歩踏み出し、朝日が当たる〔フィゲイラ広場〕の「ドン・ジョアン1世の騎馬像」の右肩奥に見える、 真っ青な空に溶け込む高さ45mの〔サンタ・ジュスタエレベーター〕の頂上展望デッキには、もう、すでに観光客の姿がある。 朝は早く、夜は遅くまで、毎日が忙しい観光旅行の旅人で賑わう、首都リスボンのバイシャ地区朝模様だった。

 フィゲイラ広場から隣の〔ロシオ広場〕に入ると、昨日とは雲泥の差。 と言うのは、昨日はポルトガルをはじめカトリック国家の「聖体の祝日」と呼ばれる日で、各国全土がお休み。   今年は昨日5月31日の木曜日。 2019年は6月20日(木)、2020年は6月11日(木)が『聖体の日』である。 お忘れなく。かつてこの紀行文で書き記した野老がこの日をころっと忘れ、昨日の木曜日一日は交通機関で往生した。 平日運行ではなく、野老の大チョンボで休日運行に気づかず難儀した。

「けいの豆日記ノート」
 ガイド本に記載のない祝日が、昨日の聖体の祝日であった。 毎年、日が変わるためだからかもしれない。 このことを知らずに、リスボンのカンポ・グランデバスターミナル始発のペニシェ行きのバスに乗る予定を立てていた。 平日の時刻表を見て予定を立てていたので、来るはずのないバスを2時間も待つはめになった。 結局、ペニシェ行きのバスには乗らず、カルダス・ダ・ライーニャ行きのバスに乗り、大回りして行くことになった。 帰りのバスも最終便が予定より1時間も早くなり、慌ただしい日となってしまった。 リスボンの宿に帰るまで、どうして予定通り行かなかったのかわからなかった。

 首都リスボンで一日中賑わう広場は、初代ブラジル国王になった〔ドン・ペドロ4世〕のブロンズ像が広場中央の円柱の頂(いただき)から見渡している。 そして昨日とは打って変わった生き生きとした広場を囲むカフェやレストラン、バスやタクシーの乗り場は早朝から人の波だった。 広場内部を囲むように連なるジャカランダの樹木。 その枝枝に咲く青紫色の花弁が、あたたかい日射しを受け浮き立って見える。 6月になった途端に満開になったみたいに思えた。

 広場の石畳補修工事と言っても畳3枚分程だが、3人の石工たちは早朝の道行く人々の足元で屈(かが)み、黙々と作業を続けていた。 写真家は石工に、ひと声かけて撮る。 石工の素手に握られた一つの石塊は、一辺が7cmぐらい。特殊の金槌(かなずち)を使って、巧みにコンコンと打ち刻み、補修箇所の石塊と組み合わせていく。 すべての作業は手作業だ。 石塊の下に砂を敷きコツコツと刻んだ石塊の平面を軽く叩き、周りの石塊との平行を目測し、隙間に砂を撒き如雨露(じょうろ)から微々たる水を垂らし固め、 ひとつ又ひとつと造形し並べ確認していく手作業手順は見ていて飽きない。 その根気良さは、まさに日本的流儀だった。

 そんな作業をアッチコッチソッチでの出会いから、石畳の石塊はポルトガルのどこからでも切り出される〔石灰岩〕がほとんどだと知る。 通りや広場ごとに〔カルサーダス〕のデザインは違う。補修箇所によって石塊の色味を合わせていかなければならない。 また、リスボンより北は白地にグレー、南は黒地に白の柄模様が多いらしい。 理由は簡単、北は白が、南は黒の石灰岩が多く産出されたからだった。 それに坂道の多い土地柄、石灰岩は雨水を吸収し濾過してくれるため石畳に使って来たのだ。 濾過された水は、昔から洗濯水や農業用水などに利用してきたと言う。

