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聖アントニオ祭前日のアルファマ地区
毎年、6月13日は、聖アントニオ祭りが開催される。
当日より、前夜祭のほうがにぎやかで、アルファマを中心とした町が飾りつけられる。
イワシの炭焼きを食べる屋台が立ち並び、イワシを食べる人たちで夜中さわがれる。
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☆リスボン7の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リベルダーデ通り周辺は、リスボンのシャンゼリゼと呼ばれている。
聖アントニオ祭前日は、リベルターデ通りをチーム対抗でパレードする。
アルファマ地区では、路地や家ににモールを飾りつけて、全部が店になる。
イワシの炭焼きを食べる風習があり、路地は煙でモウモウとなる。
イワシの消費量が最大になる1日である。値段も最大になる。
「ポー君の旅日記」 ☆ 聖アントニオ祭前日のリスボン7 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・13≫ 《聖アントニオ祭とは》 ポルトガルの祝祭日は、キリスト教に関係する日が多い。 6月13日はその祭日の一つで、≪聖アントニオ祭≫といい首都リスボンで行われる祭りである。 この祭りは「サント・アント二オの日」とリスボン子は呼び、リスボン市民が毎年楽しみしている祭りであった。 サント・アントニオはリスボンの守護聖人で、彼の誕生の地に建てられた〈サント・アントニオ教会〉に祀(まつ)られている。 りスボンもとより、ポルトガル各地からの参拝者でいつも賑わっている。アルファマ地区に、その教会はあった。 青空をバックに凜(りん)とたたずむ白を基調にした教会で、国民に親しまれている教会だとポーは知った。 サント・アントニオは、イタリアのパドヴァで活躍したフランシスコ派の僧侶で、≪縁結びの聖人≫として知られ、今もなお人びとの心に尊厳として溶け込んでいた。 その聖人を市民は忘れず、1194年〜1231年の人生を祝し、国は祝祭日として守護聖人の日としたのだ。 サント・アントニオに会いたければ、教会の前に行けばいい。アントニオの像がはにかんで立っている。 特に、今日6月12日の前夜祭の夜は、リスボンの中心地リベルダーデ大通りで大パレードがあり、リスボン子は眠れぬ夜となる。 リスボンの町の、地区ごとにチームが結成され、1年かけてこの日のために踊るテーマを決め、そのための衣装を考案し、練習を重ねてきたのだ。 かつて、ポルトガルの植民地であったブラジルの「リオのカー二バル」のように華々しいと聞いているが、見てのお楽しみだ。 そのダンスパレードの様子は、ポルトガル全土にテレビ生中継されるのだ。 「けいの豆日記ノート」 《新聞スタンド》 6月12日(木)。ポルトガルに来てから8日目の朝が来た。毎日、曇りも雨もなく快晴であった。 晴れ男ポーのなせる技と勝手に決め、相棒にモーニングタイムの宿の食堂で言うと、はははと笑い、偶然だよとそっけない。 でも、それが相棒の、『その通りだぜ!ポー』という肯定表現方法だと、ポーは知っていた。 でないと、6回ものポルトガルふたり旅は続いていないであろう。 今日はまず〈在ポルトガル日本国大使館〉に立ち寄りMさんにお会いした後は、夜9時からのパレードまで相棒の案でリスボン散策と決めていた。 宿から〈ポンバル侯爵広場〉に向かった。 昨日、4年に1度のヨーロッパ選手権大会の準々決勝戦Aグループでチェコに3−1で勝ち、あと1つ勝てばワンステップ進出である。 ポルトガルの国旗が前夜祭もあってか、いたる所で舞っていた。 ポルトガルは≪国旗≫に対する誇りが情熱的だ。そこが日本と違うと、ポーは思案していた。 列に並んでまた売り切れてしまうかもしれない公園の新聞スタンドで、相棒が新聞を買ってきた。 Global紙の一面は、勿論サッカー記事だ。