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(溶岩の海のポルト・モニス)
Portugal Photo Gallery --- Porto Moniz

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ポルト・モニス1
溶岩の海

ポルト・モニス2
天然のプール

ポルト・モニス3
溶岩のプール

ポルト・モニス4
釣り人

ポルト・モニス5
海に続くプール

ポルト・モニス6
静かな時間

ポルト・モニス7
雨の町

ポルト・モニス8
人のいない町

ポルト・モニス9
アロエの花

ポルト・モニス10
バス停

ポルト・モニス11
レストラン

ポルト・モニス12
マリア

ポルト・モニス13
ウェイター

ポルト・モニス14
マリアとテラサ

ポルト・モニス15
霧雨の町

フンシャルの夜景

フンシャル73
夜の客船

フンシャル74
夜のレストラン

フンシャル75
ヨット型レストラン

フンシャル76
夜の焼き栗屋

フンシャル77
ヨットハーバー

フンシャル78
海辺の道路

フンシャル79
テラスからの眺め

フンシャル80
夕刻の港

フンシャル81
クルーザーが通る



≪マデイラ島の地図≫

☆ポルト・モニスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルト・モニスまでの道は「黄金の道」と呼ばれ、スリル満点の連続である。
大西洋の荒波と岩壁がいかにも最果ての町といった感じである。
溶岩が創造した天然の巨大なプールが売り物になっている。
町の後ろには見上げんばかりの棚状の畑が積み重なっている。

「ポー君の旅日記」 ☆ 溶岩の海のポルト・モニス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・19≫
    === 第六章●マデイラ島フンシャル起点の旅C === ポルト・モニス

          《島の北西端ポルト・モニスに行く》

 島に来て初めての霧雨が降る宿を出て、昨日乗ったバスターミナルに向 かう。石畳の坂道を登っていくと左手下に校舎が見えた。昨日はなかった 子供達の声が聞こえてきたからだ。校庭で子供たちが始業前の時間を霧雨 の中でボールを追いかけ跳び回る声だった。驚いたのは、その広い校庭全 面が芝生でおおわれたサッカー場になっていたからだ。まさに、フットボ ール好きのポルトガルの校庭であった。その校庭が霧雨の中で緑色に輝いていた。
 石畳の坂道を下ると民家のオレンジの屋根すれすれにケーブルカーの無 人ゴンドラが次々に山に向かい、白い霧状になった幽玄の世界に溶け込ん でいくのが見える。町の中心地に向かう坂道の車道を駈けあがったところ にあるバスターミナルには、昨日は一人もいなかったのに4人の乗客が待 っていた。通勤にしては遅い9時発のポルト・モニス行きのバスが車庫か ら現れた。今日は11月6日、霧雨が舞う月曜日であった。

 島の北西端にあるポルト・モニスまでは70km余り。乗車時間は3時 間だという。運賃は片道一人4.4ユーロ(705円)だ。バスツアーだと 42ユーロ(6720円)かかる。勿論、昼食代込みで、案内つきだ。でも、 案内説明があっても内容が解せないし、それにも増して料金が高すぎた。  我々のバスツアーは、市営バス各駅停車を使ってのバス代往復1410 円。それに、昼食代一人分で500円でおさえる。それに、なによりも、 自由な撮影時間がたっぷりあった。
 暗算しても、2000円弱ですむ。ふたりでも4000円だ。島の滞在 宿泊費の2泊代でもあまる額で旅が出来た。これは、我ら貧しき旅人にと っては計算しなければならない至福の数字だ。それを、瞬時に弾き出すの は、相棒の日々の貧しい生活計算能力のお陰だった。スーパーで買い物を し、レシートを凝視して、2割引が2割引になっていないことを見定める とレジの女性に駈けより『違うわよ!』と。ポーはレシートをじっと眺め たことはない。レシートのポイ捨て派だ。ポーには到底出来ない頭の回転 生活能力を、相棒は持っていた。

 「けいの豆日記ノート」
 スーパーで買い物をしたら、レシートをすぐに確認する。 これは、いつもやっている。 意外とけっこう間違いが多いからだ。 家に帰ってから気がついても少しの金額なら、またスーパーまで来る気になれないので、 そのままになってしまうだろうと思う。 レジ係りはバーコードでピッピッなので割引シール以外は間違えることがないと思う。 バーコードの値段の設定が適正でないことがたまにある。 日替わり商品や特売のものは、特に注意が必要である。 少しでも安いものをと、値段を確認して買うので、レシートの値段のちがいがわかる。 悪く言えばケチで、よくいえばしっかりしているのだろうか。

