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(コロンブスの航海論のフンシャル 2)
Portugal Photo Gallery --- Funchal 2

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フンシャル55
フンシャルの町

フンシャル56
高級ホテル街

フンシャル57
展望台からの眺め

フンシャル58
クリスマスイルミ

フンシャル59
カテドラル

フンシャル60
天使とバルーン

フンシャル61
フンシャル港

フンシャル62
ヘリポート

フンシャル63
コロンブス

フンシャル64
植木職人

フンシャル65
高台のホテル

フンシャル66
庭園のテラス

フンシャル67
滑車

フンシャル68
えんとつ

フンシャル69
ミュージアム

フンシャル70
ペアのふたり

フンシャル71
トヨタのアズレージョ1

フンシャル72
トヨタのアズレージョ2

サンタ・クルス (マデイラ空港)
Portugal Photo Gallery --- Santa Crus

サンタ・クルス1
マデイラ空港

サンタ・クルス2
空港バス

サンタ・クルス3
アロエの花

サンタ・クルス4
空港のマスコット

サンタ・クルス5
山あいの家並み

サンタ・クルス6
飛行機

サンタ・クルス7
タラップ

サンタ・クルス8
作業車

サンタ・クルス9
屋上からのぞく

サンタ・クルス10
海上の滑走路

サンタ・クルス11
キャンディ売り場

サンタ・クルス13
空港への道

サンタ・クルス12
マシコの町

サンタ・クルス14
サンタナからマシコへ

サンタ・クルス15
マシコの競技場



≪マデイラ島の地図≫

☆サンタ・クルスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
マデイラ島の空港のある町である。
檀一雄の愛した町のサンタ・クルスと同じ名前である。
リスボン、ポルトのほかに、ヨーロッパ各都市からも定期便が出ている。
フンシャルまで、空港バスが走っている。30分ほどで、フンシャルに到着する。
海の上の橋に滑走路が造られている。

「ポー君の旅日記」 ☆ フンシャル2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2006紀行文・21≫
    === 第六章●マデイラ島フンシャル起点の旅F === フンシャル2

          《ミラおじさんとの別れ》

 憧れだったポルトガル領のマデイラ島に来てから6日目。  ポルトガルの首都リスボンから1000km南下したマデイラ島は、ア フリカ大陸の北部モロッコの西海岸にある映画好きには忘れられないタイ トル〔カサブランカ〕沖に浮かぶ《大西洋の真珠》と呼ばれる島だ。1時間 半の飛行があった。
 マデイラ島に来てからすでに39本のフィルムを相棒は使っていた。 この日も朝焼けがベランダ越しに見える大西洋の空に浮かぶ白い雲をピン ク色に染めている11月8日(水)、夕方の7時45分発の飛行機でポル トガル本土の首都リスボンに戻る朝だった。
 それまでのマデイラ島フンシャル散策だ。 足の向くまま、気の向くままの1日を楽しめばいいのだ。犬みたいな臭 覚抜群の相棒(写真家)に託すことにした。動きの動作はのんびり者だっ たが(撮影時の瞬発力は別ものだが)頭の中は行動力に満ちあふれていた。

 宿の主人ミラおじさんが朝食時に言った。  「今日で会えなくなるんだね、ケイコ」  寂しげな瞳がうっすら濡れていた。スクランブルエッグを持つ皿が心な しか小刻みに揺れている。焼き立てのパンを頬張りながらポーはミラおじ さんの優しさを感知していた。日本からフラりやってきた日本人に宿の主 人は心を配ってくれ、いつもやさしく接してくれた。最上階の見晴らしの よい部屋を与えてくれたのも、このヨーロッパ屈指のリゾート地の島で、 格安の宿泊代にしてくれたのもミラおじさんの優しさからだった。
 5泊分(ひと部屋分で、1泊30ユーロ×5=24000円)の宿代を支払った。 「これで、1杯飲めるよ。」といったミラおじさんのジョークは健在だった。 相棒と夕方5時までペンサオン〔ミラ・ソル〕のジョワン・オルタ主 人(ミラおじさん)の宿に荷を預け飛び出した。

