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☆ルドンドの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
エヴォラから東へ34km、バスで40分ほどで陶器の町ルドンドに到着する。
ポルトガルのみやげ物屋でよく見かける素朴な童画が描かれた陶器の産地である。
昔は50ほどあった窯元も現在では10あまりになってしまった。
それでもやはり農業とともに町の経済を支えている。
「ポー君の旅日記」 ☆ 陶器の町のルドンド ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・25≫ 《15日目の朝》 ポルトガルに来て15日目の6月19日(木)も、早朝から快晴である。 雨に打たれる日が一日もなかった。これは晴れ男ポーの魔力なのか。 2008年のこの時期の気候だったのか。 ともあれ晴れに越したことはない。 でも、ポルトガルブルーの青空からは容赦ない陽射しが大地にそそがれ、 その炎天下を今年も相棒との25日間ふたり旅を続けていた。 〈エヴォラ〉を起点にバスを使って近郊の町を訪ねる撮影取材は、連日暑さとの闘いであった。 その疲れをいやしてくれたのは、定宿[ディアナ]のモーニングである。 ペンサオンとしては文句ないもてなしだった。 ディアナは宿の前にレストランも経営していて、モーニングはレストランで食べる。 パンは焼きたてで、種類も多い。オレンジジュースも牛乳も水も飲み放題。チーズもハムも厚切りだ。 果物もケーキもある。相棒は、厚切りのパイナップルを中心にケーキを補助にした朝食である。 勿論、牛乳を飲みパンにハムとチーズを挟みこみコーヒーで食べる。そんな相棒の食欲は見事であった。 牛乳に弱いポーは、オレンジジュースにパン二つケーキ一切れと控えめだ。 朝からエネルギーの含有量が違った。 『しっかり食べておかないと、昼めしは、いつ食べられるか、判らないからね、腹が減ったなんて、騒ぐんじゃないよ』 満腹顔の相棒は周りの客に目を配り、小さな声で吐きエスプレッソコーヒーをうまそうに飲みほした。 昨日は炎天下を1時間40分ほど歩き、大理石発掘現場を探し求め撮影を続け、 〈ヴィラ・ヴィソーザ〉の町に戻り〈エヴォラ〉にバスで帰って来た。 黒い靴が大理石の埃で真白になっていた。その二足分の靴を洗って乾したのは言うまでもないポーである。 バスターミナルから〈ルドンド〉行き10時15分発までの1時間ほど、真新しくなった靴を履いて朝のエヴォラを散策した。 城壁に囲まれたアレンテージョ地方の古都エヴォラの朝は、夏の陽射しが斜めに当たるため日陰の線が強い。 石畳の路地の黒い影が濃い。そのため、町全体が明暗で立体的だ。 昼間見る景観とはまるで違う雰囲気が浮かび上がって美しく新鮮に見える。 エヴォラの朝は人々の動きも多く軽やかだ。涼しいうちにひと働きなのかもしれない。 笑顔が絶えない。昼間の暑さ時は、家の中に限る夏場なのだ。 人物を撮りたくて旅する写真家には、人影が薄い暑い昼日中はお手上げだ。 だから、朝の散策はやめられない日課であった。 石畳の坂道を下って行くと、民家の高い白塀から紅色の瀑布(ばくふ)のように咲き乱れる花群が流れ落ちていた。 その瀑布は、4メートルはあろうか。見事な布引(ぬのびき)のブーゲンビレアの滝である。 朝の斜光に射られた瀑布の紅滝は、古都エヴォラの狭い路地裏通りにあった。 「けいの豆日記ノート」 《ルドンド行き特急バス》 〈ルドンド〉行きのバスは15分遅れの10時30分に出発した。 エヴォラから東へ34キロメートル。昨日行った〈ヴィラ・ヴィソーザ〉より10キロメートルも近い。 なのに、一人6.7ユーロ(840円)は距離的には高い。2ユーロばかり高い。 けちけち旅にとっては2ユーロであれ問題である。相棒は切符売り場で、ごねていた。 『あのさ〜、10時15分発は中止で、ルドンドまでは直行の特急バスに変更だってさ。