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(地上のメトロ・ポルト6)
Portugal Photo Gallery --- Porto 6

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ポルト91
早朝のサン・ベント駅

ポルト92
にぎわう構内

ポルト93
駅のアズレージョ

ポルト94
夕刻のサン・ベント駅

ポルト95
市庁舎前のふんすい

ポルト96
踊るふんすい

ポルト97
赤い市庁舎

ポルト98
早朝の公園

ポルト99
メトロが走る

ポルト100
ドン・ルイス1世橋

ポルト101
修道院前

ポルト102
ポルトのメトロ

ポルト103
トンネル

ポルト104
トリンダーデ駅

ポルト105
メトロは広告塔

ポルト106
いっしょにお散歩

ポルト107
見慣れた風景

ポルト108
くるくる目

ポルト109
バスも広告塔

ポルト110
ホテルのアズレージョ

ポルト111
年代物エレベーター

☆ポルト6の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンの北約300kmのところにある起伏の多い町である。
ドウロ川の北に広がるポルトガル第2の都市ポルト。
名実ともにポルトガル発祥の地がここポルトである。
2005年よりポルトにも地下鉄(メトロ)が走っている。
メトロといってもほとんどが地上を走るライトレールである。

「ポー君の旅日記」 ☆ 地上のメトロ・ポルト6 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・8≫   === 第三章●地上のメトロの ポルト6 === 

          《切符を売ってくれない車掌》

 ポルトガル北部の山岳地帯アルト・ドウロにあるレグアの町から列車に 乗ったが、乗車券は持っていなかった。 レグア駅舎で乗車券を買えなかった。売り場が閉まっていたからだ。 車中で車掌から買えばいいとポーは判断し、乗りこんだ。 10月26日(木)午後1時20分発のポルト行き車中はガラガラだった。
 2時間乗れば3時過ぎには着く。しかし、乗りっぱなしではない。 特急や急行列車が発着するカンパニャン駅で普通列車に乗り換えると、 ひと駅で市街地中心のサン・ベント駅に着く。

 中年の車掌が来た。 『ドイス ビリェッシュ パラ サン・ベント、ポル ファヴォ−ル』 (サン・ベント行きの切符を2枚お願いします)と相棒が言った。 車掌は、ごじゃごじゃ言って切符をなかなか切ろうとしない。 何をこいつは言ってるのかとポーは相棒に聞く。 車内では売れないから駅で買えって言ってるらしいけれど、走ってる車 中で今更言われてもねえ、と相棒は迷惑顔だった。
 『でもね、こんな格好していれば観光客だって判るよね。配慮があって もいいよなァ』と車掌の顔を見て相棒が微笑んだ。 その笑顔で、車掌は切符を切った。

「けいの豆日記ノート」
 バスとか列車とか、切符をどこで買うのか迷う。 バスに乗る場合が多いのだが、バスターミナルから出るバスは、切符売り場があって、そこで買う。 でも、切符売り場で並んでいたら、「バスの中の運転手から、買うように」といわれたりする。 切符売り場なのだから、そこで売ってくれればいいのに。
 逆に、早朝、早くターミナルにつきすぎて、ベンチでゆっくりしていたため、切符売り場が開いたのを知らなかった。 バスがきてしまったので、大丈夫かと思ってバスの中で、買おうと思ったら、売ってくれなかった。 次で下ろされて、バスターミナルの切符売り場まで、買いにいかされたこともある。バスは待っていてくれたが。

 3日振りのサン・ベント駅だった。 いつも人が多い駅舎だ。構内の高い天井と壁面の大きなアズレージョ (タイル画)が重厚に迫るこの空間が、ポーは好きだった。 駅舎前の常宿ペニンスラ−ルのカウンターで預けておいた旅行バックを 受け取り、渡されたキーの部屋に入った。 相棒がこの3日間で撮ったフィルムは26本。その整理をする間に、ポ ーは飲み水とフィルムに通し番号を書く油性ペンを買いに町に出た。今ま で使っていた油性ペンがかすれてきたからだ。
 初めて一人で、町に出た。テレビ番組でやっている、子供が初めてお使 いに行くあの心境だった。 一度通った道は決して忘れない《犬》みたいな相棒に着いて行けば、方 向音痴のポーは安心だった。 でも、初めてのお使いに出された。

