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☆ベージャの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ベージャはバイショ(下)・アレンテージョ地方の首都である。
リスボン、アルガルヴェ地方、アンダルシア地方のほぼ中間にあたる。
昔から交通の要所として栄えた。
紀元前1世紀にローマ人がイベリ半島支配の過程で植民都市を建設した。
711年にはムーア人がイベリア半島の支配下に収める。
イスラム支配の時代に「ベージュ」と改名され、現在の名称ベージャの語源になった。
ムーア人の支配は1162年まで続き、当時は活気にみちた町であった。
現在の人口は約3万6千人。小麦、オリーブ、コルクが主要産品である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 壮観なアズレージョのベージャ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・20≫ 《モーニングタイム》 宿の2階から、小さなベランダ越しに見える〈エヴォラ〉の空は雨が降りそうである。 昨夜のサッカー対戦相手のトルコに0−2で負けた涙雨になるのだろうか。 前夜は、ろくすっぽ夕食らしいものを食べていなかった。 だから、モーニングタイムが待ち遠しいポーだった。 8時からであったが、7時50分には指定された宿の前の小路向かいにある〈レストラン・ディアナ〉前に立っていた。 三つ星が看板に刻まれている。ペンサオンのオーナーおばあさんは、なかなかのやり手ばあさんのようである。 ペンサオンでコツコツ貯めて三つ星レストランを持てたのは、おばあさんの細腕繁盛魂に違いない。 レストランの木彫りの扉が内側に開いた。 内部は天井が高く広い。旅人を何十年も迎い入れてきた温かみのある洒落たレストランであった。 一番奥が一段高くなっていて小さなふたり用のテーブルが8つあり、そこが宿泊客用のモーニングスペースになっていた。 ペンサオンと言えば差し詰め日本なら料金的にはビジネスホテル級の宿。 だから宿泊料金も安い。しかし、ビジネスホテルのように殺風景ではない。 ペンサオンは居心地が良く温かみがある。また、ホテルでもペンサオンでも、モーニングは無料だ。 当然、宿泊費に含まれているのだろうが、食べなくても宿泊代は安くならない。 ペンサオン中心に泊り歩いてきたがモーニングには期待していない。 パンとコーヒーとオレンジジュースに、薄くてまずいハムとチーズが主流だった。腹が満ちればいいのだ。 一日の活力は粗食で始まっていた。 だが、ポーの眼に飛び込んできた今回のモーニングは違った。 大きな透明ガラス容器にオレンジジュース、牛乳、それに水がなみなみと並べられ、ハムもチーズも厚切りだ。 そればかりか焼きたてのパンが5種類も。それに、厚みに切ったケーキとメロンの行列は、想定外の光景だった。 相棒の眼が喜びで弾けた。 『ポー、ペンサオンでは初めての〈おごっつぉ〉だね!ルンルン気分だよ!』 ペンサオンで水が出たのは初めてである。 日本では当たり前のことが、ポルトガルでは異例なのだ。 氷が入った水なんて皆無である。それはさて置き、当然食べて食べて食べまくったふたりであった。 「けいの豆日記ノート」 《ベージャに向かうバス車中》 ペンサオンのやり手ばあさんに大型旅行バックを2つ預かってもらい、犬のリンダに一声吠えられ、〈ベージャ〉への一泊旅に出かけた。 一人7ユーロ払って9時発のバスに乗った。ポルトガル南部海岸の中心地ファーロ行きであった。 〈ファーロ〉には2003年2月に旅をした。 沢木耕太郎さんの著書『深夜特急』で知った〈サグレス〉に行くために、アフリカ大陸を対岸にするファーロを旅の起点にした。 懐かしいその地名ファーロにポーの心が揺れていた。 