どんこで、いいのにね』 15分遅れの原因は、ルドンドまでの乗客がわれら2人だけだったので、15分後の直行便一本に絞ったのかもしれない。 ま、ともあれ、直行便に乗り込んだ。でも、乗客は全員で2人だけだった・・・・。 運転手は半袖シャツにネクタイをきりりと締めた30代のいなせな男前だ。 特急バスの運転手はネクタイ着用が義務付けられているのだろうか。我らは最前席に陣取る。 2ユーロ×2人で、直行特急バスを貸し切った心持だ。 城壁の外にあるエヴォラのバスターミナルは6年前より広くなり、出入りするバスの数も多くなったようだ。 真新しい車体を大きく回転させ、東に向かった。 すぐに城壁内から延びてきている高く大きく長い水道橋が迫り、その下をくぐりぬけた。 その先はコンクリートの片側一車線道路が草原をまっぷたつに割って、まっすぐ遥か彼方まで延びていた。 オリーブ畑を過ぎ、広い牧草地に群がる肉牛の頭数の多さに驚き、 果てしなく広大な碧い空をパステルで描いたような白い雲が変幻自在して流れていく。 その絵模様を堪能して、11時05分にルドンドに着いた。35分の貸し切りバスの旅であった。 相棒は、いなせな運転手の掌(てのひら)に折鶴を舞い置き、握手し別れた。 「けいの豆日記ノート」 《ワイン博物館》 首都リスボンの土産店で見かける、素朴な色あざやかな絵柄の花や働く人々の姿が描かれている皿陶器は〈ルドンド〉産が多い。 その陶器の町にやって来た。陽射しは容赦なく陶器の町を包み込んでいた。 下車した相棒は、日本から持参のウーロン茶が入っていたペットボトル容器の水をゴクリと飲んだ。 その水は、今朝のモーニング時にそっと入れてきた水だった。 ポルトガルは陶器産地が多い。 中でも名高いのは〈カルダス・ダ・ライーニャ〉にあるキャベツ模様の陶器を造っているボルダーロ・ビニェイ社だろうか。 さまざまな動物、特に魚やキャベツをモチーフにした陶器作品で知られる。 1884年に創業し、ポルトガル産の陶器として世界に名を馳せた。 陶器作品の裏底には独特のカエルの絵が社のマークとして息づいている。 この会社に2003年アポなしで立ち寄って来たが、今では経営が窮地にあるという。 ポルトガル北部第2都市〈ポルト〉33年在住の日本人(いや、ポルトガル人)の、yukoさんの情報もある。 ともあれ、ルドンドの町に立った。 どの町に来ても、まず立ち寄るのは再三報告しているトゥリズモ(観光案内所)だった。 バスターミナル前は町の中心地のレプブリカ広場。どの町に行っても、広場の名はレプブリカが多い。 そこに、窓枠と出入口の周りがベージュ色で縁取られた白い2階建の建物があり、 目的の案内所マークが白壁に浮かび上がっていた。 扉を開けると、禿げあがった大柄の青年が笑顔で迎えてくれた。 陶器工房を見に来たと相棒が言うと、その声で奥から美女二人とチリチリ頭の青年が顔を出した。 観光客が珍しいのかも知れない。 栗毛を肩まで垂らした娘が地図を差し出し説明してくれた。 昔は50ほどあった窯元も今では14ほどしかないと言い、窯元地図をくれた。 大柄青年が、あなたたちは日本人かと言う。 相棒が頷くと、日本人も珍しいが、この暑さの中ここまで来る観光客も珍しいと笑った。 4人に折鶴を一羽づつあげると皆、笑顔に弾けた。 エプロンをかけた娘は、ここはワイン博物館も兼任しているから見て欲しいと言う。 事務所の奥に吹き抜けの2階建になった空間があった。ワイン博物館である。 相棒が写真を撮ってもいいかとエプロン娘に聞く。了解を得て撮った。 「あなたはプロのカメラマンか。」と聞く。 頷いた相棒は名刺を出し、「ホームページを見ていただければポルトガル写真集を楽しめます。」と渡した。 娘は名刺を持って事務所に走り去った。 この地方でワイン造りに使っていた昔の器具が展示されている。 葡萄絞り器や瓶詰め器、それに大きな陶器のワイン貯蔵瓶(かめ)やワインを飲む陶器が目を引く。 陶器の町の原風景を見た。大瓶は日本の常滑焼大瓶造り技法に似ているとポーは凝視した。 