 ロシオ駅舎ビルに入るふたつの馬蹄形入り口に向かって赤い帽子が急ぎ行く。 馬蹄形入口前は、昨日とは大違いの人の数。 通勤者も旅人たちも、快晴の朝を小躍り状態の笑顔で飾る。 赤い帽子が馬蹄の中に消える。急で野老は後を追う。 長くて急なエスカレーターに赤い帽子が上っていく。 10年ぶりで〔シントラ〕行き列車の切符を自動販売機で購入するが3度ほど試みるが買えず、切り換えが早いというか、 あきらめが良い相棒は窓口販売の長蛇の列に『何で自動販売機ですんなり切符が買えなかったのか』思案投げ首で、憮然と並ぶ。

 9時10分発の赤い車体。列車の窓ガラスは旅人泣かせの汚さ。 毎度のことながら、車窓からの景色を見るのが嫌になる。 観光国なら、らしくせい!(失礼、どうも傘寿が近づくとジジイ色が加速気味になる)40分ほどで、10年ぶりの終着駅〔シントラ〕に着いた。

「けいの豆日記ノート」
 ロシオ駅からシントラまでの電車は本数が多くて、とても助かる。 リスボンに仕事や学校に通う人たちの通勤列車になっているためである。 始発から終着までなので、間違えることもなく、ゆったりと過ごせるので楽でもある。
 ロシオ駅も数年前より自動改札になり、切符がないとホームに入れないようになった。 窓口の切符売り場が長蛇の列で混んでいたので、横にあった自動販売機で買おうと思った。 メトロの切符は、自動販売機で買っているので、こちらもできると思ったからである。 でも、できなかった。 後ろにいた東洋風女性に聞いてみたが、わからず、その女性もできなかった。 現地の人でなく、旅行者に聞いてしまったのかもしれない。 ここで、もたもたするより、並んだ方が早いと思い、長蛇の列に並んだのである。

          《10年目のシントラ》

 降りたプラットホームは、おおッ!と思わず野老は声を発したほどの人の波。 6月の月初めだが駅舎に向かって流れる観光客の後姿は、セーターや長袖姿の群れだった。 野老もその冷え込みにジャージーのジャンパーを、背負っていたリュックサックから引っ張り出して着た。 でも、半ズボン半袖姿がいないわけではない。 巨体の北欧からの人だろうか。 そんな姿の老夫婦が目立つほど、シントラ山系の朝10時前のプラットホームは冷え込んでいた。

 シントラ駅舎の建た住まいが、野老は好きだった。 しかしながら10年の歳月は建物外観補修工事が必要になっていた。 洒落た白壁とレンガの組み合わせ意匠外観の、その白壁の剥げ落ちが目立つている。 分かっていても、工事がすんなり出来る状態ではなさそうだ。 駅前通りは狭いし、大型バスが停まれば、乗用車やプラットホームから吐き出される観光客でごった返す有様。

   この状態では、駅舎外装補修工事は御法度模様である。 これからの季節は観光客が増すばかりだ。 なぜなら、大西洋を間近に望んで拡がるシントラ山系標高500mを越す山肌は豊かな樹木に覆われ、 いたるところに泉が湧き出る〔シントラ〕は、代々王家の離宮が置かれ、周辺の森の中にはキンタと呼ばれる豪華な館(別荘)が点在する格好の避暑地だ。 かつて、イギリスの詩人バイロンが〈この世のエデンの園〉と讃えたそうな。 1995年《シントラの文化的景観》として、ポルトガルの〔世界文化遺産〕になっている。

「けいの豆日記ノート」
 ロシオ駅から乗った乗客はほどんどがシントラに行く観光客であった。 8両編成の長い列車からたくさんの人たちが降りてきた。 ポルトガルは人気の観光地になってきたので、10年前とは比べものにならないほど、観光客が増えてきている。 シントラはリスボンから近いし交通の便もいいので、日帰りができる場所である。 それに世界遺産の登録地でもあるので、リスボンに来た人は必ずと言っていいほどシントラに観光に行くのである。