1986年5月新潮社より刊行された『深夜特急 第一便』は、ポーの心を支配した。 22年前のことである。ポーだけではない。当時の読者、特に若者の心をわしづかみした。 まさに、世界を旅する若者のバイブルでもあった。 サグレスの地が描かれたのは、16年前の1992年10月に発刊された『深夜特急 第三便』である。 (ポルトガル写真集&紀行文コーナーの、作品10・ファーロ、作品13・サグレスを・・・) 1時間半のバスの旅に出た。広大な農業地帯のアレンテージョ大地をバスはまっしぐらに走る。 これでもかと広々と耕作された麦畑が展開する景観を、バスの窓ガラスに幾筋も伝わる小雨が撫(な)でていた。 久しぶりの雨であった。 通路の反対側席に20代の女性がひとりパンを食べていた。そのパン屑が白い半袖の胸元に落ちる。 豊潤な胸を手で払う。絵になった。バスの振動が心地よい相棒は小舟の夢の中。 相棒の寝顔の先にひまわり畑が1キロメートルほど続いた。 あの胸を圧迫するほどの映像美が目の前に展開するひまわり畑の景観にダブって、ポーの脳裏を揺すった。 それは映画『ひまわり』である。 38年前の1970年、銀座ガスホールの試写会で見た、 マスチェロ・マストロヤン二とソフィア・ローレン主演の反戦映画『ひまわり』だった。 10時半、予定通りの1時間半でベージャに着いた。 「けいの豆日記ノート」 《宿の仕組み》 バスターミナルに着いたら雨がやみ黒い雲が割れて、ポルトガルブルーの青空が顔を出してきた。 毎度のことながら天候にはついていた。トゥリズモ(観光案内所)で地図と資料をもらう。 ポルトガルのどの地に行ってもこの施設がある。だから、トゥリズモを探すのが鉄則。 旅人の、その地の知識を得るためのオアシスである。 地図と資料を無料でくれる。今回の旅はガイド本に載っていない地なので、特にありがたかった。 地図を見て予約をしてある今夜の宿に向かう。 〈レジデンシャル・サンタバルバラ〉は、垢ぬけした保育園の建物を過ぎた坂道を登った市街地にあった。 昨日はペンサオンに泊り、今夜はレジデンシャルに泊る。ここでポルトガルでの宿の仕組みをお知らせしておきたい。 ポルトガルはヨーロッパの中でも比較的宿泊代が安い。また季節によって料金が違う。 4月〜10月はハイシーズン、11月〜3月はオフシーズン。運が良ければオフシーズンでは半額になる宿もある。 オフシーズンでもクリスマスから年末年始にかけてだったり、祭りの期間に当たる時は混み合うため予約しておくことだ。 【Hotel】はポルトガル語では、オテルという。ひとつ星から五つ星まである。 お金があればオテルに泊れば間違いない。勿論、星の数が多いほど高級である。 中でも【ポザーダ】には泊ってみたい。 ポルトガルには44か所ある国営のオテルだが、古城、王宮、修道院などを改築した高級オテルだ。 予約しないとなかなか泊れない。 【ペンサオン】はオテルより規模が小さい。
ふたつ星から四つ星まである。家族的な温かさがあり、安いのでもっぱら利用している。
【レジデンシャル】はペンサオン級だがモーニングがない。
【アルベルガリア】は四つ星クラスのペンサオンで、ペンサオンと区別した宿泊施設。
他に、長期滞在向きの【アパートホテル】や歴史的名所などに建てられた施設【エスタラージェン】などがある。 「けいの豆日記ノート」 《ベージャの町の中で》 資料によると、ベージャは長い歴史に刻まれた町であった。 紀元前一世紀にジュリアス・シーザーが町を再建し、後にムーア人がジブラルタルに侵入しイベリア半島を支配。 その後、ムーア人の支配になり1162年まで続く。 歴史的には、リスボン、アルガルヴェ地方、スペインのアンダルシア地方の中間にあったため、 交通の要として活気にあふれた町であったようだ。 レジデンシャル・サンタバルバラの3階にある部屋から幅5メートルほどの石畳の通りを覗く。 