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(人気の坂下り・モンテ)
Portugal Photo Gallery --- Monte
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フンシャルの市場
≪マデイラ島の地図≫ |
☆モンテの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
19世紀の後半にヨーロッパ大陸から観光客船の寄港客を目当てに始まり、
上流階級の観光のメッカとしてマデイラが浮上した時代に造られた施設である。
1939年までは歯車式の登山鉄道が乗客を運んでいた。
人気の坂下りのトボガンは、1850年頃に始まった。
世にも不思議なスリル満点の乗り物である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 人気の坂下りのモンテ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2006紀行文・17≫ 《めぐみがいっぱい ラヴラドーレス市場に行く》 「ケイコ、ボンディーア!(おはよう!)」とミラおじさんが放つ笑顔の 挨拶から11月4日(土)の朝が始まった。朝7時のモーニングに1階の 食堂に下りていくと、ミラおじさんは里帰りで来た娘を迎えたような嬉し さだった。焼き立てのパンにコーヒーとオレンジジュース、それにスクラ ンブルエッグが待っていた。簡素な朝食だったが宿泊費からすれば卵料理 はミラおじさんのサービスであろう。(宿泊にはモーニングが付いている が、今まで泊まった宿では卵料理はなかった。安宿しか泊まらなかったか らなあ) ポーは卵が大好き人間だ。特に〈湯で卵〉は6個はいける。小学生の遠
足で湯で卵を食べる同級生には嫉妬した。あの頃は、嫉妬する仲間も多か
った時代だった。何時か〈湯で卵〉を腹いっぱい食べてみたいと思い続け
た時代をポーは生きてきた。そう言えば、ポルトガルに5回も来ているの
に〈湯で卵〉を見たことがない。 「けいの豆日記ノート」 今日もミラおじさんの笑顔に送られ、宿を出た。 朝一番に向かった先は、この町の市民の日常生活を支えるラヴラドーレ ス市場だった。宿から石畳の坂道を下っていくと、あのカフェのおばあさ んが戸口の椅子に座り 「ボンディーア!」と声をかけてきた。 『おはよーう!』と相棒が応えた。おばあさんの顔が笑顔で弾ける。ポ ーより相棒に応えてもらえ、嬉しそうな皺の顔だった。 ラヴラドーレス市場には300mほどで着く。この辺が町の中心地と錯 覚するほど、午前9時前だというのに人々で賑わっていた。中に入ると色 鮮やかな伝統衣裳を着た花売りおばさん達が沢山の花々に囲まれ迎えてく れる。見たこともない花々からは、まさに南国の香りが漂ってきた。 衣裳が似合うおばさんに聞くと、島に咲く花やアフリカ産、インド産、 南米産の花々が一年中あふれているという。11月の今がこれだ。夏場な らもっと凄いだろうと思う。 花売り場の隣りからは果物と野菜売り場が延々と連なっていた。大粒の
栗、胡桃、青いみかんに黄色のみかん、真っ赤な林檎、葡萄、マデイラ産
のバナナの他、知らない名前の果物がどの売り場も綺麗に並べられ、まる
で絵画を見ているような美しさ。この市場は2階建てになっていて、果物
売り場だけでも50店舗はあるだろうか。果物の香りでむせ返るほどであ
った。 市場の奥に魚売り場の店舗が並び、蛸や烏賊、黒い太刀魚、鰹、鮪の大
きな切り身、鯵に平目、海老などが売られ、日本の魚屋と変わらない。
肉売り場には、ニワトリが1羽ずつ羽根をもぎ取られ、ピラミット状に
山積みされ、牛も豚もマトンも大きな切り身売りだった。 「けいの豆日記ノート」 《マデイラ名物トボガンを見にモンテに行く》 モンテの町に行くにはロープウエイが便利だとトリズモ(観光案内所)
のあの美女に昨日聞いていたので、海岸にあるアルミランテ公園からモン
テまでを結ぶロープウエイ乗り場に行ったが、乗るのをやめた。
片道9.5ユーロ(1520円)もしたからだ。 「けいの豆日記ノート」 北方およそ8kmの丘の中腹にある町〈モンテ〉に向かってバスは狭い
坂道をこつこつと登って行く。早く走ることはない。こつこつがいい。そ
れだけ景色を堪能できるからだ。白い壁にオレンジの屋根をのせた民家が
続き、一人また一人と市場で買い物をしたお年寄り達が重そうな袋を肩に
降りていく。毎朝の生活パターンなのだろう。運転手のおじさんと会話を
し、ひとつ小さな笑みを交わしたおばあさんが降りたところはバス停では
なくおばあさんの家の前だった。その光景にポーの心はとろけた。住んで
みたいと素直に思った。運転手と市民の生活の香りがいい。観光できてい
る身だが毎日の生活を垣間見る嬉しさだった。相棒のカメラが嬉々として
鳴っていた。 乗車してから40分後、バスは森の中で止まった。
小さな広場にバス停があり5人降りていく。乗客はまだ15人は乗って
