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(アルトドウロの起点・レグア2)
Portugal Photo Gallery --- Regua 2

ペソ・ダ・レグア19
レグア駅

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レグア駅構内

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線路

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蒸気機関車

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こわれた屋根

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列車型バス

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小雨もよう

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坂道

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倉庫

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アズレージョ

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朝の仕事

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階段

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長い階段

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夜のドウロ川

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晴れ間

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学会

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バス停

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帰り時間

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写メール

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駅のカフェ

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ろうそく

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ペンサオン

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ベランダから

ペソ・ダ・レグア48
向かいのホテル

☆レグアの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、東へ約100kmの場所に位置するレグア。(ペソ・ダ・レグアとも呼ばれる)
ドウロ川上流地域を巡る際の基点として便利な町である。
ポートワインのの集積所として古くから発展してきたアルト・ドウロ地域の中心地である。
夏シーズンには、クルーズ船や蒸気機関車も運航されている。
ラメーゴ行きのバスもレグアから発着している。

「ポー君の旅日記」 ☆ アルトドウロの基点・レグア ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・4≫   === 第二章●ドウロ川上流アルト・ドウロ地帯を行くA === 

          《アルト・ドウロの中心地 レグア》

 スペインに近い終着駅ポシ−ニョから1時間半ばかりでレグア駅に戻っ てきた。
 10月24日(火)午後3時10分だった。 レグアには2年前の4月20日にちょぴり寄っていた。 ドウロ渓谷の南にある標高605mの丘の上に建つノッサ・セニョーラ・ ドス・レメデイオス教会で名高いラメ−ゴの町からバスに乗って来て、レグ ア駅から列車でポルトに帰る2時間半ばかりの急ぎ散策をした町であった。 散策後、もう一度このアルト・ドウロの中心地レグアに来たいねと相棒が 吐いてから2年がたっていた。
 今回のポルトからアルト・ドウロ地帯を旅する町は《ポルトから、レグア →ピニャオン→トウア→ポシーニョ》だった。

 そのレグア駅舎から出た。 ポーには初めて見る光景に感じた。2年前に見たはずの風景は、何処かに 飛んでいた。記憶の隅っこにも残っていなかった。 覚えているのは、食堂風レストランで飲んだ自家製赤ワインの美味さだ。
 コップ1杯100円の旨さに痺れ、おかわりした記憶がよみがえる。 それと少年2人と教会前の石畳でメンコをしたのを思い出した。

「けいの豆日記ノート」
 前回の旅で、ラメーゴから、バスでレグアまできた。 ラメーゴの行きのように、ヴィア・レアラで乗り換えでポルトまでバスで行く方法もあった。 でも、ドウロ川沿いの列車に乗ってみたかったので、レグアで乗り換えにした。 列車の待ち時間の2時間だけ、街中を散策した。 昼食も食べなくてはならないので、時間がなかった。 ガイド本にも出ていない町だったので、単なる乗換え地点だと思っていた。 日本に帰ってからポートワインを調べてみると産地であることがわかった。 少ししか見なかったことを残念に思い、また訪れてみたかった。

          《レグアの町並み》

 相棒は予約してある宿レシデンシャル・インペリオを捜す。 聞くのが早いというのがポー持論。自分で捜すのが相棒持論。でも、こ の時は素直に駅舎前にいたポリスに相棒が聞いた。 指差された目の前に宿はあった。駅舎から10mもなかった。 ポリスも笑ったが相棒も笑って、オブリガーダ!と照れ〈折り鶴〉を渡 した。ポリスは一瞬驚いたが笑顔で受け取ってくれた。
 宿の入り口を入るとすぐに小さなフロントがあり、おばさんが微笑んで 迎えてくれた。日本から予約FAXをしてあるKEIKOだという相棒の 一言で笑顔がもっと弾けた。日本客が珍しいようだった。 212号室のキーを渡された。3階の奥だった。こちらでは日本の3階 が2階だった。だからキーナンバーは212。(日本の1階は0階なのだ)

 荷を解き町に飛び出すまで10分もかからなかった。 相棒がおばさんにトリズモ(観光案内所)の場所を聞いた。レグアの地 図と資料をもらいたいからだ。彼女は、すぐそこよと、指差した。 折りたたみ傘は必需品だ。相棒は忘れなかった。早速、青い傘が開かれ た。ぱらぱら雨粒が舞って来たからだ。

