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ポルトの聖ジョアン祭ワイナリー対抗ヨットレースは、こちらからどうぞ!
☆ポルト11の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから北へ約300m、ポルトガル第2都市ポルトである。
人口約30万、ポルトガルの商業の中心地である。
名実ともにポルトガル発祥の地がポルトだといわれている。
14〜15世紀には良港であることを活かし、海外進出の拠点となった。
聖ジョアン祭には、ワイナリー対抗ヨットレースが開催される。
1年に1回だけ、ワイン船ラベーロが帆をあげて走るのである。
リスボンから、飛行機で所要55分、1日10便程度。
サンタ・アポローニア駅からAPまたはICで2時間45分〜3時間10分、1日15便程度。
セッテ・リオ・バスターミナルから約3時間半、1日20便程度。
「ポー君の旅日記」 ☆ 祭典帆船ラベーロレースのポルト11 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・34≫ ポルト生まれのご主人のもとへ、日本から一人で嫁いできて在住30年になる弘前生まれのyukoさんにご馳走になった。 2004年から来るたびにゴチになり、今年で3回目だった。 レストランを出てドウロ川岸辺を3人で歩く。 太陽が青い空の真上で燦々(さんさん)と輝いている、6月24日(火)午後3時過ぎであった。 《帆船ラべーロ》 ポートワインの製造販売をしている各ワイナリーが並ぶ[ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア]の川岸は、 食事をしていた2時間余りの間に人の数が増えていた。 Yukoさんが『ラベーロの帆船レースが5時から始まるので、それが目当ての人びとよ』と、教えてくれた。 ポルトからドウロ川上流50キロメートルあたりからドウロ川沿いにひろがる[アルト・ドウロ]地帯は、ポートワインのブドウ液生産地である。 ここで栽培され絞り出されたブドウ液以外は、ポートワインを名乗れないという。 2006年に、このアルト・ドウロ地帯のピニャオン、トウア、レグア、ポシーニョの各町を歩き回って来た思い出の地だ。 道端に止まっていたブドウ搾りカスを満載していたトラックからブドウ汁が流れ落ち、石畳を赤紫色に染めていた。 【2006年版 紀行文 ・レグア1 ・レグア2 ・ピニャオン ・トウア ・ポシーニョ をお楽しみください】 アルト・ドウロと呼ばれているドウロ川沿いのブドウ段々畑地帯で、育成収穫され樽に詰められたブドウ液は、 帆船ラベーロに船積みされ、ポルトのヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアにある各ワイナリーに運ばれ熟成瓶詰めされ世界のポートワインの誕生だ。 しかし、1964年ごろまではラベーロが大活躍していたが、トラックや鉄道に運搬の座を奪われる。 だが、ラベーロはどっこい今もドウロ川岸で生きていた。 ワイン樽を積み込んだ20艘ほどが、帆に各ワイナリーのロゴを掲げた広告塔として人びとの眼を楽しませていたのだ。 そして、6月24日のサン・ジョアン祭には、年に1度の各ワイナリー対抗ラベーロレースが行われてきたという。 Yukoさんとは、川岸で別れた。雑誌社との打ち合わせ時間が迫っていたからだった。 対岸の[カイス・ダ・リベイラ]のレストラン街岸辺にあるポルトクルーズ発着場から、観光船が客を満載して船出して行くのが見える。 両川岸からサン・ジョアン祭を楽しむ人々の熱気が伝わってきた。 「けいの豆日記ノート」 【2006年版 紀行文 ヴィラ・レアル をお楽しみください】 《ひとまず宿に》 レースまで2時間あった。ひとまず宿に帰り、yukoさんから頂いたポートワインとポルトガル刺繍を置いてきたかった。 大切なプレゼントだ。それを持っての、人混みの中での取材が不安である。 ドン・ルイス1世橋を渡ってくる人々の波を掻き分けて渡り、橋の付け根から高台まで3分もかからないで行けるケーブルカーに乗った。 4年前の2004年、出来たばかりのケーブルカーに乗った時のことを思い出す。 長蛇の列に驚き、並ぶ列から相棒を残して先頭の様子を見に行くと、乗客は掌(てのひら)に小銭を並べ待っていた。 係員の男が小銭を取り自動販売機に入れ出てきた切符を抜き取り小銭の掌に置く。 これでは何のための自動販売機だか判らない。 先に並ぶ人びとは、なぜか掌に小銭を並べていないといけない雰囲気に呑まれていた。 係りの男は嬉しそうに同じ動作を楽しんでいる。 なんじゃこれは!ばかばかしさに呆れ神経がいらだっていた。やがて、我らの番が近づく。 相棒の目配せで仕方なしに、掌に小銭を並べて待つ。神経を切ってはいけない。 郷に入(い)っては郷に従うのも、旅の基本かもしれない。 今回は、相棒が2枚、自動販売機で切符を買った。あれから4年が過ぎていたことが、なぜか懐かしかった。 「けいの豆日記ノート」 《祭典ラベーロ帆船レース》 帆船ラベーロレースが始まる10分前にケーブルカーで下り、車と人でごったがえすドン・ルイス1世橋を渡り、 ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの川岸に戻った。