時間を掛けて見たかったが、ここで時間を使うのが勿体ないと相棒は切り上げた。 帰りのバスは16時40分だ。腕時計の針は11時45分、後5時間ほどで工房廻りをしなければならない。 と言っても、慌てないのが相棒流。旅はマイペースが寛容である。 事務所にお礼の挨拶に立ち寄ると、4人が1台のパソコンにかたまっていた。 『オブリガーダ!』と相棒が声をかけると、4つの顔がニカッと笑み顔を上げた。 大男が、「あんたがKEIKOか!ホームページの写真とそっくりだ!」と嬉しそうに言った。 「けいの豆日記ノート」 《灼熱のまちなか》 ポルトガルでは部屋の中や日陰は、直射日光に当たらなければ意外と涼しい。 湿度が低いため空気はサラサラした感じである。外に出て、わざわざ灼熱に当たる馬鹿は我らぐらいだ。 だから、日中は町に人影がない。 レプブリカ広場にある2階建市庁舎の前に大樹があり、大きな日陰を作っている。 その木陰にハンテング帽をかぶったおじさん達が立ち話をしていた。 何処の町でも、たとえ真夏日であろうとまた真冬日であろうと、おじさん達は寄りそって話をするのが好きなようだ。 おばさん達は働き者ばかり。おじさん達は、いいご身分である。 貰った地図を見ながら工房めぐりに出た。30℃はらくに超えている体感温度だ。 2階建の白壁建物に挟まれてメイン通りは北に向かっている。 メインストリートと言っても、小さなカフェのオープンテラスが陽射しに焼かれわびしく見えた。 その町はずれに陶器工房が地図の上では固まっていた。 小さい町だと思っていたが意外や奥が深く、白く焼けた石畳を歩いて行く先に白い城門らしい建物にブチ当たった。 白い城門は石積み城壁跡で挟まれていた。その白い城門をくぐるとゆるい坂道になっており、旧市街地が残っていた。 玄関先の踏み石にちょこんと座り眼鏡をかけたおばあさんが分厚い本を膝の上に置き読みふけっている。 なぜか得をしたような情景に、ポーは見入ってしまった。 この地域はディニス王によって、14世紀に城が築かれたその頃の面影を残す旧市街だという。 市街地の高台からは新しい町の姿が俯瞰で見えた。白壁にオレンジの屋根をのせた家並みは意外と広く美しい。 ポトリ!と何かが落ちる音がした。背後にあったオレンジの木から、まっ黄色な実が一つ地面に落ちた音だった。 それほど静かな旧市街地であった。 「けいの豆日記ノート」 《あ〜あ、昼休み》 陶器工房を見つけ入ろうとしたが看板が立っていた。12時〜14時は昼休みであった。 仕方なしに我らも昼飯にした。と言ってもレストランではなくカフェに入り、 サグレス生ビール(0.8ユーロ)と炭酸水(0.8ユーロ)を頼みテーブルに座った。 炎天下を歩いてきたので、生ビールの冷たさはのど越し満点の心地よさ。 ポーは2杯飲んだ。アルコールに弱い相棒は炭酸水を呑み日本から持参の裂き烏賊を噛んだ。 烏賊の香りが店内に流れ、たむろしていたおじさん達の何人かが振り返り我らを見ていた。 カフェの白壁にある丸い時計は、13時を過ぎたところだ。撮影時間は4時間を切っていた。 更に、14時からの工房廻りまでの1時間を引けば、3時間もない。貰った窯元地図を眺めていた相棒は一言、吐いた。 『3か所は、いけるぞ!』 「けいの豆日記ノート」 《陶器窯元3か所まわり》 裂き烏賊は歯にはさまるからな〜、と腰を上げカフェから炎天下に出た。 石畳の坂道を下って行くと、道端沿いの低い塀の上に茶色の小鉢が伏せられ、一列に並べて乾されていた。 素焼き前の乾燥時に直射日光に当てていた。これでは急激ではないのか。つまり、ひび割れが起きないのか。 陶器作り6年の経験者であるポーは、目をうたがった。徐々に乾燥して行くのが当たり前なのに。 粘土質が違ってもだ、と思う。 看板に[OLARIA FLOSA]オラリア・フローザとある陶器工房に、アポなしで飛び込む。 《オラリア》とは《土器工場》のこと。つまりこの工房は、フローザさんの陶器会社であった。 そのフローザさんが快く迎い入れてくれた。