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☆ポルト10の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから北へ約300m、ポルトガル第2都市ポルトである。
人口約30万、ポルトガルの商業の中心地である。
名実ともにポルトガル発祥の地がポルトだといわれている。
14〜15世紀には良港であることを活かし、海外進出の拠点となった。
ドウロ川河口から、アラビダ橋、ドン・ルイス1世橋、インファンテ橋、
ドナ・マリア・ピア橋、サン・ジョアン橋の5本の橋がある。
リスボンから、飛行機で所要55分、1日10便程度。
サンタ・アポローニア駅からAPまたはICで2時間45分〜3時間10分、1日15便程度。
セッテ・リオ・バスターミナルから約3時間半、1日20便程度。
「ポー君の旅日記」 ☆ 聖ジョアン祭早朝のポルト10 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・33≫ サン・ジョアン祭のメインである前夜祭は、〈ポルト〉市民の魔よけ行事として昔から受け継がれてきた。 町中に立ち昇る炭火焼きイワシの煙と、この日だけは無礼講で知らぬ人の頭をピコピコハンマーで打つ、 そのピコピコと鳴り響く音と、深夜12時にドウロ川上空を彩る花火の音で、昨日の前夜祭は最高潮に達した。 《インファンテ橋からの眺め》 〈ポルト〉の町を東西に流れるドウロ川に架かる、川面から目測60メートル以上の高さがある2002年完成の インファンテ橋の上に立っていた。6月24日(火)朝9時30分であった。 全長200メートルもあろうか、橋の上の道路は風が強く、相棒は何度もピンク色の帽子を飛ばされそうになり、 その度に 『ぎゃ〜!』と叫んでいた。カメラを両手で握ると、帽子が留守になる。 強風が川面から吹きあがるその度の、ぎゃ〜!であった。 ポルトに流れるドウロ川には、5つの橋がある。 インファンテ橋から眺めると、500メートルほど下流に左右対称の美しい鉄の橋が丘から丘を結んでいる。 1886年に造られた2階建のポルトを代表するドン・ルイス1世橋である。 2階は車や黄色い車体の地下鉄も走り、1階は対岸に渡る車と人の群れでいつも混雑する。 そこから更に3キロメートルほど下流、大西洋に流れ込む河口にアラビダ橋がある。 ポルトのバスターミナルから南部地方に行く時は、このアラビダ橋かドン・ルイス1世橋か、いま我らが立つインファンテ橋を通る。 上流を眺めると、1877年に完成した最も古いドナ・マリア・ピア橋があり、 それに平行して首都リスボンから300キロメートル北上してポルトに入るサン・ジョアン橋がある。 2つとも列車が走る鉄橋だ。これらの5橋が、北部の中心都市ポルトと南部を結ぶ架け橋である。 ドン・ルイス1世橋をくぐって遊覧船が上ってくるのが見えた。 遊覧船乗り場は、昨夜花火客で賑わったレストラン街の[カイス・ダ・リベイラ]と、 ドン・ルイス1世橋を渡った対岸のワイナリーが並ぶ[ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア]にある。 橋の鉄柵から身を乗り出すようにして、相棒はカメラを真下に向けた。 白波を切って50人ほどの色取り取りのシャツを着た観光客を乗せ、遊覧船が眼下を通過した。 50分ほどのドウロ川クルーズだ。 前に乗船したことがあるが、川面から見るポルトの町は、より雛壇状にポルトの丘を建物が折り重なって 青空に吸い込まれて行くような景観であった。 『ぎゃ〜!』。 ピンク色の帽子がインファンテ橋を風に吹かれて転がって行った。 走行車がなく、運よく帽子は欄干に、風圧でへばりついて無事であった。 これも、旅先での運である。やたらと旅の運を無駄に使わないようにと、ポーは思う。 「けいの豆日記ノート」 《崖っぷちの洗濯場》 インファンテ橋脇の崖っぷちに、簡素な屋根がかかった洗い場を見つけた。 コンクリートで造った6メートルほどの長い洗い場は洗濯場であった。 中央にふんだんに水が流れ、その両側に洗うスペースが6か所づつ仕切られている。 それが、3か所崖っぷちに並んでいた。洗濯する人がいないのを確認し、相棒は大きな息を一つ吐いた。 『まっ、しょうがないか』と、つぶやく。1枚いい写真を撮りそこなった悔しさが見て取れた。 それにしても、出しっぱなしの水量がポーには気になった。 眼下を流れるドウロ川の水をポンプで吸い上げているのだろうか。両手で水をすくってみた。きれいな冷たい水であった。 イヴェットジローが歌ったシャンソン「ポルトガルの洗濯女」の姿を、ポーも見たかった。 ♪洗濯女を知ってるかい ポルトガルの洗濯女を とりわけセチュバル村の女たちを そこは洗い場というより社交場のようで・・・♪ 「けいの豆日記ノート」 《道端の商い店》 ドウロ川を眼下に見渡せる石畳の通路に、テントを張った商い店が並んでいた。 常設の露天商なのか、サン・ジョアン祭だけの露天商なのか定かではないが、ポーにとっては面白かった。 10メートルほどのテントの中は、床には隙間なく積み重ねられ、天井からは雨あられのごとく吊るされている。 この店の売り物は台所商品だ。ナベ、カマ、ズンドウ、サラなど並べてある商品の数が半端でない。 壮観絶後(そうかんぜつご)だった。見ているだけで楽しくなってしまう。 隣のテントには、陶器の皿や壺、水飲み、水差し、何に使うか判らない器など、その多種多様さに驚く。 