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(わらぶき屋根のサンタナ)
Portugal Photo Gallery --- Santana
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フンシャルの午後
≪マデイラ島の地図≫ |
☆サンタナの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
フンシャルから、バスで1時間半ほどで、坂道を登り山岳地帯を抜けるとサンタナだ。
マデイラ島の北側の、標高400mの広々とした町である。
マデイラの伝統的なとんがり屋根の家がいくつか残っている。
「ポー君の旅日記」 ☆ わらぶき屋根のサンタナ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 ≪2006紀行文・20≫ 《夜明け前、大西洋に浮かぶ満月を見た》 朝5時に目が覚めた。3階にある部屋のベランダに出て、まだ暗い夜明
け前の空を見る。名古屋ではなかなか見られない満天の星座が天空を飾っ
ていた。それにオレンジ色の周りが青みがかった満月が、ぽっかりと大西
洋の西の空に悠然と浮かぶ。その満月の中に描かれている月面の姿は、少
年期から見なれていた姿ではなかった。ウサギが餅を突いている様にはど
うしても見えない。 半袖の下着でも寒くはなかった。テレビを点けるとニュース番組が映っ
た。アメリカのブッシュ大統領が青柄ネクタイで左手の人差し指を目の前
で振り、叫んでいると思ったら画面が急に変わり、ポルトガルサッカーの
結果が延々と続き、ヨーロッパ各地の天気予報に変わる。言葉が判らなく
ても天気予報は国際的表現だ。どうも本土ポルトガルは一日曇りのよう。
でもここは、アフリカ大陸の方が近いマデイラ島だ。晴れると、ポーは予
想した。 「けいの豆日記ノート」 《三角屋根が残るサンタナに行く》 今日も42ユーロ(6720円)のツアー観光バスを使わず、各停どまりの
市営バスで島の北側にあるサンタナに向かった。ロープウエー乗り場の近
くにある市営バス乗り場から10時発で1時間半(3.4ユーロ、544円)
の乗車だ。ツアー観光バスは1日観光の食事付きだから、目的地は同じで
も高い。 市営バスは唸って唸って山道を登る。きのうポルト・モニスに行くとき
径験した山道よりきびしい。でも今日は、南国の太陽光線がまぶしく大地
を包み込み、美しく力強い車窓風景の連続を体験させてくれた。
尾根から尾根に向かって、登っては下るを繰り返す。まるで狭い山道は、
ジェットコースター並みの迫力感と緊張感の遊園地だ。 遠くに1800m級のピコ・ルイヴォ山がとがって見えてきた。大西洋に浮かぶ小さな
島に来ているのを忘れさせるほどの山岳風景だった。その中を市営バスで
相棒もポーも、乗客30人ほどが揺られに揺られていた。
この振動は、20年前日本でも体感したとポーは思う。新潟県の沖、日
本海に浮かぶ佐渡は流人の歴史を刻んできた島だった。それにかつて金山
(きんざん)で知られた島でもある。ポーはこの島に1172mの金北山
を始めとする山々があるとは思ってもいなかった。 山道を下ると、北側のファイアルの町に着く。切り立った断崖がそのま
ま海に流れ込むような溶岩の入江の小ぶりの町だった。
乗客を一人下車させると、また山道に戻って目的地のサンタナに向かっ
た。島の北側に広がる大西洋が見え隠れする山道を進んだ。 「けいの豆日記ノート」 見るものが何もなかったが、坂を下った先20mほどに三角形の茅葺き
の屋根が見えた。バスが着く前に、車窓から相棒は確認ずみのように歩い
て行った。カンナの花が海風に揺れている。その先に見える三角形の茅葺
きの家は入り口の左右に小窓があり、入り口の上にもうひとつ小窓がある。 かつて島の住民は、日本の世界遺産として残る岐阜県の白川郷と同じ茅
葺き屋根に住んでいたと認識させてくれた。しかし、この地に残る茅葺き
屋根の民家は白川郷の茅葺き屋根民家には及びもしないマッチ箱みたいな
小屋だった。白川郷の茅葺きには今も人々が生活を続けているし、昔は一
つの屋根の下で一族50人も一緒に生活していたほどの2階建て、3階建
てという大きな茅葺き屋根だ。 「けいの豆日記ノート」 《滑走路は海の上》 帰りのバス路線は山間部を通らず、険しい海岸線を東に向かって走った。 ポルト・ダ・クルスから東側の海岸マシコを通り、飛行場のあるサンタ・ク ルスの空港脇を走り、1時間半かけてフンシャルに帰ってきた。行きと帰 りの高低差は、1000m以上はあった。 マシコは、東海岸のマシコ川の河口平地にあり、人口1万人もいるらし
い。マシコは歴史的人物、ザルコがマデイラを発見し、上陸したところだ
と運転手がサイドブレーキを引き、振り向き教えてくれた。
この町に途中下車したくなった。隣りの相棒を見ると、口をあけて眠っ
ている。後ろを振り向くと、来るとき一緒に乗ってきた外国人の顔ぶれも
変わらない。皆、帰りまでの1時間半を長く感じて過ごし、バスの出発を
待って再び乗りこんできた仲間だった? その仲間を見ると、ほとんどが
