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トマール3の説明 (写真の上をクリックすると大きな写真&コメントのページになります)
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1983年に登録されたポルトガルの世界遺産(文化遺産)で、首都リスボン北東に位置する。 12世紀末に十字軍のテンプル騎士団が建設した、町の丘の上にあるトマールのキリスト教修道院は、 増改築を重ね、400年後に完成した。 12世紀の礼拝堂にはロトンダと呼ばれるドームがあり、16世紀に造られたキリスト騎士団聖堂の集会室は、 マストやロープ、鎖といった大航海時代をモチーフにした美しい装飾のマヌエル様式の窓に特徴がある。 これらが人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。 |
「ポー君の旅日記」 ☆ テンプル騎士団が今も生きる桃源郷のトマール3 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2012紀行文・5≫ 《「家政婦のミタ」で泣く》 相棒は『ボン ディ―ア』(おはよう)と一言発した後は、今朝は終始無口である。 5月24日(木)の朝7時、決して早朝から機嫌が悪いわけではない。 忙しいのだ。ポルトガルに来て、宿での初めての無料モーニングタイム。 食べたり飲んだりに、ただただ忙しかった。 モーニングの内容は、焼き立てのパンとコーヒー、牛乳、オレンジジュース、薄切りのチーズとハムは最低のモーニングだ。 その宿の宿泊料金で朝食の内容は決まる。 高いホテルに泊まれば、豊富な果物があったり多種のケーキがあったりと、千差万別の朝食内容である。 つまり、モーニングはピンキリ、贅沢は言えない。 そういえば、相棒の機嫌が悪い顔を見たことがない。見せないか、ポーが気付かないだけか。 ただ、我慢強いことは確かだ。旅先で腹が痛くても、痛いと言わない。 黙って背を向け、そっと薬を飲む。泣きごとを聞いたこともない。 自分で判断し自分で決めて生きて来たのかもしれない。でも、泣き虫である。 テレビドラマ「家政婦のミタ」で毎回泣いた、と聞く。 今日の予定は、15時11分のトマール駅発で、大学の街として知られる第3都市[コインブラ]に向かい、 ある女性宅に泊めてもらう手筈を、相棒が組んでいた。 「けいの豆日記ノート」 《700年以上ものトマールの朝》 宿に旅行バック2個を預け、東に向かって歩く。 真っ青な空に眩(まばゆ)い太陽が昇り、暑い一日が始まる。川面を光の帯が走るナバオン川。 そこに架かる橋を渡る。 渡った川沿いの小高い公園には幾つものベンチが並び、ベンチに座ってもトマールの街が一望でき、 その街並越しの丘の上にはデンとおさまる「キリスト修道院」が朝日を浴びて、神々(こうごう)しく浮かび上がっている。 小さなトマールの街は、まさに12世紀から始まったテンプル騎士団城塞建造のキリスト修道院(16世紀まで増改築)に見守られていた。 城塞を造った2年後、その城下町として造られたというトマールの街は、今日まで700年以上もの歳月を刻み息づいてきた、と感じさせた。 ナバオン川沿いに建つ3階建の家々は、白い壁にオレンジ色の屋根を乗せ朝日に照らされ、落差2メートルほどの堰(せき)が滝のように陽射しで輝き、 川沿いに揺れる柳並木は柔らかい緑の舞いを見せ、川風を感じさせてくれる。 川の中州では鴨の母鳥が9羽の子鴨を水浴びさせ、その水飛沫(みずしぶき)が太陽で弾ける。 東のナバオン川と西のキリスト修道院の丘に挟まれた市街地は、ほんの一握りの街である。 石畳の通りは狭いが整然と西から東に幾筋も走り、縦糸のように南北に路地が絡(から)んでいる。 だから、どこからでも朝日に映(は)える丘の上のキリスト修道院が見える。 テンプル騎士団は戦い上手の建造集団でもあった。 その、通りや路地を箒(ほうき)で清掃するお年寄りたちは修道院を仰ぎ胸元で十字を切り、手を合わせる。 その姿が差し込む陽射しに溶け込んで見えた。映像的に心に焼きつく光景である。 カフェやレストラン、郵便局、写真屋などが並ぶ川沿いのマルケス・トマール大通り。 その中ごろにある水車が回る小さな石橋を渡ると、大木が茂るモウシャオン公園に入れる。 ここはナバオン川に囲まれた縦横200メートルほどの小島になっている。 大木の周りは芝生が敷き詰められ、しなやかな曲線を描いた散歩道には洒落たベンチが点在している。 カタカタと鳴る噴水器から朝の散水が始まる。