 6人を乗せた市営バスはバスターミナルを出ると坂道を下って海岸通り に向かう。島にも、月曜日のラッシュアワーがあった。道が狭いことと、 信号が少ないこともあって、狭い道は大渋滞だ。そのフンシャルの繁華街 を抜けなくてはポルト・モニスには行けない。
 バスの運転手は路地から次々に割りこんでくる自動車に向かって運転席 の窓から顔を出して、大きな声で指示を出す。運転手は50代のお腹の出 たバス運転経験30年のベテランおじさんなのかもしれない。ひょっとし たら、おじさんは町の人気者なのだ。おじさんの指示には素直に従う規律 が出来ているようだった。次々に迫る渋滞を、軽やかに整理して行くおじ さんの術に目を見張る軽快さが心地よい。ポーは手さばき、いや、声さば きの良さに感心し、運転手に向かって拍手を送った。その拍手の音に振り 向いたおじさんは、弾ける笑顔をくれた。
 相棒が言った。『やるジャン!』と。その相棒の言葉が運転手に判るは ずもなかったが、心が通じたのか、終点のポルト・モニスまで何時もおじ さん運転手は優しかった。混雑する中心地を20分もかけて抜けると、後 は順調に各バス停で客を下ろし、乗りこませ、海岸線を進んだ。 昨日堪能した漁村カマラ・デ・ロボスのバス停を発車すると、霧雨から小 雨に変わったカーテン越しに見える断崖絶壁ジラン岬のトンネルに向かった。

 トンネルの先にある海岸の町には、白、黄色、青、桃色のアジサイが咲 いていた。日本なら5月6月頃なのに11月のいま、島はアジサイが真盛 りだった。そのベイラ・ブラーヴァの町にあるバス停から、乗客12人を 乗せた市営バスは海岸から狭い坂道を北にそびえる山に向かってノロノロ と登っていった。小雨はやんでいたが、空には黒雲がベターと貼りついて いる。
 30分もすると、大西洋の海も遥か先に見えるほど高地の狭い道を唸っ て市営バスは登っていた。急斜面にはバナナ畑や葡萄畑が段々畑となって 谷底深くに向かい、その段々の斜面に貼り付くように白い壁にオレンジの 屋根をのせた農家が点在していた。
 南国の木立が茂る山間を登り、ポサ−ダ・ド・ヴィニャコスのバス停を過 ぎると、さらに道はくねくねと曲り、市営バスは唸って喘いで登って行く。  車窓の眼下は、登ってきた山道がパステル色の緑の中に曲線をチョーク で引いてきたように見える。
 『美しい景色と言うより、怖いね』と、相棒が窓からカメラを突き出して シャッターを切る。その遥か先には、島の南面の大西洋が灰色に沈んでいた。

 「けいの豆日記ノート」
 せっかく念願のマデイラ島にきたのに、交通手段が少なかった。 トリズモ(案内所)で買ったバスの時刻表を地図と比べて何度も見直した。 バスは、走っているが、数えるほどしかなく、行って帰ることを考えると、 乗れるバスは、1本だけだったりする。 このポルト・モニスも1本しかなかった。 途中下車したいところはあったが、降りると次のバスがない状態だ。 なので、目的地のみしか行けなかった。 タクシーやレンタカーを借りれば済むことなのかもしれないが、したくなかった。 お金をかけない旅をモットーにしているといえば、聞こえはいいが。

 このマデイラ島は標高1800m級から1000m級の山々がある火山 群島に属し、マデイラ島もかつて噴火した島なのだ。そして、メキシコ湾 流の影響を受ける亜熱帯式気候の地であった。木々が茂る、この狭い山道 は海抜1000m以上はあるかもしれない。ハンドルを切りそこねれば、 奈落の底に転げ落ちていくしかない。そんなエンクメア−ダ峠のバス停で 登山姿の男女ペア−が降りた。マデイラ島は海を楽しむだけでなく、山岳 を尾根づたいに散策する楽しみもあるようだ。 運転席からおじさんが振り向いて相棒に語りかけた。
 「日本人かい?」『はい、日本から・・・』「そうか、嬉しいね」『どうし て?」『日本人が私の運転するバスに乗ったのは初めてだからよ」  30年市営バスを運転していたとしても、1度も日本人に会っていない はずはない。考えられるのは、市営バスに乗っての観光ではなしに、タク シーかツアー観光をしたためだと思う。市営バスを使うスケジュールの余 裕などなかったのだろう。