 初めて〔シントラ〕に来たのは、2001年9月25日。「ニューヨーク同時多発テロ事件 9・11」の15日後だった。 当時、ポルトガル長期滞在中だったドン・ガバチョ画伯(現在はご夫婦でポルトガル・アレンテージョの古都エヴォラ郊外に移住中)のお誘いで、 初めて〔ポルトガル共和国・首都リスボン〕にやって来たのは、その3日前の22日深夜だった。20時間ほどかけリスボン空港に着いたのは22時を過ぎていた。 旅行バックがターンテーブルに吐き出され、ぐるっと回って野老の手もとに引き寄せたのは23時近く。 ドン・ガバチョ画伯が手を振る長身髭面の迎えの姿を見てホッとした。 テロ事件の影響で日本でも経由地オランダ空港でもリスボン空港でも、物々しい警戒態勢だった恐怖のポルトガル初紀行だった。

 2001年当時は[名古屋空港→KLMオランダ航空でアムステルダムスキポール空港経由→ポルトガルリスボン空港]で入国出来たが、翌年から名古屋空港からのKLM便がなくなり、 経由地は[ルフトハンザ航空でドイツのルフトハンザ空港]になる。 だが、知多半島の野老の住む知多市の隣町、焼き物の里常滑市沖1.5km伊勢湾海上に、2005年2月17日〔セントレア・中部国際航空〕が開港した。 2006年10月に[セントレア中部国際空港→エールフランス航空でフランスのシャルル・ド・ゴール空港経由→ポルトガル第二都市ポルト空港]入国も実現した。 何寄りなのが、野老の住む知多市新舞子駅から名鉄電車特急でふた駅8分が、〔セントレア〕であった。

「けいの豆日記ノート」
 現在は、エールフランス航空は運行されていないが、セントレア開港時期には、2回ほど乗ったことがある。 乗り換えのフランスのシャルル・ド・ゴール空港で広い空港であったが、印象があまりよくなかった。 トイレの場所が少なく、やっと見つけても個室が少なく鍵が壊れていたりして、おしゃれなイメージのフランスとはかけ離れていた。 それにロストバッグが続けて2回もあった。 預けていたバッグが到着しないと、たとえ翌日に着いたとしてもとても困るのである。 エールフランスがなくなり、ルフトハンザにしてから、ロストバッグはなくなったのでよかったと思う。

 ポルトガル共和国は、1986年1月1日。「欧州連合28か国EU加盟国」に加盟。 2001年当時の通貨はエスクードだった。 2002年はエスクードとユーロ併用になり、2003年からは殆どユーロ使用に切り替わった。 そんな時代背景どきのポルトガル共和国の流れ行く時代の空気を〔撮影取材旅〕の道中で呼吸できたことが、何故か野老は嬉しかった記憶が残る。 今日、2018年6月1日の金曜日。 リスボンから28km西にある風光明媚な思い出いっぱいの〔シントラ〕駅舎前で、観光客であふれる〔ペーナ宮殿〕行きバス停で長蛇の列に並んでいた。 だが、満員になると即、発車。流れに無駄がなかった。

 駅舎構内にある〔トゥリズモ・観光案内所〕で、タダで貰える地図は必ず持ち帰る。 シントラには、4カ所の変化に富んだ目玉がある。 駅舎から近い順にバスに乗って、ポルトガル王家の夏の離宮〔王宮〕。 バスに乗って、シントラが一望できる〔ムーアの城跡〕からは大西洋まで望める。 さらにバスに乗って、標高529mの山頂に建つ〔ペーナ宮殿〕。 それに、バス路線ルートを外れ、王宮前のレプブリカ広場から歩いて20分程に摩訶不思議な庭園に、ゴシックの館〔レガレイラ宮殿〕がある。

 実は〔シントラ〕には、今回で3回目。
1回目は前述の2001年9月25日[シントラ駅舎→王宮→ムーアの城跡→ペーナ宮殿→シントラ駅舎]。
2回目が2008年6月7日[シントラ駅舎→王宮・・・(往復歩いて)レガレイラ宮殿・・・王宮→シントラ駅舎]。
3回目が今日、2018年6月1日。
因みに〈初回の野老62歳、2回目68歳、3回目78歳、帰国後すぐに79歳〉だった。

