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☆ブラガ2の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ローマ時代、ブラガラ・アウグスタと呼ばれていた町は交易上の要所であった。
スエヴィ族、西ゴート族、ムーア人につぎつぎと占領され廃墟と化してしまう。
町が復興し豊かさを取り戻したのは11世紀である。
ブラガの大司教がイベリア半島全土に及ぶ宗教上の支配権をえた時代である。
その後16世紀の大司教が建築に熱を上げた。
ルネサンス様式の噴水や広場、邸宅、教会が造られた。
1716年に大司教座がリスボンに移されて権力を失った。
6月23,24日の聖ジョアン祭には行列、ダンス、かがり火、
花火などが催され夏至を祝い、洗礼者ヨハネを奉るお祭りを彩る。
「ポー君の旅日記」 ☆ サン・ジョアン前日祭のブラガ2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・31≫ 6月23日(月)は、今回の撮影取材旅のスケジュールを立案した相棒の予定通り、〈ブラガ〉に向かう日である。 《ブラガに行く、その朝》 昨日と同じように、寒さで目覚め、窓を開けると昨夜、窓の外に干しておいた洗濯物が濡れるほどの、 真っ白い濃霧が港町〈ポルト〉をすっぽり包みこんでいた。 ポルトガルに来て、19日目の朝であった。 今夜は、ここ〈ポルト〉で[サン・ジョアン祭]の前夜祭が行われる日である。 その前に宗教の町と言われている〈ブラガ〉で昼間行われる[サン・ジョアン祭]を見ることにしていた。 その祭りは、首都〈リスボン〉で見た[サン・アントニオ祭]のように豪華絢爛に繰り広げられるのだろうか。 人との出会いを求めて、いつも未知の世界を楽しもうと、相棒の勘を信じてポルトガルを歩き続ける旅でもあった。 霧が晴れても、空模様は雨雲に覆われている。 ≪ポルト起点の旅≫の定宿から、石畳の坂道を上り広場の脇路地を下って[サンベント駅]に向かう。 なぜか、ブラガに向かう日は雨模様だ。6年前、初めて訪ねた日は激雨。 ブラガバスターミナルからすぐ近くにあった[市場]に飛び込み雨宿りをし、働くおばさん達を撮る。 お礼に差し出した折鶴に目を輝かせた。雨が激しく、客足がなく、暇であった。 そのおばさんたちの要望に応え、相棒は千代紙を一人一人に配り5人だけの折鶴教室を開いた。 1羽折るのに20分もかかったが、折り込めた感情を少女のように太り気味の身体にしなをつくり歓喜してくれた。 その5人のおばさんたちの笑顔に送られ、ポルトに戻った。 強い雨脚が止みそうもなく撮影不可能と判断したからだ。 そんなわけで、初めてのブラガは、市場だけだった。 ポルトの鉄道の玄関口であるサンベント駅は、週明けもあって壁面の大きなアズレージョ(装飾タイル画)構内は、 人の流れが多かった。駅舎の時計は7時55分を指す。 地元の人も、地方からの人も、観光客も動き易い時間帯である。 相棒が自動販売機で切符を買う。慣れたものだ。ポーには、買い方がよく判らない。 旅の良し悪しは、互いのマイナスを補って成り立つ。そう思いたい。 ブラガまで2.5ユーロ(360円)、1時間ほどの乗車だ。 ポルトガルの交通機関は日本に比べると運賃がベラ安(べラボーに安い)だと、いつも思う。 切符を買った足で相棒は、プラットホームにあるスタンドカフェに飛び込み『チャ ウマ!』と吐いた。 cha(aの上にチョン印がつき、ポルトガル語ではシャと発音する。 