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☆マルヴァオンの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
アルト・アレンテージョ地方の北、サン・マメーデ山脈の中にマルヴァオンがある。
標高865mの岩山の頂に、城壁に抱かれるように村がある。
「鷲の巣」という形容がぴったりの村である。
スペイン国境近くにあるマルヴァオンは、古くから戦略上重要な拠点であった。
内戦の際にも難攻不落さゆえに戦いの舞台となった。
現在は、下界から切り離されたかのように静かで平和なたたずまいを保っている。
「ポー君の旅日記」 ☆ 鷲の巣の村・マルヴァオン ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・12≫ 《バスの車中にて》 バスセンターからの、BEIRA(ベイラ)行き10時30分発のバスは、 洗濯したての半袖白シャツがはち切れんばかりの運転手メタボおじさんの放つ、「ボン ディーア!」の朝のあいさつで出発した。 6月11日(水)は、今日も朝から快晴であった。 乗客は10人。観光客は相棒とポーだけだ。 座った隣の座席に大きなビニィール袋を二つ置き、運転手と話し込んでいるおばさん乗客もいる。 ポルトガルのバス運転手は総じて話し好きのようだ。 バスに乗るたびに、『まっすぐ前を向いて運転してくれ〜!』と、叫びたくなることがたびたびあった。 バス賃は2.45ユーロ(370円)。 2日前に訪ねた旧ユダヤ人街があった〈カステロ・デ・ヴィデ〉までと同じ料金だ。 目的地マルヴァオンまで30分もあれば着くだろう。 二股に道が分かれる手前から、あの大魔神の白い家が車窓から見えた。 昨日逮捕されたあの青年はどうなったのか。 アラジンの魔法のランプから飛び出してきた、頭のてっぺんからつま先まで真っ黒な衣装で身を包んだ180センチの大魔神だ。 きっと仲間の先頭に立って青年を救済する手筈で奔走(ほんそう)しているはずだ、とポーは確信していた。 偶然昨日、白い家に立ち寄り撮影させてもらったその時、初めて会った大魔神は鋭い鷹の眼をしていたが、 瞳の輝きに深い慈愛が彼にはあった。 坂道を下り自動車道路に出るとバスは北に向かった。 ポルタレグレの丘裾を更に下って伸びる自動車道はカステロ・デ・ヴィデ方面に走っていた。 15分が過ぎたころ途中からバスは東に折れ進路をスペインとの国境方面に向きを変えた。 背丈の低いオリーブの木が茂る畑を過ぎると、前方に高い岩場がそそり立ち、さらにその上に石積みの壁がその岩場の丘を囲み込んでいるように見えてくる。 そこが、目的地〈マルヴァオン〉であった。 曲がりくねって急斜面を登ってきたバスからの景観は圧迫感で息をのむ。 城砦に近づくと花崗岩の断崖は一層高く見える。30メートルほどはあろうか。 更にその上に頑強な石積みの壁が這い上がっていた。 その状況を見上げながら400メートルほど併走すると、城壁の中に入るアーチの門が見えるバス停で止まった。 そこは駐車場にもなっており、自家用車が5台とまっていた。 乗客10人のうちここで降りたのは、相棒とポーだけだった。 来る途中、自動車道路から田舎道に入り小さな集落で相棒に手を振って2人が降りた。 再び自動車道路に戻り、マルヴァオンの停留場に着き、残り6人はバスの中で窓ガラス越しに手を振ってくれた。 実はバスに乗るとき、運転手から乗車券を買ったその時、相棒が日本人かと聞かれ、頷いた。 すると、バスが走り出す前に運転手のアナウンスがあった。 めったに出会えない日本人が同乗していると告げた。 乗客から何か意味が解せない沢山の言葉が発せられ、拍手まで起こる。 こんなことは初めての経験で、ポーは驚いていた。 だが、相棒はすくと座席から立ち上がり、「ありがとう!」の『オブリガーダ!』を乗客の一人一人に向け、軽く頭を下げて吐いた。 