「けいの豆日記ノート」
 いつも撮ったフィルムに番号をつけている。 100本以上のフィルムの整理をするのに便利だからだ。 町ごとに何番から何番とメモしておけば、順番を間違えることがない。 いつもシールに番号を書いておき、撮り終わったフィルムに貼っている。 実は、このシールが見つからなくなっていた。
 レグアまでは、小さい荷物しかもっていかなかったのだが、その中に入れたはずの番号シールがなくなっていた。 レグアのホテルとかに忘れてしまったのではないかと思った。 フィルムの周りはツルツルで、ボールペンでは、文字を書くことができない。 なので、油性マジックを買ってくるように頼んだのだった。

          《初めてのお買い物》

 水はボリャオン市場の前にあるスーパーで買えばいいが、油性ペンは文 房具店を捜さなければならない。 3時過ぎの空は今にも雨が落ちてきそうな雲行きだった。 宿を出て石畳の道を北東に向かう。(いつも日本の100円ショップで 買った羅針盤を持っての歩き旅であった)
 ボリャオン市場に通じる道はもう何十回も歩いた道なので、さすがのポ ーも間違うはずはなかった。見なれたカフェや靴屋、串焼き屋、ブチック、 レストラン、ジョアン1世広場などを見ながら坂道を登った。勿論、文房 具店も捜しながらだ。歩く人も意外と多かった。人々に溶け込んで歩くの は気持ちが良い。ポルトガル市民になった気持ちだ。
 市民の台所と言われているボリャオン市場が見えてきた。ホッとする。 住居の建物にある小さなスーパーだが人でいっぱいだった。0.4ユーロ (60円)のボトルの水を買う。炭酸入りの水でないことを確かめた。 炭酸入りの水は、水の不味さを誤魔化しているようで好きでない。 さて、文房具店だ。今、歩いてきた道にはなかったので帰りは市場から     西に向かいりベルダーデ広場に向かって南下した。

 小雨がポチンポトポト降ってきた。 傘を持ってこなかった。 足早に路地を下ったが雨脚が激しくなった。 仕方なしに雨宿りだ。《パステラリア》の軒先だった。 甘い香りが店内から漂ってくる。ポルトガルはポーロやカステラなど日 本でいう南蛮菓子の店が沢山ある。その1軒に偶然の雨宿りだった。 細長い店内にはカフェやガラオンを飲みながら甘い菓子を食べている人々がいる。 ポーが好きなのは、タルタ・デ・フルータ。ココナッツとドライフルーツ が入ったタルトレットだ。 雨が止むまで店に入って食べたかった。 なにせ、昼飯は列車の中で昨夜の残りパンひとつを食べた切りだった。
 《列車の中で相棒が言った。『夕食は豪華だからね!』》 ポーだけ食べるわけにはいかない。 お使いの油性ペンもまだ買っていない。 それに、帰りが遅いので相棒が心配しているかもしれないのだ。 ポーは小振りになった路地に飛び出した。
 文房具屋が見つからず、まッいいか!とホテルに戻りかけたとき《JO GOS》と書かれた看板が目に止まった。中華系の雑貨店だった。中国色 の品々が並ぶ中に油性ペンを見つけた。太い油性ペン1.25ユーロしか なかった。水が3ボトルも買える値段だったが仕方なく買う。これで、お 使いが済んだ。洋々として、心配しているであろう宿に帰った。   部屋に入ったら、相棒はベットで眠っていた。

「けいの豆日記ノート」
 せっかく、買ってきてくれたペンでは、フィルムケースに書けなかった。 中国製のマジックは、品質がよくないのだろうか。 油性でなかったのかもしれない。 番号が書けなくて、困っただろうって。 次の日、よく探したら、バックの裏のポケットの中に番号シールが入っていた。 おさわがせして、すみませんでした。 ひとりのお使いもいい経験になったかも。

 〈夜に弱い〉相棒は3時間ほど眠った。 それが正解になった。 YUKOさんが車で宿に迎えに来る約束の時間は、7時30分。 相棒は自宅に電話を入れた。宿に無事戻ってきたと。 電話の結果は、病院に勤めるご主人の都合で45分遅い8時15分に変 更になったからだ。
 2001年の9月に初めてポルトガルを訪問した。 9・11アメリカ同時テロ事件の11日後だった。今でもあの強烈な惨 事の映像が網膜に焼き付き離れない。 初めて来た首都リスボンで夜9時から始まる《ファド》を聞きにレスト ランにいった。ファドは、日本の《艶歌》に似ているという。 食事とワインを楽しんでいると、急にライトの灯りが絞られ暗くなる。
 狭い店内にギターラ(ポルトガルギター)の音色が流れると、朗々と歌い 込む太目女性歌手の声が時には強く、そして低く語り掛けてくる。 小さなテーブルを囲み顔付き合わせて聞き入る客たちで満席だ。 哀愁、哀惜の旋律が流れるその中で相棒は座った姿を崩さず眠っていた。 相棒は、夜に弱かった。

