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(サンタ・クルス & エリセイラ)
Portugal Photo Gallery --- Santa cruz & Ericeira

作家が愛した町・サンタ・クルス  Santa Ceuz

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サンタ・クルス1
サンタクルスの町

サンタ・クルス2
海の見えるカフェ

サンタ・クルス3
大西洋

サンタ・クルス4
小さな岩

サンタ・クルス5
大西洋をのぞむ

サンタ・クルス6
穴あき岩

サンタ・クルス7
不思議な塔

サンタ・クルス8
檀一雄の碑

サンタ・クルス9
新しい教会

サンタ・クルス10
花いっぱいの家

サンタ・クルス11
メルカード

サンタ・クルス12
古い家

サンタ・クルス13
アパート

サンタ・クルス14
帰り道

サンタ・クルス15
元気な子供たち

☆サンタ・クルスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンの北約30km、夏場になると国内外から長期滞在客で溢れる。
作家の檀一雄が約1年半過ごしたところとして日本人にはよく知られている。
彼はここで大作『火宅の人』を書き続けた。
かつては、ひなびた漁村だった町も新しい別荘やマンションが建てられている。

エリセイラ Ericeira

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エリセイラ1
エイセイラの町

エリセイラ2
断崖にたつ

エリセイラ3
岩場

エリセイラ4
大砲

エリセイラ5
釣り場

エリセイラ6
教会の十字架

エリセイラ7
教会

エリセイラ8
ペロリーニョ

エリセイラ9
図書館

エリセイラ10
カラフルな標識

エリセイラ11
静かな街角

エリセイラ12
散歩道

エリセイラ13
曲がり角

エリセイラ14
いこいの場

エリセイラ15
お買いもの

エリセイラ16
お迎え

エリセイラ17
秋深し

エリセイラ18
荒波

エリセイラ19
洗濯場

エリセイラ20
あふれる水

エリセイラ21
洗濯場のアズレージョ

エリセイラ22
アズレージョの標識・1

エリセイラ23
アズレージョの標識・2

エリセイラ24
アズレージョの標識・3

エリセイラ25
アズレージョの標識・4

エリセイラ26
自転車置き場

エリセイラ2
エリセイラの

☆エリセイラの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
マフラから、北西の海の方に向かって約10kmの海岸の台地にあるエリセイラ。
最後の王マヌエル2世は、この小さい港からヨットでイギリスへと亡命した。
ポルトガルは、1910年10月5日以降、共和国になった。
建物の特徴は、白く塗られた壁の周囲を明るい紺色の太い帯で締めくくっている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 作家が愛した町のサンタ・クルス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・15≫
    === 第五章●リスボン起点の旅 A === サンタ・クルスとエリセイラ

          《作家・檀一雄が愛したサンタ・クルスに向かう》

 ポーが檀一雄の名を初めて知ったのは高校時代であった。 そのころ読みふけっていた作家は武者小路実篤から始まり太宰治で釘づ けだった。特に太宰のユーモアさが好きだった。その太宰が女と入水自殺 をしたとき親身になって奔走したのが檀一雄だと知った。 それで太宰と檀の交流関係をいろいろな記事や記述本を読み漁り、檀一 雄という作家が好きになり作品も読むようになる。(『リツ子・その愛』  『リツ子・その死』) 高校1年生の時始まる読売新聞に連載された新聞小説『夕日と拳銃』は 毎日わくわくして楽しみ、読みふけってはいた。