「けいの豆日記ノート」
 久しぶりのペーナ宮殿であった。 シントラの駅前のバス乗り場の長蛇の列といい、ペーナ宮殿の入場券売り場の長蛇の列といい、シントラの人気が高まっているのがよくわかる。 リスボンから日帰りで行ける世界遺産の町である。 ツアーで、必ず訪れる町である。 ポルトガル人気がシントラ人気である。 人気が出るのはうれしいが、長蛇の列はどうにかならないものか・・・

          《ペーナ宮殿》

 我ら〔撮影取材旅〕人は、満員のシントラ駅舎発434番バスに揺られ、色色なお国言葉が飛び交う中〔ペーナ宮殿〕の入場券売り場前バス停まで運ばれた。 そして、ペーナ宮殿内部に入る入場券(14ユーロ。65歳以上12.5ユーロ)と宮殿までのミニバス賃(往復3ユーロ)チケットを並んで買った。 ミニバス賃は急坂を500mくねくね上り、下りする料金だった。 今回の野老(ヤロー)には、急坂の500mは死の行脚に等しかった。 当然500m往復のミニバスに乗った。

 ミニバスを降り、オレンジ色の円柱の城砦や赤い時計塔、手の混んだ細工アーチ状の建物が高い石組みの上に立ち、 その脇のだらだら石畳坂道をスマホ片手の外国人たちが頑強な入門アーチめがけて登っていく。 おおッ!と野老は、再び声を上げる。 〔ペーナ宮殿〕内部見物の列が、二重三重(ふたえみえ)の長蛇のとぐろ状態であった。 入場制限が敷かれ、1時間以上はかかりそうだと女性係員が言う。小雨がぽつり頬にあたる。 小寒さが襟首を走る。 『やめよう。その時間分は〔レガレイラ宮殿〕散策廻しにしよ〜ッ』。 写真家の判断で〔撮影取材旅〕は即座に変わるから楽しいのだった。

「けいの豆日記ノート」
 ペーナ宮殿の建物の内装は、以前に見たことがある。 チケットには内部の見学料も含まれていたが、長蛇の列を見てやめることにした。 たぶん、室内は撮影禁止であった気がする。 ここの待ち時間で時間ロスをするより、レガレイラ宮殿に行きたかった。 ペーナ宮殿より、レガレイラ宮殿の庭園のほうが興味があったからである。

 シントラ駅舎前からくねくね曲がって登り、〔ペーナ宮殿〕入り口前の停留場までのバス料金は6.9ユーロ(897円)。 実はこのバス料金は、とても便利なお得な〔一日乗り放題の周遊券〕であった。 高い鉄扉に囲まれたペーナ宮殿入場料は、14ユーロ(1820円)。 それに宮殿までの急坂500mほどのミニバス賃が往復3ユーロ(390円)。 〔シントラ駅舎〕から〔ペーナ宮殿〕までの急坂山道のバス代6.9ユーロ(乗り放題一日周遊券)と〔ミニバス3ユーロ〕もポルトガルの交通運賃は安すぎ良心的値段だと思うが、 14ユーロの宮殿入場料金が腑に落ちない写真家だった。

 『合点がいかないって言うか、納得できないな〜』宮殿内部に入(はい)らなかったら割引は効かないか、と係員に掛け合ってみたが、けんもほろろ(取り付くすべもない様)だった。 当然だ。入(はい)れないと言ってはいない。 待てば、入(はい)れるからだ。 でも、もしかしてということだって、ないとも限らない。取りあえず堂々と聞いてみる。 大きな声では言えないが、これが〔ケチケチ撮影取材旅〕の生きる道である。

 さて置き、10年前(2008年)の〔ペーナ宮殿〕入場料は、11ユーロ(65歳以上は8.5ユーロ)だったし、17年前(2001年)入場料は600エスクードだった。 ガイド本の3倍になっていてびっくりした覚えがある。 因みに参考だが、[ミニバス往復料金]と〔入場料〕の時代別料金比較をしてみた。 ガイド本は情報が遅いので、数年の誤差があるので注意が必要である。 冬場はシーズンの夏場にくらべて2〜3ユーロ安い。

