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☆リスボンの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
7つの丘に広がるポルトガルの首都リスボン(ポルトガル語ではリシュボーア)。
ギリシア神話の英雄オデュッセウスによって築かれたという。
ヨーロッパの都市の中でも比較的治安がよく、ひとり歩きには適している。
リスボン市内でも地域によってイメージがかなり違う。
何度いっても周りきれない楽しい町である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 黄金の夕焼けのリスボン 4 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2006紀行文・22≫ 《部屋騒動?》 マデイラ島のサンタ・クルス空港からまだ薄明るい午後7時45分発に 乗り、ポルトガル本土のリスボア空港には日が落ちた9時に着いた。 日本語でリスボン、ポルトガル語でリスボア(Lisboa)。その空港から タクシーで宿に向かった。リスボンのメインストり−ト、りベルダーデ通 りからちょこっと入ったところにある小さなアレグリア公園。そこに接し た警察署の隣りにあるのが、6日前に泊まっていた宿アレグリア。小さな 宿だったが安くて心地よい宿だった。マデイラ島から帰ったらここで2泊 して日本に帰る手はずをしておいた。(すでに2泊分の宿泊代は支払ずみ だった)しかし、宿に10時に着きフロントの夜勤当番青年とひともんち ゃくが待っていた。 6日前に宿泊した002号室を予約してマデイラ島に発ったのに、初め
て見た夜勤当番青年は113号室の鍵を渡してきた。
泊るはずの002号室の前を通り細い通路を重い旅行バックを転がし、
たどり着いた113号室に入室してポーの繊細な?神経がプツンと切れた。
シャワーだけの風呂なしだ。しかも、部屋は狭く穴倉だった。
フロントに飛びかえった。日本語でまくしたてた。 翌朝、11月9日(木)7時。ポーはフロントに走った。
5時間も寝ていなかったが夜勤の青年に昨夜の非礼を詫びたかった。
宿のミスとは言え、青年には関わりのないことだ。5冊持参してきた
〔山之内けい子・愛しのポルトガル写真集〕の最後の1冊を青年に渡した。
青年は弾ける笑顔で受け取ってくれた。ポーにとっては救いの笑顔だった。 「けいの豆日記ノート」 《路面電車の活用法》 バックバッカ−(節約旅行)並みの旅を続けて来たポーと相棒は、高さ
30mのオべりクスが建つレスタウラドーレス広場に向う。
宿からりベルダーデ通りの坂道を20分ほど撮影をしながら下ってきた。
そして、更に南下し、ロシオ広場を抜け東に歩くと、鳩が群がるドン・ジョ
アン一世の騎馬像が建っているフィゲイラ広場に出る。ここは、地下鉄ロ
シオ駅やバス、路面電車の要的(かなめてき)な広場だった。 12番、15番、28番の路面電車に乗ればリスボンを堪能できる。 (12番はアルファマ地区を1周。15番はフィゲイラ広場からベレン地 区へ。28番はバイロ・アルト、バイシャ、アルファマ地区へ) 乗りたい時に乗り、景色を見て降りたい時に降り、歩きたい時は歩きま わる。それが路面電車の活用法なのだ。なにせ、今日一日しかリスボンを 探索する楽しみはない。相棒の行動能力勘が頼りだ。相棒の閃きで撮りた い映像を追いかけて行けばいいのだった。何回も報告している通り、一度 通ったところは決して忘れない相棒は、まさに犬であった。 まず、2001年9月、初めてポルトガルに来た時に感動したサン・ジ ョルジェ城に5年ぶりに行くことにした。 (アメリカのニューヨークで起った今も忘れられない惨事、同時テロ事件 9・11があった、その11日後、厳戒態勢の空港を乗り継ぎポルトガルに やってきた。2001年の初紀行でポルトガルの虜になり、2002年・ 2003年・2004年・2006年と5回に渡り〔一日二万歩ポルトガ ル歩け歩け紀行〕を続けて来たが、今回は明日で終りだった) 12番の路面電車に乗った。
アルファマ地区にあるサン・ジョルジェ城に行くには便利だ。歩いても
40分ほどで行けるが、石畳の坂道を登りっぱなしが辛い。でも、5分も
乗らずにコンセイサオン通りで相棒の『ポー、降りるよ!』の一言で、ひ
ょいと降りた。車窓風景に、何かを見つけたに違いない。
コンセイサオン通りはバイシャ地区の中心地で、いつも賑わう繁華街だ。
28番も走る朝の路面電車のラッシュ時だった。車体一面に広告文字を
着飾った色とりどりの路面電車がわっせわっせとやって来る。相棒のシャ
ッターは鳴り続けていた。 「けいの豆日記ノート」 石畳の坂道に延びる線路際の狭い狭い歩道を歩いた。この先には、サン
ト・アントニオ教会があり、その先にリスボンの大聖堂であるカテドラルがある。
カテドラルは、1147年の建造で、砦みたいな頑固な造りだ。177