正式には、cha preto シャ プレト)は、紅茶だが、ポーに相談もなく1杯だけ頼んだのだ。 その1杯0.6ユーロの80円程に文句を言うほど度量の小さいポーではない。 素直に一口飲ませてもらって満足した。朝の寒さがスーと溶けて行く、一口の暖かさであった。 でもポーにとっては、「シャ」より「パオン(パン)」一切れが欲しかった。 なにせ、モーニングサービスがつかない安い定宿に泊った宿命だ。腹が減っていた・・・。 「けいの豆日記ノート」 《ああ、香り》 8時25分発の黄色い車体の列車は、ブラガへ出発した。 座席は観光客で8割方、埋まっていた。 みなサン・ジョアン祭を楽しむために世界各地からやって来た人々である。 それぞれの集団の会話に笑顔が絶えない。日本人の顔を探してみたが、周辺にはいなかった。 相棒がバックからそっと出したものがある。 日本から持参の商品名は「ケチケチ旅の友」と我らが読んでいる≪醤油味の胡麻煎餅≫であった。 もち米で作られたその煎餅は、小腹の空いた時の救世主なのだ。 ただし、人が多い所とか、閉鎖した空間では、注意点が一つある。 香り、である。カリカリ、もしくはバリバリの喰う時の音は何とかなるが、醤油の香りと胡麻の香りだけは防げない。 道を歩きながら食べても、発する香りで人びとは必ずキョロキョロし、振り返る。 だから、日本では気にしないで食べられるのに、ここでは、気が引ける。 でも、背に腹はかえられぬ。相棒も腹が減っていた。パリッ!と、音たてて食べた。 ポーは舐めるように噛んだ。 噛む前に、一枚一枚湿気防止で封印されている煎餅を二つに割り、封を切った瞬間、 自分でも判るほどの二種類の香りが車内に舞い散った。 醤油だ〜、胡麻だ〜!と。その時の、人びとのりアクションを想像してください。 「けいの豆日記ノート」 《車中の出来事》 車窓を流れる郊外の空に薄日が射してきた。雨雲が割れたのだ。 車内に流れた煎餅の香りは、乗客の好奇心を著(いちじる)しく擽(くすぐ)った。 怪訝(けげん)な周囲の人々の顔に笑みが走ったのだ。 対面4人席の、我らの前にいた老夫婦がにこやかに語りかけて来た。 相棒がポーを見た。ポーは首を振った。 何語なのか、何を語りかけてくれたのか、判らなかったからだ。 麻の帽子をかぶり銀縁眼鏡をかけた白い口髭が似合う夫が言った。 夫人は、あなた、何を言い出すの、と眉根に皺(しわ)をつくって、夫の言葉を窘(たしな)めたように見えた。 ポーは、目配(めくば)せを、相棒に送る。 『日本のセンベイです。失礼ですが、いかがですか。』 日本語で堂々と相棒は「ケチケチ旅の友」を1枚封のまま渡す。 夫は口元に笑みを浮かべ、嬉しげに受け取った。封のまま二つに割った。 目の前に展開する異邦人の動作を学習していたのだ。そして、封を切った。 二つの香りが散った。ホ〜と、一つ息を吐いた夫は割った半分を妻に渡す。 あらっ、私にもくれるの、という表情が嬉しそうに走った。 ふたりは顔を見合わせ、口にした。バリっという音はひとつ。 夫は手で割った時の硬さを知り、強く噛んだに違いない。 無理もない、夫人は初めて口にした食べ物の硬さを知らない。 どれほどの強さで噛めばいいのか夫人には察知できなかったのだ。 再度噛んだ。バリバリ・・・。老夫婦の顔が、笑顔に弾(はじ)けたように見えた。 顔が初めての味で、歪んだのかもしれない。 ともあれ、煎餅の香りが心地よく我らにも強く伝わって来た。 そして、煎餅は噛むと香りが倍増することを初めて知った。 「けいの豆日記ノート」 《ブラガに着く》 ポルトから1時間、ブラガの駅に着いた時は晴天になっていた。 