そんなことがあっての、乗客からの別れの挨拶だった。 バスが走り出し坂道を下って見えなくなるまで、相棒は手を振っていた。 「けいの豆日記ノート」 《城壁の中は白一色》 見送った後の相棒の行動は俊敏であった。 停留場にある時刻表の帰路時間の確認である。振り向き『帰りの時間は1時半だよ』と言った。 腕時計を見た。11時05分だ。 2時間25分もあれば充分だとポーは思う。 ガイド本には確か1時間もあれば町を1周できると書いてあったはずだ。 分厚い石積みの城壁は二重(ふたえ)になっており、高さが10メートルは有にある。 そこにアーチ状の門が口を開けている。〈ロダオン門〉と、標識があった。 ふたつのアーチを抜け中に入ると、そこは家の壁から通路の塀まで真っ白に塗り込められた住宅地である。 青一色の空が白に支配されていた。まるで、あのオセロゲームの黒が白にひっくり返された模様変えのようだった。 太陽に射られた石畳の狭い路地まで反射光線で白く見えた。 相棒は右に登る路地でなく、左に下る路地を進む。 トゥリズモ(観光案内所)の方向指示標識に従った。 一番欲しいのは地図。トゥリズモに行かないと、毎度のことだがその地図と資料が手に入らない。 白い世界から反射する光線は目が痛くなるほど強かった。 人影のない一本道の狭い路地は延々と続く。 相棒が放つシャッターの音だけが響くほど静寂であった。 高い石積みの壁が段々低くなっていくのに気づく。 狭い石畳の路地が急な登り坂になっていたからだった。 左手の視界が開けた。 厚み巾が1.5メートルほどある石済み壁からのぞく眼下には、バスが登って来た道が遥か彼方まで見える。 大地の先にエストレーラの山々が青く連なっている。 陽射しに輝くアレンテージョ地方の壮大な大地の景観に見入ってしまう。 日本の4分の1の大きさの国だという概念は見事に粉砕(ふんさい)された。 ポルトガルは、でっかい大地なのだと涙がこぼれ落ちる程の感動を全身に受けるポーがいた。 石畳を下ると普通乗用車がやっと通れるほどのアーチ門があった。 石畳を下がった分、城壁はまた高くなる。5メートルほどの壁に〈ヴィラ門〉と表示がある。 相棒はトゥリズモの矢印の表示板に従った。 左は城壁、右は2階建民家の白壁、その谷間みたいな狭い石畳をまた登る。 細長く区切られた空は真っ青な小川のようだ。 『ポー、教会の塔が見えるよ』民家の角を右に折れた所で、相棒のホッとした明るい声が飛んできた。 4メートルほどの広い登り坂に白い民家が並び曲がって坂上に伸びていた。 右側は光線が反射する白い塀で、その向こうの青空の中に教会の鐘楼が見える。 近づくと教会の壁も真っ白で、鐘楼も2階建ての上にちょこんと白で囲まれている絵本画の世界に見えた。 「けいの豆日記ノート」 《観光案内所》 〔TURISMO〕の文字が偶然飛び込んできた。探していた、[観光案内所]だった。 相棒は満面の笑みで白い壁の建物にある小さなドアを開け中に入る。 室内は予想していた以上に広く垢(あか)ぬけていた。 相棒が飛びついたのは若い女性がいるカウンターではなかった。 観光客が自由に使えるらしいパソコンだった。そのコーナーに飛び込み、打った。 ブラウン管画面に映像が浮かび上がる。相棒のホームページだった。 ポルトガルで出会った人々を中心にした写真と、今まで訪ねた80市町村の紀行文でポルトガル情報を発信している、 《愛しのポルトガル》のタイトルが鮮明に登場した。 アクセスしたのだから当り前のことなのだが、この天空の町で、 その画面をまのあたりにするとなぜか嬉しくなってしまうポーであった。 掲示板1と2を呼びだし、読む。 23日間の留守を伝えてポルトガルに来たのに、仲間のメッセ―ジでいっぱいである。 当人がいないとわかっていても、〈ポー君の留守を私たちが守っているからね〜!〉の伝言に、相棒は感嘆していた。 そんな相棒を残しポーは、受付カウンターで黒い瞳が輝く黒髪の女性から地図と資料をもらった。 