口をあけて眠っていた・・・。 コンクリートの橋げたが、何十本と車窓に飛び込んで来た。青い空から ポルトガルの文字を機体に背負った飛行機が着陸してくるのが見えた。 サンタ・クルスの空港だった。橋げたが、海中から乱立し、空港の滑走 路を支えている命の柱だったのだと、知った。火山地帯の溶岩で成り立っ ているマデイラ島は平地が少ない。滑走路を延長をするためには、海に何 十本もの頑丈な柱を並べ、その上に長い長い滑走路を造ったのだ。その橋 げたが車窓に飛び込んできた。なぜか、その時だけ相棒は目覚め、橋げた の乱立を撮っていた。 シャッターチャンスを物にしている相棒の根性が嬉しかった。 「けいの豆日記ノート」 《マデイラ島フンシャルの午後》 腹が空腹で鳴った。ポーの腹ではない。相棒の、腹だった。
サンタナから1時間半後の午後2時30分、島の中心都市フンシャルの
市営バス終点駅のひとつ前のバス停で降りた時だった。
相棒の頭の中には、フンシャルの地図が焼きついていた。一度通った道
は頭の地図にインプットされる。まるで、犬の臭覚が相棒にはあるようだ。
方向音痴のポーには、そうとしか思えてならなかった。 相棒のシャッターが鳴っていた。 どんな風な人生を生きてきた人々が裕福な船旅を楽しんでいるのだろう か。大西洋に浮かぶ、ポルトガルの〈大西洋の真珠〉と呼ばれているマデ イラ島に思いをはせ、出航して行ったのだろうか。お金持ちの人々の心は 貧乏人のポーには計り知れない。港から港へと、渡り歩いていく豪華客船。 そんな余韻(よいん)を秘めて、豪華客船は白い波走を描き去っていった。 マデイラ島の旧市街地に踏み込んだ。常宿があるエリアだった。
ロープウエイ乗り場の山側にある石畳の狭い路地には、レストランや昔
からの店が残っていた。海岸通りの店に比べたら華やかさには欠けている。
大きな看板があり、料理の写真と料理名・料金が何種類も貼ってある中
華店が目を引いた。今まで5年もポルトガルを歩き続け、幾つものレスト
ランで食事をしてきたが(日本では写真つきの料理メニューはいくらでも
見てきたが)初めてマデイラ島で出会った。店の名は長城飯店。店の前が
オープンテラスになっているが、客は一人もいない午後3時だ。テーブル
に並べてあったグラスを黒髪の島の娘がかたずけていた。相棒が娘に聞く。 男は苦笑して、席を指した。「謝謝!」とポーが言うと、男は目を丸く
し笑顔で、謝謝は日本語でなんて言うのかと聞いてきた。「謝謝、ありが
とう!」男は、ありがとう!ありがとう!と連呼した。日本人の観光客も
たまには来るのかも知れない。全部で10.8ユーロ(1728円)だった。
中華の味だった。腹が減っていたので、美味かった。 「けいの豆日記ノート」 この旧市街地の裏通りは職人街だとわかった。
どの店も歩いているだけでは何の店か判らない。足を止めて薄暗い中を
覗かないと判らないのだ。その店を相棒が覗き入った。半袖姿の40代の
おじさんが古いミシンで靴を作っていた。背後の棚に、ベージュ色のなめ
し皮で、履く口元には暖かそうな白いふかふかの毛(うさぎ)がほどこさ
れ、女性には喜ばれそうな半ブーツが並べられていた。でも、最近その需
要が減っていると寂しそうに語ってくれた。 閉ざされた店の2軒目。また相棒が薄暗い店を覗きこむ。MADEIR Aと黒帯に白い文字で書かれたストロ−ハットを巻きつけた、帽子を作っ ていた。あのトボガンを後ろから操縦する若者がかぶっていたストローハ ットだった。この店が代々作ってきたのだ。この裏通りの店が、トボガン とつながっているとは思わなかった。その偶然の出会いが、ポーは嬉しか った。だから、一日二万歩の旅がやめれらない。 3軒目の店。相棒が歓喜した。ラヴラドーレス市場の花売り娘(おばさ
ん達)が着ていたスカートの布地が芯に幅3mほど巻きついている布地を
見た。相棒は物静かなおじさんに『売ってくれますか?』と言った。テー
ブルクロス(写真展会場の)にしたいんだな、とポーは察知した。 「けいの豆日記ノート」 《あこがれの四ツ星ホテル》 その裏路地で、ひとりがやっと通れる程の小道に出会う。
見たら、行く!が、歩く旅の約束だった。勿論、先頭は相棒だった。何
処に通じる小道だか、その時は判らなかったが我らの宿に向かった坂道の
狭い路地だった。が、あり得ない光景が飛び込んで来た。ブルーのプール
が目前に飛び込んで来た。四ツ星のホテルの中庭だった。我らの安宿の道
下が高級ホテルだったと初めて知った。 内部を案内してくれた。3階の部屋は4☆だったが窓から見える大西洋
は我々の安宿から見る景観のほうが迫力があった。それは、このホテルの
屋根の上を豪華客船が走っていくように見えるからだ。映像的に、だが。 「けいの豆日記ノート」 海沿いの道にもどった。 海辺の石畳は、街路樹が長くみどり色に続く心地よい散歩道だった。そ の時、白髪のお年寄りに会う。街路樹には、いっぱい実がついていた。葉 っぱが胡桃(くるみ)の木に似ていた。おじいさんは実を割って、これは 渋くて食べれないと教えてくれた。話好きのおじさんの笑顔がいつまでも 続く。胡桃ではなかった。歩けば、いい人に出会えるものだ。 昨夜会った海岸通の焼き栗の夫婦に会いたいと、相棒が言った。
スーパーで、相棒好みのあの半切りの安くてでっかい美味いメロンを買
って、夜空の中に飛び出した。
フンシャルの港町はネオンがレストランを飾る。ヨットの形を浮き彫り
にするレストランは、かつてあのビートルズが全盛期の頃持っていたヨッ
トの停泊船着場だと店の青年が自慢そうに教えてくれた。
夜空に、星空がちらほら見えて来た。 *「地球の歩き方」参照*
終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年5月掲載 |
掲載済み関連写真===≪ポルトガル写真集≫2006年版旅日記
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