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(ドウロ川の終着駅・ポシーニョ)
Portugal Photo Gallery --- Pocinho

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ポシーニョ駅

駐車スペース

途中の駅



標識

倉庫

荷物置き場



構内のオブジェ

出迎え

休日



オリーブ畑

ドウロ川

ドウロ川クルーズ



ドウロ川上流

茶色の水

岩はだ

☆ポシーニョの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
全長925km、スペインに源を発するドウロ川。
ポルトガル北部の山岳地帯をゆったりと流れ、ポルトを経て大西洋に注ぐ。
アルト・ドウロと呼ばれるドウロ川上流地域は世界に誇るポートワインの産地である。
川沿いには、山の斜面を利用したブドウの段々畑が広がっている。
伝統的なワインの製造方法も、2001年に世界遺産として登録されている。
ポシーニョは、ドウロ川沿いを走る鉄道の終着駅である。

「ポー君の旅日記」 ☆ ドウロ川の終着駅・ポシーニョ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・3≫   === 第二章●ドウロ川上流アルト・ドウロ地帯を行く@ === 

            《今回の旅の五箇条》

 ポルトガルの北部にある第二都市ポルト。 人口30万人ほどのこの町には隣国スペインを源にする全長925km のドウロ川が流れ大西洋に注いでいる。14世紀から15世紀には海外進 出の拠点として栄えポルトガルの中心でもあった。 また上流のドウロ渓谷はポートワインの産地であり、ドウロ川を使って 産地からのワイン原酒をラベ−ロ(帆船)で運搬し、この地であのポート ワインを生産してきたという。
 ポルトガル5回目の、今回の旅には五つの目的があった。 ポルトに28年間主婦として住んでいる日本人YUKOさんに会うこと。 大学の町コインブラの再取材とローマ帝国の都市だったコニンブリガ遺跡 探索。アフリカ大陸に近いポルトガル領マデイラ島探訪。そして、ドウロ 川上流の散策であった。

 今にも小雨が降りそうな10月24日(火)の朝、8時からのモーニン グで食堂に一番乗したとき相棒の顔色が良くないことに気づく。聞くと、 頭と腹が痛いとボソッと吐く。無理するなと言うと、平気平気と皿に5切 れもメロンをのせて席に着いた。熱があるのか冷たいメロンをたいらげた が、直後すくと席を立った。
 40人収容の食堂には3人しか客はいない。観光客もない時期なのだ。 2年前に来た時もいたモーニング係りの主みたいなおばちゃんが立ち去っ た相棒の姿を変わらぬ無愛想な目で追ったのをポーは見た。
 そして、おばちゃんが小走りに近ずき「エストーマゴ(腹痛)?」と心配気に聞いてきた。 そして2年前別れ際に相棒が〈折り鶴〉を『毎朝ありがとう!』と渡し たのを覚えていてくれたことも知った。 そんなおばちゃんに、ポーは人の情けを感じ嬉しかった。 相棒が『吐いたよッ』と戻ってきた。 旅の予定を一日延ばそうかと聞くと、薬を呑んできたから大丈夫だと答えた。
 「我慢強さは知ってるが無理だけはするなよ」『判ってる』
 相棒の返答でポーは予定を決断した。  サン・ベント駅9時15分発の列車でドウロ川上流の終点ポシーニョに 行きアルト・ドウロ地帯で2泊するので、旅行バック二つを宿に預けた。

「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルにいって、痩せて帰ってきたことはない。 貧乏旅行のため、質素な食事しかしていないというのに、太って帰ってくる。 なぜなのか・・・  朝食の食べすぎかもしれない。 なんといっても、朝食はサービスだから。 バターにジャムをたっぷりと塗って食べるのがおいしい。 でもそれでは、カロリー取り過ぎだと思い、今回から、ジャムはやめにした。 ジャムくらいじゃ、あんまりかわりないかな。

