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(太陽海岸とカジノのエストリル2)
Portugal Photo Gallery --- Estoril 2

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エストリル10
ヨット


エストリル11
白い屋根

エストリル12
海岸沿いの列車

エストリル13
お散歩



エストリル14
海岸の別荘


エストリル15
どろぼうよけ?

エストリル16
釣り人

エストリル17
三人娘



エストリル18
自転車


エストリル19
釣り

エストリル20
スケボー

エストリル21
家族でお出かけ



エストリル22
青い海


エストリル23
ジョギング

エストリル24
海岸の売店

エストリル25
エストリルの海岸



エストリル26
三角屋根


エストリル27
カジノ

エストリル28
サークル

エストリル29
憩いの場



エストリル30
愛犬とお出かけ


エストリル31
ふんすい

エストリル32
ふんすいの向こう

エストリル33
万国旗

☆エストリルの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンの西のテージョ川の右岸一帯は、コスタ・ド・ソル(太陽海岸)と呼ばれている。
その一帯の中心地エストリルにはポルトガルで1番大きなカジノがある。
駅の前に広がるタマリス海岸は、夏のにぎわいは、さすがである。
内陸を走る高速道路の近くにはF1グランプリで有名になったサーキットもある。

「ポー君の旅日記」 ☆ 太陽海岸とカジノのエストリル2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2008紀行文・3≫
    === 第一章●中高年層の避暑地・リスボンっ子の海水浴場 === エストリル 2

          《大西洋の太陽海岸線をエストリルに向かう》

 Yさんとまたの再会を約束して、カスカイスのリベイラ海岸で別れた。 『ご馳走さま、でした。いつまでも、お元気で!』
 相棒は大先輩に深々と頭を下げ、お礼をいった。ポーは、右手首を軽く振った。 立ち去る黒い麻のショールが、眩しい陽射しの中で躍動した。 白い石畳の帯がファッションショーのステージに見えた。黒い衣装が、舞っていた。午後2時だった。 陽射しが、さらに強さを増す。8割がたのサングラス族が歩き、飲み、寝そべっている。

 「けいの豆日記ノート」
 いつも食事をごちそうになって、ありがとうございます。 ずうずうしい後輩ですみません。 Y先輩を、未知の国ポルトガルで、住むことを決めさせた人の愛情はすごいと思う。 その愛情を受け止めた先輩もすごいと思う。 なかなかできないことだ。 こんなすてきな先輩と知り合いになれたこと、とても幸せである。

 『エストリルまでコスタ・ド・ソルを歩いていこうか、ポー!』
 ぎらつく太陽の下、リックを背負って歩く。背中は汗びっしょり。 でも、我慢だ。昨夜、空港で旅行カバンをロストされている。着替えはない。 1時間半も歩けば着くはずだ。トリズモ(観光案内所)でもらった地図を見るとエストリルまで7キロほどだった。 しかし、この暑さだ。海岸散策には海パンが似合う。 でも、海パンもロスト旅行カバンの中にある。

 上手に広がる紺碧の大西洋を見ながら、コスタ・ド・ソル(太陽海岸)と呼ばれている海岸線をエストリルまで歩いた。 カスカイスからは、リベイラ海岸・ハイーニャ海岸・コンセイサオ海岸と岩場に囲まれた美しい砂浜が続く。 それぞれの砂浜には独特のパラソルが幾何学模様に並べられていた。 日本の海水浴場とは違いゆとりがある。 サングラス族は泳ぐというよりのんびりとパラソルの下で日光浴を楽しんでいる。 若者より中高年層が目立つ。勘だが、国外からの長期滞在観光客らしく見えた。

 真黒に日焼けした大きな腹を突き出し、頭髪も胸毛も銀色な中年がすれ違った。 葉巻の甘い香りがした。青い柄の海パンが下腹に食い込み、見た瞬間はストリーキングかと思った。 でも、走っていないし、太りすぎだし、青い布地がチラリとあった。
 その男が、「君も日本人か!」と立ち止まり聞いてきた。「 はい!」と、ポーは応える。 「あなたは?」と聞く。「コロラド、」という。「アメリカの?」と聞くと、「コロラドを知っているのか?」という。 「行ったことはないが友人が住んでいる、」と答える。
 サングラスの中の目が、納得したように優しく笑い、指さした。 相棒が20メートル先で、砂浜に並ぶ正方形の白いパラソルに向けてシャッターを切っていた。 「撮られたよ、」と中年は笑う。大きな日焼けの腹が、黒く揺れた。 「すみません、」というと、また笑って、デカイ右手を開いた。真っ赤な折り鶴が舞いおりていた。 相棒の感謝の折り鶴だった。