あずき色のユニホームがゴール前で躍動している。 その写真は3点目のゴーロ!(ゴール!)の瞬間であった。 前回2004年の大会はポルトガルで開催され、優勝はギリシャに奪われたが準優勝している。 だから当然、今年こそは優勝だと市民の熱き期待は高まっていた。 《今夜の主役リベルダーデ大通り》 ポンバル侯爵広場には1755年のリスボン大地震の後、その復興に大活躍したライオンを従えたポンバル侯爵像が天を突いて立っている。 侯爵が眺める先には、リスボンのメインストリートであるリベルダーデ大通りがあり、その先には海と見間違えるほど広いテージョ川がある。 巾90メートル長さ1500メートルのリベルダーデ大通りが今宵の舞台だ。プラタナスの大樹が茂る大通りはその舞台づくりの真っ最中だった。 だが、慌ただしさはない。至極のんびりしていた。道の両サイドには鉄柵が並べられ、クレーン車の先端には大型のライトスタンドが取りつけられ、道の中央まで張り出し照明の設置をしていた。 雛壇(ひなだん)スタンドを組んでいるところは、著名人専用観客席であろうか。 Mさんに今回もアポイントメントを取らず、〈在ポルトガル日本国大使館〉に向かった。 いなければ、渡したいものを置いてくればいい。 その大使館があるビルは吹きぬけの総ガラス張りで、綱一本の一人乗りゴンドラで外側の窓を清掃していた。 相棒は上を見上げ嬉々として撮影だ。 Mさんはいた。先日ポーが宿に忘れてきた、相棒のポルトガル写真集の本と日本の菓子の胡麻煎餅とピーナッツ入り柿の種の袋を渡した。 はにかんで、こばんだが無理やりポーは受け取ってもらった。長身のMさんは、優しい笑顔をくれた。 「けいの豆日記ノート」 《緑と赤の店に釘づけ》 大使館を出た相棒は、今まで何度も通ったリベルダーデ通りに並ぶ店にポイントを絞って散策した。 最初に歩を止めたのは、電気店。大型薄型テレビ画面に舞う、あずき色のユニホームの背文字に〈RONALDO〉の映像があった。 彼はポルトガルのサッカー選手の大スターである。 宙に舞う彼の映像が何度もその最新薄型日本製テレビに舞っていた。 石畳を下ったその先の店、サッカー商品専門店に相棒はすんなり入る。 相棒がサッカー好きとは今までポーは聞いたことがない。 ポルトガル国旗は左に緑と右に赤、その境目に天測儀があり、その中に7つの城と王を表す5つの楯がある。 誠実と希望を表す緑と新大陸発見のため大海原に乗り出したポルトガル人の血を表した赤。 その2色を使った色の商品で占められていた。 サッカー衣装はもとより靴下までも2色であり、また2色に色分けたギターもあり、緑のギターには〔FC Porto〕、赤いギターには〔Benfica〕と書いてあった。 ともにポルトガルサッカーを代表するチーム名だ。18チームがあるが、試合開始は、15時開始もあれば21時開始もある。 勿論、毎年9月から翌年5月まではテレビ中継があり、その再放送もあるからチャンネルを回せば毎日サッカー映像であふれている。 日本の野球と同じ感覚で、ポルトガルの人びとはフットボール(サッカー)に熱狂しているのだ。 今夜の祭り会場になる大通りからバイシャ地区に向かう。 リスボンは七つの丘の町といわれるほど起伏に富んでいる。そのため、町中の何処を歩いても急坂だらけである。 3か所のケーブルカーがある都市はリスボンだけかも知れない。市民の生活に溶け込んでいた。 特に高齢者にはありがたい乗り物だ。そのひとつ、ラヴェラ線の乗り場前を通る。 黄色い車体は黒いスプレーでいたずら書きされた文字だらけだった。それが、痛々しい。 リスボン子はらくがき魔が多いのか。純粋のリスボン子はそんな悪さはしないと信じたい。 落書きは、町のいたるところで目に飛び込んでくる。 このケーブルカーに乗れば7分もかからずに坂上の路地に着き、 日本に住み日本を世界に紹介したポルトガルの作家モラエス(1854年〜1929年)の生家がすぐ近くにあった。 「けいの豆日記ノート」 《サンタ・ジェスタのエレベーター》 レスタウラドーレス広場を通り、バイシャ地区に向かった。