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☆セルパの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
南部アレンテージョ平原には城砦都市が三角形をつくって並んでいる。
ベージャ、セルバ、モウラの3つの都市である。
ベージャの30km東にあるセルバの町は、雰囲気があり開けた感じがする。
狭間付きの城壁が、石畳の路地や教会、邸宅、レストランを囲い込んでいる。
「ポー君の旅日記」 ☆ 栴檀(せんだん)の並木道のセルパ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2008紀行文・22≫ 《色とりどり》 〈ページャ〉のバスターミナルから〈セルパ〉行きのバスに乗った。 3ユーロの乗車切符を小太りだが鼻筋の通る笑顔の運転手に相棒が渡すと、彼は相棒が首にかけているカメラが気になっているようだった。 ニコンはおれの憧れだと吐き、セニョーラはフォトグラファか?と聞く。 ポルトガル各地を8年間も追いかけ、撮り続けているの、と手ぶりを交え相棒は答えた。 薄くなった頭髪を両手で撫ぜつけ、満面の笑みで運転手は言った。 「ボア ヴィアージェン!」(良い旅を!)と。 6月17日(火)、10人足らずの乗客を乗せ、定時の午前10時35分にバスは出発した。 オレンジの屋根瓦に白い壁のベージャの家並みが途切れると、オリーブの木が整然と縦一列に遥か彼方まで延び、 緑色の波が走行方向に打ち寄せていくように見えてきた。 車窓が映画スクリーンに投影されている映像のようだ。 それが何キロも続いた。広大なオリーブ畑はまさに、緑の海であった。 突然、緑の世界が真っ黄色の世界に変わった。 ひまわり畑だった。昨日〈エヴォラ〉から〈ベージャ〉に来る時に見たひまわり畑より数段も大きなひまわり群像景観に息をのむ。 圧巻だ。延々と続く黄色の上に深く透明なポルトガルブルーが空一面を染める。 青色と黄色が上下二分した車窓に相棒のシャッターが鳴っていた。日本の4分の1の大きさしかないポルトガルは、でかかった。 ページャの30キロメートル東にあるセルパには、30分もあれば楽に着く距離だった。 だが、50分もかかった。道はでこぼこの悪路ではなかった。 各停停車のどんこバスだったためでもない。 あの町この町で停まるたびに、運転席の小窓を開け老人たちに運転手は声をかけた。 「げんきか〜」 「あんたもか〜」 「わたしのほうが15もわかいぞ〜」 「そんなの、あっというまだ〜」 「ははは」 運転手も老人たちもたわいのない会話を楽しんでいる。 ポルトガルも小さな町では高齢者が多い。お年寄りは話し相手に飢えていることを運転手は知っていた。 彼の仕事は運転だけではなかった。 あの町この町のお年寄りたちは彼が運転するバスが来る時間に合わせ、バス停に集まって来ているのかも知れない。 バスの遅れの原因は、バス停ごとの会話であった。ポーはその遅れが嬉しかった。 「けいの豆日記ノート」 《セルパの印象》 延々と続いていたオリーブ畑の先に、城壁が連なるセルパの町が見えた。 白い車体が左に大きく弧を描いてセルパの町に走り込んだ。 広い道に葉をいっぱいつけた街路樹が整然と並び、白い壁にオレンジの瓦を乗せた民家が連なる。 所々にジャカランダの大樹があり、薄紫の花を残している。べージャより広く明るい町の様子が車窓を彩って見せた。 この町に何時間いられるかは、セルパのバスターミナルで帰りの時刻を調べるまで分からない。 セルパもガイド本に載っていないので、トゥリズモ(観光案内所)で資料と地図を貰うまで未知の町である。 でも、町の中を走るバスの車窓から観察する限り、何か素敵な出会いが待っていそうな気配をポーは感じていた。 バスターミナルに11時25分着。 相棒はバスを降りてから、乗客がみな降りたかを確かめ運転台の小窓をノックした。 運転手は軽く微笑み小窓を開けた。「オブリガーダ!」と彼に1羽の折鶴を渡す。 「えっ、俺にくれるの?」「そうよ。」「本当か!」「折鶴って言うの。」 「お・り・つ・る!」「そう、折鶴よ!」運転手が笑顔で叫んだ、「ボア ヴィアージェン!」 