 裕福さを大きな背中に背負(しょ)って、左手を振りながら浜辺のレストランに向って行った。 リュックが汗で背中にへばりついていた。 白雲ひとつないポルトガルの深く色鮮やかな青い空から、燦燦(さんさん)と降り注ぐ陽射しは真夏日であった。 相棒がサグレスビール缶と水のペットボトルを出店で買ってきた。
 『ビールは冷えているけど、水はぬるま湯だよ!』 気配りに感謝だ。喉から胃まで、ビールの泡が踊って通過していくのが至福だった。 (ビール1.7ユーロ、水 1.2ユーロ。2年前に比べ、今年は実費70円ほど高い)

 「けいの豆日記ノート」
 水を買うときには、”アグア(水)”だけでは、ぬるい常温の水が出てくる。 冷たい水がほしいときには、冷たい水がほしいとはっきりいわないとダメなようだ。 調べると”フレッシュア アグア”らしい。”新鮮”と”冷たい”が同じ言葉だとは不思議だ。 これを覚えてから、ホテル途中のカフェなどで、2リットルの冷たい水を買うことができた。 ちゃんと冷蔵庫には、冷たい水が入っていたのだ。 値段は、同じだった。 もっと早く覚えればよかったのに・・・ いままで冬場が多かったので、あまり冷たい水にこだわることはなかった。

          《カジノがあるエストリル》

 コンセイサオ海岸からエストリルのタマリス海岸の間は砂浜が途切れ、岩場の海岸線が30分も続いた。 撮影しながらだったが暑かった。その時、赤い船体のヨットが帆にいっぱい風を含ませ、白い波模様を引いて走り去るのを目撃した。
 ポーは、33年前の、あのヨットの姿が思いもしなかった世界から突然やってきたことに戸惑った。 高波の間に間に、ヨットが見えた。沖縄の沖10キロメートルだった。 浮き沈みする赤い船体が、波間にチラリと見えた。 ウイング・オブ・ヤマハ号の雄姿であった。 ポーはその男には聞こえないのは判っていたが、大きな声で名前を叫んでいた。「お帰りなさ〜い!戸塚さ〜ん!」と。
 1975年《第1回太平洋横断シングルハンドヨットレース》で、サンフランシスコ・沖縄海洋博会場間を、 41日14時間33分で飛び込んで優勝するとは信じられなかった。 サンフランシスコで号砲一発飛び出した、 ウイング・オブ・ヤマハ号での一人旅をする戸塚宏さんを、ポーはドキュメント番組として追っていた。 その後、戸塚さんにも試練の人生が編み込まれていたが、その荒波の中で大きく上下する船体で手を振る彼の姿が今もポーは忘れられない。 16ミリフイルムに焼きついた彼の笑顔は、ひとり太平洋を乗り越えてきた男の強靭(きょうじん)な、さわやかさの笑顔であった。
 あれから、33年。 いま、ポルトガルの大西洋海岸を相棒と歩いている。月日の流れは長く、そして速いとポーは思った。

 列車の走り去る音がした。振り向くと陽射しを浴びて、カスカイスに向かっていた。 海水浴場の声が流れてきた。今までになかった群れた響きだった。 〔エストリル〕のタマリス海岸には、今までの海辺と違う静から動の群れの動きがあり、若者たちの明るさが弾けていた。 『ポー、一緒に乗ってきた、あの娘(こ)たちよ!』 相棒がシャターを鳴らす先に、車内でメロディーをくれた女の子たちが波打ち際で舞っていた。 まさに首都リスボンっ子たちの、青春の渚(なぎさ)であった。