いた。勿論、相棒とポーもだ。その時だった。運転手が言った。 「けいの豆日記ノート」 トリズモでもらった資料によると、モンテ山頂の高級別荘は19世紀後 半にヨーロッパの金持ち達が観光客船でやってきて建てた別荘地帯だとい う。その白い建物が斜面に重なり、太陽に当り輝いていた。 バス停の脇に観光客目当ての露天の店がひとつあり、おじさんと5才位 の少年が先客に声をかけている。その光景に相棒の目は、写真家だった。 しかし、売れる気配がない。色鮮やかな刺繍の風変わりな帽子がいっぱ い板の上に並べられているが、買っても即かぶって歩く勇気はわかない。 狭い広場にタクシーが2台、観光バスが1台入ってきた。タクシーの客
は4人、観光バスの客は数えたら13人だった。
観光バスの乗客はバスツアー客だ。この観光バスツアーも考えていたが
相棒から簡単に却下された。理由は、料金が高い、それだけだった。 両脇に鐘搭があり、中央に十字架を乗せたなで肩の屋根が挟まれ、その
下に祭壇状の囲みの中にマリアに抱かれたキリストの子供像が白い石で彫
られ浮かび、その下に5つの窓。そのひさしは半円山形半円山形半円と窓
を飾る。その下にアーチが3つ。その中央奥に門扉がある。小ぶりの教会
だった。1470年建立だ。8月15日の例祭には教会の前にある74段
の石段の階段を膝折で祈りながら登る信者で賑わうという。 「けいの豆日記ノート」 《ランチにありつける》 教会の近くにあるレストランに入った。意外と客が多く3階まで登らさ
れた。相棒が頼んだのは、牛串1人前(8.85)ビール(2.0)スプライ
ト(1.65)計12.50ユーロ(2000円)。ふたりにとっては豪華な
昼食だ。牛串は大きな皿に焼いた牛肉の塊(かたまり)が5つ、山盛りの
ポテトフライにレタスとトマト。肉はやわらかく胡椒のかけ具合がいい。
美味い。冷えたビールが咽喉を鳴らす。 食事後、北海道から来たという夫婦に会った。フランスに住んでいると いう娘さんとその旦那さんに息子も一緒だった。マデイラ島で日本人に会 えるとは思わなかったとヨーロッパの旅を毎年続けているというサングラ スに赤シャツのご主人がにこやかに言った。裕福さが伝わってきた。記念 写真を撮り合い別れた。 相棒が言った。 「けいの豆日記ノート」 《トボガンの災い》 ふと、相棒が気になって3階の窓から眼下を見た。白い上下の服装に 〈MADEIRA〉と刺繍した帯を巻きつけたカンカン帽を被った青年た ちが20人ほど固まって見えた。その先に坂道があり、そこから乗り物に 客を乗せて白い服装のカンカン帽が対になって出発していくのが、見えた のだった。 ポーの頭の中で電球がひとつポッと灯った。
即、3階からポーは駆け下りていた。目の前から老夫婦を乗せた二人乗
りのソリ状の乗り物が坂道を下って行った。 乗り物のソリは質素だ。ツルで編んだバスケットの簡素な乗り物だった。 モンテの高級別荘地にある狭くて急勾配な生活道路を走り下って行くのだ。 当然、人も歩けば車も走る。ツル製のバスケットにはブレーキも舵もつい ていない。舵はカンカン帽2人の体重移動であり、ブレーキは2人の靴底 だった。19世紀中頃から始まったという《トボガン》だが今まで続いて いるから人身事故はなかったのだろう。でも、無謀な乗り物だ。 相棒が帰ってくるまでポーは、出発点から15mほどの所でトボガンが
下ってくる「キャー!」を待っていた。次々に滑り落ちては来ない。
観光シーズンの夏場だと引っ切り無しに滑り降りてくるのだろうが11
月のオフシーズンだ。観光客は少なかった。 痛さが、頭のてっぺんまで響き疼いた。その時、坂の上に相棒の姿が
あった。駆け下って行く《トボガン》をカメラで追っていた。ポーの状
況など知るよしもない。 「けいの豆日記ノート」 《モンテの急坂はつらい》 ふたりで、トボガンを追って急坂を下る。ぴかぴかに坂道の中央部が 光っていた。それは、何百万回とトボガンが歓喜の観光客を乗せて擦り 下った歴史の証だった。 狭い急坂の両脇は、高級別荘の建物が緑のふかふかとした木々に覆われ、
長閑に南国の太陽に包まれていた。 2kmも下ってきた所にトラックが
待っていた。そこが、トボガンの終点だった。タクシーも5台待機して
いる。トボガンで来た客はタクシーで戻り、トボガンはトラックに積まれ
出発点に戻る仕組みだ。ここまで1時間撮影しながら下ってきた。そし
て、更に4kmフンシャルの町まで2時間半かけて急坂を撮影しながら
降りた。 「けいの豆日記ノート」 フンシャルのスーパーで相棒が切り傷の薬液オキシドールを0.42
ユーロ(67円)で買って来た。その店先でタオルをはいでドクドクと切
り傷に惜しげもなく振りかけた。「ギャー!」と沁み込む痛さに絶叫だ。
通行人が振りかえった。切り傷が泡を吹いて白く広がる。ジュワジュワ
と腕が噴火するような音がした。『辛抱、辛抱!』相棒が吐く。適切な
言葉だった。頑張れ、頑張れ!の言葉は、ポーは好きでなかったからだ。 「けいの豆日記ノート」 予備のカメラを持って来ていたのが救いだった。 今日は3っの『ギャ−!』を聞いた。 トボガンを楽しむ観光客の歓喜の雄叫び、切り傷にかけられたオキシ ドールの沁みこむ痛さに放ったポーの雄叫び、それにカメラ落下の瞬間 を目撃した相棒の悲壮の雄叫びであった。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年2月掲載 |
掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
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