2001年〜2002年[200エスクード]〔600エスクード〕ユーロ以前のポルトガル通貨
2003年〜2007年[1.50ユーロ]〔5ユーロ〕
2007年〜2008年[1.50ユーロ]〔4.5ユーロ〕
2009年〜2010年[1.50ユーロ]〔11ユーロ〕
2010年〜2011年[1.50ユーロ]〔11ユーロ〕
2012年〜2013年[2.00ユーロ]〔12ユーロ〕
2013年〜2014年[2.00ユーロ]〔13.50ユーロ〕
2015年〜2016年[2.00ユーロ]〔14ユーロ〕
2016年〜2018年[3.00ユーロ]〔14ユーロ〕

 〔ペーナ宮殿〕の入場券を買い、入門したのは11時。宮殿内部の入場を諦めてから、それでも宮殿の周囲散策で2時間も写真家は撮り続けていた。 白い大理石を繊細に彫り起こした祭壇のマリア像をはじめ、集団群像の見ごとな彫りが見られたのも、修道院に導き入れた写真家のヒットだった。 ステンドグラスの色合いの美しさに、久々に魅せられた。 サンゴ礁の上の大きな貝にドッシリおさまる魔除けのおどろおどろした造形には今回も魅入った。

   屋上の白い日除けに覆われたレストラン。 サグレス生ビールが旨そう。階下眼下広場には、色取りどりの衣裳が咲く。 目を転じると、いつの間にか入門の長蛇の列が溶け、笑顔の脚も軽い見学者達がいた。  赤と緑のあわせ目に紋章のポルトガル国旗が、そよ風でふわふわよじれて舞う。

 写真家が真っ赤な雨衣を着、首から下げた一眼レフを覆う。 黄色壁の円筒形建物前3階フロアの人びとが、一斉に慌ただしく雨具を取り出す。 まるで買い物競走みたいで、そのアクションの面白さを見ていて吹き出す。 あっと言う間に、白雲が風で吹き飛び、真っ青な空になる。 野老は写真家について行ったら、知らぬ間に宮殿内部に浸入していたのだった。 きっと先見の妙がある相棒の魔術なのだ。

 シントラ山系の深い樹木に覆われた標高529mの頂に1885年に完成した〔ペーナ宮殿〕。 その魅力は、ひとつ一つの建物の色合いの楽しさかも知れない。 野老が誕生した丁度100年前の1839年フェルナンド二世が、廃墟となったジェロニモス派の修道院を改築して宮殿にしたと言う。

 イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなどいろいろな様式が混じり合って、一見統一感に欠けるとか、寄せ集めでごちゃつくといわれるが、 「幻想的雰囲気が漂う」とか「それがまた奇妙な魅力を生んでいる」との評価がある。 ディズニーランドより明るい色模様が綺麗で楽しいと言う爺(ジジ〜)もいる。 遠くから見た〔ペーナ宮殿〕は、緑色の森の中から黄色や薄青色の円筒形建物や赤い時計塔などがニョキにょき天空に伸び、アズレージョタイル細工で飾られ、 「中世おとぎ草子絵本」を見る想いであった。

 また、ペーナ宮殿のテラスからは大西洋が遠望できるし、さっき下車した〔シントラ駅舎〕を出て右方向へ進み、商店街を抜けると路面電車の停留場がある。 シントラ山脈に沿って田舎道を進むこと45分、松林が続く海辺の風景になる。 終点が大西洋の〔マサス海岸〕だ。料金は片道3ユーロ。チャレンジすべきだ。 (詳しくは、シントラ駅舎のトゥリズモ・観光案内所で時刻表確認。 時期時節により運行状況が変わる。ご注意あれ) 当然、一日乗り放題周遊券で、〔ペーナ宮殿〕から〔王宮〕行きバスに乗ったのは13時だった。

「けいの豆日記ノート」
 シントラにも路面電車があることを知って乗ってみたいと思っていた。 運行時期があり、金曜日から日曜日しか走っていない。 本数も少なく、1台が片道45分かけて、往復しているっぽい。 これでは、だぶん乗ることができないだろうし、乗れても満員電車並みだろうと思う。 45分間を満員電車に立っているのは、かなり辛いと思った。

