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(小さな漁村・カマラ・デ・ロボス)
Portugal Photo Gallery --- Camara de Lobos

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カマラ・デ・ロボス1
カマラ・デ・ロボスの町

カマラ・デ・ロボス2
小さな漁村

カマラ・デ・ロボス3
岬の見える丘

カマラ・デ・ロボス4
ジラン岬

カマラ・デ・ロボス5
岩場

カマラ・デ・ロボス6
段々畑

カマラ・デ・ロボス7
光る海

カマラ・デ・ロボス8
海辺のレストラン

カマラ・デ・ロボス9
あとつぎ

カマラ・デ・ロボス10
修理中

カマラ・デ・ロボス11
釣り

カマラ・デ・ロボス12
オープン会議

カマラ・デ・ロボス13
バックシャン

カマラ・デ・ロボス14
オレンジの屋根

カマラ・デ・ロボス15
オープンカフェ

カマラ・デ・ロボス16
坂の町

カマラ・デ・ロボス17
坂道

カマラ・デ・ロボス18
路地

カマラ・デ・ロボス19
散歩

カマラ・デ・ロボス20
仲良し

カマラ・デ・ロボス21
高台の公園

カマラ・デ・ロボス22
天使のブランコ

カマラ・デ・ロボス23
空にむかって

カマラ・デ・ロボス24
公園のオブジェ



≪マデイラ島の地図≫

☆カマラ・デ・ロボスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
地名の意味は、カマラとは穴、ロボスはオオカミ。つまりオオカミの穴。
フンシャルの中心からホテル地域を抜けて15分のくらいドライブしたところにある。
深い海辺に小さくまとまった感じの町である。
色とりどりの漁船が集まるこの島有数の漁港である。
チャーチルが晩年を過ごして、絵を描いた家がある。

「ポー君の旅日記」 ☆ 小さな漁村のカマラ・デ・ロボス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・18≫
    === 第六章●マデイラ島フンシャル起点の旅B === カマラ・デ・ロボス

          《漁村カマラ・デ・ロボスに行く》

 テラスに出る白ペンキ塗り木製の戸を開けると、抜けるような青空が飛 び込み、白いちぎれ雲が大空を遊ぶように浮かんでいた。 それに、朝日に輝く大西洋からフンシャル港に入っていく白い豪華客船 がヴォーと音を響かせ、目の前のオレンジ屋根の上を左から右に向かって 移動していく姿が見える。また、港から大西洋に向かって出航して行く豪 華客船が朝陽に浮かび上がる。
 高台にある宿の3階からの展望は、まさに 絵本の世界を見る景観であった。その動画に心がドキドキして思わず相棒 に向かってポーは叫んでいた。  「カメラ、カメラ!」と。それが、11月5日(日)の早朝だった。

 1階に下りると「けいこ、ボンディーア!」とミラおじさんが笑顔いっ ぱいで迎えてくれた。勿論、相棒は笑顔で「おはよう!」と返す。朝食の オマケであるスクランブルエッグがテーブルに用意されていた。
 「今日は何処に行くんだい?」『カマラ・デ・ロボスです』「いいところだ よ」大柄なミラおじさんの眼鏡越しの目は、父親のように優しかった。 今日もまた、笑顔に送られ宿を出た。

 「けいの豆日記ノート」
 前にも書いたが、モーニングがとても楽しみだ。 暖かいできたてのモーニングは、朝から、幸せになる。 ここでは、パンをトーストにしてくれた。 薄切りのパンにバターをぬっただけでも充分なおいしさだ。 パンを食べ終わると、「もっと食べるか?」「それだけでいいのか?」と聞いてくる。 もっと、もっと泊まっていたくなる気持ちになるのは、自分だけではないだろうと思う。

 今朝はカフェのおばあさんには会えなかった。坂を下らずに登り、住宅 地を左折してバスターミナルに向かったからだ。きっと、あのおばあさん は我々に会えると信じ、小さな椅子に座り待っているに違いない。ごめん なさい。相棒のシャターが鳴っている。民家の屋根すれすれにロープウエ イのゴンドラが昨日行った名物《トボガン》の里、モンテの町に向かい青 空の中をゆっくり登っていった。