 8人を乗せた市営バスは息を整えて、20分ほど山中を走ると視界が急 に開け、ロザリオのバス停に着く。 ここからは島の北側の大西洋が雨雲の下で広がった。 運転手のおじさんが「どうだい、綺麗な町だろ。私は大好きだ」と相棒 に語りかけた。後は、下るだけだよ、とおじさんはひとこと言ってサイド ブレーキをはずした。
 車窓の風景が、右に左に移るたびに北側の大西洋に抱かれたサン・ヴィ センテの町が近づいて来る。山からの急斜面がそのまま海辺に落ち込む地 形に挟まれた小さい町であったが、サボテンや名の知れぬ島の木々が茂り、 教会の周りに民家がゆったりと建ち並び、白い壁にオレンジの屋根が色鮮 やかに暖かく、目に焼きついてくるオアシスみたいなほッと安堵する町だ った。

 おじさんが言ったように、美しい景観であった。絵にしたいくらいの情 感があるが、ポーは絵下手なので悔しい思いをした。おじさんはシャター を切る相棒を思ってか、振動を和らげる運転してくれる配慮があった。 そのこころ根がありがたかった。その優しさにポーは感謝していた。  山から海に流れ込む幅10mほどの川筋にあるバス停で、おじさんはサ イドブレーキを手前に引いて「15分休憩!」と乗客に声をかけた。

 時計は11時37分を指している。フンシャルから2時間37分かけて 島の反対側にたどり着いた。15分の休憩ではサン・ヴィセンテの町を散 策する時間はない。相棒はカフェに飛び込みトイレを借り、アイスクリー ムを手にバスに乗りこんできた。勿論、1個だ。ポーは食べないものと決 めている。「ビールは?」と聞いたところで『ハッ?』で決まりだ。だか ら、そんな愚問は言わない。
 おじさんは、一服の煙草を美味そうに吸って いた。ポーはおじさんに聞いた。ジェスチャー込みの会話だ。「バス運転 何年なの?」「32年だ」「何で、この町が好きなの?」「女房の里だから さ」「奥さんが好きなんだ−!」 おじさんは息を吐いた。そして「女房、 去年・・・」と語尾を切った。ポーは息を飲み込み「ご免!ねっ」と。
 アイスクリームを舐める相棒から千代紙で折った折鶴を1羽もらい、運 転手のおじさんにそっと渡した。奥さんに・・・と。おじさんは、煙草を 灰皿でもみ消し、手のひらの折鶴を見詰め、相棒に向かって「オブリガー ド!」ありがとうと、胸に十字を切って満面の笑みをくれた。

 おじさんの運転する市営バスは、軽やかに海岸線の右側を終点の町ポル ト・モニスに向かった。 左側は断崖絶壁、右側は大西洋の海岸通りを軽快におじさんは飛ばした。 トンネルを抜けたら50mほどの断崖から布引き状の滝が流れ落ち、道路 一面を濡らし、滝の飛沫がフロントガラスに貼りついてきた。タイヤが水 面を切る音に変わった。当然、開けた窓から飛沫が飛び込んで来た。慌て て相棒はカメラをコートにねじ込んだ。『間一髪!セーフ!』と相棒は叫 び、スリルを楽しむ余裕があった。

 「けいの豆日記ノート」
 長距離を走るバスには、必ず、途中で休憩タイムがある。 バス停をかねているカフェでの休憩だ。 カフェでトイレを借りたり、飲み物を頼んだりする。 初めのころは、途中で降りるのに抵抗があった。 バスにおいて行かれたら困ると思っていた。 水分を取らないようにしてトイレにいかなくてもいいようにしていた。 なので、ほとんど、おりたことはなかった。
 でもだんだん旅慣れてくると途中で降りことにも抵抗がなくなってきた。 バスの運転手さんは、乗客のことちゃんと覚えていてくれる。 カフェで置き去りにして出発してしまわないことわかってきた。 ポルトガルでは、当たり前のことかもしれないが。 運転手さん、信用していなくてごめんね。

          《溶岩の町ポルト・モニスで折鶴教室》

 12時02分、鋭い自然造形の黒い溶岩岸壁に波飛沫が舞うポルト・モ ニスに着く。予定通りピタリ3時間だった。さすが市営バス運転歴32年 のおじさんだ。相棒はおじさんに頭を下げ、お礼を言って別れた。 おじさんは赤い折り鶴をヒラヒラさせて、<アデウシュ!>さようなら と声を震わせてちょっと寂しげに手を振った。流ちょうにしゃべれればも っともっと、話をしをしてみたいおじさんだった。