たしかに、ポルトガル各地を訪ねたが陶磁器製産地が多かった。この店の陶器は赤味を帯びていた。 鉄分を沢山含んだ土を使い焼いたように見える。ポーが住む知多半島の常滑市で造られてきた常滑焼に似ていた。 朱泥急須より朱色が濃すぎるように思えた。 その隣のテントには、鉄製の商品が並んでいた。 ノコギリ、ナイフ、ナタ、鎖、鍬(くわ)、クルミ割り器、肉たたきなど、家庭使用の道具が多い。 まるで、日本の小型カーマ店に来たようだ。見ていて飽きないのがいい。欲しくなるものが多く、でも買うことができない。 荷物になるものは買わないを鉄則の撮影取材旅であった。 そして、次のテントに移動しようとした時、『時間ですよ〜ゥ!』の、相棒の声が飛んできた。 「けいの豆日記ノート」 《yukoさんとの再会》 ポルト在住30年になる弘前生まれのyukoさんとの再会が待っていた。 約束の待ち合わせ場所は、ポルトの目抜き通りである[サンタ・カタリーナ通り]にあるアールデコ調のカフェ前で、 正午にと名古屋を発つ前に決めてあった。 何せ彼女は日々忙しく活躍している主婦だ。 日本語を教える補習校を日本人の仲間と立ち上げ、日本人やブラジル人らの子供たちを中心に20年以上も頑張っている。 その様子は2006年に撮影取材させていただいた。 また、ポルトガルの情報や歴史などをホームページで細やかに伝え、NHKのラジオ番組『地球ラジオ』にも何度か出演依頼を受け、 明るい声を視聴者に届けている。 『地球ラジオ』フアンなら知る人も多いかもしれない。 今日で会うのは3回目であった。初めて会ったのは2004年だから4年ほどのお付き合いをさせてもらっていた。 彼女のご主人はポルト生まれで、今ポルトの市立病院の医師である。 約束の時間まで30分もなかった。 石畳の坂道を駆け上がり、宿でトイレをすませ、土産物を持ち、更に坂道を駆け上がって、バターリャ広場でホッと息を整えた。 いつもの忙しいパターンである。これがあるから一つのピリオドとして当時の記憶が甦(よみがえ)ってくるのかも知れない。 左手にあるサン・ベント駅の建物を見ながら石畳の坂道を下ってくると、日曜日以外は人々でいつも賑わうサンタ・カタリーナ通りだ。 待ち合わせ場所のマジェステイック カフェ(MAJESTIC CAFE)は、間口は狭いが奥行きがあった。 1912年創業で、アールヌーヴォー様式の内装店内は趣があり、客も多かった。ここを目当てに来る観光客も多いと聞いていた。 コーヒー1杯1000円近くもする日本のホテル並みはしないだろうが、ケチケチ旅人は覗くだけだった。 クラシックなメロディーが鳴りだした。目の前の建物を見上げると、からくり時計仕掛けで人形が何体も出て来た。 それが、12時を告げる音だった。 その時 『すぎさん!』と声をかけて来たのがyukoさんである。まるで台本通りのような登場であった。 そして、からくり時計のことを説明してくれた。それが、再会の挨拶であった。相棒はからくり時計を撮影中だ。 そんな相棒の姿を見て『相変わらず好奇心旺盛ね』とyukoさんはサングラスの下の口元で、嬉しげに微笑んでいた。 「けいの豆日記ノート」 《陽射しを浴びて》 4年前は、高さ75.6メートルのクレリゴス教会の塔を右手に見ながら急坂の石畳をくだり、 ドウロ川沿いのカイス・ダ・リベイラのレストラン街を通り、ドン・ルイス1世橋の1階を渡って対岸のヴェラ・ノヴァ・デ・ガイアの 川沿いのレストランに行ったが、今回はドウロ川まで行かず手前の道を左折し、 長いトンネルの車道より一段高くなっている手摺りのついた歩道を延々と歩き、抜けて、 ドン・ルイス1世橋の1階のまじかに出て橋を渡った。近道であった。こんな道があろうとは。 1階は、渡る車と渡る人びとで、今日は特別の混みようだ。サン・ジョアン祭当日のためだった。 当然、ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアのドウロ川岸辺は、芝生に座り込み対岸のポルトの風景に見入る人びとであふれていた。 当然、ポートワインの貯蔵庫や販売所があるワイナリーは、何処も観光客の姿が目立った。 陽射しは強いが、川風は心地よかった。 ランチは、yukoさんの3回目のおごりであった。 サラダ・ししとうの唐揚げ・腸詰の焼いたもの・パンにハムと肉が挟んであり、チーズで覆われ、 周りにピリ辛のあんかけ・生ビール4杯・7ナップ1杯・カフェ1杯・水1本・プリン1個。全部で35ユーロ。 散財かけ、ご馳走様でした。美味しかった。 食べながら、話し込んだ、まる2時間、15時になっていた。 Yukoさんは、いつも凛として美しかった。 女一人で見知らぬ国に嫁ぎ、大家族の中で働き、ポルトガル語も一歩から覚え、ポルトで生き抜いてきた行動力に驚嘆した。 その陰にご主人の優しさと深い思いやりがあったはずだ。 2回目の再会時、ご主人と初めて会った瞬時、ポーは安堵した。優しい目に吸い込まれたのだ。 お二人と話していて30年の歳月の流れの重みが伝わり、その流れの根っこはふたりの変わらぬ信頼の深さだと思えた。 ドウロ川の岸辺を3人で歩いた。 陽射しを浴びて折り重なるような対岸ポルトの家並みは、青くて広い空に向かって雛壇みたいに美しく見えた。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2012年4月掲載 |
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