 始発15分前に、バスターミナルに着いたが人影がない。30分以上も 待って始発のバスがやっと来た。乗客はふたりだけだった。カマラ・デ・ ロボスまで、バス代は一人1.40ユーロ〈224円)だ。
 市営バスはフンシャルの海岸線をバス停ごとに止まり、進む。乗り降り する市民の生活の香りを刻んで進む。その小さなバスの旅が、ポーには嬉 しかった。
 バスが走る海岸線には高級ホテルの優雅な建物が続き、金さえ出せば裕 福なホテル生活が過ごせると感じながら、一停また一停とのんびり各停を バスは刻み、ふたりは心地よく揺られて移動した。乗客は8人に増えた。 車窓を走り抜ける大西洋の紺碧の海を満喫しながらの25分間だった。
 カマラ・デ・ロボスのバス停でふたりを下ろした市営バスは、6人の乗客 を乗せて遥か彼方に見えるトンネルに向かって走り去っていった。その光 景は、ポーにとっては絵本のパステル画の世界に思えた。

 「けいの豆日記ノート」
 バス停がどこなのかわからなかったせいもあって、バスターミナルに行くことにした。 地図でみると、ホテルの裏側の道を登って行くと、近道であることがわかった。 町の中心からはずれたところにある学校の横を通っていった。 バスターミナルの上は、ちょうどロープーウェイが走っていた。
 だれもいないバスターミナルでやっと乗務員を見つけた。 「カマラ・デ・ロボス」のバスを訪ねるとここでよさそうだ。 バスターミナルの中をうろうろしていると、1台のバスが出発しようとしていた。 さっきの乗務員が自分たちがバスに乗っていないのを見つけて、出発しかけたバスを止めてくれた。 このバスに乗り遅れると1時間以上待たなければいけなかったのだ。

 降りたバス停の背後には、急斜面の段々畑が青空の彼方まで伸びている。 その広大な段々畑はマデイラ産のバナナ畑だった。 このバナナは年間4〜5万トンも輸出されているらしい。 ポーの脳裏に、この島の首都フンシャルの市場で食べさせてもらったバ ナナのあの味がよみがえる。マデイラ島の小ぶりなバナナは、築地市場に も名古屋市場にも現れないと思うが、この美味さは本物のバナナの美味さ があった。
 味見をさせてくれた市場の青年の声が耳元で弾けた。「マデイラ産のバ ナナは、幻のバナナと呼ばれているんです」 誇らしげに呟いた、そのバ ナナが深い緑色の房でたわわに実っていた。
 バナナについて、ひとこと。初めてバナナを食べられたのは、小児喘息 で入院したベットの中でしかなかった。昭和20年代、ポーがまだ小学生 時代のことだ。それも真っ黒な干しバナナだった。あの味は今もポーは忘 れられない。

          《カマラ・デ・ロボスで絶景ジラン岬を見た》

 そして、道路の反対側には海面がちらりと見えるがレストランの建物が 視界をさえぎる。走り去る車をぬって道路を横切ると、レストランの先に えぐりとったような地形が飛びこんできた。深い眼下にU字型の小ぶりな 美しい入江が大西洋にそっと両手を差し伸べているように見えた。 その要がひと握りの漁港だ。その漁港に色鮮やかな漁船が陸あげされて いる。漁港の背後にはオレンジの屋根と白壁の家々が密集し、丘に向かっ て連なっていた。

 えぐりとったような狭い漁村であったが、紺碧の海に包み込まれ、そこ に住む人々の日常生活の暖かさが伝わってきた。 ポーは、この光景の美しさに打たれ、なぜか納得した。それはカマラ・ デ・ロボスという地名だった。持参しているポ日辞典で引くと、カマラと は、室。ロボスとは、狼。〈狼の室〉と直訳できる漁村だったからだ。
 道路から小さな漁村を俯瞰(ふかん)すると、深い海辺にある漁村は生 きていくためには安住の温もりの寝ぐらに感じられるせいかも知れない。 小さい漁港だが昔から鮪、鯵、鯛、黒い太刀魚、銀色の太刀魚などの魚 を追い求め、フンシャルの市場に直送する良港だと後で知った。