 市営バスから降りたのは10人足らず。それでも50人以上の観光客が 確認できた。ツアー観光の観光客だろう。観光バスが2台あったからだ。  帰りのバス出発時間を確認した。当然、相棒だった。
ポルト・モニスの第一印象は、黒い溶岩のギザギザ岩が海岸線を形作っ ていることだった。噴火で流れてきた溶岩が大西洋の海に流れ込み、その まま固まってしまった姿を残していた。
 その不気味に配置された黒い溶岩を生かした、海岸公園に向かった。 波飛沫が打ち寄せる溶岩で囲まれた広い空間で泳ぐ青年がいた。そこは、 ここの名物、海水プールだった。雨雲が張り出す中での平泳ぎだ。どこに もいる変人か。ポーはそのプールに手を入れてみた。海水の方が、暖かっ た。でも、南国の島とはいえ11月の初旬だった。泳ぐ気は起こらない。 青年に拍手を送るしかないとポーは思う。

 その時、大粒の雨が降り出した。振り向くと、相棒はカメラを懐に包み 込み10m先に見える白いレストランに走りこんで行くのが見えた。瞬時 の行動力は相変わらず素早かった。 ピンクの布がかけられその上に、白い大きな紙が敷かれた丸テーブルが 30ほど並ぶ店内は明るく新装開店みたいだ。でも、昼時なのにガラガラ だ。朝からの雨模様では、観光客がわざわざ何もない島の果てまで来る筈 はない日だ。ツアー客は、前々からのバス会社馴染みのレストランに吸い こまれて行くのが見えた。ポーは相棒が駈け込んで行った白いレストラン に走りこんだ。

 「けいの豆日記ノート」
 初日、リスボンを出た時は雨でもマデイラ島に着いたら晴れだった。 空港に着いた時の青空がとてもうれしかった。 でも、今日は、雨だった。 小ぶりなのが幸いといえば、そうなのだが。 雨模様の海は、どんよりしていて、写真を撮る気持ちが薄れていく。 カメラも濡れないように気をつけなければならない。 危険をおかしてまでも撮るような被写体もなく、雨宿りをすることにした。 レストランでゆっくりバスが来るまで待とうと思った。

 窓辺のテーブルに座り相棒はカメラを拭いていた。予備カメラが壊れた ら撮影取材は終着だ。(予備の予備カメラは持ってこなかった)
 「大丈夫?」『命だよ、必死だよ! 大丈夫だったよッ』と相棒。ポー は安堵した。安心したら、腹が鳴った。
 顔の小さな色白の25歳くらいの可愛い女性が注文取りに来た。笑顔が 素敵だ。相棒は、注文した。何時もの勘だった。メニューを自信ありげに 指差した。トマトスープ1つ2.5、フライドチキン1つ7.5、それにレ モネード2.0、ビール2.0ユーロ、計14ユーロ(2240円)だ。 昼食はふたりで1000円と決めていたが、ひとり1120円だ。それ より安く組み立てる注文料理がなかったのだと、ポーは判断した。
 なにせ、料理は1品ずつしか頼まないケチケチ旅を毎回続けているので こちらは何の抵抗もないが、店側は何時も、あれと?と思っているはずだ。 こんな観光客はいないのかもしれない。でも、彼女は、平然として笑顔を 崩さなかった。笑顔に、陰りがない。素直さがいっぱいで暖かさを感じさ せる女性だった。
 相棒が言った。『あの人は、子供がいるよ。生まれて・・・間もないか もョ、ポー』と。「どうして?」『カメラマンの勘よ!』「・・・・・」  勘よ、と言われれば、ポーは絶句する他なかった。

 窓ガラスに雨音が響くほどの雨脚になった。相棒が帰りのバス出発時間 をメモした小さなノートには4時間後が印されていた。その時間をどう過 ごすか問題だ。この4時間をどう過ごすか、途方に暮れるポーだった。 ゆっくりと一味一味、たとえ注文した料理がまずくとも我慢して味わい、 時間延ばしをして、ここに留まっていなければ4時間は過ごせない。でも、 とうていふたりで1品づつの料理では、持つはずもない。この雨では何処 にも行けないし、行く当てもない。舐めるように食べるしかないと、ポー は覚悟した。