 「けいの豆日記ノート」
 フンシャルで泊まったペンサオン「ミラ・ソル」は、値段以上にいいホテルであった。 見晴らしのいいベランダ付きの部屋、手作りの温かい朝食、やさしいミラおじさん、ほんとラッキーであった。 きっと、以前に泊まった日本人もそう感じて、ガイド本におすすめの宿として紹介したのだと思う。 値段の高いホテルは、いいに決まっている。 逆によくなければ、問題になるだろう。 いつも最低線の値段で泊まっているものにとって、当たり外れはよくあることだ。 あまり期待していないだけに、当たりだとすごくうれしい。

          《フンシャルの最後の散策》

 燦燦(さんさん)と輝く真夏日のような陽が、真っ青な空から照りつけ ていた。マデイラ島の首都フンシャルにいる我々に天が与えてくれた夏び より模様だ。充分に楽しんでいけと思わせるマデイラ島フンシャル最後の 日の、歓送日和(かんそうびより)ともいえた。
 石畳の坂道を下ると、待っていた。小さな椅子に座り、あのおばあさん が<ボン ディ−ァ!>と声をかけてきた。相棒が『おはよう!』と大き な声で応える。<オハヨウ!>と、おばあさん。ボケていなかった。反応 がいい。さすが、観光地で長年生きてきただけの知恵があった。島に来る 者の心をはずすことがない。ゆうに80歳は軽く過ぎている年輪が顔の皺 に刻まれていた。

 ラヴラド−レス市場は相変わらず市民と観光客で賑わい、華やかさがあ る。売り声にも南国らしい明るさに満ちていた。一日中、賑わっている市 場はほかに知らない。市場前の狭い通りは、バスやタクシー、小型の自家 用車、歩く人々であふれ島の中心地フンシャルを盛り上げているようだっ た。この活気は本土にはない。ヨーロッパ各地から季節を問わず長期滞在 でやってくる人々が狭い坂道だらけの避暑地に集結するのだから、一年中 混み合っているのは当然なのかもしれない。
 なにせ、この島は祭りが多い。カーニバル、国際ゴルフトーナメント、 クラッシック音楽祭典、ワインフェスティバル、クリスマスのイルミネー ションなど1年を通じて人々を飽きさせない行事がお出迎えなのだ。
その大きな赤と青の円錐形クリスマスイルミネーションが完成し、青空 に向かってそびえていた。今夜にも点灯式があるのかもしれないが、我々 はそのきらびやかに夜空を飾る姿を楽しむことが出来ない。その頃は、本 土の首都リスボンに向かう飛行機の中だ。

 急坂を登っていた。喧騒(けんそう)の中心地からちょっと石畳の坂道 に入れば車の音もしない静寂な市民の住宅地だった。市民にとってはこの 急な坂道が毎日の生活圏なのだ。その坂道に沿って家の中に入る玄関ドア が並ぶ。坂道なのでドアの下には水平に作った足踏み場がある。水平な足 踏み石を見ればいかに急坂に家が建っているかがよく判る。  その足踏み台に座りおじさんが坂下になった右足を踏ん張りながら、片 手にサグレスビールを握りしめ声をかけてきた。
 <日本人だね> ポーが頷くと、ビールを1口美味そうに飲んで言った。 <目だよ目、日本人の目だ。横浜に貨物船で行ったことがある。30年前 になるかな> おじさんは嬉しそうに坂下に広がる大西洋の海を見下ろし、 若い頃が懐かしそうに、リスボンから出航したと話してくれた。
 そう言えば、1年以上も香港からバスのみでロンドンまで旅を続けてい た《深夜特急》の著者である沢木耕太郎が、リスボンにあるサン・ジョル ジェ城でベンチに捨てられた新聞から船の入港日と出航日が告知されてい る船の動静欄を偶然見つけて、長旅を止めて日本の帰ろうかと迷うシーン を思い出す。
 その欄で、南アフリカのケープタウン経由でボンベイ、シン ガポール、マニラ、神戸、横浜に行く貨物船(若干の客を乗せる)がある ことを知って、作者は1年以上もの一人旅に終止符を打って、貨物船に乗 り日本に帰ろうかと心が揺れ動いたのだ。(このシーンは、なぜか鮮明に 覚えている)
 目の前のビール片手の小柄なおじさんは、もしかしたら未知の海洋に旅 だったポルトガルの大航海時代の勇敢な船乗り魂とその純血を受け継いで きたかもしれない。そうポーは、思いたかった。