 その〈狼の室〉に向かって急坂を相棒のシャッター音と共に駆け下って いた。まじかに見ても漁港は小さかった。10mもない色彩鮮やかな漁船 が30隻ほどぎっしり陸あげされ、青年が船底の貝を削り落とし青いペン キを塗っている。
 海辺で8人ほどの男達が煙草を吸いながら話し合っていた。カード遊び でもしているのかと思ったが、海図を見ながら明日の漁の打ち合わせを真 顔で話し合っていた。

 「けいの豆日記ノート」
 公園のベンチに座っているのは、いつも男性だった。 カフェでエスプレッソコーヒーとワインを飲んでいるのも男性だった。 公園の片隅のテーブルでトランプゲームをしているのも男性だった。 市場で働いているのは、ほとんどが女性である。 ポルトガルの女性が働きものなのか。 でも、夜とかの漁業の仕事などとかで、 見えないところで男性が活躍しているのだと思う。

 入江の岸壁は釣り人天国だった。釣り人もその様子を眺める人もこの地 に来た観光客だ。ポーも岸壁から覗きこむ。透明な海の中に泳ぐ魚群がは っきり見える。釣り好きなポーは、わくわくする。釣り糸を垂らしたくな っていた。(見える魚は、釣れないとは知ってはいたが・・・)  入江の先っぽは黒い溶岩でおおわれている。そこを抜けると海辺に手す り付きの狭い急斜面階段があった。

 相棒の行動は素早い。登れば何処かに抜けられると判断しての行動だ。 それが、気ままな何時もの撮影取材だった。見た目以上に石段は急できつ かった。左の手すり側は断崖で大西洋の紺碧の海面が眼下で波飛沫を上げ、 右側は岩場の壁だ。石段の上から相棒の声が降ってきた。
 『怖いねー! 一人だったら登って来れなかったよ!』
 「慌てないで、ゆっくり登れ! 落ちてきても受け止められないから、 よけるぞ−!」とポーは声を返す。でも、石段は狭かった・・・・。

 そして、上でまた声が上がった。歓喜の声だった。ポーがたどり着くと 石段の狭い踊り場で相棒はシャター音を響かせていた。レンズの先には今 まで見たこともない絶景が波間の先に広がっていた。
 削り取ったような赤い岩肌が海面からそそり立っていた。目測500m ほどはあろうかと思える赤い岩肌の断崖絶壁の岬だった。その光景だけで も圧倒されるのに、その断崖絶壁の上を白壁の建物がへばりつくように大 空に向かってはいあがり伸びていた。それも断崖すれすれにだ。 それが、紺碧の海と青い空の空間に割って入り込んで来た、赤い断崖絶 壁の≪ジラン岬≫であった。

 「けいの豆日記ノート」
 高いところは、登ってみるのがモットーだ。 城跡や城壁は、高いところにある。 高いところは、見晴らしがよいから敵の攻撃も早く見つけることができたからだ。 それに、攻めにくいということもあるかもしれない。 狭い石段は登りはいいが、帰りの降り道のほうが怖い。 手すりのない石段は踏み外しそうであった。
 ジラン岬は、絶壁であった。 こんな絶壁になんで家が建っているのか不思議であった。 崖崩れとか、ないのだろうか。 天気がよく青空がとてもよく似合った。 公園には、小さなかわいい花がたくさん咲いていた。

          《天空のブランコで楽しむ天使に出会った》

 海辺の斜面にサボテンが花をつけ大西洋の海風に揺れる狭い石段を抜け ると、花が咲き乱れる丘の上に出た。さすが南国の楽園であった。青い小 粒の花が咲き乱れる中に簡素な丸太組のブランコがあり、眼下に見える漁 村の屋根を越し、青空に向かって髪の毛の長い少女達が前後に大きく揺れ ていた。その光景にポーの心も揺れていた。今までこんな優雅で晴れ晴れ とした至福の空間を見たことがかつてあったろうか。 爽(さわ)やかな海風と燦燦(さんさん)と照りつける陽射が丘の上に 建つ〈天空のブランコ〉を優しく包み込んでいた。 そして、そのブランコで無心に遊ぶ天空を舞う少女達は〈天使〉だった。