毎度のことだが、トゥリズモの女性は何処の町でも美人が多い。 「けいの豆日記ノート」 《天空の町を歩く》 地図を相棒が凝視した。南北を確かめる。その間3分。相棒は地図を読み砕くことに強かった。 ポーは地図を見るのが昔から好きだったが、何故か現場では方向音痴である。 天は二仏(にぶつ)を与えぬ、というわけだ。 ふたりの女性に笑顔で礼を言って折鶴を手渡すと、『行くよ、ポー』であった。 後ろで「アレグロ!(嬉しい!)」の声ふたつがあった。 ポーはふたりに手を振った。ふたつの笑顔の前で、折鶴が舞っていた。 帰路のバス時間まで2時間を切っていた。 『慌てなくても、ゆっくり楽しめそうだよ』という相棒の明るい顔に陽射しが強い。 天空の町〈マルヴァオン〉は太陽に近かった・・・。 お土産やがあった。狭い入口に〔ARTESANATO〕の看板がある。 芸術品の店とすれば陶器だろうと踏む。外の明るさに目が追い着かず中に入ると真っ暗。 でも、人間の眼は高性能、すぐ中の明るさに慣れる。陶器の皿のオンパレードだった。 花を中心に描いた絵柄は素朴で心を癒してくれる。タイル画も目を引く。猫の百態だ。 猫のイラスト画がアズレージョ(青のタイル画)で踊っていた。 思わず笑みが湧く。猫好きなポーは1枚でも欲しいと思う。 でも、荷物になるものは、ふたり旅では禁止だった。 室内から出るとスポットライトを急に浴び眼がくらむほどの、太陽光線があった。 『夏のポルトガルはサングラスが必用だね!』と、コンタクトレンズの相棒は悔しげだ。 ポーは眼をごしごし擦り目薬を差した。北西は高台になっていて、つぼんで見え、先端にカステロ(城跡)がそびえている。 天空の町の西側の眼下を見ながらカステロに向かう。その眼下は東側とは違う光景だった。 城壁は低いが岩盤は荒々しい急斜面で50メートルもあろうか、はるか下まで延びていた。 まさにこの地を守る城砦、天空の守護神の地であったのだとポーは感じる。それほどの攻撃不落な要塞に思えた。 一度もこの天空の城砦は不落されることなく今日まで残ったそうだが、時代の流れは紆余屈折した。 かつて、教科書でポルトガルとのかかわりを教わった。 それは、1496年・インド航路発見のヴァスコ・ダ・ガマであり、1543年・種子島「鉄砲伝来」であり、 日本の歴史の流れを変えた1549年・宣教師フランシスコ・ザビエル来航である。 その根源は1460年死去したエンリケ航海王子の偉業であったと知った。 そして、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航した、その31年後スペインに領土を併合され、 再独立するまで60年間の屈辱の歴史がポルトガルにはあったのだ。 そして今、マルヴァオンの眼の先には、長閑(のどか)な広い青空の中にスペインが見える。 《そのカステロに立つ》 スペインとの国境間近にそそり立つ天空の町〈マルヴァオン〉は、アレンテージョ地方の北のはずれ、 標高856メートルの地にあった。 まるで大海原(おおうなばら)に浮かぶ巨大な戦艦のようである。 カステロ(城跡)はその船首の西側に残っていた。 高さ20メートルほどの城壁は厚い石積みで、その壁面をくり抜いた穴に向けて鉄製の大砲が幾基も眼下を睨んで、 要塞を守る当時の近代的武器が今に残っていた。 城砦をささえる岩盤が急斜面を下っている。 50メートルもの落差はある。 その眼下の景観を眺めながら、感動がやがて恐怖に変わらずとも知らず城壁沿いの、狭い狭い通路を相棒が登っていく。 被写体である獲物を確認した時の相棒は、怖さを知らない。 振り返った時のその恐怖の表情がポーには浮かぶ。 手摺もない狭い急斜面を登った分だけ降りて来なければならない。苦手の下る恐怖を相棒は忘れている。 いつものことだが、仕事中の野獣には、声すらかけられないポーだった。 そんな相棒の集中力を削(そ)いではならぬ。 