 1品目が、来た。あの女性が笑顔いっぱいでトマトスープをテーブルに 置いた。甘酸っぱいトマトの香りが、美味そう。しかも、その量が2人分 ほどある。1人前だと言ったのが、彼女に通じなかったのか。それほど、 不安になるほどの量であった。相棒の反応は早かった。『これ、1人分よ ね?!』 彼女は当然です、と可愛い笑顔で応えてくれた。相棒はホーと 息を抜き、やったね、という笑みをポーに送ってきた。それほど、スープ の量が多かったのだ。スープ用の器がちゃんと互いの目の前にあった。 スープ代400円をふたりで満喫して飲んだ。咽喉越しの風味が絶品だ った。身体が芯から温まってくる気持ち良さがあった。

 2品目がスープを飲み乾すと同時に運ばれてきた。フライドチキンだ。 これも大皿に3つのふっくら肉厚のこんやり焼けたチキンに、レタス、ト マトの輪切りサラダ、マカロニサラダ、人参の細切りの上にオリーブの実 が一つ、それに揚げたポテトの山盛りだった。一皿1200円、美味い。 お腹がいっぱいになる量であった。ぱくぱく食べたので、30分も持たな かった。やばい。時間がたっぷり残ってしまった。あの娘が微笑んで皿を 下げに来た。『エ ボン!おいしい』と言って、相棒は彼女に折鶴を1羽 差し出した。目を丸くして折鶴を手のひらで受けた。
 『オリズル、グロー』「オ・リ・ズ・ル?」一瞬、彼女の頬に赤みが灯る。 折鶴を大切そうに持ち皿を運んでいった。厨房の方から彼女の明るい話し 声が聞こえてくる。窓ガラスの外は暗く、雨脚は途切れる様子がない。 さて、これからどう時間をつぶすか思案をめぐらした。

 「けいの豆日記ノート」
 レストランの料理はあまり期待しないことにしている。 なんせ、適当に頼んでいるので、なにがでてくるのかわからない。 肉の種類だけは、わかってもどういう味付けなのかがわからない。 好き嫌いがなく、ほとんどの料理は食べれるのだが、以前にどしても食べれない料理があった。 名物となっている料理でおいしいのだろうが、食べ慣れない味はどうも・・・ いつもきれいにカラにする皿が、不覚にもほとんど手つかずであった。
 ここのレストランのチキンはおいしかった。 添えてあるポテトもおいしかった。 あまり頼まないスープもおいしかった。 マデイラ島は観光客が多いので、味付けとかがヨーロッパやアメリカ向けになっているのだろうか。 たまたま、選んだ料理が当たったのかもしれないが。

 その時、あの娘が洒落た服装の30代の女性と若いウエイターを連れて 近づいて来た。彼女は折鶴を差出し、何か言ったが瞬時には理解できなか った。「折鶴をこの人達にもくれないかって言ってるんだよ」とポーが言 うと、相棒は違うよ、折り方を教えて欲しいと言ってると思うよ、と。
 相棒は判断して、バックから千代紙を取りだし、折る仕草をした。彼女 の可愛い顔が崩れ、そうだそうですと、大きく何度も頷いた。

 ポルトガルを旅するようになって何十回目の《折鶴教室》が始まった。  客は誰も入ってこないし、この雨だ。まさに、渡りに船の心境だった。 あの彼女は1歳の子供がいるというマリアで、もう一人の女性は店のオ ーナーのテレサ、ウエイターの名は発音が難しく聞き取れなかった。 テーブルを囲んだ。相棒が手渡した正方形の千代紙を手にし、美しい! きれい!と声に出して眺めた。
 『では、始めるわよ、まず・・・』と堂々の、日本語で始まった。 折鶴教室では今までの経験で、日本語で教えても、充分伝わることを相 棒は知っていた。『まず、角と角を、こう折るの。ずれないように正確に よ!』 先生は、3人が折るのを確かめ、次のステップへ。折り回数が進 むにつれて、生徒達の器用さに差が出てくる。先生は我慢強い。武器は笑 顔だ。生徒の手に手を添えて先生は、優しく折る。生徒達は1枚の紙があ のふっくらした美しい折鶴に変身するのか、不安気に折っている。