          《シントラの王宮》

 ポルトガルの中央部は乾燥した亜熱帯性気候の地。 そのためシントラ山系は避暑地として最適だった。 かつて南から攻め上がったイスラム教徒のムーア人は8世紀に宮殿を造り、12世紀にキリスト教徒が奪回すると、王の居住地と修道院が建ち、歴代の王家の離宮と呼ばれる。 ポルトガル王家の夏の「離宮」だったシントラの〔王宮〕も〈世界文化遺産〉のひとつである。

 6.9ユーロ周遊バスが着いたのは、〔レプブリカ広場〕を中心とした〔シントラ・ヴィラ〕と呼ばれる地区だ。 白馬二頭立て馬車が石畳広場を老夫婦を乗せて馬蹄(ばてい・馬のひずめ)の音を響かせ、シントラ駅舎への坂道を下って行った。 シントラ・ヴィラ地区にはせまい通路にレストランやカフェ、土産物や、ギャラリー、BAR(バール)、果物屋、ブティック、ホテルに路上ポップコーン屋(冬季は焼き栗屋に変身)など、 どこの店も人で溢れていた。 この10年間で観光客は確実に伸びていると野老は素直に思う。

「けいの豆日記ノート」
 ペーナ宮殿の長蛇の列に比べて、王宮は列ができていなかった。 以前に見たことがあるし、写真撮影が禁止であった覚えがある。 写真撮影ができないとなると、見る気持ちが失せてしまうのは、どうしてなのだろう。 入場料の10ユーロは、ランチにまわすことにした。 王宮の高いところにある入り口から見たシントラの町の景観がすてきなので、入り口付近までは来る。 ちょうど、王宮のアーチの中にシントラの町が入り、山の上にはムーアの城壁まで見える絵画のような風景である。

 撮影しながら先を行く写真家に声をかけた。 腹が減っていたし喉も渇き切っていた。 野外テラスの日傘のテーブルに疲れた老体を投げ出した。 ウエイターが即、飛んできた。何がなんでも生ビールを水替わりに飲みたかった。 持ってきた生ビールは、長い長い30cmもある三角柱グラスに、思わず野老はよろけるほど驚き、嬉しかった。 両手で拝み持ち、ひと口飲む。喉に沁み、溶けていく旨さだった。

 本来は昔からウヰスキー党の野老だが、ポルトガルに来るとのどが乾けば〔水より安いビール〕を呑まざるを得ない。 相棒はアグア(3.7ユーロ)。 昼食として、バカリャウマブラス一人前(13.5ユーロ)。 量が多いのでいつも料理は、1人前だった。 生ビールは、なんと6.95ユーロ。確かに量が多かったが高い。 いつも日々、水がわりに飲むサグレスビールは1ユーロ。高くても、1.5ユーロだ。 料理も高い。 『あ〜ッ!』の雄叫びは相棒。 『ちゃんと確認しなくっちゃ〜!このテラスは、高級ホテルの・・・』悔やんでも遅かった。

「けいの豆日記ノート」
 遅いランチタイムだったので、広場の横のレストランに入ってしまった。 広場に面したオープン席であった。 トイレも入りたかったので、気軽に席に座ってしまったのだが、ホテルのレストランであることに気がついた。 いつものランチの倍の値段がかかってしまった。 まあ、おいしかったからいいとしよう。

 ポルトガル王家の夏の離宮〔王宮〕は、レプブリカ広場の前の一段も二段も高い位置に、巨大な白い建物に2本の巨大な円錐型の角(つの)を出している。 初めてみた17年前はその奇妙さに野老は驚いた記憶がある。 実はこの目を引く2本は、厨房から突き出た〔煙突〕であった。 〔王宮〕は、14世紀中旬から後半にかけて、〔ポルトガル大航海時代〕の幕開けを先導した今日のポルトガル共和国の発展と繁栄を世界の果てまで知らしめた〔エンリケ航海王子〕の父で、 〔バターリャ〕のマヌエル様式の最高傑作と言われているバターリャ修道院を建てたジョアン1世が、14世紀に〔夏の離宮〕として建設して以来、幾重にも増改築されているという。