          《サン・ベント駅を発つ》

 ポーは膨らんだリュックを背に予備カメラと40本のフィルムなどを入 れた中型コロ付きバックを転がし、相棒は軽めのリュックを背負い重いカ メラバックを肩にかけ小旅行撮影スタイルで宿を出た。 宿と目と鼻の先にあるサン・ベント駅はポルトの玄関口と言われ、20 世紀初め修道院の跡地に建てられた見ごたえある始発駅だった。乗車待ち の客で混み合う構内はドーム状で天井は高く、その広い壁面にはポルトに まつわる歴史がアズレージョ(タイル画)で描かれ飾られている。まるで アズレージョの美術館のようだった。
 相棒は辛そうにその構内を横切り、乗車券売り場に向かう。 スペイン国境に近いガイド本にも載っていない終点の駅ポシーニョに行 くことにしていたが、乗車券売り場で相棒は考えた。そして今日の宿泊を 予約してあるレグア駅までを買った。終点まで買って身体の調子が直らな かったら運賃が[もったいない]からだと相棒は言った。
 車内はゆっとりスペース。2人席と3人席が通路を挟んで並び、それぞ れが向き合い席になっている。この季節、乗客は広い車両に5人しか乗っ ていなかった。
 3人席に相棒はリュックを枕に寝そべった。顔色が白っぽく息も辛そう で代われるものなら代わってあげたいと思い、ポーは寝顔を眺めていた。 ガタンと音がして、定刻9時15分に列車は動き出した。

 ポーがかけてやった赤い雨具コートに包まれ相棒は眠っていた。 熟睡はレールを刻む車輪の響きで出来なかったと思う。でも身動きもせ ず座席をベットにして目を閉じていた。  車窓にはドウロ川岸に道が走りポルト市内に向かう車が渋滞状態で連な っているのが見える。郊外のホームタウンが流れ去る。発車して15分が 過ぎていた。相棒が狭い座席で寝返りをうった。
 車窓にドウロ川が接近し延々と続いた。川幅は広々と過ぎ去る町々を包 み込むように流れ、川沿いをうねって道路が走っている。 空は灰色だったが川の流れと景観は見ていても飽きなかった。 川沿いに建つ白い教会が川を背景に眼下を走り抜けていき、収穫後の葡 萄の段々畑が対岸の斜面に天に向かって広がっている。 岩場の急斜面を開墾していった先人の苦労の歴史が感動と苦痛をくれた。
 11時12分予定通りレグア駅に着く10分前に相棒が座席からすくと 起きあがった。顔色が戻っていた。それにしても2時間近くも狭い座席で 眠って来れたものだ。それほど具合が悪かったのだと思う。 レグア発11時27分までに後車両が切り離されるため、前車両に移る。 その間に相棒は終点までの乗車券を買いに駅舎に走っていった。 発車までの15分間の判断であった。 相棒の行動思考力にいつも驚かされるポーだった。
 『薬が効いてくれた良かったよ』 終点駅ポシーニョまでのキップが2枚手の中にあった。

「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルでお腹を壊したことはない。 強靭な体ではないが、ポルトガルでは、病気になったことがない。 今回、ついたとたんの不調で、さいさきが心配だ。 どこでも寝れる特技?のため、腹痛も治ったようだ。 調子が悪いときは、寝るに限るです。  ポルトから、レグアまでは、1日10本の列車が走っている。 レグアから先のポシーニョまでは、1日5本しかない。 ポシーニョまで行ったら、帰ってこなくてはならない。 だから、1本乗りそこなうと次がない。 この列車は、見逃すことができなかった。