 最後の折り、鶴のくちばしを折ると出来あがりだ。1番手はウエイター、 2番手はテレサ、3番手がマリアだった。 マリアの手先は、器用ではなかった。そして、先生は、折った鶴の下に 両手の薬指を当て、両方の翼をそれぞれ親指と人差し指で挟みエイッ!と 声を出して引っ張る。折鶴が立体的に誕生した。生徒達は、ワオーッ!と 歓声をあげた。そして、自作の折った鶴を言われたように摘んで、恐る恐 る、エイッ!と声を発して、引いた。どっと、喜びの歓喜の声が弾けた。 信じられないという、絶賛の声だった。3人の生徒は肩を抱き合った。
 市場のおばさん達や、バス停のおばあさん達、列車の中での子供達、教 会の前での学生達の《折鶴教室》で弾けに弾けたあの顔この顔が浮かんで きた。もう、折鶴を味わってくれた生徒達は、軽く200人を越している だろうとポーは嬉しく思う。
 3人の生徒達は、相棒の手をかわるがわる握り締めていた。窓ガラスに は、雨の雫が幾重にも伝わり落ちていた。

 2羽目は自習だ。あの彼女に相棒は集中した。飲み込みが遅いが熱心だ った。1歳の娘の目の前に、自分で作った折鶴を何羽も飛ばしたいと、見 せてあげたいと願って、何度も相棒に挑戦した。そして、10羽目で折り 方を習得。彼女は目に涙を浮かべた。オブリガ−ダ!ありがとう!の連発 だった。ポーも彼女が子供に贈りたという熱意に打たれた、始めて見た折 鶴一筋のマリアの愛に感動して、その心の執念に感動し、胸が熱くなって いた。目尻に沸いてくる熱い雫をポーは、必死にこらえたが、まっいいか と、相棒の顔を避け、素直に落とした。相棒が彼女に、そっと千代紙1セ ット20枚を渡したのを左目の端で目撃していた。マリアの頬に一筋の真 珠が滑り落ちていくのをポーは確かに、見た。

 「けいの豆日記ノート」
 こんなに時間をかけて折り鶴を教えたことはなかった。 普通は、1回限りのことが多い。 いっしょに折ったというだけで、次からは、ひとりで作ることはできないだろうと思う。 相手も覚えようという気持ちもないだろうが。
 何度も聞いてくるマリアは、真剣であった。 「子供が寝ている上にたくさんの鶴をぶら下げたい。」と言っていた。 折り方をマスターしたいという気持ちが伝わってくるようだった。 レストランが暇なこともあって、ゆっくりと教えることができた。 親善大使などというオーバーなことでなく、友達ができたようなうれしい気持ちであった。

 オーナーのテレサがワイングラスを2つ両手に運んできた。この島、マ デイラ島産バナナワインだが、ぜひ飲んで欲しいという。二人は、ありが とう! オブりガード! オブリガ−ダ! を連発して、遠慮なく飲んだ。 ひょうきん者のポーは「マデイラバナナ ヴィーニョ! エ ボン!  マデイラバナナワイン!まいうー!」と、吐いていた。オーナーのテレサ に感謝の気持ちが通じたのだろうか?

 テレサが言った。テーブルに敷いてあるこの紙は、折鶴には出来ないで しょうね、と。1mはある正方形だ。やわらか過ぎるテーブルクロスだっ た。折った。5分で相棒は折鶴に仕上げた。丸テーブルいっぱいの大きな 折鶴だった。テレサは感動し、店の天井に吊るしてもいいか、と聞く。相 棒は微笑んで頷く。テレサは店の看板にすると、相棒の両頬にキスをした。

 ありがたいことに、雨もやみ、バスの出発まで10分もなかった。 3時間以上もの、雨宿りをさせてくれた。レストランの名前は今も忘れ られない。《Vila Baleia Restaurante》ヴィラ バアレイア レス トラン。心に焼き付いて忘れられない至福の出会いのレストランだった。
 マリア・ツリザさんは、いまでも折鶴を折ってくれているだろうか。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年4月掲載

掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
前途多難の予感のポルト4 ・2出会いのポルト5 ・3ドウロ川終着駅のポシーニョ ・4アルトドウロの基点のレグア2
輸送基地のトウア ・6ワインの里ピニャオン ・7中継バス地点のヴィア・レアル ・8地上のメトロのポルト6
・9日本語補修校のポルト7 ・10大学の町のコインブラ2 ・11コンデイシャとコニンブリガの遺跡 ・12宮殿ホテルのブサコと天然水のルーゾ
・13フィゲイラ・ダ・フォス ・14リスボン3 ・15サンタクルスとエリセイラ ・16フンシャル
・17モンテ ・18カマラ・デ・ロボス

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