小窓からでっかい手が伸びてきて相棒の手を握った。 相棒が呟いた。「小窓でよかったよ、外で渡していたらでっかい身体が抱きついてきたかも、」と。 ターミナルの切符売り場で帰りの時刻を確かめる。 勿論、担当は相棒だ。帰りのベージャからエヴォラ行きが18時00分。 そのため、ここセルパからは15時30分(その次のバスは16時30分)のバスに乗らなければならない。 べージャに戻ったら宿に預けてある荷物を取りに行く時間も考慮した。 そのため、セルパ散策は4時間ほどしかなかった。 「けいの豆日記ノート」 《栴檀(せんだん)の並木道》 何はともあれ、まず立ち寄らなければならないのが、トゥリズモ(観光案内所)だ。 美人の係り員はどの地でも優しい。しかも、この紀行文で何度も書いたが美人が多い。 独身の諸君!嫁さん探しはポルトガルのトゥリズモを狙え。 だが、美人だから旦那持ちも当然多い。で・・・、そこで、地図と資料を貰う。 地図さえあれば、後は地図に強い相棒に任せておけば安心。 なにせ、ポーは方向音痴だから。4時間の散策時間は相棒の脳にインプットされている。 でも、安心はできない。撮影に夢中になると、時間感覚がすっ飛ぶ恐れがある。 そこをコントロールするのがポーの[役目]である。 ポルト(ポルトガル北部にある第2都市・ポーの好きな市である)の繁華街の路上でアコーデオンを奏でる青年に寄りそい、 口にくわえた小銭入れ缶にチャリンと投げ入れてくれるのを待つ子犬がいる。 相棒が撮ったその写真タイトルは「僕の役目」。その子犬と、ポーの役目は似ていた・・・。 まずは、車窓から見た整然と並んでいた並木道に来てみた。 来てみたというより、相棒に連れてきてもらった。 樹齢40年ほどの幹の太さがあり、道路の両側を葉と葉が重なる間隔で100本ほど植えられていた。 ポーは生い茂る葉の中に、黄色の重なり合う実を見つけた。 栴檀坊主(せんだんぼうず)だった。 かつて、日本の東京浅草で取材した経験があった。 季節は11月だった。青い栴檀坊主は黄色になり、葉が落ちた後は白くなる。 栴檀坊主は薬草になり、ひびやあかぎれ、しもやけなどに役立つ抗菌作用があると知る。 日本では5月〜6月頃、薄紫色の小さな花が咲く。 今日は6月17日だが、もう、ここでは実になっていた。 ポルトガルの栴檀の樹の、満開の花はとっくに終わっていた。 100本の樹に薄紫に咲く壮観な姿をポーは観たかったと思う。 そしてまさか、街路樹になっている栴檀の樹をポルトガルで見られるとは想像もしていなかった。 ポーはなぜか嬉しくなって、両手を打った。拍手した。その音に、相棒は怪訝(けげん)な顔でポーを見つめた。 「けいの豆日記ノート」 《少年少女群を追う》 相棒の眼が輝いた。少年少女群ご一行様を視野にとらえた。 相棒の行動は素早い。子供大好きな被写体を相棒が見逃すはずはない。 ポーが栴檀の木々に拍手をしたこと、怪訝な表情を作ったことなど、ぶっ飛んでいた。 追った。 『行きますよ、ポー!ぬかりなくたのみますよ!』 何が抜かりなくか分からなかったが、水戸黄門さまが助さん格さんに放つ一声に似ていた。 ポーは栴檀にどっぷり浸る間もなかった。 黄門さまの一喝には、従順なポーであった。 黄門さまが窮地になると必ず空中を飛んでくる赤い風車(かざぐるま)。 赤い風車についている情報の投げ文はない。頼れるのは、相棒の感性しかなかった。 30人ほどの子どもたちは小学生。閑静な住宅地に声高の明るい声が響く。 しーっと、引率の女の先生が人差し指を唇に縦にあてると、子供たちは潮が引くように黙る。 日本のアクションと似ていると、ポーは思った。 住宅地を抜けると赤白青黄色の野球帽をかぶった子供たちを学校の建物が吸いこんでいった。 これから先は、たとえ先生に頼みこんでも撮影できないことを相棒は知っていた。 『野外授業に行くんじゃなかったよ!しょうがない。城跡に行くか・・・』 と、相棒は吐き、頭のスイッチの切り替えも早かった。 「けいの豆日記ノート」 《樹齢1000年のオリーブと老人たち》 住宅街は白色1色であった。 真新しいセルパ新興住宅街はデザインが統一され、切れ目なく連なった2階建住宅は、3LDKは充分にある広さがあった。 