☆シントラの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
エストリルからリベイラ海岸に沿って西へ約15km、古くからの漁師町である。
19世紀に王室一家の避暑地となってから急激な変化をつげて、有名なリゾート地となった。
イギルスの詩人バイロンはシントラのことを「エデンの園」と称えた。
かつての王家の夏の離宮であった豪華さにかけては類をみない王宮がある。
同日なら何度でも乗降可能な周遊バスが走っている。
「ポー君の旅日記」 ☆ 煙突の王宮のシントラ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・4≫
《ソコーホ事件》 目覚めると、天井から水滴が落ちていた。
床でピチャッと水の粒が割れ、小さな音がした。6階の風呂場からの浸水だ。
湯を出しっぱなしが原因に違いないと、ポーは確信した。
まず、水滴を受けなければと風呂場からバスタオルを持ってきた。
次に四角いプラスチックのゴミ入れで受けた途端、水滴の音が大きく響き跳ねた。
急いで容器の中にタオルを敷いた。
相棒を呼んだが返事がない。フロントに電話をした。
ポルトガル語で説明する力がないポーは、とっさに決めた。
『Socorro!ソコーホ!(助けて〜!)』と。 その時だ。相棒の悲鳴が聞こえた。
廊下に出ると目の前の、階段の上からの叫び声だ。
駆け上がると、開けたドアから部屋の中を覗き込んでいた相棒がまた叫んだ。 「オブリガード(ありがとう)!」と、ふたりに声をかけ階段を駆け下りていった。
判断力のあるメガネ君に、思わず拍手を送る。廊下も階段も青年の靴から流れ出た水の跡が残っていた。
後で分かったことだが、工事人が昨晩蛇口をいい加減に閉めて帰ったための事故だった。
少しの水も14時間も出しっぱなしでは・・・。
モーニング時にメガネ君がやってきて、笑顔でいっぱいしゃべっていったが、感謝の気持ちは伝わってきた。
意味は雰囲気で理解した。
ふたりの特技である。 「けいの豆日記ノート」 《新聞売りスタンド》 6月7日(土)も、快晴の濃い青空があった。宿から坂道を下り上りして15分、ジャカランダの花が咲くポンバル侯爵広場に出る。
小さなスタンドは新聞を買う人でにぎわっていた。
どの新聞も、一面写真はフットボール(サッカー)だ。
《2008年ヨーロッパ選手権大会》では、ポルトガルはAグループで決勝進出をかけていた。
そのゲームが明日からいよいよ始まる。 ちなみに今大会に勝ち上がってきた国は16ヶ国。
そのAグループには、ポルトガル・トルコ・チェコ・スイス。 「けいの豆日記ノート」 《風光明媚のシントラに向かう》 地下鉄マルケス・デ・ポンバル駅から2つ目のレスタウラドーレス駅で降り地上に出る。
広場の中央に勝利と独立を現した高さ30メートルのオベリスクが、青空を背景に浮かび上がっている。
16世紀末から60年間、スペインに支配された屈辱の日々だったが、1640年に再独立を勝ち取った。
その記念碑があるレスタウラドーレス広場のすぐ南に、ロシオ駅の建物がある。
ロシオ駅の正面入り口は二つの馬蹄(ばてい)型の石積みがクロスしていた。 ポーにはどうしても馬のひづめに見えた。相棒のシャターが鳴る。
『気がつかなかったな〜!面白いね、この形いいな〜』
ドン・ペドロ4世の像がそびえるこの先の旧市街地ロシオ広場が相棒は好きだった。
一日中人であふれ、人物ウオッチングに最適な場所に気がとられていたのだろう。 ロシオ駅から9時40分発シントラ行きの電車に乗った。
シントラはリスボンの西28キロメートル、シントラ山系の深い緑いっぱいの山中にある世界遺産だ。
人気の観光地のため乗客も多かった。車窓には建設工事現場が目立つ。アパート群のようだ。リスボン郊外は活気があった。 「けいの豆日記ノート」 《思い出の記念写真》 車窓に緑の山並みが浮かぶ。やがて、山肌に大きな岩がへばりついた景色が見えてきた。
10時20分シントラ駅に着く。真新しい駅舎になっていた。
白いプラットホームの天井が陽射しを受けて眩しいほどだ。でも、駅舎構内は7年前と少しも変わっていなかった。
人混みは2001年9月に来た時より多かった。観光シーズンに入ったためなのか、あの時の状況のことがあってのことか・・・ 7年前は、初めてやって来た未知の国ポルトガルであった。
11日前には、恐怖の〈ニューヨーク同時テロ9・11事件〉があったばかりの世界世情の真っただ中だった。
その影響でどこも空いていた。その時は、王宮・ムーアの城跡・ぺナ宮殿と珍道中を重ね、夢中で撮影しまくった。 今回シントラに再び来ようと思ったのは、キンタ・ダ・レガレイラ宮殿が目的であった。
もう一つは、路面電車に乗って大西洋まで行くことであった。もし、時間がなければ他はパスすることにしていた。
構内にあるトリズモ(観光案内所)で資料と地図をもらう。美人の係りも3人態勢だ。
観光シーズンに入った6月、しかも土・日曜日は特に忙しいのかも知れない。
相棒はバス周遊券を4ユーロ(ふたりで8ユーロ)で買ってきた。
ひとり700円、予算の昼飯代より高いが周遊券でないと倍近くもかかるからと、今回も相棒は買った。 番号434の周遊バスは大型の新車になっていた。
満員である。いろいろな国の言葉が車内で飛び交う。
だが、日本語はない。
レプブリカ広場のバス停で15分後、10人程残し、ほとんどの観光客はバスから吐き出された。