この広場の「レスタウラドーレス」とは復興者たちを意味し、 広場の中央に高さ30メートルのオべリスク(象形文字が刻まれた方尖形〜ホウセンケイ〜)が、すくっとりりしく建っている。スペインに支配されていた60年間から再独立を勝ち取ったポルトガルの人びとの心こもった記念碑である。 それは、17世紀のことであった。 バイシャ地区は、レスタウラドーレス広場の南、ロシオ広場からテージョ川に接するコメルシオ広場までの一帯で、リスボンの粋(いき)な繁華街である。 朝から夜まで人びとの姿が絶えなかった。この地点に立たないと、ポルトガルの首都リスボンに来た気になれない。首都東京で言うなら銀座4丁目交差点に建つ服部時計塔前であろうか、とポーは思う。 そのバイシャ地区に〈サンタ・ジェスタのエレベーター〉はあった。 6回のポルトガル撮影取材旅を続けてきたが、リスボンに来て3回目の搭乗である。 時代を感じさせるクラシックなエレベーターに乗ると、いつも心が躍る。不思議な魔法の箱なのだ。 その箱だけが高い鉄塔の内部をゆっくり昇っていく。内部には、20人は乗れる空間がある。 その空間は古典的な旧式の蛇腹式のエレベーターで、リスボンに来たら真っ先にこのエレベーターに乗ればいい。 リスボンの町を堪能できる景観に出会えるからだ。 エレベーターを降りて更に狭いラセン階段を登ると喫茶がある展望台が待っている。 そこからの、飛び込んでくるリスボンの景観は圧巻である。 首都リスボンの鳥瞰(ちょうかん)であった。 眼下の東側にはオレンジ色の屋根瓦の波が押し寄せ、その先に広い青いテージョ川が流れ、紺色の空が広がる。 そして、眼前よりやや高めの視点にアルファマ地区の〈サン・ジョルジェ城〉が浮かぶ。 エレベーター展望台からの景観は、リスボンの夏の始まりの陽射しで輝いて見えた。 北側の眼下にはリスボンで一日中賑わう白い壁のビルに囲まれた〈ロシオ広場〉が石畳の模様も美しく迫って来る。 その中央に初代ブラジル国王になったドン・ペドロ四世の像が円柱の頂にはっきり見える。 この広場はポーの好きな広場だった。 「けいの豆日記ノート」 《リスボン大地震の傷跡》 そして西側には、丘の上に拡がるバイロ・アルト地区が一望だ。 特に1755年のリスボン大地震の傷跡を今に残す14世紀末に建てられた〈カルモ教会〉が目の前にある。 この建物にはこのエレベーター塔から通路で渡れる。 石像建設の壁とアーチの骨組み石積みが残り天井は崩れ落ち、今は青空が天井であった。 カルモ教会の正面のファサードは美しい曲線を描き重厚であった。入場料2.5ユーロ。 その代金が欲しく相棒だけ撮影のために入館した。相棒とは30分後ファサード前で会う約束をした。 入場券をひらひらさせながらカルモ教会のファサードに消える相棒を見送った。 ボディーガード役のポーは相棒をひとり放った。廃墟の空間だったので安心して一人取材を許した。 「けいの豆日記ノート」 《小さな広場の出会い模様》 ファサードの隣には警察署があり、身長2メートルほどの若き守衛が半袖の制服姿で、長いサーベルを脇に握りしめりりしく立っていた。 彫りの深い顔に濃いサングラスが似合っている。 写真を撮ってもいいかと聞くと、サングラスが横に一度揺れた。 観光客なのだから、と思ったがシャッターは押せなかった。 画になるいいポーズだったのにと思いながらポーは遠慮した。 なんでも撮ればいいわけではない。それが旅の礼儀なのだ。 警察署の前は古い建物が立ち並び、小さな広場を囲んでいた。 広場はレストランの白いテーブルや椅子、それに白いパラソルで占められている。 その白さに夏の陽射しが反射して、ジャカランダの薄紫の花ばなを明るく浮かび上がらせて見せた。 古い建物には壁面いっぱいにアズレージョ(青色のタイル画)で飾られたものもあり、 白く縁取りされた窓の両脇に、貴婦人の立像画のアズレージョが残る建物もある。 それに、建物に〔TEATRO DA TRINDADE〕と薄汚れた文字が風雨でさらされていた。 