19日間連続で、晴れ。ポーは、昔から《晴れ男》と、仲間から呼ばれていた。 喜んではいけない。只(ただ)の偶然なのだから・・・。 ブラガの駅舎は立派な駅であった。 中世から近世にかけてポルトガル第1の宗教都市として栄えた町である。 それにしても近代的な駅舎で驚いたのも事実である。 16世紀、大司教は国王にも勝る強大な権力を持っていたというのだから、 駅舎の大きさは時がたったと言え当然なのかもしれない。 今回で3回目のブラガ訪問であったが、前2回はバスで訪れ、今回は列車での再再来である。 ゲンをかついでの列車ではない。と、いうのも4年前の2回目も雨模様の歓迎であった・・・・。 駅前から狭いなだらかな坂の路地を上がって行くと、今日この町で祭りがあるという雰囲気がまったく伝わって来ない。 祭りの日を間違えたのか、そんな不安を抱きながら歩いて行くと 由緒ありげな3階建の建物に挟まれた大きなアーチにぶち当たった。 4年前ここを訪ねた時トゥリズモ(観光案内所)で貰った地図を見た。 「アルコ・ダ・ポルタ・ノヴァ」と呼ばれている、 18世紀に造られた旧市街地に入る15メートルは充分ある門(アーチ)であった。 上部の飾りは中世からの祈りの町を象徴するような厳粛さがあった。 門をくぐると[ドン・ディオゴ・デ・ソウザ通り]。 旧市街地にある[レプブリカ広場]に向かって延びている通りである。 高い門を見上げながらアーチを通過すると、石組建物の壁にポスターがはってあった。 夜空に咲いた花火の上に、≪festival S.JOAO 24 Junh 2008 Braga≫ (JOAOのAの上に〜印)の文字が浮かんでいた。 サン・ジョアン祭が2008年6月24日にブラガで開催されるという、ポスターだった。 ということは、今日は前日祭である。どんなお祭りが展開するのだろうか。 もし前夜祭だけの祭りだったら、このまま帰るしかない。 今夜は、目的のポルトの前夜祭がある。 ブラガの町をぶらぶら歩き、ポルトに戻ろうとポーは思った。 「けいの豆日記ノート」 《旅は運をつかみ取る勘が必要》 そんな心配が吹っ飛んだ。町を練り歩く音楽隊が遠目に見え、奏でる楽器の音が流れて来た。 相棒の顔に満面の笑みが走った。足も、走った。 獲物を感じた時のカメラマン相棒の素早い走りだった。 何処にこんな素早さが、鈍(どん)な相棒に秘めていたのか、と疑うほどの瞬発力であった。 相棒が走れば、ボディーガードマン役の頼りないポーも走らざるを得ない。走った。 楽団の後ろに市民や観光客の行列の群れが、金魚のふん状態で切れ目なく続いている。 その行列をカメラに収めるピンクの帽子の相棒がいた。 息切れしたポーは、ハーハーと息を収める。頼りないボディーガードマンである。 行列の後を追う。路地を抜けると中央に大きな噴水があるロータリー広場に出た。 地図を見た。[ペリカン噴水]と呼ばれ、1723年に当時の大司教によって造られたようだ。 その噴水の前に小奇麗な2階建の建物がある。 白い壁に連なる窓は、バルコニー付きの洒落たデザインの石組飾り縁で覆われ、それぞれのバルコニーは人々であふれていた。 [市庁舎]であった。 市庁舎の建物前には幾重も重なり合った華やかに着飾った人びとや楽士たちが並び、 その対面側は噴水を囲むように鈴なりになった観衆がいた。 その時、2階中央の窓から青空に向かって大きな破裂音が起こった。 音と同時に、花吹雪が広場に舞い散った。 それが、10時ジャスト、サン・ジョアン祭の開始合図だった。 何処で何時に、どのような形式でブラガのサン・ジョアン祭が展開するかも知らず、 運と勘で10時ジャストの花吹雪に間に合う我らはツイテいた。 