 レグアはポルトガル北部地方にある第二都市ポルトから東におよそ10 0km。古くからポートワインの原酒集積所として発展し、アルト・ドウロ の中心地となっていた。  そのレグアの町は決して大きな町ではないと後で知った。 レグア駅を出ると正面にドウロ川とメイン道路が東西に走っている。東 に向かうと川沿いに大きなホテルが建ち並び、道を隔てて町並みが急斜面 状にはいあがっていた。 相棒は宿の裏手、斜面側にある旧市街の狭い商店街の道を選んだ。 写真館や小さなスパー、衣類、レストラン、雑貨や、住宅などがぎっし り詰まって建ち並んでいる。その小雨で光る石畳の道を青い傘が踊って軽 やかだ。

 こじんまりとした市場に出た。 大粒の栗が山盛りで艶やかに美味そうだ。オレンジに林檎、葡萄に柿も 食べ頃。それに黄・オレンジ・白・紫色の菊が市場の半分を占めていた。 ポルトガルでも10月の下旬が菊の最盛期だと知った。 しかも、ご婦人方が両手に抱えきれないほどの菊を買って行く。 その情景に驚いた。そして嬉しかった。 嬉しく思ったのは、名古屋の自宅の狭い庭で、92歳になる母が丹精込 めて作り続けている20種類の菊が庭いっぱいに咲き乱れる景観がふっと ポーの脳裏に浮かんできたからだった。

「けいの豆日記ノート」
 ガイド本に載っていない町だったので、地図がなかった。 ペンサオンの住所はあったが、わかるわけがない。 なので、聞いたほうが早いと思ったのだが、目の前だったとは。 こういうときは、笑うしかない。 笑ってごまかすのも友好的にはいいかもしれない。

          《すぐそこって・・・》

 4時を過ぎていた。市場を出ると小雨は消えていた。それにねずみ色の 雲がちぎれ始めた。 ポーは青い折りたたみ傘を丁寧に折り目を揃えてたたみ、先を急ぐ相棒 のリュックに背後から止まれと声をかけ収めたその時だった。
 『あった−!』 相棒が叫ぶ。トリズモだった。すぐそこよ、とあのおばさんが言ったが 歩いて15分もかかり偶然見つけた。《すぐそこ》は15分もかかる距離 であった。市場で撮影していた30分程を除いた時間だ。 今までお世話になってきたトリズモの中でも最小であったが、係りの女 性は美人であった。トリズモの女性は何処の町に行っても美人が多い。

 右手の急斜面の坂道を登った。レグアの町の俯瞰(ふかん)を撮りたい からと相棒が吐いたからだ。もしかしたら町並み越しの夕焼けを期待して いたのかも知れない。相棒の描く世界がわからないポーではなかったが、 そんな願望が叶わない空模様ではあった。 大きな病院に出た。葉っぱが手のひらみたいな楓(かえで)が黄色に紅 葉して並木になっている公園が展望台だった。相棒の望んでいた俯瞰の町 並みとドウロ川の風景が眼下に広がっている。 右手に広がる景色の中に雲の割れ目から太陽が差し込んできた。神秘的 な景観に相棒の押すシャター音が響き心地いい。ドウロ川の水面が逆光で 輝いていた。 左側の俯瞰には鉄道の線路が鈍く輝き、その先に町とドウロ川をまたが る大きな長いコンクリートの橋が斜陽で白く浮かび上がっていた。

「けいの豆日記ノート」
 トリズモまで、遠かったが、町を散策できて、よかったのかもしれない。 シーズンでもない時期だから、訪れる観光客は少ないのだと思う。 暇だからこそ、より親切にしてくれるのかもしれない。
 以前に来た時はドウロ川沿いの道を歩いた。 なので、今回は、違う道を行きたかった。 山のほうに行って見た。 どこの町に行っても高いところに登ってみる。 違った景色が見えるものだ。 天気がいまいちで、空がグレーだ。 青空だと、同じ景色でもすてきに見えるのに。 雨が降らないだけでもラッキーと思わなくてはね。