直訳すれば、三羽烏劇場(日本の時代劇に出てきそうな劇場名)だが、詳しくは判らない。 ただ、外観は絵にしたい趣は残っている。 かつてはこの広場界隈は賑やかな庶民の憩いの場であったかも知れないとポーは思う。 いや、今でも夜になると華やかに変身するかもと、思い直す。町には昼と夜のふたつの顔があるものだからだ。 カルモ教会ファサード前の白いテーブルに座り、相棒を待つ。 10分早かったが、持参した文庫本「天使と悪魔」シーン75を開き、続きを読む。 〔叫ぶ少女のもとへ真っ先に駆けつけたのはラングドンだった。〕と、一行読んでさえぎられた。 レストランから駆けつけた白い顎髭のおじさんにであった。注文取でのお出ましだ。 客が座れば跳んでくるのが当然。それをポーは忘れていた。 立って待つより座って待ちたかった。 「ごめん、カルモから出てくる連れを待っているんだ」と、ジェスチャー語?でいうと、ジャポネシュ?と聞く。 「そう、日本人」だと答える。顎鬚はニカッと笑む。クアントシュ アノシュ テン?と聞く。 「○○歳」だと応えると、また、二カッと笑み、イグアル!イグーアル!と何度も嬉しそうに、吐く。 イコールの意味と勝手に決め、握手を求めた。 顎鬚は何を思ったかハグッて(軽く抱きあう挨拶)、ここにいろと言っているようだった。 「オブリガード!」「ありがとう!」とポーは感謝を込めて二つ、言った。 これは、旅する必需品の言葉であり、人間として生きていくには欠かせない言葉である。 出てきた。約束の30分を守って、カルモ教会のファサードからの相棒の姿があった。 ポーには気づかず右手の、あのサングラス君に目を止める。歩み寄った。話をする。 サングラス君のサングラスの下の口元に笑みの皺が刻まれた。そして、サングラスがひとつ縦に動いた。 相棒は正面に位置を変え、カメラを向けた。シャッターを3回ほど切った。 「なんじゃ〜!サングラスめ!」ポーの叫びだ。相棒が振り向き、軽く手を振った。 その手に違和感を見た。文庫本をリュックに収め、近づいた。相棒の手の甲に血が滲んで痛々しい。 構内で何かが起こったのだ。ボディーガード役の怠慢である。聞くと、こけたといった。 石畳の3センチの段差でこけたという。でも、『カメラを守ったよ』と笑顔で吐く。 カメラが無事だったことが誇らしげな相棒の顔を見て、ポーは頷くだけであった。 傷を負っても身をていして≪命のカメラ≫を守った。 リュックから軟膏を出し、ポーは手の甲に塗りながら、先ほど読みかけた小説の一行が偶然とはいえ気になっていた。 こけて叫ぶ相棒のもとに、真っ先に駆けつけられなかった悔恨(かいこん)であった。 「けいの豆日記ノート」 《路面電車は、鰯(いわし)電車》 バイロ・アルト地区の小さな広場から急な坂道を下る。 眼下には、テージョ川が石畳の先に左から右に青を含んだ絵筆で太く描いたように見える。 再びリスボンの中心地バイシャ地区に向かった。テージョ川に接する〈コメルシオ広場〉まで歩く。 広場は路面電車の収納場所みたいに集まる基地のようで、車体の形や色、それにいろいろなデザインがあって楽しい。 その路面電車の中で、全身白色に塗られその車体に黒で魚の絵が描かれていた。魚は鰯(いわし)だった。 そこに、〔FESTAS DE LISBOA〕(リスボンの祭り)と書かれている。 この時期しか走っていない路面電車のボディーデザインであった。 その鰯電車に乗った。バイロ・アルト地区を通り抜け、振動波長に合体した相棒は路面電車の座席で眠りに落ちた。 終点で降りた。腕時計を見ると20分間の揺りかご状態であった。目の前は花を売るおばさんたちの露天小屋が並んでいた。 菊の花の香りが漂う。大きな門が見え、〈プラゼレス墓地〉と書かれた文字があった。 墓参りの人びとには、やはり菊の花なのかと思う。でも、今時分、菊の花があるのが解せない。 ポルトガルも菊の花は日本と同じ時期だったはずだ。輸入物だと売り子の歯のないおばあさんが教えてくれた。 引き返す鰯電車に15分後、再び跳び乗ってコメルシオ広場に戻った。 