 その檀一雄がポルトガルの大西洋に面した小さな漁村サンタ・クルスで 1年半ほど住み付き、当時話題になっていた小説『火宅の人』を書きつづ けていると知ったのは、大学を卒業しNHK教育テレビで構成台本を書き はじめ、結婚して長女が誕生し、駒沢のオリンピック記念公園でヨチヨチ 歩きを始めた昭和45年であった。その年、三島由紀夫が自決している。  作家・檀一雄を知るには、海外旅行をするバイブルみたいな『深夜特急』 を描いてくれた沢木耕太郎の著書『檀』を読んでもらえれば納得していた だけると思う。(新潮文庫1〜6『深夜特急』・新潮社単行本『檀』)
 その檀一雄が愛した地に行くことが、ポーは苦痛だった。 今回で5回目のポルトガルであったが、あえてサンタ・クルス行きを外し ていた。 好きな作家が渾身込め、己の人生を映し出す 『火宅の人』 をサンタ・クル スという小さな漁村にひとり移り住んで作家活動を続けていたその地に、 撮影取材とはいえ一介の観光客として踏み込むことが、恐縮であった。

 11月2日(木)、小雨模様の肌寒い朝だった。 明日は今回の目的の1つ、ポルトガルのハワイみたいなリゾート地マデ ィラ島(ポルトガル領)に飛行機で渡る手筈を決めていた。勿論、安宿を パソコンで相棒が捜し、ファックスで予約を完了済みだった。島に渡る前 の1日は自由に使おうと名古屋を旅立つ前から決めていた。 リスボンを散策するもよし、日帰りの地を現地で考えようと。
 雨模様の天気だったが、モーニング中にポーが足踏みするサンタ・クルス に行こうと相棒が決定した。 行ってみたいくせに尻込みするポーに、相棒は決断させたかったのかも しれない。ポーは太宰治ではないが〈不安と恍惚〉のなか素直に相棒の案 に乗った。 やけっぱちな氣分であった。行ってみなければ心の解決はできない。た だただ、それだけだった。

 「けいの豆日記ノート」
 サンタ・クルスの檀一雄の話は、ガイド本にもあり、聞いていた話だった。 有名な作家なのだろうけど、読んだことがなかった。 子供の時から、推理・サスペンス・SFばかりだった。 教養なくてすみません。  日本人でこんなにポルトガルが好きになった人の住んでいた場所に行ってみたい気持ちはあった。 行き方もよくわからなかったし、調べても 交通の便が悪く、なかなか行くことができなかった。 マデイラ島までに1日の余裕があったので、行ってみることにした。

          《サンタ・クルスは遠かった》

 宿アレグリアからりベルダーデ通りに出た。街路樹のプラタナスの大木 に霧雨が舞って美しい。地下鉄アヴェニ−ダ駅の狭い出入り口を潜りブル ー路線でジャルディン・ズロジコ駅で下車し、そこにあるセッテ・リオス・バ スターミナルからバスを乗り継いで行けばサンタ・クルスだった。 しかし、リスボンの北30kmにあるサンタ・クルスは地図上では近かっ たが実地は遠かった。

 まず、地下鉄を降りてからバスターミナルを捜すのに苦労した。 動物園が近いのかトラやシマウマ、キリンなどの絵がやたら眼に飛び込 んできたが、バスターミナルの標識は見つからない。坂を登ったり下った りしてやっとバスターミナルらしいの建物にぶつかった。

 「けいの豆日記ノート」
 以前の長距離バス専用のバスターミナルは、アルコ・ド・バスターミナルであった。 闘牛場の近くのホテルに泊まったときは、ガラガラとスーツケースを引きずっていった覚えがある。 町の中にあることもあって、手狭になったのだろうと思う。 新しいバスターミナルはセッテ・リオス・バスターミナルという。 今回、はじめて、このバスターミナルを使うことになった。 地図でみると近くに動物園があった。 地下鉄の駅名にも動物園の名前がついていた。
 地下鉄から降りて、エスカレーターや階段を上って地上に出ると、方向がわからなくなる。 天気のいい日であれば、太陽を見るという方法もあるが、雨が降りそうな日であった。 どんよりした空はなにも教えてくれない。 道行く人に聞いても方向だけで、入り口がわからなかった。 これが、田舎の町であれば、そこまで連れていってくれるのだろうが、リスボンの町ではそうはいかないだろう。 バスターミナルのまわりの長い長い塀をぐるっと周って、途中であきらめて、裏のタクシー専用口から入った。 長距離のバスターミナルで利用者も多いのだから、看板をもっと出してほしいと思った。 (1度、知ってしまえば、とてもわかりやすい場所だったのだが・・・)

