「ポー君の旅日記」 ☆ 教会の鐘の音色が心に響くポルト13 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
≪2013紀行文・16≫
=== 第六章●ポルト起点の旅 === 教会の鐘の音色が心に響くポルト13
《あさって》
[あした]、[あさって]。明後日(あさって)は、帰国日だった。
その帰国日の[おととい]である2日前が、一番辛い。帰国が[あした]だったら、あきらめがつく。
だが、[あさって]は、少ない後ろ髪をグイッとわしずかみにされる思いになる。今回でポルトガル撮影取材旅8回目であるが、この[あさって]を迎える[きょう]の気持ちは辛いものである。
その、ポルトガル撮影取材旅を終えたら、この『愛しのポルトガル』を追い求めて来た13年間の続きが、再びできるのだろうかという不安がおいらを襲う。
なぜなら、2013年、今、5月は満98歳、11月は満99歳。2014年11月で満100歳の母がいる。
当然、2015年11月は、満101歳だ。そんな日々の、母の介護を続けるおいら73歳がいた。
母は、それなりにしっかりしているが、96歳の時、心不全症入院で〈ペースメーカー〉を左胸に埋め込む手術をした。
96歳の高齢者女性の〈命の泉である血が指先の先端にまで流れ伝わらない〉ために入れた、ペースメーカーだった。
ここ5年ほど入退院の繰り返しをあたたかく見つめていただく主治医がいた。
おいらが25年ほど前から尊敬している『知多国際内科』を立ち上げた鰐部先生とその美しい看護士さんたちグループのきめ細かい温かい洞察力の協力があってこその〈ポルトガル撮影取材旅〉が続けて来られたのだ。
ありがたいことである。
2013年5月12日(日)の、北にあるポルトガル第2都市[ポルト]の朝は快晴だった。
昨夜、ドン・ガバチョ画伯夫妻とサッカ−中継で賑わうピザ店で夕食をご一緒した。
ポルトガルには2013年5月現在、1部リーグ16チーで構成され、通常は8月中旬から翌年5月中旬まで開催されていた。
[ポルト]には、1893年創立の「PCポルト」がある。クラブカラーは青と白。
2010・2011年のシリーズは無敗でリーグ優勝している。
昨日、スペインとの国境まじかにある辺地[リンドーゾ]で、エスピゲイロ(石造高床式貯蔵庫)を見た後の帰路、
我らが乗るドン・ガバチョ画伯が運転する自家用車は、[ブラガ]郊外のサッカー場の道路で渋滞に巻き込まれて難儀した。
その原因は、今期を終了する熱戦のためだと、[ポルト]のピザ店に入った夕食時に知った。
[ポルト]の「PCポルト」と[ブラガ]が本拠地の「Sportingブラガ」との終盤戦で、ブラガ市民が一番盛り上がった試合であったようだった。
ピザ店は満員で大盛況なのは、当然だった。
ポルトガル国民は、明けても暮れてもサッカー熱で燃え尽(つ)き症候群国民である。
サッカー熱病患者は、ポルトガルだけではなく、ヨーロッパ諸国全体で燃え上がる娯楽であった。
宿泊費に含まれている宿のレストランでモーニングを食べた。食べなくても、宿泊料金は同じ。我らが食べない筈はない。
8時からオープンだが、7時30分INにしてもらえた。〈ホテル・ペニンスラール〉は、ポルトの定宿でもあり、今回は4泊もしているのでフロントでわがままが通じた。
今日は目一杯、[ポルト]の町を思う存分歩きたかったため、その30分間は、貴重な時間であった。
「けいの豆日記ノート」
ホテルのモーニングはどんなに質素なものであっても、楽しみである。
暖かい飲み物があることだけで、幸せだと思う。
パンだけでなく、デザートがつくともっと嬉しいのである。
なんて安上がりな・・・
朝は、ホテルを早く出て、少しでも町の中をみたいからである。
レストランの電気がつく前からドアの前で待っていることも多い。
モーニングを食べてから、トイレをすまして、町に出たいのである。
《教会の鐘の音色と、一日券》
『まずは乗り放題の一日券を買う。それで今日一日、ポルトの乗り物が乗り放題だよ』と、宿のモーニング会場で、メロンコーナーに何度もお代わりに足を運ぶ相棒はこう言い切った。
『メロンで、満腹!』と。この大和女(写真家)は、頼もしい限りである。堂々と言う言葉が似合った。
宿の目の前にある壁面いっぱいに、ポルトの歴史が描かれているアズレージョ(装飾タイル画)がある[ポルト]の鉄道の玄関口「サン・ベント駅」に、相棒は踏み込んで行った。
その時、何処かの教会の鐘が鳴った。起伏豊かな北部の大都市ポルトも教会が多い。