今夜9時から始まる祭りのためにか、相棒はカメラを抱き丸くなって眠った。 路面電車からの車窓風景にレンズを向けたことがない。撮りたいものを見つけた時は、下車して撮った。 「けいの豆日記ノート」 《智子さんの店》 智子さんの店で昼飯を食べることにした。智子さんは勿論、日本人である。 長崎でカステラの修業をしたパウロさんとポルトガル菓子研究家の智子さんが経営するティールムだ。 ポルトガル生まれのカステラをポルトガルに逆輸入したことで日本のテレビでも紹介され話題を呼んでいた。 4年ぶりの再会を相棒は楽しみにしていたのだ。 『智子さんって、話にいっぽん芯がばしっと通っていて、話していても気持ちがいいのよ。 それに、優しいしね!』相棒が吐いた4年前の感想だった。 コメルシオ広場のすぐ近くに智子さんの店がある。店の前を路面電車が走っていた。 店の入り口の、可愛い看板が目を引く。 2本の旗がクロスし、左の旗には白地に赤い丸、日の丸が、右の旗には、カステラの絵が描かれている。 その上に、〈サロン デ チャ〉のポルトガル語があり、旗の下には創業の年、1996の数字だ。 午後1時半を過ぎていた。 昼下がり近い店内は混んでいた。この近所は庁舎が多いため、客は常連客のようであった。 店に入ると、客を送り出した智子さんと相棒が鉢合わせ。あらまーあ!ふたりには、4年間の空白がなかった。 手を取り合って、微笑んだ。当然、昼飯を注文する。 ポーはてんぷら丼(てんぷらはポルトガル語・5.75ユーロ)、相棒は鮭のズケ丼(7.0ユーロ)。 久しぶりで日本の米を食べた。炊きたての米は、至福の香り。美味かった。 食べ終わったころから食事の客が少なくなり、ふたりは久しく話し込んでいた。 女性の会話に男が首を突っ込んではならぬと決め、ポーは店の周りを20分ほど散策した。 「けいの豆日記ノート」 《バイシャ地区周辺路地裏》 〈くちばしの家〉と呼ばれている鳥のくちばしのような突起で覆われたデザインの建物(1522年建立)前を通って、クモの巣のように広がるポルトガルの下町路地に入った。 相棒の好きな下町路地裏である。路地は入り組み狭く庶民の生活が垣間見ることができるため、撮影取材には欠かせない。 建物は古く壁も剥げ落ちて、決して美しくはない。 路地の石畳も敷石が欠けたところが目立つ。頭上に干している洗濯ものからしずくが落ちてくる時もある。 だが、この路地には生活の匂いと人の温もりが染み込んでいる。 夜は夜の顔があるかも知れないので入り込んだことはなかったが、昼間は何回も今までも撮影に来ていた。 路地には小さなレストラン(食堂)が沢山ある。どの店も今夜の祭りの準備で忙しい。 店頭に鰯を焼くための鉄製のU字型を並べ、その中に炭を敷き詰め、焼き網をのせる。 飾り付けもお手製だ。 メニューも今夜のための一覧表。いつもより料金が高目なのかもしれない。働く姿は歴然。女たちばかりだ。 男どもは何をしているのだろうか。たまり場のカフェでワインをなめなめ仲間とトランプか。 テレビのサッカー録画か。それに引き換え、ポルトガルの女性は本当に働き者だった。 そんな中で、老人と子供たちには笑顔があった。1年間楽しみしていた祭りがやってきたからであろう。 老婆と10歳ほどの少年が路地に椅子を出し楽しげに話し始めた。なかなかの光景だ。見逃すはずがない。 相棒のシャターが鳴りだした。頃合いを見てポーがふたりに近寄り、相棒お手製の折鶴を渡した。 少年が日本語で「おりがみ」と言って、はにかむ。学校で日本のアニメを見た時、これを見た、という。 アニメはドラえもんだった。折り紙で作った折鶴だと、ポーはいう。少年は、教えてくれ、といった。 振り向くと相棒はバックから千代紙を出し少年の眼先で折ってみせる。 少年の眼が輝く。瞬きもしない。相棒が折り終わると、ふーと少年は息を吐いた。 その折鶴はおばあさんの掌(てのひら)で舞った。可愛いい笑顔が皺の中で刻まれた。 相棒は千代紙を1枚少年に渡し、相棒の折鶴教室が始まる。ゆっくりゆっくり、ひと折りひと折り。 