 1時間半ほど時間が出来たので、夕景の町を撮ることにした。 帰宅時間帯だった。駅舎に向かう人、駅舎から出てくる人、バスに乗り 込む人々で宿の前の狭い道はごった返しだ。 りベルダーデ広場に出ると、北にある市庁舎の方から軽快に刻む音楽が 聞こえてきた。300mほど離れていた。相棒は小走りにポーから離れて いく。ボディ−ガード役でもあったが、目的地は判っていたし安全だと判 断し、放し飼いにした。空はどんより暗かった。 市庁舎方向に急ぐ人が多い中を歩いた。
 音楽が近づくと噴水がレーザー光線の中に浮かんでいるのが見えてきた。 噴水が高く低く、斜めに走り、細かく連打し音楽に合わせて踊り、レーザ ー光線が赤青黄色に紫緑桃色にと変化して闇夜を飾る。 人々の歓声が混じって絵模様夢模様の冬の祭典だった。 それが1時間も続くと少し飽きてくるのは失礼だろうか。
 相棒が近寄ってきて言った。 『もう、いいかな。YUKOさんが来る時間だよ』 宿に戻るとフロントで、電話があったとメモ紙を渡された。 「9時・YUKO」

「けいの豆日記ノート」
 夜の撮影はほとんどしたことがない。 夜は、人物が撮れないからだ。 フラッシュをたいての撮影は、好きではない。 のっぺらぼうの平面的になってしまうからだ。 どうしても必要な場合はしかたがないが。
 市庁舎前の噴水で、ライトアップが行われているなんて、知らなかった。 ライトアップというより、レーザー光線なのだろうか。 音楽に合わせてレーザーが踊っているようだ。 なんて、ラッキーなんでしょう。 三脚を持っていかないので、手持ちだとぶれてしまう。 噴水の池の柵にカメラを固定してぶれないようにしっかりと支えた。

          《話のご馳走が待っていた》

 3日前に初めて会ったYUKOさんが迎えに来てくれた。 茶髪のおかっぱが似合った。 宿の前で待っていたご主人が運転する車に乗りこんだ。 夜のポルトの町を軽快に石畳の凹凸をタイヤが拾ってゴゴゴッと音を響 走り抜けていく。
 その感触はジェットコースターが頂上から下り降りる時、尻に響き伝わ ってくるあのゴゴゴッだった。 石畳には風情があるが、タイヤの減りは激しいだろうとポーは思い、車 窓に目を転じた。 昼間でも方向音痴のポーだ。 夜の風景は別世界に変わる。だから今、何処を走っているのか見当もつ かない。
 その時、ポーの心を読んだように、『サント・アントニオ大学病院に行く 道ですか』と相棒がYUKOさんに聞いた。  そうよ、もうすぐよ、とYUKOさんが答えた時、車が止まった。

 正面が総ガラス張りのレストランだった。 9時半近い時刻なのに店内は客で満員だった。何を食べさせてくれるの だろうかと、気をいっぱい使ってくださるYUKOさん夫妻に感謝と心根 の優しさを胸いっぱい感じ、ポーは涙を押さえた。 優しさにポーは弱かった。 出逢い2回目のYUKOさんだった。
 それも、日本からマイナス9時間のヨーロッパ最西端の地ポルトガル。 20時間余りの飛行だった。 その首都リスボンに次ぐ北部の第二都市ポルトでYUKOさんに出会え たのだ。

 28年間も住む、日本から嫁としてやって来たポルトガルでのYUKO さんの生き様が気になっていた。 ほんの1年前にホームページで知り合った人がご夫婦で目の前にいた。 YUKOさんを知ったのは、奇遇だった。
 ポーの家に生後五ヶ月ほどの子猫が、7月にやって来た。 ポルトガル生まれの女の子が母の母国にある早稲田大学を受験し合格し た。YUKOさん夫婦にとっては断腸の思いだったろう。 娘一人を日本に放つ気持ちが《断腸》であったと思う。 経済的にも圧迫したであろう。 しかし、娘を日本に放った。
 夫婦で愛娘(まなむすめ)の夢をかけた愛だったに違いない。母、YU KOさんが生きてきた自分の再現だったかも知れない。深くは押し測れな いが、ポーにはそう感じられた。