小鳥たちは散水で出来た虹の周りを飛び回る。 朝の公園は勿論トマール市民の憩いの場だ。 15人ほどの男女が斜めに差し込む陽射しの中で太極拳を楽しんでいる。 まさに桃源郷のような、人口15000人ほどのトマールの朝であった。 《市営市場》 散策時間は、たっぷりあった。のんびりトマールの街を歩き回った。 街中のすべての通りや路地をゆっくり歩いても、2時間もかからない。 でも撮影取材をしながらである。6時間ほどかかった。 ポーはこの裏路地を抜ければ何処に出るかほとんど忘れ去っていたが、相棒は優秀な〈地図犬〉であった。 この街の住人のように、あの通りこの路地を抜けて行く。『8年前と少しも変わっていないね〜え』とさえ、吐く。 トトール・カンデイド・マドゥレイラ大通りからナバオン川を渡ると、右手に広大な敷地の中に市営市場がある。 市場はどこの街に行っても、朝が勝負時だ。一日の始まりは市場から始まるのだ。 売り手も買い手も、活気の朝が好きだ。その映像を、相棒は期待していた。 だが、大きな市営市場の建物は静まり、中に入る扉はどこも閉まり閑古鳥状態であった。 つまり、朝市はやっていなかった。ここも郊外に大型スーパーマーケットができ、そのあおりで衰退したのであろうか。 建物の裏手に回ると、白いビニールシートを貼りめぐらした小屋があった。その中には20店ほどの店がある。 八百屋や果物屋、パン屋、チーズ専門店、肉屋がひっそり営業していた。 売り声もなく静まり返った市場には、客の姿もない。なぜか悲しくなってしまう光景である。 古くなった市営市場の建物を壊して新しく建て直す経費不足のためか、将来を見込んだ可能性を考慮した配慮から、このまま静かに消え去ってしまうのか。 「けいの豆日記ノート」 《タブレイロスの祭り》 消えないものもある。街中を歩いていると、店の中に白い衣装に赤い帯のタスキと赤いベルトと1メートル50センチほどの 花の色紙と串に刺したパンとワイン瓶で飾られた筒が目に止まった。 赤いベルトの色は十字軍と共に活動していた時、テンプル騎士団が旗や盾(たて)に使っていたシンボルの十字架印の色と同じだと、ポーには思われた。 4年に一度、7月の上旬に行われる「タブレイロスの祭り」でつかわれる衣装と小道具であった。 普段は静かな町が大勢の人びとであふれるという。 白衣のドレスをまとった数百人の女性が、頭の上に30キログラムもあるお盆の上に飾りもの(タブレイロ)を頭にのせ、トマールの街中を練り歩くというのだ。 現在のように華やかな祭りになったのは、16世紀以降だという。 祭りの発端は、14世紀に修道院に関与したディニス1世のイザベル王妃が、トマールの街の貧しい人たちにパンと肉とワインを配ったことに由来していた。 つまり丘の上のキリスト修道院に対して、トマールの人びとは今もなお感謝を込めた祭りとして生き続いているようだ。 世界遺産のキリスト修道院を崇(あが)めるトマールの街の人びとも、世界遺産であった。 次回は2015年に開催予定である。 我らは運が悪くここに来たのは、前回は2004年4月28日、今回は2012年5月23日〜24日であった。 ぜひ、花で飾られた民家の家並みや花のアーチで飾られた華やかなトマールを見たいものだ。 「けいの豆日記ノート」 《ダビデの星》 街の中心地レプブリカ広場から東に延びるセルパ・ピント通りから2筋南にある狭い通りでダビデの星のマークが入口の扉の上に飾られていた。 もし、このマークに相棒が気付かなければ通り過ぎていた。 8年前も探したのだが、判らずじまいであった。 民家が並ぶ狭い通りには、8年前には「シナゴ―ガ」の案内表示もなかった。 扉を開けて中に入ると、石段があり1.5メートルも下にフロアーがあった。 見上げれば白いドーム状の天井が広がっていた。通りからは想像もできない空間である。 ここはかつてユダヤ教の教会であった。 設立は15世紀にさかのぼるそうで、この街にユダヤの人びとも住んでいたことは歴史的に見ても不思議ではない。 2008年6月9日に、13世紀以降はキリスト騎士団が支配したという[カステロ・デ・ヴィデ]の街に行った時、 旧ユダヤ人街が残る地区に行ったことがある。 かつてこの街に城塞を築いた騎士団の街だ。当時この街には、6000人から8000人の人口の半分をユダヤ人が占めていたという。 スペインから逃げて来たユダヤの人びとを受け入れた街であった。 異教徒には寛大であったポルトガルであった。 その血を受け継いだ人びとが住む急勾配の住宅地は長閑に息づいていたことを、思い出したポーだった。 