折り方教室は完全な日本語で教えるのが慣例である。 その方が、伝達が速いことを相棒は今までの経験から察知していた。 少年は1枚目の千代紙で見事に鶴に変身させた。今にも飛び立つほどの出来栄えであった。 少年の眼もおばあさんの眼も歓喜していた。 そして、椅子の上で舞う少年が折った折鶴に弾ける笑顔をむけ、胸元で十字を切って両手を合わせた。 「けいの豆日記ノート」 《前夜祭色模様》 宿の近くの小さなスーパーマーケットで、水ボトル(0.39ユーロ)・赤ワイン700ml(1.79ユーロ)・紙パックオレンジジュース(0.58ユーロ)を買い、坂道を登り宿に向かう。 日本の時間帯では考えられない夏の太陽が青空の天空で輝き、石畳に強い陽射しを降り注いでいた。 宿には6時に着く。昼飯を気張ったので夕食は残り物の菓子とひと瓶250円のワインで軽く済ます。 相棒は撮った映像の処理をし、ポーは文庫本を読み夜9時から始まる祭典までの3時間を過ごす。 相棒に『起きなっ!行くよ!』と叫ばれる。歩き疲れた身体にワインが染み込み転寝(うたたね)してしまった。 8時半であった。トイレに飛び込み、後を追った。 6時を過ぎれば人通りがなくなる宿前の通りは、祭典会場に向かう人の固まりが幾つもあった。 この辺りにこれほど住んでいたのかと思うほどの人波である。1年に1度の慣例の祭典だ。 待ちに待っていたのか、どの顔も笑顔ばかり。笑顔っていいな、と思う。 今朝下見しておいたリベルダーデ通りの祭典会場は広い道の両側に陣取りしていた人びとであふれていた。 これほどの人びとに会ったことがなかった。観光客も多いがブラジル系やアフリカ系の顔が意外と多い。 かつてポルトガルの植民地であった国の人びとが多いのは当然かもしれない。 日本人の顔は我々が潜り込んだ鉄柵の周囲には見当たらなかった。 全長1500メートルに及ぶゆるやかな坂道で《聖アントニオ祭》の前夜祭が展開するのだ。 聞くところによると、ブラジルのリオのカーニバルのように華々しい踊りの祭典だというが、知る限りのポルトガル人気質から考えてもハイレグ姿で大きな胸を露出気味で振り動かすことはないだろうと、 ポーは思っていた。国民気質はひとつの財産なのだ。 「けいの豆日記ノート」 始まった。絢爛豪華な中世のデザイン衣装で着飾った老若男女(ろうにゃくなんにょ)が50人位でひとつのチームを作り、音楽に合わせ踊りドラマを観衆の目の前で展開していく。 そのチームが去るとまた次のチームが流れ込み、踊り演技をして観衆に手を振り笑顔で去る。その繰り返しが続いていった。 今年のテーマは中世のポルトガルなのかと途中から気付く。歴史的な物語が展開しているようだ。 しかし、言葉がわからいからどんな内容かは解せない。 でも、そんなことはいい。華やかな色どりの衣装に身を包んだ美女たちを見ているだけでも楽しい。 1年間の準備と練習の成果を楽しめばいいのだ。知っている顔があると観衆は名を叫ぶ。 子供たちも真剣に表情豊かに演じている。きっと一生忘れられない思い出になっているに違いない。 途中に海軍の服装をしたチームが結婚式の様子を踊りで見せた。その男たちに周りの娘たちが黄色い声を爆発させた。 白い制服が照明に凛々しく浮かぶ。中世の物語ばかりではなさそうだが、そんなことは気にしない。 見ていて楽しければいいのだ。 何組のチームが通り過ぎて行ったことだろうか。30組は有に越しているはずだ。
立ちくたびれて腕時計を見ると夜中の1時を過ぎていた。もう4時間もたっていたと知る。
結局終わりまで見てしまった。1時半であった。もう完全にポーは腹も減って疲れ切っていた。
宿に戻ったのは、2時過ぎだった。
ポーは残っていた赤ワインで喉を潤すと、そのまま着の身着のままベッドに倒れ込んで眠った。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2010年8月掲載 |
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