 子猫がポーの家に来た経緯(いきさつ)について言っておくのも、YU KOさんとの出逢いの理由(わけ)だと思い記す。 ホームページで放つメッセージがポーは気になり、フアンだった。 この娘(こ)が描く筆さばきが好きだった。 本にしたくなる感性の固まりだと思っていた。
 また、YUKOさんのホームページが好きで、ポルトガルの情報をいっ ぱい感受させてくれた。その日記コーナーを読みふけり、そこで、感性の 固まりのあの娘(こ)がYUKOさんの娘だと知った。 その娘が子猫で困っていると知った。
 母YUKOさんに《オイラでもいい、かな》とメールを送った。 《ありがとう!すぎさん》の返事が返ってきた。 初めて娘さんからメールをもらい、新幹線の名古屋駅プラットホームで 九州に行くという《可愛い娘》から子猫をあずかった。 猫の名前は《チャコ》だと言われた。 そのとき、初めてYUKOさんの娘さんに会ったのだ。
 《娘》は九州に新幹線で運ばれて行った。  それが、YUKOさんとポーの接点であった。 その子猫チャコを92歳の母に預け、ポーは3週間のポルトガルの旅に やって来た。

「けいの豆日記ノート」
 YUKOさんの根性は、すばらしいと思う。 何も知らないポルトガルにきて、困ったことも多かったと思う。 日本に帰ろうなどと思わず(思ったかもしれないが)、ポルトガルでがんばっていた。 途中で逃げ出すこともせず、なにごとにも立ち向かっていった。 すごい精神力だと思う。 きっと、ご主人の大きな愛に包まれていたから、できたことかもしれない。 すてきな人に出会えたんだなあ。

          《姐御夫婦にゴチになる》

 料理が来た。 串刺しタコ酢、アサリ煮、海老のリゾット、おじや風鍋、揚げパンに生 ビールとポートワイン。 3人は飲み、甘い酎杯しか飲めない相棒は食べた。 YUKOさんのご主人は内科医・消化器科専門だった。物静かな人柄が 伝わってきた。YUKOさんのホームページの日記でご主人も方向音痴だ ということを知っていたので、ポーは〈仲間〉だと近親感で初めてお会い するのに、旧知のように溶け込めた。
 それにポーの会話の展開に合わせてくれる配慮も感じられ、嬉しかった。 相棒は黙々と食べ続け、ポーにお任せのサインを送って来た。と、なれば この場の会話をとぎらせてはならない。  サービス精神旺盛なのがポーの身上だ。
 YUKOさんに聞き捲くった。 YUKOさんがNHKラジオ『地球ラジオ』(全世界同時発信の土・日 曜日の夕方生放送中)に出演した経緯(いきさつ)を聞き、リスボン大学 卒業後の息子さんの話、ポルトガル生まれの娘さんが日本の早稲田大学に 合格した経緯、28年間母としてのポルトガルでの生活、ポルトガル人の ご主人と日本での出逢いと結婚したその経緯、昨年出来たポルトの地下鉄 (メトロ)、この国の年金などポーはご馳走(ゴチ)になっているのに無遠 慮に聞いた。  ポルトガルの生活をいっぱい聞きたい、ただそれだけだった。

 『ポー、知りたいことはいっぱいあると思うけれど相手の話も聞かない と』と相棒に腕を突つかれた。 お任せのサインを送っておきながら、これだ。 でも、相棒に言われて納得した。 聞き上手は大切な大人の資格だと。
帰り際、YUKOさんから《チャコ》がお世話になってと、プレゼント があった。ご馳走になった上のプレゼントに恐縮した。 ポーが大好きなウイスキーだ。 ツバメマークの《JAMES MINS 20YEARS OLD》だった。
 真夜中の11時11分に常宿まで送っていただいた。 夕方眠った3時間が、相棒の予期したような時間展開となり、ゴチにな ったレストランで固まったまま眠らなかった原動力となっていた。 感謝感謝の楽しく、感動的な夕食であった。
 ご主人、カルロスさん、ご馳走さまでした!

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。次回をお楽しみに・・・・・・・2008年5月掲載

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