 広いロビーを横切るとBilheteria(切符売り場)の文字が出迎えてく れた。地下鉄を降りてから30分も過ぎていた。 相棒が切符を買った。一人5ユーロ(800円)。トーレス・ヴェドラ スの町で乗り継ぎだ。
 10時発。乗客は10人も乗っていない。見晴らしのよい一番前の席に した。バスは小雨を突き、タイヤが水を切る音高らかに高速道路を飛ばす。 運転手は白いシャツに青いセーターで細身の身体を包む30代の洒落男だ ったが頭のてっぺんが薄かった。運転席が乗客席より一段低いので目立つ。 45分でトーレス・ヴェドラスの町に入る。隣りで眠りに落ちている相 棒をゆすって起こした。バスターミナルはこじんまりとしていた。

 相棒がサンタ・クルスまでの切符を買う。11時10分発。 一人1.9ユーロ(300円)だ。値段からしてもサンタ・クルスは近い とポーは判断した。

 ターミナルの建物は小さかったが建物の裏側は広々としたバス乗り場に なっている。ここから各地域に発車する起点になっているようで、50人 ほどの乗客が幾つもの固まりになってバスを待っていた。その固まりの1 つにまじった。
 乗客は10人ほど。お年寄りが多かった。みな、サンタ・クルスまで行く のだろうか。幾つもの小さな町で一人また一人と降りていき、気がついた 時は相棒とポーの2人だけであった。広々とした畑地帯の彼方に白い壁が 連なる白い固まりの町が見えてきた。車輪の雨水を切る音も軽やかになっ ていた。雨が上がっていたのに気がつかなかった。
 『起きろ!あの町がサンタ・クルスだ!』ポーは確信して叫んでいた。

 バスは町はずれの海岸に出た。 目の前に深いグリーン色の海が飛び込んきた。大西洋だ。 180度ひらけ遥か彼方に地平線が見え、その上に薄日に輝く雲が広が っていた。 海岸線を走って、バスが止まった。ターミナルではなくバス停であった。 そこが、トレース・ヴェドラスの町から40分かけてきたサンタ・クルスの 終点であった。11時50分、宿を出て3時間半もかかっていた。
 バス停は断崖の上にあった。眼下の砂浜に大西洋の波が白く弾け絵模様 みたいに打ち寄せている。美しい・・・。その波打ち際に赤い大きな岩が 見える。岩目の肌触りもしっとりした感じだ。波で侵食されA字型に下に 穴があき波が通り抜けていた。

 しかし、バス停から目の前に広がる風景に愕然とした。大西洋を覗くよ うに白いマンションが建ち並んでいた。完全な夏のリゾート地だった。 違う!檀一雄が愛した地とは・・・・・。 檀一雄が随筆で伝えてきた寒村の漁師町のイメージは皆無であった。 無理もない。もう36年も前だ。『火宅の人』を一人こつこつと書き描 いていた〈檀〉の世界があるはずはなかった。
 大西洋を見晴らす位置に《檀一雄の碑》があった。  [落日を 拾ひにいかむ海の果 A PF-AIA DE SNTACRUZ  檀一雄]と、刻まれていた。
 当然、写真家の相棒に碑と一緒に記念写真を撮ってもらう。おかしい、 あんなに嫌っていた地に来てポーは観光客の一人なっていた。記念写真を 撮ることで、檀一雄に初めて会えたとポーは思いたかった。 身体にサンタ・クルスの海風がからまってくれたと感じ、それが清々しく 嬉しかった。