反対側に並ぶ建物はレストランが連ね、路上一杯にテーブルとイスが整然と並べてある。 パラソルはないが客で埋まっていた。観光客も多いようだ。 フロントの眼鏡をかけ幅のある口髭が似合う50代の主人は知的である。 持参したポルトガル写真集をプレゼントした。笑顔が弾けた。 日本人の客は数えるほどしか記憶にないが、 こんなプレゼントは初めてだと写真集のページをめくりながら微笑む宿の主人は素敵であった。 旧市街地の散策に出かけた。石畳の路地は狭く網の目のように広がり、2階建の白壁民家が連なる。 石畳はどの路地も清掃が行き届いていてきれいだ。だが、気になった。 歴史的な町のイメージからすると、民家から生活の香りが伝わってこない。 一口でいえば殺風景。それぞれの家のたたずまいに特徴がない。のっぺりしている。 容姿に味がない。『ふ〜む・・・』相棒が息を吐く。カメラからシャター音がない。 映像にしづらいようだ。白壁の民家が連なる路地を抜けると、濃い緑の葉っぱを重そうに背負った樹が並んでいる公園に出た。 一本一本の樹の下にベンチが置かれ、ハンチングをかぶったおじさん達が座り語り合っている。 その数、20人以上。壮観だ。おじさん達の楽しい日課なのだろうか。小ぶりな公園の名は、レプブリカ広場。 「けいの豆日記ノート」 《最後の晩餐のアズレージョ画を見た》 カテドラル(大聖堂)に出た。 建物の背後には雨雲がはびこり、雲の切れ目に心を溶かすポルトガルブルーの青空が見え隠れする。 内部は撮影禁止であった。だが、相棒は受付のおばさんと交渉。 日本から来たカメラマンで、ポルトガル各地を歩き回り撮影取材の旅を続けている。 二度とここに来られるかわからないと笑顔と熱意で頼み込む。通じた。おばさんがにっこり笑った。 内部は薄暗い。ステンドグラスから太陽光線がない。 正面に右手を上げ、左手は抱くように立っているキリスト像が金色の飾り装飾の中にいた。 壁の大きなアズレージョ画は、縦15段、横30枚、計450枚のタイルで構成されたタイル画である。 まさにいま十字架にはりつけられたキリストを垂直に立てるところのように見えるアズレージョであった。 もう1枚は、420枚のアズレージョで描かれている「最後の晩餐」。 20世紀の後半に修復されたレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」には、 キリストの右横にいたのはヨハネではなく〈マグダラのマリア〉と思しき女性像が描かれていたため話題になった。 映画にもなったダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」で〈マグダラのマリア〉のことをポーは知った。 その女性がキリストの左横に座りキリストに寄りそってアズレージョ画に描かれていた。 ポーは見入ってしまう。なぜか、ワクワク心が舞った。 「けいの豆日記ノート」 《昼食どき》 その先にカステロ(城)の石積みの塔が城壁を従えて待っていた。 塔の上部2段には、何本も矢じり模様に石積みされ天を衝いている。 メナジェムの塔はディニス王によって13世紀に建てられたとある。 ここからは、薄紫の花をつけたジャカランダの樹木越しにベージャ郊外に広がるアレンテージョ地方のパノラマが迫って見えた。 レプブリカ広場に戻ると30人ほどの観光客集団がいた。高齢者の一群であった。 その塊(かたまり)の中に相棒がすんなりまじった。案内人が声高に喋っている。 何語なのか分からない。『北欧の国の人たちかもよ』と、相棒がいう。当てにならないが。 でも、その集団に溶け込みご一緒すればこの町の観光ができるかもしれないとポーも思う。 旅は、いい加減な行動も面白い。だが、30人の輪がはじけた。5〜6人がまとまり、組になって散った。 『ポー、昼飯の自由行動かもよ!』と、嬉しそうに吐きそのひと組に満面笑顔でついて行く。 