撮影し終わった後の下る時の恐怖を、軽やかにフォローするのがポーの役目だった。 そのバランス感覚が、6回のポルトガル写真取材紀行を敢行し続けられてきた鍵かも知れない。 腕力も財力も語学力も男前もないポーが、相棒とポルトガルひと筋に未知の旅を続けて来られた根源は 相棒を〔守る〕というポーの頑固さから始まったポルトガル撮影取材であった。 まっ、運よく今まで、2回の空港での旅行バックロストがあり(あの旅行バックは呪われていた)、 細々とした失敗のみで大怪我や盗難や命に関する事件に遭遇することもなく取材紀行を続けて来られた。 それは、ポルトガルという国がふたりに優しかった、といえるかも知れない。 それほどポルトガルという国は、治安がいい国だった。 治安が良くなければ8年間に6回もポルトガルを訪ねられなかったであろう。 カステロの最上部に立った。ここからの景観で、天空の町の意味が再確認できた。 13世紀にディニス王が築いたという城からは北にエストレーラの山並み、南にサンマメーデの荒涼とした山脈、 東に隣国スペイン。アレンテージョ地方が小さな地球のように見渡せる。 パノラマは、まるで宇宙に拡がる青色の中で凛(りん)として展開していた。 ここは、天国なのかもしれない。 その天国、天空の町〈マルヴァオン〉の家並み景観が眼下で白色に輝いていた。 「けいの豆日記ノート」 《ちょっぴりの失敗》 天空の町は、工事中であった。世界遺産に登録するための工事だという。 工事はいつも原風景を消去する。それを知った相棒は『やめたら〜!』と、吐く。 『爽やかな風が吹かなくなるし、香りも消すよ!後悔すると思うよ!』と、詩人並みにたたみ込んで吐いた。 仰せの通りだと、ポーも思う。工事完了後でなかったことに、安堵(あんど)した。 帰りのバスまで40分もあった。小さなレストランの屋外テラスでひと休み。 大きなパラソルの下でポーは、ポルトガル産サグレスのグラスビールで喉を鳴らす。 相棒は7ナップ。同じ料金だ。 白いテラスからの目線には、エストレーラの山並みが青い空に溶け込んでいる。 長閑である。相棒から支給された〔胡麻煎餅〕をパリパリ音たてて、醤油味の香りをまき散らしてのランチタイムである。 周りに観光客はいなかった。ここに着いた時、5台の自家用車がバス停前の駐車場にはあったが・・・。 帰路のバス時間1時30分に合わせ、ゆっくり撮影しながらバス停のあるロダオン門に向かう。 陽射しは変わらずキツイが心は清々しい。ビールのせいかも知れない。 10分前の1時20分に二重のロダオン門をくぐってバス停でバスを待った。 来るはずの時間になっても、10分待ってもバスは来ない。 相棒は、始発バス停ではない、ここは途中停車バス停だから遅れても気にしない、といって二重門などを撮影していたが、 更に20分が過ぎるとバス停の時刻表に走った。 『ぎゃ〜〜〜あ!』断末魔の叫びだった。 30センチは、小さな体が空に浮いた。 『もう、いっちゃったよ!』1時30分でなしに、1時10分だった。 3と1の数字を見間違えたのだった。 でも、慌てないのが相棒の真骨頂(しんこつちょう)。 この後は、ポルタレグレ4時30分発リスボン行きの長距離バスに間に合う行動をすればいいのだ。 時刻表を見ていた相棒が、『次の時間では間に合わないからタクシーをポルタレグレから呼んでもらおうか、ポー』と的確な答えが返ってきた。 4時までにポルタレグレに戻り、宿に預けてある旅行バックを受けバスセンターに行けばいい。 それまで2時間40分ある。 ポルタレグレのタクシー会社に電話をかけて貰うために、先ほどのレストランに向かった。 『バス停からレストランまで戻り、電話をかけて貰うのに30分、すぐ数少ないタクシーがあってここまで来るのに30分、 戻るのに30分。宿から旅行バックを転がしてバスセンターまで20分。うまくいって1時間40分。 残りは、50分間。それが勝負だ。それに賭けよう。もし、タクシーが出払っていてつかまらなかったら・・・。 