5年のリスボン大地震にもガンと崩れることなく生き延びたカテドラルだ
ったと聞いている。その風格がいい。頑強な鎧をさりげなく身につけた貴
公子然とした騎士にも見える。 《サン・ジョルジェ城に行く》 路面電車を乗りまくるチケットを買ったのに、乗ったのはたった5分。
撮影をしながら急坂を歩いてきてしまった。乗り物に乗っていては、撮影
はできない。歩くからこそ、被写体との出会いが待っている。
28番路面電車が走るカテドラルからサン・ジョルジェ城に向かった。
5年振りの石畳の坂道を登る。ポーには記憶のない石畳だったが、相棒
はわが庭のように、ひょいひょいと雌鶏のように足早に登って行く。
写真家の記憶力に唖然だった。地理的勘は、脳のどこら辺に入っている
のだろう。それが不思議だとポーは思いながら、相棒の後をヒヨコのよう
に追いかけた。ちりひとつ落ちていない石畳の坂道には、何軒ものポスト
カード売りの店が並んでいたが、観光客はいない。 高台にあるサン・ジョルジェ城から5年前、初めて見た時、リスボンの
情景にポーは身震いするほど歓喜した。眼下に飛び込んできた視界一面は
オレンジと白の花畑のようだった。オレンジの屋根瓦と白い壁が紺碧の空
の下に広がり、絵本を眺めているような心地よさだ。
首都リスボンは海に面しているとばかり思っていたが、広い広い川であ
った。テージョ川だと知る。しかし、目の当たりにする川は、海のように
思える。大きなタンカーが上手(かみて)先にある大西洋に流れていくよ
うに見えた。 「けいの豆日記ノート」 《ポルトガルの大航海時代》 ここでちょっと、ポルトガルが生き抜いていく術とした大航海時代の活
路を、ポー思考でまとめて置きたいと思う。
大航海時代の基礎を築いてきたのは、ポルトガルの国王ジョアン一世の
息子エンリケ航海王子だ。エンリケが海洋に活路をと考えたのは、125
4年ヴェネチア生まれのマルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」だと聞く。
国の二面を海に面した小さな国が生き抜いていくには、海に出ていくし
か活路はないとエリケンは考えたに違いない。 【ポー的な年表にまとめると・・・】 (1271年、マルコ・ポーロが東方旅行に旅立つ)1415年、エンリケ航海王子の航海時代が始まる。 1492年、コロンブスの新大陸発見。 1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見。 1500年、カブラルがブラジルに着く。 (その後、ポルトガル語の植民地になる。だから、ブラジルはポルトガル語だ) 1510年、インドのゴアを征服。 1511年、マラッカを征服。 1518年、セイロンを征服。 (1519年、マゼランの世界周航) 1543年、種子島に漂着。鉄砲伝来。 1549年、鹿児島にフランシスコ・ザビエル来航。 1569年、宣教師ルイスが織田信長に謁見(えっけん)。 (2006年、相棒とポーが、5度目のリスボンにいた) こうしたポー的年表にしてみると、マルコ・ポーロの「東方見聞録」が
いかに長い年月、当時の世代に大きな影響と夢を与え、航路でチパングへ
の旅に出た男達の夢物語が、偶然の機会を得てその地その地にたどり着き、
勝ち得た業績をもとにポルトガルは富と繁栄を得、そして、エンリケ航海
王子の夢が初めて日本と結びついたか。何と長い歳月が流れ去って行った
航海王子の夢実現物語であったか。エンリケ航海王子の業績の夢をこんな
に凝縮してしまうのは、はなはだ失礼な気持ちである。
しかし、エンリケ航海王子の夢があったこそ、日本の4分の1の大きさ
しかないポルトガルが海に活路を見出し、世界史に残る富を得て繁栄した
時代を築き上げたのだ。 初めてポルトガルの地を両足で踏みしめてから5年後の今、眼下にポル
トガルの首都リスボンの景観があった。
その景観は5年前に感知した時より薄らいで見えるはずだったが、太陽
を浴びて輝くオレンジの屋根と白い壁、それに緑色のパステルで幅広に引
いたような帯状のテージョ川先端が、紺碧の空に溶けていく。しばらく眺
めていても、少しも飽きない素敵な情景だった。 「けいの豆日記ノート」 《再度、サン・ジョルジェ城から》 テージョ川から目線を下げたらすぐ前にフィゲイラ広場が見えた。さっ き切符を買った黄色い小屋のカリスとドン・ジョアン一世の騎馬像がある フィゲイラ広場だ。その広場は大きな建物で囲まれた正方形に近い広場だ と初めて知った。この広場に200人以上の肌の黒い人々が集まり、黒人 歌手がポルトガルの艶歌ファドみたいな旋律で歌い込むアフリカの民謡を 聞き入る集団が燃えていた。偶然にその場に遭遇した日本人が、平然とま じってカメラのシャッターを押し続けていたのは、2年前の5月5日の昼 下がりだったことをポーは思い出す。広場は、太陽が照りそそぐ青空の下 の、市民のステージだった。あの熱気が今も、伝わって忘れられない。 城の広場で子供たちの黄色い声が響いてきた。