 「けいの豆日記ノート」
 狭い階段を登ると公園があった。 ブランコをこいでいる子供たちが見えた。 手前に小さな花が咲いていた。 花を入れてブランコの子供たちを撮ってみた。 子供たちはきずいているのかいないのか、無邪気にブランコを順番にこいでいた。
 ブランコの公園を1周して、町に降りる坂道まで来た。 公園の出入り口付近で、ワンちゃんをつれた少女に出会った。 学校の帰りなのか、バスタオルを持っていた。 カメラに笑顔で写ってくれた少女も無邪気そのものであった。

 〈天使の丘〉から住宅地の急坂を下った。オレンジの屋根越しに紺碧の 入江の海が見える。相棒のシャッターの音が軽やかに響く。それが心地よ く伝わってくる。日本の〈尾道の町〉で体験した、あの急斜面を下るのと 同じ感触だった。
 作家・林芙美子が住みついた尾道の世界を彷彿(ほうふつ)した思いだ。 昭和5年〈放浪記〉がベストセラーになった林芙美子は、翌年念願の巴里 紀行一人旅をした。作品《下駄で歩いた巴里》を初めて読んだのは、昭和 39年・東京オリンピックの年だったが、衝撃的であった。
 昭和の初めパリに一人で向かう無謀さに惚れた。シベリア鉄道で行くし かない当時を考えると女一人旅をする勇気に心が打ちのめされた。今のよ うに飛行機で簡単に行ける旅ではなかったのだから。作家・林芙美子は、 まさに〈放浪の達人〉であった。
 林芙美子みたいな旅をしたいとは思うが、彼女みたいな度量がポーには ない。ポーに出来るのは、毎年ポルトガルを相棒と、一日二万歩の写真取 材を続け、ポルトガルの人々との出会い旅を写真展で報告して行くことだ けだった。

 坂を下ると漁村のメインストリートに出た。小さな漁村だから狭いと思 っていたが意外と道幅が広く、漁師の家も白壁を美しく塗り上げぎっしり と並び、その家々の間に狭いカフェがあり食堂もある。また、気楽に泊ま れそうな民宿が幾つも見られ、漁村の中心地には小さな教会が、石畳の先に 陽射を受けて物静かに建っていた。急坂を登ったり下ったりした脚は棒の ようになっていたので、教会に入り休むことにした。しかし、内部に入って ポーは釘づけになった。入り口は狭いが奥が深かった。収容人数は100 人は軽く入れる広さがあり、その中で20人ほどが祈りをささげていた。

 今日は日曜日だ。漁師の家族は午前中に祈り、漁に出た漁師達が今祈っ ているのかも知れない。もう昼下がりなのに 人数の多さに驚いたからだ。 漁師は毎日が船底1枚の死と隣り合わせの生活をしているため、信仰が厚いのかと思う。 中央の祭壇は、暗がりの中でやわらかい明りで浮かび上がっている。装飾 も木目細かく彫り込まれ渋い金色で輝いている。そして、やや高い位置に 十字架に張りつけられたキリスト像が ひときは印象的に 浮かび上がってい る。思わず膝を着き 手を合わせたくなるほどであった。雰囲気に痺れたポ ーは、島の漁村で思いもしなかった教会に出会え、感動した。

 「けいの豆日記ノート」
 日曜日だったので、ほとんどの店が閉まっていた。 カフェとレストランくらいしか開いていなかった。 昼も時間もすぎているので、途中の道々レストランを探していたが、見つからなかった。 トリズモが見つからなかったので、この町の地図もなかった。 (あとでわかったことだが、トリズモもなさそうであったとしても マデイラ島の全体の地図しかないようだった。)  フンシャルからのバスが止まった場所にレストランがあったこと思い出した。 すこし高そうな気がしたが、他に見つからなかったのでここにすることにした。