 聞いて驚いたのが、1584年に日本からはるばるやって来た4人の〔天正遺欧少年使節団〕がリスボンの〔サン・ロケ教会〕に滞在し、 この〔王宮〕の白鳥の間でも大切におもてなしを受けたそうだ。 次いでながら、彼らは1582年長崎を出港し、マカオで滞在し、マラッカ、コーチン、喜望峰経由でリスボンに到着。 そして半年間イベリア半島を旅し、スペインのフェリペ二世に謁見(えっけん)、ローマで教皇グレゴリウス13世と謁見したのは日本を出発してから3年後の1585年。 そして、イタリア北部の各地を回り、マドリード、トレド、リスボン、コインブラと周り1590年7月に無事帰国。 天下人となった豊臣秀吉に〔見聞〕を報告した記録が残っている。

 【一寸ちょっとだけ情報】リスボン帰路穴場情報だが、〔シントラ駅舎〕からの列車で「来た道帰れ」で、リスボンのロシオ駅に戻るのもいいが、 列車でなしに駅舎前の〔403番バス停〕から〔カスカイス〕行きに乗り、途中の〔ロカ岬〕まで40分ほどで下車。 立寄ってみるといい。上手(うま)くすれば、ユーラシア大陸の最西端にあるロカ岬から大西洋に沈む夕景に出会えるかもしれぬ。 野老なら、そうする。再び〔カスカイス〕行きのバスに20分ほど乗りそこから列車で〔カイス・ド・ソドレ〕駅行き列車に乗り替えれば35分で着く。 テージョ川沿いの遊歩道公園を川風にうたれ散策すれば、すぐ〔コメルシオ広場〕だ。

●漢字に(・・・)と読みを容れていますが、読者の中に小・中学性の孫娘達がいますので了承ください。(野老)●

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
今回分は2020年4月に掲載いたしました。

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2018−1話
リスボン19
Lisboa 19
2018−2話
オビドス3
Obidos 3
2018−3話
ファーロ2
Faro 2
2018−4話
アントニオ2
Vila Real de Santo Antonio 2
2018−5話
ファーロ3
Faro 3
2018−6話
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Tavira 2
2018−7話
サグレス2
Sagres 2
2018−8話
ラーゴス2
Lagos 2
2018−9話
ポルト18
Porto 18
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ヴィアナ・カステロ2
Viana do Castelo 2
2018−11話
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2018−12話
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Aveiro 3
2018−13話
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Pinhao 2
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レグア3
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2018−15話
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リスボン20
Lisboa 20
2018−17話
セトゥーバル2
Setubal 2
2018−18話
リスボン21
Lisboa 21 & Cacihas 3
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Cacihas 3
2018−20話
ペニシェ
Peniche
2018−21話
シントラ4
Sintra 4
2018−22話
シントラ5
2018−23話
リスボン22
2018−24話
リスボン23
2018−25話
リスボン24
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リスボン25

 ≪ポルトガル写真集&紀行文・2016年版≫ バックナンバー&予定は、こちらからどうぞ・・・

2016−1話
リスボン15
Lisboa 15
2016−2話
カステロブランコ2
Castelo Branco 2
2016−3話
モンサント2
Monsanto 2
2016−4話
ペーニャ・ガルシア
Penha Garcia
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イダーニャ・ア・ヴェリア
Idanha a Velha
2016−6話
モンサント3
Monsanto 3
2016−7話
カステロ・ノーヴォ
Castelo Novo
2016−8話
カステロブランコ3
Castelo Branco 3
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グアルダ
guarda
2016−10話
ピニエル
guarda
2016−11話
カステロ・ロドリゴ
Castelo Rodrigo
2016−12話
アルメイダ
Almeida
2016−13話
カステロ・メンド
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ポルト15
Porto 15
2016−15話
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Amarante 2
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ポルト16
Porto 16
2016−17話
ポルト17
Porto 17
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ブラガ3
Braga 3
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Braga 4
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Azaruja 2
2016−22話
リスボン16
Lisboa 16
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リスボン17
Lisboa 17
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Lisboa 18