周遊バスはこの先のムーアの城跡、ぺナ宮殿、そしてシントラ駅へと戻る。 広場に降りたったポーには、どうしても見ておきたい場所があった。
それはポルトガルに来て初めて撮った記念写真の場所だ。
シスターたちがこころよく相棒を囲んで、しかも皆がほほ笑んでくれた究極の記念写真。
ネガフィルムに焼きついたそのワンカットは、今も大切に保存してある。
その写真は、「愛しのポルトガル写真展 PART1」のDMに使った。
思い出の場所はすぐにわかる。一度通った道は決して忘れない犬のような臭覚を持つ相棒がいたからだ。
その場所は真夏日の太陽を浴びていた。 7年前、9月の日差しの中、花壇を囲む石積みの縁にシスターたちが並んで座りひと休みしていた。
なかなかカメラを向けられない雰囲気があったが、相棒は近づき簡単に撮影許可をとった。
しゃべれるはずがないのに、何と言ったのだろう。相棒がカメラに収めたシスターたちの笑顔は美しく爽やかであった。
そのあとをポーはシスターたちに記念写真をお願いした。流れの中を便乗したのだった。
相棒と一緒にフレームの中に収まってくれたシスターたちの顔はひとりひとり思い出せる。
会えるものなら会いたいと思う。
7年の歳月が流れ去っていても、彼女たち天使のほほ笑みは今も忘れられない。 「けいの豆日記ノート」 《レプブリカ広場》 レプブリカ広場はこの地域、シントラ・ヴィラの町の中心地だ。
カフェやレストランの店先には丸いテーブルに椅子が並べられ、日除けの白いパラソルが咲く。
観光客がビールやワインを飲み、広場を眺め語り合う。
その前を黄色い車輪の2頭立て馬車が、観光客の老夫婦を乗せ、石畳に蹄の音を軽やかに響かせて走り去る。
別世界に来た感じだ。 広場の先に、白い壁の建物が2本のとんがり帽子を空に突き出し、観光客を吸い込んでいる。
14世紀に建てられた〈国立シントラ宮殿〉である。
2本の円錐形の白いとんがり帽子は、33メートルもある宮殿の台所から突き出した煙突だ。
離宮として歴代のポルトガル王たちの住居として使われてきた宮殿は、15世紀から16世紀にかけゴシック様式やマヌエル様式で
改築増築され、イスラム様式も加わった内装美が楽しめる。
7年前は入館料を払い内部を見物したが、見るだけの知識が手薄のため堪能とまでいかなかったが充分楽しめた。 「けいの豆日記ノート」 国立シントラ宮殿にカメラを向けていた相棒がすたすたと声もかけずに歩き去る。
トリズモがある洒落た〈シントラ市アートギャラリー〉の建物に向かった。トイレに違いない。
ボディガード役のポーは相棒から目が離せないが、動体視力があるポーは赤い帽子の動きには敏感であった。
7年前にもそこでトイレを借りていた。記憶力のいい相棒である。というか、もうほとんど犬の臭覚本能であった。 間近で鐘の音が響いた。サン・マルティーノ教会から笑顔の人々が出てくるのが見える。
相棒はポーの目の前を小走りで通り過ぎて行った。カメラは左手にしっかと収まっている。
臭覚で追い求める犬だ。小さな教会での結婚式を相棒は見逃さなかった。
ポルトガルの旅を続けてきて5組目の出会いである。
パパラッチにならないようにひかえめに撮影する相棒の態度を良しとした。 教会の中に入ってみた。小さいと言っても100人は祈る容量はある。
華々しさはなかったが、素朴な祭壇のたたずまいがいい。
今までポルトガルの教会を都会でも農漁村でも見てきたが、それぞれの教会で心に打ち寄せてくる雰囲気に酔ってきた。 「けいの豆日記ノート」 《キンタ・ダ・レガレイラに向かう》 相棒はトリズモでもらった地図を見た。教会の脇から森林に向かって狭い道がある。
800メートルほどの曲がりくねった道のりの先に目的地があった。
道の両側にはレストランやカフェ、お土産やがあり、その先は道が急に狭くなり住宅や別荘風の建物が大きな木々におおわれていた。
鉄製の大きな風見鶏などが並べられた店を見つけると、相棒はつかつかと店の中に入って行った。
中は小さな工場になっていて、縞模様のシャツを着たややメタボのおじさんがひとりで仕事をしている。
セニョール!と呼びかける相棒。撮影交渉はあっさり決まりシャッターが鳴りだした。
人の良さそうな職人気質のおじさんは少し照れ気味でカメラに向かって固い笑みを作る。 ポーは、ふたりのやり取りが微笑ましく、撮影風景を楽しむ。
その時、ドッドッドッと太いエンジン音がして、オートバイが店先で止まった。
ポルトガルの空のような青い車体が太陽光線に射られ眩しく輝いた。ボディにYAMAHAと読めた。
400cc以上もあるでかいオートバイであった。おじさんを撮っていた相棒は飛んできて今度はオートバイを撮った。
体格の良いオートバイのおじさんが、日本から来たのか!と大きな声でいう。
『シン、シン・・・ソウ ジャポネーザ(ハイ!私は 日本人よ)』 長くは続かない会話?で、よくもまあ、ポルトガル中を歩けるものだと思われるかも知れない。
でも、これで80市町村を一日二万歩目標で歩き続け、撮影してきたのだった。
撮影し終わると相棒は、店のおじさんとオートバイのおじさんに折り鶴を1羽ずつ、ありがとう!オブリガ―ダ!といって、
感謝の印に差し出した。
ふたりのおじさんの笑顔と楽しそうな笑い声をいただき、相棒はチャウ(バイバイ)!と右手を高く振って別れた。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
次回をお楽しみに・・・・・・・2009年11月掲載 |
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