          《天ぷらを食べる》

 カマラ・デ・ロボスに着いてから2時間も歩いていた。休もうと思ってい た教会だったが雰囲気に圧倒され、木製の黒光する長い椅子に座ることな く10分ほどで外に出た。11月なのに太陽の陽射はきつかった。
 『ポー、お腹すいたね、お昼にしようか!あのレストランで・・・』と 相棒がいった。あのレストランと言われてもポーにはピンと来なかったが、 昼飯と聞いて脚の痛みも忘れ先を行く相棒の後を追って〈狼の室〉から坂 道を這い上がって自動車道路に出た。

 来たとき降りたバス停前のレストランの入り口に、給仕の姿をした人形 がメニューを持って立っていて、それに〈ランチスペシャル〉フィシュ・ チップス・サラダ9.5ユーロ(1520円)と書いてあったからだ、と言っ た相棒はその人形に駆け寄って人形と同じポーズをとっている。仕方なし にポーはデジカメを向けた。撮った。

 道路から建物の下を潜り抜けると眼下に〈狼の室〉が一望できるテラス に出た。そこに細長くテーブルが10ヶ所並んでいて、5組がランチ中だ った。給仕が薦めたテーブルに座ると別の給仕が氷の上に魚を並べてやっ てくる。魚には背番号みたいに、12とか15とか6とか紙に書いた数字 が貼りつけられている。
 12というのはその魚が1匹12ユーロ(1920円)で、焼くか炒める かして食べさせてくれるのだろう。眼下の漁村の漁師達が捕ってきた新鮮 な大きな朱色の鯛、黒い太刀魚に銀色太刀魚などだった。刺身は、ない。 『スペシャルランチ1人前に、ビールとレモネード』と相棒が注文した。 〈1人前〉に首を傾げる若い給仕に、二コリ微笑み『ランチは1つよ』と 念押しの人差し指1本を立てる。給仕は納得して微笑み、去っていった。
 『判ったかな−?』「判ったと思うよ!」 その給仕が、グラス1杯のビールとレモネード1杯を運んできた。
 『オブリガ−ダ!』と相棒は言って、青い絵柄の千代紙折り鶴を渡した。 若い給仕は目を輝かせ「オブリガード!」と弾けてくれた。素敵な笑顔を いただいた。ググッと冷たいビールが咽喉を抜け胃に流れ込むのが心地よ い。テラスの足元からそのままえぐられた地形の美しさを改めて堪能した。 そして、マデイラ島に来て良かったと感じた。チャーチルが晩年この漁村 の丘の上に住み、絵筆を楽しんで過ごしたと聞いて、ポーは頷き、給仕の 言葉に素直に納得した。

 そこに別の給仕が料理を運んできた。大きな皿に揚げ物、揚げポテト、 サラダで山盛りだ。しかも、1人前だ。相棒はホッと、安堵の表情。
 揚げ物を食べた。さくっとした歯ざわりで、中はふんわり。太刀魚の味 だった。相棒も『美味しいね、これって天ぷらだよね!』(ポルトガル語 でも〈天ぷら〉は〈テンプラ〉という) 顔を上げた先に料理を運んでき た給仕が微笑んでいるのに、相棒は驚く。
 「けい、オ・リ・ツ・ルだよ」ポーは察知して相棒に目くばせした。3羽折 り鶴を給仕仲間の分も考え、貯めこんでいたバックから給仕に渡した。 「オブリガード!!」を重ねて言って、笑顔いっぱいに給仕仲間の輪に走 り込んでいった。

 勘定の際に相棒は、当然折り鶴を更に10羽お金と一緒に差し出した。 厨房からウオ−ッ!と歓声が聞こえてきた。若い給仕にあげた1羽の折り 鶴が厨房まで羽ばたいていたとは思ってもいなかった。
 フンシャルに帰るバス停で相棒は、手持ち不足になった折り鶴を立った まま折り始めた。陽射はまだ天空高くで輝いていた。遥か先のジラン岬を 貫通するトンネルから市営バスが走ってくるのが見えた。

 「けいの豆日記ノート」
 レストランで料理を頼む時は、一人分だけである。 二人で一人分でいいこと説明するのは、けっこうたいへんなことである。 指を一つ出して、一つということを強調しても一人で一つなのかと思われてしまうこともよくあることだ。 だから、くどいようでも何度でも確認するようにしている。 それでも、二人分でてきてしまったときは、いらないともいえず、食べることになるのだが。 持って帰れそうなポテトなどは、ビニールにいれてこそっとしまう。 なんとせこいのだろう。