旅には、運が大切である。 その運を瞬時につかみ取る勘しだいで、旅は決まるのだ。 我らの旅は、いつもその運と勘に恵まれていた。 「けいの豆日記ノート」 《祭りだ祭りだ、ブラガの前日祭》 市庁舎前歩道に待機していた着飾った一団一団が、ロータリーの幅15メートルほどの石畳の車道に飛び出した。 黒服黒帽のブラス・バンド隊が奏でる演奏から幕が切って落とされた。 すかさず、白を基調にした色鮮やかな民族衣装で着飾ったおばさんと子供たちの踊りが続き、 赤十字マークの美しい女性たちが笑顔で登場し、頭の上に大きな飾りをほどこした荷物を乗せたおばさんたちの行進があり、 男女が対になった民族衣装の子供たちのダンスが展開し、その可愛らしい華麗さに観衆の大きな拍手が起こった。 それぞれの一団は、この祭りのために練習を重ねた一年間の成果のお披露目であろう。 楽しそうに笑みを絶やさない踊り子たちや楽士の若い女性たちは、美しかった。 更に、大太鼓を背負った一団が次々と登場し、響き渡る音色が会場を支配した。 真っ赤なシャツ、白いシャツ、黄色いシャツを着た子供青年女性おじさんたちが、 力強く舞いながら打ち出す姿に観衆も痺(しび)れていた。 その輪の中に張りぼての面をかぶり民族衣装の背丈が2.5メートルもある踊り手が加わる。 衣装の中は、肩車をした強靭な青年二人組が入っているに違いない。 観衆の子供たちが群がる。押された上体が、ぐらりと揺れる。お〜っ!と、どよめきが起こる。 豚やアヒル、子供やおじさん姿の張りぼてが踊り狂って観衆の笑いを誘う。 観衆のおばあさんや幼児までが参加し踊りだす。そして、ブラス・バンドを先頭にして街中の路地に吸いこまれて行った。 1時間ほどの市庁舎前のショーは終わった。 首都リスボンで行われた6月12日の[サン・アントニオ祭の前夜祭]のような華々しさと豪華さはなかったが、 素朴な人びとの温かさを感じさせ、観衆と祭りを共に楽しむ喜びが伝わる[サン・ジョアン祭]の幕開けであった。 「けいの豆日記ノート」 《レプブリカ広場》 ブラガには噴水が多かった。路地から路地に抜けると、こじんまりとした広場があり噴水がある。 今日歩いた4キロメートルほどのうち、出合った噴水の数は20か所を下らない。 なかでも目立つ噴水は町の中心地レプブリカ広場にあった。 高く舞い上がる噴水は、10メートルはある。風が強いと、風下側は水浸(みずびた)しになる。 広場に大きなコンサート舞台が架設され、30人ほどの演奏者の奏でるメロディに観衆が聞き入っていた。 サン・ジョアン祭で毎年開催される慣例の演奏会だと知った。 ブラガは、教養人が多く、静かな大人の町のように思えた。 この町に住んでもいいかなと、ふと思ったりもした。 広場を囲んで石組の建物が連なり、その中に白いパラソルが店の前に並ぶ、広いカフェ[CAFE VIANNA]がある。 4年前にも入ったと相棒に言われ、思いだそうとしてもポーには記憶外であった。 ビールとガラオン(共に1.1ユーロ)、オムレツ1皿(6.5ユーロ)2人で8.7ユーロ(1400円)の昼食である。 勿論、オムレツは半分ずつ。量が多いので、これで充分だと腹に言い聞かせた・・・。 「けいの豆日記ノート」 《コインブラス礼拝堂》 レプブリカ広場から飾り付けされた路地を南下すると、 正面の壁全体に幾何学模様のアズレージョ(タイル画)が目を引く[コインブラス礼拝堂]があった。 16世紀に建てられたコインブラス家の礼拝堂で、ガイド本には内部見学はできないと書いてあるが、この日はできた。 