          《終着駅 ポシーニョに行く》

 今回のアルト・ドウロ地帯を行く旅は4ヶ所の町を散策したかった。 《ポルトから、レグア→ピニャオン→トウア→ポシーニョ》であった。  車窓にドウロ川を下ってくる大型クルーズ船が見えた。 この先のポートワイン産地の中心の町ピニャオンからポルトまで9時間 近くかけて戻っていくのだ。初めポルトからこのクルーズ船でピニャオン まで行くことも考えたが断念した。運賃に勝てなかった。列車なら11ユ ーロ(1650円)ぐらいのところを100ユーロ(15000円)ほど かかるという。船中では食事も出るし美味いワインも出るらしい。
   そのピニャオン駅を出てポシ−ニョに着いたのは12時54分。 白い外装の駅舎がポツンとある淋しい駅だった。 降りたのは相棒とポー、それに老夫婦だけだ。 夫婦には出迎えがいた。家族か親せきの者5人が抱き合って喜び合っている。 そして2台の車に乗りこみ去っていった。 小雨がぱらついてきた。相棒はリュックから折りたたみ傘を取り出した。 駅舎の前には小さな古びた食堂がひと棟あり、広めの道が何処かへ通じていた。 何もない町であった。着いた列車は50分後に発車だった。 それまで散策することにした。
 本当に何もない。 線路がまだ先に伸びている。かつてはスペインまで走っていたのかもしれない。 もう閉まることのない踏切の横に廃墟の建物が傾いて今にも崩れ落ちそうだ。 人にも会えなかった。50分間がとてつもなく長く感じた。 腹が減ってきたが食堂に入る気もおきない。リュックに傘を仕舞いなが ら相棒はゴマ煎餅を取り出し、カリカリと食べ出した。思いは同じであった。 ポーもゴマ煎餅を1枚もらう。醤油味にゴマの香りが口の中で弾けた。 それが昼食であった。

「けいの豆日記ノート」
 ドウロ川沿いの列車の終着だというので、もう少し町かと思っていた。 なんにもない駅前だった。 家族連れがいたということは、民家はあるとは思うのだが。 折り返しの帰りの列車の時間もあるし、遠くには行けない。 天気がよければ、山々の写真もいいかもしれない。 小雨もようの天気じゃなあ。

 終着駅ポシーニョからの折り返し列車には二人しか乗っていなかった。 ガランガランの列車に出会ったのは始めてだ。 二人しかいないバス経験は1回だけあったが。  出発してすぐにオリーブの木が何百本も広がる畑が車窓を飾った。 オリーブの実は油を取ったり、塩漬けにして食べる。レストランに行く と必ずパンと一緒にオリーブの塩漬けを持ってくる。只(ただ)ではない。 断らないと食べたものとして勘定に加算されているからご用心だ。
 オリーブの実をかじりながらワインを飲むのが通。だがポーはそんな経験はない。 持ってくるなり相棒が『ナォン オブリガーダ!(いらないわ!)』と お断りするからだった。

 対岸にいくつもの小山が折り重なって次々に通過していく。 どの小山もドウロ川から急斜面ではい上がり、その斜面には葡萄畑が何層も重なり合 って山のてっぺんまで続いていた。肥えた土地ではなかった。 石の畑のように見える。 夏は雨も少なく40度を越える陽射しの強いアルト・ドウロ地帯なのだ。 この過酷な条件が美味いワインを生み出す葡萄を生産する条件になっているという。 川幅が狭くなるところに岩の固まりみたいな小山が続く。その急斜面に は葡萄畑はなかったが岩にしがみつくようにオリーブの木が植えられていた。
 どうやって収穫するのかなあと相棒と話す。ドウロ川は幾重にも折り 重なって続く小山の台地をぬうように流れていた。 そんな大地で葡萄を収穫する人々の姿を見てみたいと相棒がポツリ吐いた。 その一言が印象的にポーの心に焼きつき残った。 今度来る時は収穫時だと決めた。
 雨雲の割れ目に青空が戻ってきた。 車窓にまた白い船体に青い縁取りの窓が並ぶクルーズ船が走って来た。 手を振る客が見えた。相棒が手を振り返した。 レグア駅まであと10分ほどだった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。次回をお楽しみに・・・・・・・2008年2月掲載

関連写真===≪ポルトガル写真集≫の中の今回のシリーズのポルトはこちらです
前途多難の予感ポルト4   アネゴのポルト5

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