 ≪ポルトガル写真集&紀行文・2013年版≫ バックナンバー&予定は、こちらからどうぞ・・・

2013−1話
リスボン13
Lisboa 13
2013−2話
カスカイス3
Cascais 3
2013−3話
ナザレ2
Nazare 2
2013−4話
バターリャ2
Batalha 2
2013−5話
アルコバサ2
Alcobaca 2
2013−6話
カルダス・ダ・ライーニャ2
Caldas da Rainha2
2013−7話
ナザレ3
Nazare 3
2013−8話
ポルトデモス&クレアなど
Porto de Mos & Ciria
2013−9話
コインブラ5
Coimbra 5
2013−10話
コインブラ6
Coimbra 6
2013−11話
ヴィゼウ2
Visau 2
2013−12話
ポルト12
Porto 12
2013−13話
バルセロス2
Barcelos 2
2013−14話
ギマランイス2
Gumaraes 2
2013−15話
ポンテ・デ・リマ&リンドーゾ
Ponte de Lima & Lindozo
2013−16話
ポルト13
Porto 13
2013−17話
ポルト14
Porto 14
2013−18話
ケルース2
Queluz 2
2013−19話
リスボン14
Lisboa 14

 ≪ポルトガル写真集&紀行文・2012年版≫ バックナンバー&予定は、こちらからどうぞ・・・

2012−1話
リスボン10
Lisboa 10
2012−2話
サンタレン
Santarem
2012−3話
エントロンカメント
Entroncamnto
2012−4話
トマール2
Tomar 2
2012−5話
トマール2
Tomar 3
2012−6話
コインブラ3
Coimbra 3
2012−7話
カンタニェデ&アンサー
Cantanhede & anca
2012−8話
ピオダン
Piodao
2012−9話
コインブラ4
Coimbra 4
2012−10話
ペネラ
Penela
2012−11話
アザルージャ&エヴォラモンテ
Azaruja&Evoramonte
2012−12話
エルヴァス2
Elvas 2
2012−13話
エルヴァス3&バダホス
Elvas 3 & Badajoz
2012−14話
エストテモス2
Estremoz 2
2012−15話
モンサラーシュ2
Monsaraz 2
2012−16話
エヴォラ4
Evora 4
2012−17話
エヴォラ5
Evora 5
2012−18話
リスボン10
Lisboa11 & Cacihas2
2012−19話
リスボン10
Lisboa 12
2012−20話
マフラ3&エリセイラ2
Mafra 3 & Ericeira 2

 ≪ポルトガル写真集&紀行文・2008年版≫ バックナンバー&予定は、こちらからどうぞ・・・

2008−1話
リスボン5
Lisboa 5
2008−2話
カスカイス2
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2008−3話
エストリル2
Estoril 2
2008−4話
シントラ2
Sintra 2
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シントラ3
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2008−6話
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2008−7話
ポルタレグレ
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カステロ・デ・ヴィデ
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2008−9話
ポルタレグレ2
Portalegre 2
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ポルタレグレ3
Portalegre 3
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ポルタレグレ4
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マルヴァオン
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カシーリャス
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ノゲイラ・アゼイタオン
Nogueira Azeitao
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フレスカ・アゼイタオン
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エヴォラ2
Evora 2
2008−20話
ベージャ
Beja
2008−21話
ベージャ2
Beja 2
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セルバ
Serpa
2008−23話
ヴィラヴィソーザ
Vila Vicosa
2008−24話
ボルバ
Borba
2008−25話
ルドンド
Redondo
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エヴォラ3
Evora 3
2008−27話
アライオロス2
Arraiolos 2
2008−28話
ポルト8
porto 8
2008−29話
アヴェイロ2
Aveiro 2
2008−30話
コスタ・ノヴァ
Costa Nova
2008−31話
ブラガ2
Braga 2
2008−32話
ポルト9
porto 9
2008−33話
ポルト10
porto 10
2008−34話
ポルト11
porto 11
2008−35話
リスボン9
Lisboa 9
☆ リスボンシリーズです・・・過去の写真や話も読んでくださいね。 ☆
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