          《急な長い階段》

 45度もあろうかと思う急な足元もすくむほどの狭い石段を下る。 登るのは早足の相棒だったが、下りは苦手であった。原因は足の長さで はない。近眼のためだと本人の証言がある。(間違いありません!) 登って来る白髪のおばあちゃんに会った。眼が合うと皺の中に優しい瞳 があり、可愛い顔が小さく会釈してくれた。そして、買い物の荷物を腕に 下げ、ひょいひょいと軽快に老いた足取りとは思えぬ速さで急勾配の石段 を登って行った。 毎日買い物をするためのスキージャンプ台みたいな石段は、おばあちゃ んの通い道のようだ。何十年も通い続けているに違いない。 振り向くと登っていくおばあちゃんの履物の底がリズミカルに見えた。

 急斜面の石段を降りた先に、あの旧市街の商店街があった。 すぐ目の前あったスーパーに抵抗なくすんなりと相棒が消えていった。 常食の〈相棒サラダ〉の素材を買い、1.4ユーロ(210円)の赤ワイン ひとビンを買った。 宿に戻りワインのコルク抜きに困る。部屋にワインコルク抜き器がない。 当然、コルクが抜けないと飲めない。
 ポーはフロントに駆け下りた。おばさんがおじさんに変わっていた。コ ルク抜きはないかとワインのビンを片手にポーは聞く。ないとフロント越 しに50代の髯男が冷たく突き放してきた。抜かないと夕食が始まらない。 日本から持ってきたキューピーマヨネーズがたっぷりかかった〈相棒サラ ダ〉が待っているのだ。

「けいの豆日記ノート」
 スーパーマーケットはどこの町にもある。 外観では、店らしくないので、目立たない。 近くにいってドアを開けるとスーパーだったというところが多い。 個人の店ならなおさらで、普通の家なのか店なのか、よくわからない。 最近は、郊外の大型スーパーができている。 さすがに、大型ともなるとスーパーらしいが。
 言葉がわからないものにとって、現物を見て買えるということは、うれしいことだ。 それに値段が書いてあるし。 たくさんのものと比べることができる。 レシートがもらえるので、正確な値段が記録できる。 貧乏な旅にとって、安いものを探すことが大事である。

          《安ワインのコルク栓》

 髯男は外にポーを連れ出し川沿いのカフェを指差した。 あそこで抜いてもらえと指示した。そう言っているのだとポーは判断し た。感性で瞬時を生きるのみだ。ポーは覚悟した。 ワインビンを片手に握り締めメイン道路を渡りドウロ川沿いのカフェに 向かった。 この展開に抵抗なくポーは素直だった。ただワインを飲みたいだけだ。 破れかぶれの行動であった。 店に入るとフットボール(サッカー)のテレビ画面を見ていた5人の男 達がいっせいに振り向く。見知らぬ常連客でもない男がワインビンを下げ て恐る恐る入ってきた異様な姿に敵意を感じたに違いなかった。 ポーは一瞬足がすくんだ。 でも、ここまで来て後ずさりは出来ない。コルクを抜いてもらいたいそ の一心だけだった。 カウンターの中年マスターに近ずきワインビンを差し出した。
 あそこに見えるホテルのフロント係に、ここでコルクを抜いてもらえと 聞いて来たとジェスチャーを交え必死に訴えた。 中年マスターは安ワインのビンを覗いた。ポートワイン産地のど真ん中 で安ワインを差し出したことにポーは急に恥ずかしさを感じ、打ちのめさ れた。恥ずかしさで帰りたくなった。 でも、彼はその安ワインに微笑んでくれた。 器用にポンと抜いたコルクを逆にしてビンの口にさし込んだ。 そして「ジャポネーズ!」と聞いてきた。「sim!(はい!)」と答え 「クァント?(いくら?)」と聞くと「ナォン(いいよ)」と首を振って ニッコと笑った。口髭が微笑みで曲った。
 「オブリガード!ありがとう!」を連発してポーは嬉々として店を出た。 ヘッドライトの車をよけてメイン道路を渡り、部屋に戻った。 〈相棒サラダ〉が待っていた。信じられないほど安い赤ワインをひとビン 飲んだ。苦労した赤ワインは格別の味だったことは言うまでもない。
 列車の旅の一日だったが、万歩計は13338歩も歩いていた。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2008年2月掲載

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