家に入る玄関横にはオレンジの木があり、枝を折れんばかりの大きな実はたわわに実り、裕福な生活環境を奏でているようにポーには映った。 窓から見える室内は白い塗料で塗られ、室内が明るかった。 その住宅街を通って、城跡に向かった。 どの町どの村に行っても、ポルトガルにはほとんど城壁があった。 昔から隣のスペインからふるさとを守る防御の城壁が欠かせなかった証(あかし)のように。 その歴史の重みがポルトガル各地に必ず残っている。当然、セルパにも高くてぶ厚い城壁が保存されていた。 城壁の前に高さ10メートル、繁幅15メートル、幹幅5メートルほどの太いふしくれだった樹齢1000年と 記されたオリーブの木が緑の葉をどっさり蓄え、その下にあるベンチに木陰を作っている。 当然、ハンチングのお年寄りがマイベンチ的に座っていた。 このお年寄りたちは、ま新しい新興住宅から逃げてきたあの[壁紙族]なのかと、ポーは思う。 というのはトゥリズモ(観光案内所)の美女が、ここには壁紙族のお年寄りが多いのよ、特に新興住宅地のおじいさんにはね、と微笑んだのだ。 何を言っているのか解せなかった。杖の握り手に顎をのせてベンチにうずくまる虚無的なおじいさんに聞いてみた。 かつては家の壁には壁紙が貼られ、それぞれの生きてきた臭いと人生が壁紙に汚れとなって沁み込んでいた。 それが、今の室内の壁には壁紙がない。新興住宅の室内壁は、コンクリートの打ちっぱなしに塗料が塗られつるつるしている。 だから、生きてきた年月の香りを沁み込ますことができない。 ここに集まってくるお年寄りの群は壁紙愛好家が多い、と。 『落ち着かない』 『居心地が悪い』 『自分の家ではない気持ち』 『壁は壁紙がいい』 壁紙のひとつひとつの汚れには思い出が沁み込んでいたのだ。 つるんつるんの白い壁に耐えきれない壁紙族はマイベンチで、1000年のオリーブの大樹に守られ町の香りを楽しんでいるのかもしれない。 これだけの情報を得るまでの苦労は並大抵のことではなかった。疲れた聞き取りであった。 「けいの豆日記ノート」 《カステロ(城)》 15メートルはある城壁の狭いアーチを抜けると、そこは旧市街地であった。 薄紫の花をつけたジャカランダが並ぶ先に、狭い道が幾筋にも走っていた。 古い民家の壁は白く塗られ、陽射しに射られ眩しいほどだ。そこであの恐怖の塊(かたまり)を見た。 セルパにもベージャで見たでっかいツバメが飛び交っていたのだ。 半円のオレンジ色屋根瓦が連なる軒下には、大型ツバメの巣があった。 それはいくつもの巣が折り重なるように、団子状態の塊になっている。 その塊の中からあっちからもこっちからも小さな頭を出している雛(ひな)がいた。 広い階段を上って行くと城砦に入る城壁と城壁の間に鉄扉の門がある。 入門ぎりぎりの、12時半であった。係りの背の高い男は、これから昼飯なのにという顔をした。 相棒が 『ボア タールドゥ』(こんにちは)と微笑み 『ドゥ ジャパオン!』(にっぽんから)と吐く。 男は、「なぬ?ジャポネーザ?(日本人か?)」と目を張る。 「そうよ、」と頷く。男は閉めかけた鉄扉を戻し、入れのアクションをくれた。 「オブリガーダ!」を連呼して笑顔いっぱいで入門した。 「オブリガード!」とポーも、ありがとう!を連呼し相棒の後を追った。 男は、あ〜あ、昼飯が遅くなってしまった。 日本の女の笑顔に・・・、家で昼飯を用意している母ちゃんに何て言えばいいのだ。そんな苦笑を浮かべたように、ポーには見えた。 20メートルもあろうかという鐘楼が広場ににょきっと残っている。 そこにもオリーブの大樹があるが、鐘楼が高いため小さめに見える。空は真っ青。陽射しは強い。相棒が動いた。 左側が城壁の壁、右側は手すりのない急斜面の狭い石組階段を相棒が登って行く。 登るのは得意だが下るときはからっきし臆病なくせに、どうしても俯瞰(ふかん)の映像が欲しかったのだ。 城壁の上に城塞をめぐる通路が延びている、と相棒は嬉しそうに上から叫ぶ。 ボディーガードマン役のポーは放っておくわけにはいかない。 身体が揺れて右に落ちたら大怪我をするか死ぬかもしれない石段であったが、登った。 高さ10メートルほどに、幅1メートルほどの通路が城壁沿いに遥か彼方まで続いていた。 この通路は、侵入者を見張る場であり、戦闘の場でもあったのだ。 