ひと丘先の教会の音色が、直線的に聞こえて来た。心が洗われる思いだ。朝の音色(ねいろ)は一番心に響き渡るものだ。
【ポルトカード】を買えば、メトロ、バスに乗り放題パスと、市内の主な見どころが無料割引になるカードがセットになるという、その料金が一日@10・50ユーロ。
だが、地下鉄、路面電車やロープウエイは、含まれていない。
しかし、首都リスボンには【ヴィヴァ・ヴィアジェン】という、地下鉄が発行するカードがある。
最初に発行代0・50ユーロが必要だが便利だ。使い方は、乗り放題券として使う。
地下鉄の他、【カリスカード】が運行しているバス、市電、ケーブルカー、サンタ・ジェスタのエレベーターが乗り放題になる。
料金は24時間ごとに6ユーロ加算だ。
相棒はプラットホーム脇にある自動販売機に挑戦したが、鳴かず飛ばず。うんともすんとも鳴かず。
どうやっても【ポルトカード】は素直に出て来ない。
15分ほど頑張ったが、お疲れ様だった。
で、おいらは言う。
「おつかれさま。乗るたびに、払えばいいよ」『ありがとう、でも、もう一度チャレンジさせて』と、自動販売機をやめ切符売り場の窓口の列に並んだ。
なかなか前が、はけない。やっと、【バス・メトロ券】を買った。相棒の努力に、ポルトガル語に弱いのにその行動力と執念に唸(うな)る。
肝っ玉がデンとして、芯に秘められた旅人の気質が滲(にじ)んでいた。
旅人は、着飾(きかざ)ることはない。そのときどきに,瞬時に行動する瞬発力が必要なだけである。
ビビビッと、音を発する感性の音響が必要であった。それが、旅を続ける技だった。
「けいの豆日記ノート」
いつも、リスボンでは、1日乗車券を買って、路面電車の始発から終点まで何度も乗る。
メトロ、バス、ケーブルカー、路面電車、など乗り放題になるので、1日中リスボンだけをまわるときには、とてもお得なカードである。
ポルトでも1日乗車券があることを知って、買うことにした。
アンダンテツアーというパスで、料金は1日券が7ユーロである。
メトロ券売機でも購入できると記載があったので、チャレンジしてみることにした。
リスボンでは、買えたのに、ポルトでは、よくわからず買うことができなかった。
しかたがないので、切符売り場に並ぶことにした。
《ドン・ガバチョ夫婦との、出会いと再会》
大空は紛(まぎ)れもない、ポルトガルブルーであった。
正式には「ポルトガルブルー」なんていう言葉はない。
が、おいらは2001年9月以来、勝手に吐露(とろ)している。
初めてポルトガルの空港の深夜の大地を踏み、翌朝の首都リスボンにある〈サン・ジョルジェ城〉から、押し寄せるオレンジの波のような屋根瓦と、
真っ白い壁の家々が重なり合う色彩美の向うに海みたいに広い〈テージョ川〉が開け、そのすべてを包み込んだ広く深い碧(あお)い空の色を観た。
この色彩こそが、「ポルトガルブルーだ!」と、おいらは決め胸の中で叫んでいた。
その時、61歳になったばかりであった。
この景観を見せたいと声をかけてくれたのが、ドン・ガバチョ画伯であった。
その時、彼55歳を迎える記念として、今まで点として描いて来たポルトガルを、線として描こうと北のスペイン国境の町から南の大西洋の町までの55か所を描く旅を続けていた。
そして、ポルトガル横断55作品の本が出版され好評を博す。
その旅の途中の大切な2日間を我らのためにくれた。出会いとは、不思議なものである。
今はポルトガルの地に住居を持ち、日々の時の流れの中、ポルトガルで生活する画伯の感性を刺激して来る皮膚感を、
絵画の中に残し日本に発信し続けているドン・ガバチョ画伯とカトリーヌ夫人のチームワークであった。
そのご夫婦とは、モーニング会場で昨日のドライブ旅の礼を言ってお別れした。
これから9時間かけてご自宅まで帰らなければならない。心底優しい、お二人に感謝した。
「けいの豆日記ノート」
昔々、暇だったころ、よく画廊にいって絵や陶芸を見ていた。
そこの画廊の人や作家の方の話を聞いたりしていた。
お茶とお菓子を出してくださり、喫茶店のようであった。
上下関係もないので、ほめることもなかった。
それに、素人であるので、バカな質問を平気でしていたような気がする。
ドン・ガバチョ画伯の個展もよく訪ねており、
「ポルトガルにずっと住みたいくらいに、いい国だ。」という話を聞いていて、ポルトガルに行ってみたくなったのである。
《坂の上の、クレリゴス教会》
【バス・メトロ券】@7ユーロを2枚買った相棒は、駅舎の高いドームの壁面に描かれたアズレージョ(装飾タイル画)の美しい世界を堪能し、再度カメラに収めサン・ベント駅舎を出た。