 「けいの豆日記ノート」
 バスは、海岸に近い道路に止まった。 ここがバス停なのだろう。 まわりは、工事中の塀とクレーン車だった。 イメージとぜんぜん違っていた。 どんよりとした空が町をより暗くしている。 シーズンオフだからなのだろうか。
 ガイド本に手書き風の簡単な地図ともいえない地図が載っていた。 その頼りない地図で、歩こうと思ったが、うまくいかない。 地図がまちがっているとは思いたくないが教会がない、郵便局の場所がちがう。 今なら、ネットでの地図検索をしていっただろう。 このときには、そこまでの知恵がなかった。

 とっくに、12時が過ぎていた。ポーの腹が鳴った。単純な腹だった。 断崖のバス停から人が誰も歩いていない狭く商店も目立たないさびしい メインストリートを行くと、ひときわ目立つ中華店に出会った。抵抗なく すんなり入る。客は誰もいない大きな店内だ。窓際の席をとった。外の風 景が見えるからだ。人影のない町の歩道が濡れていた。
 焼きビーフンと卵スープ、それにビールとファンタを頼んだ。7.90 ユーロ(1264円)。2人で1264円は使いすぎの昼食だった。もっ とケチらねばと相棒が吐いた。 中華店の近くでトリズモ(観光案内所)を見つけたが閉まっていた。シ ーズンオフだからか、昼食で家に帰っているためかはわからない。地図が 入手できないのがつらい。 人影がない昼下がりの町の路上だった。
 『檀さんが住んでいた家を見てみる?』と相棒。  『いやだよ、碑だけで納得にしたい』とポー。
 しかし、捜した。二手に別れた。ポーは店に飛びこみ聞くが知らないと いう返事ばかり。中学生の5人組に会ったが知らないという。36年前と はいえ小さな町だ。知らないという返事ばかりでポーは悲しくなっていた。 そんな馬鹿な!こんな小さな町で檀一雄が住んでいた家がわからないは ずがない。碑まであるだろうに!と言いたかったが押さえた。
 この地を訪れるのはリゾートに来る人々がほとんどだ。檀一雄が住んで いた町として訪れるのは日本人だけだ。36年前の檀一雄を知っている住 民はほとんどいないだろう。

 40分も別れて捜していた。相棒が心配になった。携帯もないので連絡 が出来ない。檀さんの住んでいた家より相棒が心配で路地から路地を抜け て捜した。汗が流れ心臓が鳴っていた。ガードマン役を忘れていた自分を 恥じた。なにやってるんだ!と。もう、檀さんの家捜しなんていい。相棒 の安否だけが心配であった。
 そうだ、原点にもどればいい。終点のバス停に行く。美しい海を眺め、 考え、中華店の前で待つことにした。人の気配がない。心が痛くなる。 路地から赤い帽子がちらりと見えた。ホッ!と、心がとろけていった。

 「けいの豆日記ノート」
 サンタクルスの町は、小さい町だった。 海岸の近くに住宅が並んでいた。 家の大きさも平均して同じほどの広さだった。 別々に檀一雄の家を探したとしても迷子になるとは思っていなかった。 ところがだった。 檀一雄の家も見つからないし、だれもいない道ばかりであった。 動くとよけいにはぐれると思って、新しい教会の階段で座って待っていた。 待つ場所が違うかなと思い、原点に帰ることにした。 携帯の時代に携帯がないとこんなに不便だったのだ。 昔は普通のことが現在は普通ではなくなっている。