          《あの、コロンブスに会う》

 街中に入る手前で市営バスを降りた。ガイド本の地図を見ると、フンシ ャル港沿いに大きな公園がある。サンタ・カタり−ナ公園だ。南国の太陽 が照りつけるのが心地よい午後2時過ぎだ。まだ散策時間は充分にあった。
 花が咲き乱れる公園の中に大西洋に向かって見詰める像が目を引いた。 近づき台座の彫り字を見ると、コロンブスと読めた。アメリカ大陸を発見 した、コロンブスだった。ガイド本には、砂糖の買い付けにやって来たコ ロンブスはポルト・サント島の領主の娘と結婚し、このフンシャルで航海 論を学んだとある。小学校の社会科で学んだ、あのコロンブスにマデイラ 島フンシャルの公園で会えるとは思わなかった。

 公園の目の前はフンシャル港。そこで目の当りに出来たのは、豪華客船 の勇姿だった。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。いっぺんに憧れだった 世界を優雅に航行する豪華客船ばかりだった。こんなに簡単に見てもいい のかと尻込むほどの景観であった。世界の豪華客船が日替わりで入港して くるマデイラ島フンシャル港に圧倒された。あの豪華客船の一つ一つの客 室の窓の中から海洋を見詰めて旅を続ける人々の人生って、どんな人たち なのだろうかと、ふと思うポーだった。

 「けいの豆日記ノート」
 サンタ・カタリーナ公園は高台にあるので、フンシャル港がよく見えた。 広い庭園の中に池があり、ベンチやまわりの芝生で、みんながくつろいでいた。 奥のほうには、小さな遊具があって、子供たちが遊んでいた。 公園の真ん中付近に銅像が立っていた。 落書きだらけであった。 塀とか壁とか落書きはたくさんあるが、銅像まで落書きだらけとは。 さすがにコロンブスの銅像は落書きはなかったが。

         《メロンが、夕食》

 スーパーマーケットで夕食の調達だ。相棒の目的はひとつ、それはメロ ンだった。一昨日食べたあのでっかいメロンのひとり食いが、忘れられない。 なにせ、顔よりでかいメロン半分で、1.72ユーロ(275円)だ。  その他に、赤ワイン1ビン0.89、水1ボトル0.19、マンゴ1個1. 06、計3.86ユーロ(618円)だった。
 相棒の夕食代は275円。ポーの夕食は赤ワイン代の143円だった。 良く食べ、良く飲んだ。日本食が恋しくなる2週間が過ぎていた。でも、 愛しのポルトガルの旅を続けていると、その貧乏生活が少しも苦になって いなかった。むしろ、その地で過ごす日々を楽しんでいた。暢気(のんき) と言えば暢気だった。こんな旅が出来るのも〈今〉しかない。感覚的には、 それで充分だった。

 「けいの豆日記ノート」
 とにかく、メロンがおいしい。市場では、丸ごとしか買うことができない。 スーパーなら、半分に切って冷やしてあるものが買える。 冷蔵庫がないので、冷えたメロンは、うれしかった。 甘いメロンだけの夕食は、糖分取り過ぎかもしれない。 そんなこと気にしない、気にしない。

 メロンで満腹満足な相棒は、撮ったフィルムに通し番号をマジックペン で書いている。テレビ画面からは、ドラえもんが頭の上に竹とんぼをつけ て空を飛び、ポルトガル語をしゃべっていた。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年3月掲載

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
前途多難の予感のポルト4 ・2出会いのポルト5 ・3ドウロ川終着駅のポシーニョ ・4アルトドウロの基点のレグア2
輸送基地のトウア ・6ワインの里ピニャオン ・7中継バス地点のヴィア・レアル ・8地上のメトロのポルト6
日本語補修校のポルト7 ・10大学の町のコインブラ2 ・11コンデイシャとコニンブリガの遺跡 ・12宮殿ホテルのブサコと天然水のルーゾ
13フィゲイラ・ダ・フォス ・14リスボン3 ・15サンタクルスとエリセイラ ・16フンシャル
・17モンテ

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