その目の前の、西方向の遥か先にある石畳の坂道から降りてくる22番路面電車(市電)を眺めた。
〈クレリゴス教会と76メートルの塔〉が200メートル先の坂道の上に、朝日を浴びて浮かんで見える。
この景観は何度見ても、痺(しび)れる好きな空間美であった。
相棒は、路面電車と自動車が下って来る一通のその坂道を登って行く。相棒の後ろ姿に朝日が当たる。
旅先での目印である赤い帽子が、ふわっと優しく輝いて見えた。
その先に18世紀に建てられたバロック様式のクレリゴス教会が目前に迫ると凛(りん)として眩しかった。
この教会は[ポルト]のシンボルであり、ポルトの町を360度展望できる76メートルの塔を持つ観光名所でもある。
今回は、教会内部に潜入した。相棒が撮っておきたい教会内部である。
フィルム撮影時代には不可能だった撮影が照明(フラッシュ)なしでも、世界遺産の撮影がたっぷリ撮れた嬉しさが相棒の満足げな顔に立証されていた。
ポルトの港町は、すんなり溶け込める優しさが何処でも何時でもあった。
「けいの豆日記ノート」
最初にポルトを訪れた時に、このグレリゴス教会の塔の上まで登ったことがある。
長く狭い螺旋の石段を登って屋上までいったが、風が強くて、手すりの間からすり抜けて落ちそうだった。
写真もそこそこで、降りた覚えがある。
高い所に登るのはいいのだが、降りることが苦手で、狭い石段を踏み外さないかドキドキしながらであった。
特別なことがない限り、だぶん、もう登らないかもと思う。
《路面電車(市電)》
首都リスボンの路面電車は、広告塔であった。
コカコーラやカティサーク、サグレスビール、日本の企業名などもあって、こてこて色彩に商品名の文字がでっかく描かれた強烈な車体が狭い路地を走りまわる。
まるで、7つの丘と言われる起伏が激しい古都の坂道を駆(か)け上がり、駆け下る路面電車は遊園地のようだった。
それがリスボンの情緒であり、乗車していても、走りを見つめていても楽しい光景である。
相棒がリスボンに来ると、一日中追っかける対象物が路面電車であった。
だが、ポルトの路面電車は、薄茶色と抑(おさ)え目な黄色の2色で塗られ、車体には広告主の文字が一文字もない清楚(せいそ)な品格が滲(にじ)んでいた。
その気品は、まるで15世の大航海時代に生きていた貴婦人の風情(ふぜい)であった。
その色彩はポルトの町に似合うような気がした。
この地[ポルト]には、路面電車は3路線あった。
路線番号1番は、サン・フランシスコ教会前のインファンテから、ドウロ川の河口近くのカンタレイラ間を往復した。
路線番号18番は、マサレロスから、カルモ教会前のカルモ間を往復。
路線番号22番は、中心街を走る。カルモ教会からバターリャ広場を通りケーブルカー乗り場の間を往復していた。
この3路線を乗り回せばポルトガルの北の第2都市[ポルト]の町の、ほぼ半分ほどを充分楽しめた。
〈クレリゴス教会〉から出て来て、22番の路面電車に乗った。
早朝の車内は観光客2人。運賃@2.5ユーロを運転手に払う。
乗車してすぐに終点だった。降りようとしたら、大きな声で相棒が『降りちゃ、だめ!』と、おいらは腕を掴(つか)まれた。
長髪が似合う女性運転手が日本語の相棒の声で振り向き、腕を押さえられたおいらの姿を見て微笑んだ。
『1度降りたら、また2.5ユーロだよ。22番路線を一日中乗っていても2.5ユーロ!(わかった?)』子供に諭(さと)すように言われた。
おいらは女性運転手を盗み見た。日本語が判っている風情ではなかったが、ニコッと口元を緩(ゆが)めた。
日曜日の早朝の路面電車には乗客は我らを入れて4人。晴天で5月12日の車窓風景は長閑(のどか)だ。
車中は写真家のスタジオだった。車窓撮影も、あっちの席こっちの席と移動でき、しかも笑顔が絶えない。今までの相棒の撮影中は、日々が集中力の連続だった。
だから、今までこんなに明るい顔を見たことがなかった。
「けいの豆日記ノート」
ポルトの1日乗車券は、リスボンのように路面電車も乗り放題だと勘違いをしてしまった。
よく見れば、メトロと市バスと限定近郊線が乗り放題だと記載されていた。
ポルトでは、路面電車の乗り放題ができる券はなく、1回ずつ料金を払わなくてはならないのだった。
せっかく、全部の路面電車を何度も乗る予定だったのが、1回だけになってしまった。
まあ、路面電車は、外からの景観のほうがいいので、天気のよい日は、外を歩こうと思う。
《サンタ・カタリーナ通り》
懐かしさで、〈バターリャ広場〉で降りた。