          《歴史を刻んだエリセイラに行く》

 作家・檀一雄が1年半住んで代表作〔火宅の人〕を書いていた、かつて は漁村だったサンタ・クルスの路上で写真家の相棒とポーは思案していた。 500円の腕時計が2時半を指している。日本にいるときは携帯電話で 時刻を確認すればいいが、経費節減で海外用の携帯がないため腕時計が必 要だった。
 『ポー、エリセイラに行ってみようか!』
 2年前の旅でマフラにある荘厳な修道院を訪れたとき、その先にあった のが海辺の町エリセイラだったことを思い出した相棒の発案であった。 いつも、突然やってくるありがたい発想が待っていた。 断崖のバス停に張られた時刻表を眺めていた相棒が、エリセイラ行きが ないからタクシーで行くしかないと断定。タクシー乗り場はポーが知って いた。相棒を捜しまわっていたときタクシーを偶然見ていたからだ。
 教会の近くにあるタクシー乗り場に行く。後の交渉は相棒が担当だ。 細身に白い格子縞半袖シャツを着た40代の運転手は、10分で行ける と言うのでメーターを倒して行ってもらうことで交渉が成立した。 バックミラーに吊るされた可愛い犬の下に男女の子供の人形が揺れて出 発だ。犬と2人の子供がいるお父さんだろうと相棒がそっと呟いた。

 「けいの豆日記ノート」
 エリセイラは、ガイド本には、載っていない町で、旅行の読み物の本で知った町だった。 大西洋の海岸沿いで、白壁に青い線の建物がすてきな町だった。 あとでわかったのだが、その建物は図書館であった。 行ってみたい気持ちはあったが行き方がわからなかった。
 以前、巨大修道院があるマフラにバスで行った時のことである。 眠っていて、マフラ修道院の広場前の停留所でおりそこねて、次の停留所で運転手さんに起こされた。 あわてておりたバスだったが、ここが終着駅では、なかった。 行先は、エリセイラと書いてあったのを覚えている。 マフラの先には、エリセイラがあるのだ。 行き方さえわかれば、あとは実行あるのみである。 今度、機会があったら行ってみようと思った。

 広大な大地の一本道を登り下り曲りを繰り返しタクシーは走りぬけ、農 地から海岸線に出たときは10分はとうに過ぎていた。 風車が廻る先に大西洋の海が広がってきた。相棒の目が写真家になった。 止まろうか、と合図を送る。しかし、眼がメーターを指した。
 美しい景観よりタクシーメタ−がカチンカチンと上がっていくのが気に なっていたのだ。心がいらつく。騙されたと相棒もポーも思っていたが口 には出せず、大西洋を背景に白い別荘がぽつぽつ過ぎ去っていく風景にま ぎれていた。
 タクシーは大西洋を右手に見ながら走りつづけ急に止まった。バスター ミナルの建物だった。19.75ユーロ(3160円)25分の移動だ。 相棒は文句の一つや二つ言いたいところをグッと押さえ、お金と折り鶴 を渡した。運転手は折り鶴のチップに驚いた風で19ユーロにしてくれる。 100円まけてくれたのだ。鶴の恩返しに、2人でそっと笑った。

 「けいの豆日記ノート」
 正直いって、サンタ・クロスのすぐ近くにエリセイラの町があると思っていた。 だから、タクシーでいってもそれほどかからないだろうと思っていた。 でも、エリセイラは遠かった。 タクシーのメーターが上がるだびにドキドキしている。 どこまで、上がるのだろうか。
 途中、すてきな景色のところは、たくさんあった。 断崖にできた町など通り過ぎるたびに、ここがエリセイラかと何度も思った。 タクシーは、無常にもすごいスピードで通り抜けていく。 もし、自動車をレンタルした旅なら、名もないような小さな町も寄ることができるのだろう。 でも、そんな旅は、選ばなかった。というか、選びたくなかった。 タクシーに乗っただけでも贅沢したと思わなくてはならない。

 3時半だった。バスの帰り時刻表に目を走らせる相棒がいた。
 『リスボンのカンポ・グランデバスターミナルまでの直行があるよ、ラッ キー! 17時23分だよ』
 エリセイラ滞在時間は2時間もなかった。 ガイド本にはエリセイラは載っていない。まず、トリズモ(観光案内所) 捜しが先決。地図と資料が欲しかった。
 バスターミナル前の海岸線道路の向こう側に大西洋に挟まれたエリセイ ラの中心地が広がっていた。古い町だった。しかし、その古い壁は何度も 白く塗られ、青色やオレンジ色で外壁のはばきや家と家の境を縦に40c m幅に塗られ、町の明るさを彩っていた。この色彩感覚はポルトガルの各 地で見られた。宗教的であり、権力的であり、呪い的色彩の象徴表現だと 聞いている。