20人ほどの小学生の一団がいた。その中心に宝塚歌劇団のような2人
の女性が子供たちの輪の中で朗々と演じているのに遭遇した。
この城の成り立ちの歴史を、演劇調で説明しているようだった。
中世の衣装を着た2人の女性は先生ではなく、団体客を案内するこの城
の職員なのかも知れない。 「けいの豆日記ノート」 《路地裏の小さなレストラン》 2時を過ぎていた。城からの石畳の坂道を下り、路地を曲がったところ
に小さなレストラン(食堂)があった。店の中は狭く目もとのきれいな婦
人が迎えてくれた。10人も入ればいっぱいの店内だ。
イワシの塩焼きを一皿、サグレスビールとファンタを頼む。5ユーロの
昼食だった。
狭い厨房で婦人がイワシを焼く姿を相棒が撮らせてもらう。 「けいの豆日記ノート」 《15番に乗って、ベレン地区》 フィゲイラ広場に戻り、15番の路面電車に乗ってテージョ川沿いを6
キロほど大西洋に向かうと、30分ほどで大航海時代の名残を楽しめるベ
レン地区に着く。路面電車の中は観光客であふれ、英語・スペイン語・フ
ランス語などが飛び交い、聞き分けができない発音の言葉も重なり賑やか
な車中であった。日本語は相棒とのふたりだけ。肩身の狭い会話を交わす。
車窓に長く連なる大理石の美しい建物が飛び込んできた。ジェロニモス
修道院だ。3回目のご対面だった。相変わらず美しく尊厳に満ちていた。 〔ジェロニモス修道院〕は〈世界遺産〉である。
エンリケ航海王子の偉業を記してマヌエル1世が1502年に着工し、
その後100年以上もかけ建立した大航海時代の栄華を象徴する修道院だ。
外観はポルトガルで発掘された大理石を使用。ポルトガルは大理石の産
地としても名高い。大理石を砕いて石畳に敷き詰めた街もある。
(リスボンから西に150km程行ったヴィラ・ヴィソーザからボルバの間
に、今も大理石を発掘する地帯がある。2008年6月に行く。《200
8年版紀行》で紹介します) その南門が、午後4時過ぎの斜めに差し込む陽射しに浮かんでいた。
5年前と同じように、相棒と南門の前で立ち尽くす。何度見ても、この
門は旅人の心を癒してくれる。石に彫り込まれた繊細な線が力強く、美し
く迫る。その入り口の上部にはエンリケ航海王子像が20体ほどのキリス
ト騎士団像に囲まれて立っている。
南門の左手にジェロニモス修道院の入り口があり、閉館30分前だと入
場できたが相棒は見送った。空の様子を観察していたポーが断言したから
だ。〈今日は、夕焼けになる!〉と。 「けいの豆日記ノート」 ジェロニモス修道院の前は広々とした広場があり、その先に海みたいな
広いテージョ川が上手にある大西洋に流れている。その川岸に〔発見のモニ
ュメント〕がある。モニュメントは毛嫌いしていたので見る気もしなかった
が、夕焼けになるはずまでを使って立ち寄ってみることにした。
高さ52メートルの帆船の船首に像が立ち並び、今にも大海原に乗り出
そうとするようなモチーフであった。改めてガイド本を立ち読みだ。 「けいの豆日記ノート」 太陽がだいぶ傾き、青い雲に微かに色がつき始めたとき、夕焼けを確信
した。その時だ、急に腹が痛くなり、トイレが欲しくなった。モニュメン
トから下流900メートルほどにある〈世界遺産〉の〔ベレンの塔〕に向か
っていた。ポーは唸った。先に行くよ、と尻の穴しめてベレンの塔の近く
にあった筈のレストランを思い出し、小走りで急いだ。 夕焼けになる、という確信が現実となった。
岩礁に建てられた〔ベレンの塔〕はL字型の要塞だった。目的は船の出入
りを監視するためであり、また大海に出た疲れ果てた船乗りを出迎える心
のオアシスでもあったようで、16世紀初めにジェロニモス修道院建立の
間に建てられたと聞く。L字の縦が6階建てになっていて川側の壁には砲
台があり火砲のための穴もあいている。大きな要塞ではないけれど、修道
院と同じ設計者かどうかは知らないが、要塞にしては優しさと気品みたい
なものを感じる。 「けいの豆日記ノート」 設計者は、季節季節の夕焼け角度を計算して 建てたに違いない、とポーは思った。 5回目の「愛しのポルトガル紀行」帰国前日に、神様がちょっとばかし 奮発してくれたプレゼントであったかも知れない。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 |
掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
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☆ リスボンシリーズです ☆
リスボン1
・リスボン2
・リスボン3
・リスボン4
・リスボン5
・リスボン6
・リスボン7
・リスボン8
・リスボン9
・リスボン10
・リスボン11
・リスボン12
・リスボン13
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