しかし、1496年にマヌエル1世がユダヤ人追放令を出したことによって、監獄として使われたらしい。 第2次世界大戦後教会として再建され、今は博物館として当時のユダヤ人の資料で埋まっていた。 「けいの豆日記ノート」 《大学生の水かけ祭り》 ナバオン川に囲まれたモウシャオン公園を散策中、トイレ直行状態に襲われたポーは公園内を走った。 相棒の発令はこの小島にはホテルがあったはずだから、そこを目指せという指示であった。 尻を押さえてポーは走っていた。女性には見せられぬ姿ではあったが〈背に腹はかえられぬ〉緊急事態発生だ。 振り向けば、笑いを噛み殺した相棒の慈愛の顔があった。 高級ホテルのサンタ・イリアに飛び込んだ。素敵な古典的トイレであった。ホテルを出たが相棒の姿がない。 呆(あき)れ果て、ナバオン川の撮影にでも行ったかも知れない。 ホテルを一歩踏み出した時、後ろから声がかかった。 『間に合ってよかったね!』相棒であった。相棒もホテルのトイレを借りていたのだった。 水車のある小さな石橋を渡った目の前の、写真屋の店頭で相棒が発見した。 『ポー、見て!これって、水かけ祭りじゃない!』 500枚ほどの記念写真が整然と貼られたパネルが、二重三重と折り重なるように店頭に展示されていた。 水でびしょびしょになった大学生たちが楽しそうに笑っている顔が並んでいた。 タイトルは〈大学生の一週間〉と読めた。水かけ祭りの他に、卒業式やダンスパーティの写真もあった。 2004年4月28日に偶然目撃した光景だった。 まだ朝晩は肌寒い季節にバケツで川の水を汲み、若者たちが相手の頭に水をかけ合っていた。 かける方もかけられる方も、笑顔が絶えない。まさに「水かけ祭り」である。 その大学生たちはレプブリカ広場に集合し、1時間ほど幾つもの輪になって大合唱だ。 そして、広場をきれいに清掃し解散していった。 その夜は遅くまで街の中心地セルパ・ピント通りにあるレストランやカフェは大学生に占領され歓声が絶えなかったが、 毎年の慣例行事として市民にも認知されているようであった。 写真屋の店頭写真は、8年前に見た偶然の水かけ祭りが今も続いていることを証明していた。 なぜか嬉しさが身体の芯から湧きあがって来た。 「けいの豆日記ノート」 《十字のマーク》 トマールの小さな街を歩いていると、この街でしかお目にかかれない光景に出会える。 外壁工事現場にかかるシートには、テンプル騎士団の盾には赤い十字のマークが目を引く騎馬姿のイラストが描かれ、街に溶け込んでいる。 建築会社の看板だが、この街にとっては当然の風景であった。 テンプル騎士団の十字のマークが、沢山整然と並んでいるところがあった。 市営市場の近くに広大な壁に囲まれた市営の墓地である。中に入ると、白い大理石の墓石が陽射しで眩しく並び、生花で守られていた。 ポルトガルの墓地は何処の地方に行っても白い大理石の墓石である。ポルトガルは世界的にも高質な大理石発掘産地として名高いためだ。 剣の形をした十字の真ん中に盾があり、そこに〈COMBATENTES〉戦士と書かれた鉄製マークが埋め込められた 白い大理石の墓石が何十基と並んでいた。 まるで、テンプル騎士団の墓石のようにだ。この戦士たちは、どんな人々なのだろうか。 《また逢う日まで》 陽射しの中を歩き回って一休みすることにした。路地をぬって相棒が行く。 昨日のレストランでサグレス生ビール(0.95)、水(0.8)にケーキ(1.7)計3.45ユーロ。 100円もしない生ビールが、五臓六腑に沁み込んでいく美味さ。 万歩計を見ると、1万と122歩。ケーキを食べて相棒は、レジに向かう。 頭髪の薄くなった親父に相棒が何か言っている。 店を出た路地で丘の上のキリスト修道院を見上げていると『ポー、言ってみるもんだね、0.8ユーロ返してくれたよ!』と相棒が笑っている。 「けいの豆日記ノート」 昨夜、食べていないパン代を払わされたのを悔しがっていたが、そのことを訴えたら返してくれたという。 レストランに入ると、必ずバケットにパンが4個ほど盛られ、オリーブが載った皿を置いて行く。 その時、いらないと言わなければ、食べても食べなくとも料金に加算されてくるから、いらないというシグナルを必ず送らなければならない。 でも、よくもやる、相棒であった。 ポルトガル第2都市のコインブラに行く時間も迫って来た。今度この地を訪れる時は、タブレイロスの祭りのためだけに来たいと思う。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 |
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