まっ、いいか!』と、相棒は淡淡と吐いた。 そんな相棒の推理を聞きながら石畳の坂道を登って行った。 こんな状況であっても、求める被写体があればシャターを相棒は鳴らしていた。 ≪ポルタレグレにもう1泊しても、明日の夜9時からの祭りには間に合うが、リスボンの今夜泊まる予定のホテルに電話するのが難儀ではある。 なにせ、ポルトガル語をペラペラしゃべれないからなあ≫とポーは考えていた。 「けいの豆日記ノート」 《神さまは、エプロン姿だった》 ポルトガルの神さまは、粋(いき)だった。 素晴らしい、信じられないほどの笑顔をふたりにくれた。 そのレストランで、ポルタレグレからのタクシーをたのんだら、そのご主人が料理用のエプロンを剥ぎとって言った。 「俺が、タクシードライバーだ」と。 偶然とはいえ、こんな運を簡単に鷲掴(わしづか)みにするのも、相棒の運の強さであった。 エプロンを取って、すぐにタクシードライバーに変身してくれた。 タクシー車はレストランの裏の空き地にあった。 それも、マルヴァオンに1台しかないタクシーだった。 ヴィラ門をすれすれに通過して、マルヴァオンの城砦を下ってポルタレグレに向かってくれた。 17.5ユーロ(2800円)はふたりの昼食代を遥かに抜いていたが、感謝感謝の乗車30分であった。 勿論、ポルタレグレの宿に着いた時、感謝の折鶴がお金と一緒に飛んだ。 お〜お!と声を発し、神さまは喜んでくれた。 「けいの豆日記ノート」 《リスボンに向かう遠距離バス》 ポルタレグレまで来た時と同じように3時間半でリスボンに帰れるはずだった。 しかし、遠距離バスは4時間以上もかかった。道路の渋滞が原因ではない。 4年に1度のオリンピック並みの、[2008年フットボールヨーロッパ選手権大会]の 準々決勝進出戦の第2戦ポルトガル対チェコ戦が始まっていた。 第1戦のトルコには2−0でポルトガルが勝っていた。 ポルトレグレのバスターミナルでエンジンがかかると同時に、カーラジオから放送中継の騒音がバス内に響きわたる。 これからリスボンに着くまで聞かされるのだ。音量を絞って欲しかったが、それは無理な雰囲気があった。 ポルタレグレのどこから集まってきたのか、乗客は20人ほどが乗っていた。 バス車内はまさに対戦が行われているフットボール競技場のスタンドであった。 中継アナウンサーのひと声ひと声に18人以上の観衆は大きな声援とタメ息で揺れた。 乗り物に乗ったら必ず眠る相棒も、その歓声に眠れず持参の胡麻煎餅をかじっていた。 考えてみたら、昼飯を食べていなかった。 トイレタイムでバスが止まった。10分間の休憩タイムだ。 真っ先にカフェに飛び込んだのは運転手だった。 相棒とカフェ店内に入ると乗客も地元の常連客のおじさんたちも、テレビ中継画面に釘付けである。 トイレを借りて相棒とバスに戻る。車内にはラジオ中継の声で溢れていた。 運転手が、下りない乗客のためにエンジンを切っていなかったのだ。 6時50分、アナウンサーが「ゴーロ!ゴーロ!(ゴール!)」と絶叫だ。 ポルトガルチームが3点目をゲットした。やっと乗客が乗り込んできた。 運転手も顔面壊れんばかりの笑顔で運転席に乗り込んだ。 10分の休憩時間が25分も過ぎていた。 あ〜ァ、長閑・・・。 ポルトガルが3−1で、勝った。あと1勝すれば準々決勝にコマが進む。 バスの中は、熱気であふれお祭り騒ぎであった。 8時、首都リスボンに入るテージョ川をバスは渡る。 まだまだ陽射しがテージョ川の水面を銀色に輝かせている。 ポルトガル全土の人びとが、フットボールで燃えているだろうとポーは思う。 この雰囲気の中にいられたポーを、とめないで。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2010年7月掲載 |
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