目の前にそびえる3階建の建物はシンメトリ―で、正面外壁に貼られた青いアズレージョ(装飾タイル画)が目を引く[サント・イルデフォンソ教会]が、周囲を見下ろす位置に建っている。
2回目のポルトガル撮影取材旅で初めて[ポルト]に来た2002年1月23日に泊まった「メルキュール・ポルト・セントロ」もバターリャ広場にあった。
泊まった翌朝24日、部屋のベランダから眼下にサン・ベント駅のプラットホームが見え、アナウンスの声が下から流れて来て、列車が出発して行くのが眺められた。
列車はすぐトンネルに潜(もぐ)って行った。
路面電車を降りたのは、そのホテルに寄るためではない。
ポルトで一番賑やかなショッピング街のサンタ・カタリーナ通りに行きたかった。広場から石畳の急坂を下りていくと、凄い人々で賑わっていた。
観光客は勿論だが、ポルト近郊の各地からの人びとがほとんどだ。それほどこの通りは人気があった。日曜日だけでなく平日でも人びとで賑わっているのだ。
何時もこの通りは歩行者天国のようだった。黒と白の石畳模様の道に外観も内部もアールヌーヴォー様式で着飾った、1921年創業のカフェがある。
だが、日曜日が休みと来ている。
窓ガラスに額を押しあて内部を覗く観光客も多い。勿(もち)、ガラス窓にレンズを押しあて撮影する相棒が吐く。
『何でかな〜あ。稼ぎ時なのに、さ!』ご不満のようだ。
「けいの豆日記ノート」
日曜日は、カフェやレストラン以外の店は休みだということは、知ってはいた。
「マジェスティックカフェ」は、歴史あるカフェであるので、1度は、入ってみたかった。
いつも、通り過ぎてばかりで、店の中に入っていないのである。
ティータイムにこのあたりにいないし、優雅な時間を味わっていないこともあるのだが・・・
カフェなのに、日曜日が休みだとは思わなかった。
《小鳥の市》
急な長い坂道を下る。脚を止めて相棒は、30分に1本の22番路面電車がゆったり登って来るのを撮る。
車内は観光客で一杯だ。10時半を回っていた。下っている坂が登って行く坂道に変わるのが良く判る。
その坂道の頂上にバロック様式のクレリゴス教会と76メートルの塔が、青空を背景に見える。
距離にして300メートルは楽にある。
確かこの塔の近くでアールヌーヴォーの本屋を見た記憶がある。〈レロ・イ・イルマオン〉といった。
何時も混んでいる。本の購入者より、店内見物者の方が多い。
1906年建造で、凝りに凝った内装デザインはアールヌーヴォーの真髄を楽しめる。
特に中央にあるふた階段の形状色彩には、誰しも唸りたくなるはずだった。
かつておいらは、待ちくたびれ建物の外で座って待っていた。
狭い本屋内部の撮影だけで小一時間かかった。悪くはない、これで良いのだ、納得いくまで撮ることだ。
時間は誰に邪魔されることはない。我らが管理する、撮影取材旅だからだ。
また、来週来よっと、と言うわけにはいかないのだから。特に今日一日は、慌てることはない。
おいらを気にすることはない。待つおいらの趣味は、通りを歩く人々の観察であった。
「けいの豆日記ノート」
路面電車に乗って、町の中を1周するときに、グレリゴス教会の横の広場で何かの市場がでていることを見つけた。
テントやパラソルのようすから、露天市場が出ていることがわかる。
路面電車を降りたら、ここまで戻って来て、市場を見ようと思った。
この市場を見つけることができたことだけでも、路面電車に乗った価値があると思う。
〈クレリゴス教会〉を過ぎ、〈カルモ教会〉に向かう。その手前で、大学の近くの公園で〈小鳥の露天市〉に出会う。
ポルトの人は小鳥が好きなのかも知れない。前に来た時も、サン・ベント駅の地下道で小鳥の市を見た。
雨が降っている日であったためオープンで出来ないので地下道になったと思う。
ポルトの紀行文を12回も書いていると地下道の小鳥の市は、何年前か忘れた。
また小鳥の市に会えるなんて思ってもいなかったので、嬉しさが増した。
青空の下の小鳥の市は、150種類もの声で満ちていた。数えた訳ではない。
老婆の小鳥業者が、平然と言った証言などで書いた。小鳥の数も多かったが、小鳥を求める人々は、もっと多かった。
小鳥好きなポルトガルのポルトの市民は、みな優しかった。
*「地球の歩き方」参照*
終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
次回をお楽しみに・・・・・・・今回分は2015年5月に掲載いたしました。
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