5時になろうとしているが、太陽はまだまだ天空高くにあった。 川岸に並んでいた20艘ほどのラベーロの姿はなかった。 ドウロ川下流からスタートして、両川岸で待つ群衆の眼の前がゴール地点であった。5時スタートだった。 憶測だが3キロメートル下流のアラビダ橋がスタート地点なのかもしれない。 そこはドウロ川河口で、3キロメートル先は大西洋だ。 帆船ラベーロは、その大西洋からの海風を帆いっぱいにはらませ、ドン・ルイス1世橋手前の群衆が待つゴール地点まで流れに 逆らって上ってくるのだ。 でも、1時間たってもラベーロの姿が現れない。ドウロ川両岸を埋め尽くした群衆は辛抱強かった。 恋人同士は川岸の芝生の上で愛を確かめ合っていたし、父と息子はサッカーボールを蹴り合っていたし、 老夫婦は傘の下で対岸のポルトの丘に雛壇状に積み重なって行く家並み景観を楽しんでいる。 相棒は、そんな人々の姿をカメラに収めていた。 6時10分、川岸の群衆から歓声が起こった。ラベーロの帆が、次々に下流から現われた。 白い帆に黒いダイヤ2個のロゴにFONSECAの文字のラベーロが、風を真後ろから受けてゴールに飛び込んできた。 両岸の観衆の声がドウロ川に響く。トップで上り切って来たラベーロ帆船に惜しみない歓声を浴びせた。 今年の帆船ラベーロレースの頂点を獲得したのは、ワイナリーFONSECAであった。2着は、ワイナリーBARROSだった。 人気のワイナリーである黒い帆にマントのロゴを掲げたSANDEMANは、群れて上って来た帆船ラベーロ群の中に沈んで消えた。 「けいの豆日記ノート」 《ポートワイン今昔》 ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアは、ポートワインのワイナリーが集まっている。 そして、観光客のお目当ての場所でもある。各ワイナリーでは、ポートワインの製造工程や試飲と購入ができる。 各ワイナリーオーナーは何世代も住みつくイギリス人やユダヤ系の人びとが多いと聞く。 それは、18世紀初め国際的に認知されていたのは、ポルトガルのポートワインであった。 それを、イギリスはフランスワインより低い関税でほとんどのポルトガルワインを輸入していた。 イギリスはポルトガルとの間に条約をむすんでいたからだ。 イギリスはよいブドウが採れなかったためポルトガル生産のワイン獲得をもくろんだ。 14世紀から始まったポルトガル大航海の栄光の時代後の経済苦境や政治危機で苦しんでいた18世紀に、 ポルトガルはイギリスに足元をすくわれ、泣く泣く苦境打破の契約を結んだようだ。 そのため、ポルトガルワインは国際的に流通されず、ポートワインなどポルトガルワイン愛好家は激怒した。 それを打破した男がいた。それはリスボンのボンバル伯爵広場にライオンを従えリスボンを見下ろす像のボンバル伯爵だった。 1755年のリスボン大地震後を再建した男であった。イギリスからの依存脱却のためポートワインの生産地を限定する政策を実行した。 それが現在の限定生産地区のもととなった。ポルトガルワインは復活した。 いまや世界のワイン愛好家の憧れのポートワインは、日本でも気楽に楽しめられるようになったという。 《年に一度の決戦の後》 戦い終わった帆船ラベーロはロゴつき帆を下げ、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア川岸の定位置宣伝停泊のポイントに戻って来た。 勝っても負けても、たとえ悔しさはあったにしろ毎年の行事だ。 国民行事のサン・ジョアン祭で開催する帆船ラベーロをポルト市のポートワインの産地で行うレース参加に誇りを持っている。 その喜びに浸り、宣伝効果が上がればレース開催は成功である。ラベーロレースは国際的なポートワインの大宣伝である。 ワイナリーは皆、ポートワインで生きてきたのだ。 ひと船に5〜6人乗っていた選手たちは、みな笑顔で白い歯が輝いていた。 毎年慣例帆船ラベーロレースを楽しみにしていたに違いない。勝負を度外視した、弾(はじ)けた笑顔であった。 民族衣装で着飾った男女のダンスが、黒マントデザインで名高いワイナリーの前広場で、円を組んだ観衆の前で行われていた。 人びとの手拍子でリズムも華やかに盛り上がっていた。 カメラのシャッターを切る相棒の見え隠れするピンク帽子を追った。確認できた。 何処で消え、どこで現われるか、その確認はポーの役目であった。なにせ、頼りないボディガードマン役のポーであった。 「けいの豆日記ノート」 《帰国まであと2日》 ポルトガルに来て20日。明日はポルトから首都リスボンに行く。 帰国が迫ると、安堵と満足な撮影取材旅ができたのか不安になる。 一日二万歩目標で歩き続けた今回も、後悔しない旅ができたのだろうか。 また明日来ればいいという場所ではない。20時間以上もかけてこなければ来られない、ポルトガルであった。 歳も歳だし・・・。 2001年から始まったポルトガル撮影取材紀行、今年で6回目であった。
石畳の坂道を登りに上り、宿に向かった。
坂道だらけのポルトの石畳は、情緒を感じる踏み心地ではない。
でも、急坂を歩きながら、その靴底に伝わってくる石畳の感触が愛おしかった。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2012年5月掲載 |
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