相棒は撮影を忘れていた。 その一団は、レスタウラントゥ(レストラン)ではなく、パステラりーア(サンドイッチやお菓子の立ち食いができる軽食カフェ)に入って行った。 今はパステラりーアでもレストランと同じように食事も酒も飲めるところが多い。 付け加えておくが、セルヴェジャリア(ビアホール)もある。 ここはレストランよりも安く食事も、勿論酒も飲める。 テーブルが7か所あった。メニューを眺め、相棒が注文した。 サグレスビール小瓶にセブン7。 それに、カルヌシュ(肉料理)の中からポルコ(豚)の文字を選んだ。「何を頼んだの?」と聞くと『このところ肉料理を食べていないからな〜。 豚の生姜焼きが食べたくなって、頼んだよ。ポルコの文字で安い料金で選んだから何が出てくるか分からないよ』と平然と言い放った。 それも、注文に来た太り気味の若いおかみさんに『ひとつ、一人前!』を強調して。はたして分かってもらえただろうか。 (サグレスビール0.75、セブン71.10、焼き豚肉4.00、計5.85ユーロ・925円) その料理が来た。確かに、一人前だった。ポーは、生姜焼きは期待していなかった。 相棒の注文時から、あるはずがないと決めていた。 目の前にど〜んと大皿に盛られ、豚肉料理が来た。焼いた20センチメートルもある薄い薄い豚肉だった。 肉の上に薄切りのレモン1枚。それにどっさりの揚げポテトと少々のレタスに目玉焼きひとつ。 おかみさんが気をきかせてくれたまっさらな皿に焼き豚を三分の一切ってのせる。 食べた。薄いのに、こわかった。歯ごたえ、抜群。当然、生姜焼きの豚焼きの味には遠かった。 どうして美味しく食べないのだろうか。日本食は、最高だと、再認識した。 ツアーで最高級ホテルに泊った友人たちは、みな言う。ポルトガル料理は、旨いね、と。 その経験がないので・・・。だから、町の食堂でしか食べていない経験から言うと、旨いと思ったことがない。 だが、マラドーナ似の店のご主人と注文とりに来た金髪美人の奥さんの人懐っこさで、料理のまずさをポーは許した。 ポルトガルのサッカーを愛し続けるふたりは、店の壁に飾ったサッカー応援マフラーを背景に写真を撮ってくれないかと相棒に言って来た。 笑顔でうなずいた相棒は、マラドーナが金髪を抱き寄せカメラ目線で幸せそうに笑うツーショットを撮った。カチャッ! 「けいの豆日記ノート」 《ひまわり畑に折鶴が舞った?》 観光客の一団は菓子とコーヒーで軽くすませ集合時間に合わせ、 揚げポテトで腹を満たす我々を置いて早々(はやばや)と店を出ていった。 残り物には福がある。店の中で素敵な出会いが待っていた。 黒ぶち眼鏡をかけた白髪のおばあさんが窓際のテーブルでガラオン(グラスコップに入ったミルクコーヒー)を一人黙々と飲んでいた。 金髪がいう「毎日来てくれるのよ。もう10年もね」。マラドーナが言う「旦那がイタリアに出稼ぎで行ったまま、音信不通なのさ」。 現地で事故にあい記憶消失になり・・・。ご主人は、ひまわり畑の農家の女性に助けられ・・・。 これでは、映画「ひまわり」の筋ではないか。 相棒は、白髪のおばあさんの掌(てのひら)に手織りの折鶴を渡し
『(カメラを向けて)ポッソ ティラール ウマ フォト?』(写真を撮ってもいいですか?)と微笑んで聞いた。
眼鏡越しの優しい目が、考えてから頷いた。相棒はマラドーラと金髪を振り向き、いいですか、と。
ふたりは、頷いた。相棒は、白髪のおばあさんを撮った。そして、言った。 『オブリガーダ!』(ありがとう!)と。
白髪のおばあさんは折鶴を見つめていた。折鶴を持つ指先が震えているようにポーには見えた。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2011年 3月掲載 |
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