『いい景色だね〜』 のんきな相棒は眼下のセルパの家並みを、その先にひろがるアレンテージョの広大な大地に向かってシャッターを鳴らしていた。 そして振り返れば、旧市街地の家並みがぎっしり詰まって見えた。 廃墟になった家もいくつかあった。新興住宅街に移転したのであろう。 気づくと相棒は30メートル先でシャッターを切っていた。 ポーが袖を引かなかったら撮影をいつまで続けるか分からない。 昼飯のために家に帰りたい男が門扉の前で待っている。 30分が過ぎていた。待たせる時間も礼義的にも遅すぎる。ポーは少し焦った。 登って来た石段の上で足がすくむ相棒を降ろすのに5分以上もかかってしまった。 登るより降りる方が数段怖かった。急勾配の狭く手摺りもない下り視界は、ポーでも足がすくみ、腰が引けた。 右側の城壁を手探りしてやっと降りた。 門扉の前の男は軽い笑顔の中に、ムッとした陰りがあった。 当然だ。35分以上も昼食を待たされていたのだから。相棒の大作戦開始だ。 千代紙で折った折鶴を笑顔でそっと男に渡した。 千代紙の美しいデザインに惚れたのか、〈おりつる〉の声の響きだったのか、折鶴の形だったのか、相棒の笑顔だったのか、 男は心の底から嬉しそうな顔を相棒に向けた。 ポルトガルの男は本当に、優しかった。感謝でいっぱいであった。 何度もポーは頭を下げた。顔を上げた時、見てしまった。 鉄扉の真上に、斜めになった左側城壁の上にのった大きな石がずり落ちて右側の城壁でかろうじて支えられていた。 いつ石の塊が落下してもおかしくない光景を見てしまったのだ。 ポーは思わず、お〜〜!と叫んだ。その仕草がおかしいと男は声を出して笑った。 地震の多い日本では考えられない恐怖の光景だ。 笑われて、むかっとしたが、相棒は平然とその頭上の光景にシャッターを押したのだった。 「けいの豆日記ノート」 《レストランで・・・・》 セルバの町の中心地レプブリカ広場で白いパラソルを見つけた。 1時半を過ぎていた。久しぶりでレストランで昼飯を食べることにした。 グラスビール(0.8)・セブン7(0.8)・鶏焼き二分の一(4.5)・サラダフルーツ(2.0)計8.1ユーロ(1300円)と メニューを見てメモノートに書き込みながら、「フランゴアサ―ド(鶏焼き)は、半分のをひとつ!1つよ!ひとつ!」と注文する。 おじさんは「シンシン(はいはい)」と笑み、何度もうなずいた。 「わかってくれたかな〜おじさん、なんか不安だよ。」相棒は祈るように手を合わせた。 何気なく見た万歩計の歩数は、23676歩だった。 今日も朝からよく歩いたものだ。店内の壁には古いモノクロ写真が何枚か飾ってある。 銃弾を腰に巻きつけた男たちが持つ棒には、50匹あまりの野兎が吊るされていた。何年前の写真であろうか。 今でもポルトガルの市場では、兎は生きたまま売っている。 ビールを飲んでいると、やっと料理が運ばれてきた。 相棒が、あっ!と声を張り上げる。本当は、ぎゃ〜!と叫びたかったに違いない。 確かにフランゴアサ―ドの二分の一サイズにどっさりの揚げポテトと大きなレモンの輪切りにトマトが大皿の盛られ、 おじさんの右手と左手に一皿づつしっかり握られていた。 そして堂々とふたりの前に一皿づつ置き、にっこり笑った。 その時の相棒が凄(すご)かった。怒りで腸(はらわた)が千切れんばかりであったはずだ。 しかし、おじさんに向かって、言った。「オブリガーダ!(ありがとう!)」と。 昼食代は、プラス4.5、計12.6ユーロになってしまった。 「けいの豆日記ノート」 バスに乗るまで、1時間ほど町の中を散策した。咲き誇ったブーゲンビリアが塀をのり超えて狭い路地側に流れ落ちていた。 路地から見上げた空は青く、夏の陽射しは白い塀白い壁で乱反射していた。 15時30分のベージャ行きのバスに乗り込んだら、ニカッと笑う顔があった。 ベージャからセルパに運んでくれた今朝の運転手だった。胸ポケットから折鶴を取り出し、ひらひらさせた。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2011年5月掲載 |
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