サン・ジョアン祭のときだけ解放されるのかも知れない。 礼拝堂内部は細長く狭いが、左右の壁は幾何学模様のアズレージョ、 そこにバロック様式の飾りが取り付けられ狭い礼拝堂を荘厳に見せ、 特に高いドーム型の天井はフラスコ画を囲む模様が美しく迫る。 白髪の老女と孫娘が正面祭壇前で両手を組んで祈る姿がほのぼのと伝わる。 相棒のカメラが鳴った。 普段見られないところを見られると、なぜか得をしたようで心持が明るくなるから不思議だ。 礼拝堂の前にも噴水があった。水量が分厚く吐きだされる変わった噴水に見とれ、相棒の姿がないことに気づく。 噴水を見ている間に、ピンクの帽子が動いたのだ。こんな時こそ携帯が欲しい。 でも、経費の都合、海外で使える携帯は持参していない。動かないことだ。 見失った方が動くと、混乱が大きくなるだけだ。 動いた方が気づき、原点に戻る約束は、ふたり旅の基本として話し合ってはある。 待った。10分も待った・・・。 ポーの不安も何の其(そ)の、イルミネーション飾り路地の向こうからピンクの帽子が戻って来た。 それも、アイスクリームをなめなめだ。 『ストロベリー、美味しいよ、一口たべる〜』 さっき、買うかどうか迷っていたけれど、レプブリカ広場まで戻り買いに行ったのだ。 1個、1.2ユーロのアイスクリームをだ。ポーは、ひとこという。「よかったね、」と。 「けいの豆日記ノート」 《カテドラル》 礼拝堂から西に200メートルほどに、祈りの町ブラガの中心[カテドラル]がある。 砦(とりで)のように石組されたカテドラルは、4世紀にムーア人により破壊されたサンタ・マリア教会の跡地に、 12世紀初代国王アフォンソ1世の父エンリケ伯爵と妻のテレーザにより建立されたと知る。 更に、16世紀に大司教ディオゴ・デ・ソウザによって増改築。 カテドラル正面はファサードをはじめ窓や鐘の位置まで左右シンメトリーに造られている。 しかし、3階の向かって左は二つ右は一つの鐘が吊るされていた。 それが何を意味するかは知らない。 正面ファサードを入ると、ジョアン1世の息子の初代ブラガンサ公爵ドン・アフォンソンの棺がある。 カテドラル中央正面には、明りとりの細長いステンドグラスがあり、簡素な祭壇が凛と迫って見える。 壁や柱はすべて石組で造られシンプルな祈りの場であった。 それに比べ回廊には、宝物館や諸王の礼拝堂、サン・ジェラルド礼拝堂、栄光の礼拝堂などがあり、 16世紀のアズレージョで飾られ、金箔を施した飾り付け、それにキリスト像がきらびやかに壮大に祭ってあった。 カテドラル内部は撮影禁止ではなかった。 1時間近くもカテドラルの中を、ピンクの帽子が残像現象のように動き回って見えた。 もう、相棒の天国であった。 15時30分発のポルト行き列車に乗るため、ブラが駅に急いだ。 路地には一休みする民族衣装の踊り子たちが疲れた表情でアイスクリームをなめ、 次の広場には張りぼての顔が石畳に疲れ切ったように無造作に置かれ、 大太鼓が整然と建物の壁に並べてありおじさんが一人タバコを吸いながら留守番中。 楽士たちはどこかで遅い昼飯を食べているに違いない。 今日だけでなく、明日がサン・ジョアン祭の本番だ。 楽しませてくれたブラガのみなさん、本当にありがとう。 列車は五分程度の乗客だった。車窓から見える空は真っ青。太陽は、まだまだ天空高くにあった。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2012年2月掲載 |
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