 カスカイスからエストリルまで1時間20分、美しい海岸線を堪能した。海辺のレストランは 海水浴客があふれている。今年最初の大入りのようで店の人は、笑顔が絶えない。 トイレを借りに入って行った相棒はなかなか戻らない。そして、手にビール缶を一つ持ってやっと戻ってきた。 『トイレのドアの鍵が壊れていてね、必死こいてさ・・・あ〜ぁ、疲れた』 きっと、内側からノブを握り、戸が開けられないよう必死に引っ張って・・・。  「お疲れ!」と言ってポーはまた冷えたサグレスビールを相棒の心配りに感謝し、喉に流し込む。 相棒は生温かい残りのペットボトルの水を飲んだ。

 「けいの豆日記ノート」
 暑い海岸を歩くと、カキ氷が食べたくなる。 アイスクリームは、どこでも売っているが、氷は売っていない。 アイスクリームは、食べているときはいいが、食べ終わってから水がほしくなる。 すごく甘いし、カロリーも多そうである。
 ポルトガルだけでなく、ほかの国でも氷を食べる習慣はないらしい。 水道の水を飲まないのだから、氷もミネラルウォーターで特別に作らないと食べれないからなのだろうか。 もともと、冷たい水は、飲む習慣がないのかもしれない。 世界中で氷を食べる国は、日本だけなのかもしれない。

 一息ついて、海岸から線路の下のトンネルを抜けるとエストリル駅前の広場に出る。 カスカイスとは一変し、駅前正面は奥に細長い芝生の公園が遥かかなたまで広がり、その先に両手を広げたような大きな建物が見える。 建物には赤い文字で、〔CASINO ESTORIL〕と読める。エストリルには、ポルトガルで一番大きなカジノがあった。  そのカジノの建物に向かって歩いて行くと、駅前からすぐ左手にトリズモ(観光案内所)のマークが見えた。 そこで資料とエストリルの地図をもらう。その地に行ったら、まずトリズモを捜し、資料と地図をもらう。 (これは旅の財産だとポーは思っている)係の女性は、間違いなくポルトガル美人だ。年の差はあるが、美しい!のだ。

 さらに、芝生と花園の公園をカジノに向かって行くと、大きな噴水装置がある池に出会う。 その時だ。音楽が鳴って、噴水装置からメロディーに合わせ噴水ショーが始まった! その時は急に天高く水が噴き出したのにふたりは驚いたが、ショーだと叫ぶ相棒の直感が当たり、噴水の水を避けながら楽しんだ。 5〜6分だと思うが、長く感じた。曲に合わせ水が踊り狂っていた。

 「けいの豆日記ノート」
 カジノの建物の2階に登る外階段があった。 そこから、2階の公園側のベランダに行くことができた。 ガラス張りの2階を覗いてみると、高級家具が並んでいた。 展示品なのか、売り物なのかわからないが。 そのベランダから、噴水が見えた。 音楽にあわせて噴水ショウがはじまっていた。 見物人は・・・ほとんどいなかったような気がする。 暑い公園には、人の姿は、ほとんどなかった。 以前、冬場に来た時には、公園には、家族づれや子供たちであふれていたのに。 日本からきた貧乏な旅人に特別に見せてくれた・・・と思っておこう。

 カジノの正面入り口は左手にあった。でっかい建物だったが、外観には派手やかさはなかった。 26年前にTV取材で行った、アメリカの世界一の賭博とエンターテイメントの街ラスベガスと比べる積りはないが、 質素なポルトガルにこんな大きなカジノがあるとは思わなかった。 今まで歩き続けてきたポルトガルの印象の中に、カジノのイメージがポーには結び着かないだけであった。 中も見たかったが、入る勇気がなかったし、汗びっしょりのリュック姿では無理。 それに、縛才もなければ金もない。エストリルには、ゴルフ場もいくつかあり、乗馬なども楽しめるようだ。 ふたりの旅にはリッチさはない。

 カスカイスが避暑地とすればエストリルはリゾート地と言ったほうがいいかも知れない。 そんな気が、ポーにはした。しかし、海はリッチには関係なかった。リスボンっ子の海水浴場であった。 白い砂浜と碧い海と青い空は平等である。 宿に7時に着いたが、空は夕方の気配がない。真っ青な空がリスボン上空を支配している。 昨夜空港でロストされたポーの旅行バックが宿に届けられていた。 汗を吸い込んだシャツを投げ捨て、冷たいシャワーを浴び、まっ白い半袖下着に腕を通すと、 ほんのり日本の匂いがした。洗濯剤アタックの香だった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年10月掲載

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