 木々が生い茂る公園に出た。こじんまりとしていたが温かみのある公園 で、住民が何世代も守り続けてきた雰囲気が感じられた。  見つけた。トリズモだ。トリズモには美人が多かった。係の女性は若く はなかったが白い七分シャツが似合っていた。
 「日本から来たの?!」黒い瞳に相棒が差し出した折鶴が映った。まあ! と黒い瞳の映像が嬉しげな弾けた笑顔に変わった。  地図と資料が只(ただ)でもらえるのが嬉しい。50代の彼女には日本 人が珍しいようだった。地図をその場で開き細かく説明してくれた。言葉 は判らないが不思議と判ったような気になるのが不思議だ。
 相棒は地図には強かった。脳味噌の中に〈地図編〉エリアがあるのかも しれない。彼女の説明で地図が頭に入っている筈だ。方向音痴のポーにと ってはまさに力強い頼れる相棒である。

 もらった資料によると、海辺の町エリセイラはポルトガルの歴史的な町 であった。ポルトガル王朝終焉の地だった。1910年10月5日、最後 の王マニエル2世がここの港からヨットでイギリスに逃亡したのだった。 王朝が崩壊し、その後ポルトガルは共和国になる。

 「けいの豆日記ノート」
 エリセイラの町は、白壁に青い縁取りの家が並んでいる。 違う町でも色とりどりの縁取りの家は、たくさん見た。 でも、エリセイラは青だけだ。 なぜ、青だけなのかは、わからないが、きっと意味があるのだろう。  時間がなくて、少ししか町を見れなかった。 海の波を見ていると、時間がすぐにたっていく。 なぜ、ガイド本に載っていないのか不思議である。 今度は、ついでに来るのでなく、エリセイラだけ、来たいと思う。

 石畳のメインストリートは狭かったが商店も沢山あり人の姿も多く、そ れに町の雰囲気が明るく魅力的であった。人の姿は観光客ではなく住民だ った。突然現われた威厳ある建物、白壁に青いはばきに縦じまで色どられ た美しい図書館だ。中に入る時間がなかった。綺麗な水が流れ落ちる施設 に出会った。昔から使われているという洗濯場だった。昔に比べれば小さ いが、かつては何10人もの女が喋り捲って洗濯をしていたそうだ。ポル トガルの洗濯女という唄もあったくらいだ。

 大西洋の海岸に出た。岩場の多い海辺だ。釣りを楽しむ人が多い。青空 が見える広々とした空の下に紺碧の大西洋が白い波を運んできて岩場を砕 いていた。見ていて飽きない美しい海岸線だった。
 かつて、檀一雄がサンタ・クルスを訪ねてきた愛妻を案内した海岸だった。 檀の死後、再度この町を訪れた妻には、目的があった。サンタ・クルスの地 に埋める予定の檀の骨をこのエリセイラの海岸の何処かに埋めたという。
 そこが、今、大西洋を眺め歓喜している、この足元ではないのかとポーは、フッと思った。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2008年12月掲載
お待たせしました。次回は、マデイラ島フンシャルです。

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
前途多難の予感のポルト4 ・2出会いのポルト5 ・3ドウロ川終着駅のポシーニョ ・4アルトドウロの基点のレグア2
輸送基地のトウア ・6ワインの里ピニャオン ・7中継バス地点のヴィア・レアル ・8地上のメトロのポルト6
・9日本語補修校のポルト7 ・10大学の町のコインブラ2 ・11コンデイシャとコニンブリガの遺跡 ・12宮殿ホテルのブサコと天然水のルーゾ
・13白砂い海岸フィゲイラ・ダ・フォス ・14占領された町のリスボン3

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