日本の陶芸作品は素晴らしい! その国からわざわざここまで来てくれて嬉しい、と眼鏡をかけた長身から見下ろす瞳は優しかった。 撮影のお願いをして撮らせてもらう。 足踏みロクロを使い、団子状態に積み上げた茶色の粘土を一つづつドロドロの液体が入った器の中に浸け、 ロクロで小鉢の形に仕上げていく。 両手の中はやわらかい粘土というより、ドロドロ状態を巧みに形にしていく技であった。 信じられない光景に、ポーは唖然と見とれた。 フローザさんは、そんなポーの様子を見ていたのか、やってみろ、という。 ジーパンからシャツまでドロドロになってしまうことは判っていたが、経験だと思い挑戦した。 なぜドロドロ液に浸けてから成形しなければならないのかが掴めていない。見よう見まねでやってみた。 団子状の粘土をを一つ掴んだ瞬間、違う、柔らかすぎる。液に浸け、持ち上げた瞬間、団子は溶けた。 両手の中に団子がない。はははっ、フローザさんの楽しげな笑い声。 従業員も、相棒も、声をたてて笑った。ポーも、魔術にかかって笑った。 初めての経験であった。なぜ液体に浸けるのか、その究明はどうでもよくなった。 みんなの打ち解けた雰囲気が嬉しかった。 「けいの豆日記ノート」 2軒目の[OLARIA JEREMIAS]オラリア・ジェレミアスにも、アポなしで飛び込んだ。 ジェレミナスさんも日本から訪ねてくれたのか、と迎えてくれた。 彼はこの道50年の職人であり主人であった。ロクロで造り上げる作品は豊富であった。 皿から人形まで普通見慣れた粘土で成形している。ホッとした。 長細い部屋にはおばさん達が何人も絵図け作業中だ。筆使いは繊細ではないが、絵柄は素朴。 飾りっ気がない。単純な色合いと絵柄に人気があるのが判るような気がした。 この工房が、ルドンドで一番大きな陶器工房だと知った。 3軒目は[OLARIA MAQUINISTA]オラリア・マキニスタ。 ここもアポなしで声をかける。部屋の奥にあるテレビ画面からサッカー放送のアナウンスが大きく聞こえてきた。 今夜は、ポルトガル対ドイツの準決勝戦進出をかけたゲームがある。 これに勝てばポルトガルは3勝2敗となり、優勝に向けての期待が高まる。 何せ4年に1度のヨーロッパフットボール選手権大会だ。 前大会(2004年ポルトガル大会)では、ポルトガルはギリシャに負け準優勝だった。 今年2008年スイス・オーストリア選手権大会では、ポルトガルは優勝候補である。 だから、今夜のドイツ戦は負けられないのだ。明けても暮れても、男どもはサッカー熱で燃えたぎっていた。 今夜7時までたっぷり時間があるのに、昼間から工房の中は仕事に手がつかない状態のようだ。 相棒の叫ぶ声でやっと奥から恰幅の良いおじさんが出てきた。 ここの主人マキニスタさんだった。ロクロで大皿造りをしてくれたマキニスタさんの後ろの壁に写真が飾ってある。 若き日のサッカー仲間との雄姿であった。帰りがけお礼の折鶴を差し出すと、彼は歓喜した。 これはポルトガルのフットボールチームBENFICAのマーク、鷹(たか)だと叫んだのだった。 折鶴も、面食らったことだろう。 《ああ無情!》 予定通り16時40分のどんこバスでエヴォラに帰る。 どんこバスも6.7ユーロだった。来る時の直行特急バスも同じ値段だ。 2人は、拍子抜けした。まっ、いいか。 「けいの豆日記ノート」 ペンサオン[ディアナ]に戻りシャワーを浴びて、大型スクリーンが設置されたジラルド広場に行く。
エヴォラの若者すべてが集まったような群衆だった。
勿論、おじさん達だってハンテングに杖を持ちワインで赤くなった顔で応援だ。
7時45分キックオフ、22時36分ホイッスルが鳴った。2−3でドイツに負けた。
(2008年のこの大会は、スペインがドイツに1−0で勝ち、44年ぶりの優勝を飾る) *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2011年8月掲載 |
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