 「けいの豆日記ノート」
 フンシャルの地図にキンタ・ダス・クルーゼスというマデイラを発見した ザルコが住んでいた館が載っていた。 少ない見どころのひとつなので行ってみようと思っていた。 なので、地図のとおりに坂道をどんどん登っていった。 それらしい、塀に囲まれた建物はあったが、閉まっていた。 開館している時間のはずなのに。 閉まっているものは、しかたがない。 ひょっとするともっと上のほうにあるのかと歩いていった。
 ビールを飲んでいるおじさんにであった。 陽気なおじさんは、カメラを向けるとポーズをとってくれた。 「少し先を曲がるといいよ」といっているようだった。 教えてくれた道を曲がると、城壁があった。 展望台になっているようだった。 博物館の見学より、ずっとよかったと思う。

          《急坂の上には、城壁があった》

 相棒と更に急坂を登っていくと、城壁跡が見えた。 ピコ要塞だった。誰もいないこの要塞はガイド本にも載っていなかった。 石畳の通路をヘトヘトに息も絶え絶えに登り詰めると、緑いっぱいの庭に 出た。オリーブの木が並びその先に15m程の石積みの要塞が美しい曲線 を描き青空に溶け込んでいた。近づくと小さな城門があった。中に入ると 空洞の部屋になっていて何もない。要塞には受付もなく人もいない。
 石を積み重ねた階段があったので登ってみた。2階は石を敷き詰めた広 場になっていて、2m程の石積みの壁は所々凹型の食込みになっている。 その凹空間から敵の襲来に矢を放ち、銃弾を撃ち込んでいたに違いない。
 しかし、今はフンシャルの町を展望するには最高のポジションであった。 佐渡が島ほどの小さなマデイラ島の中心地フンシャルの景観は一級品の眺 めだ。人口10万人の町の美しさはリスボンのサン・ジョルジェ城から見た リスボンの町より色鮮やかな透明感にあふれていた。

 「けいの豆日記ノート」
 こんなにいい場所があるとは、知らなかった。 もっと早くこればよかったと思った。 前に坂の上を走るバスの中から、町並みをむりやり撮ったのに、その必要もなかった。 フンシャルの町がすてきに迫ってきた。 だれもいなかったが、観光に来た人は、ここまを知っているのだろうか。 知っていても、この急坂を登ってくるのは、かなりたいへんなので、来ないかもしれない。

 青空に11月の入道雲が真っ白にわき、蒼い大西洋が陽射できらめく。 その空と海の境になだれ込んだ溶岩の岬が黒く見え、目線を手前に引くとフ ンシャルの家並みが白い壁とオレンジの屋根を重ねフンシャル港まで連なり、 港に停泊する巨大な豪華客船が視野に入る。豪華客船から目を左に転じると、 家並みが急斜面の山に向かって軽やかに波が打ち寄せるようにはい上がって いくように展開する。 フンシャルは島とは思えない広大な美しい≪都市≫であった。  『ポー、マデイラ島の神様がくれた景観だね』  相棒が珍しく城塞で、感傷的に吐いた。ポーは、素直に頷いた。

 30mもあるレンガ色の煙突が公園の中央ですくと天を突く。青空に浮か ぶ白い雲をつらぬくほど高かった。何に使われた煙突かはわからない。 街中のスーパーマーケットに立ち寄った相棒は土産を買った。チョコレー トだった。空港で買うより同じ製品が格安だったからだ。下調べはポーが知 らぬ間に調査ずみだった。相棒は常に先を見透かしての行動力がある。カメ ラマンの職業病?かもしれない。この病(やまい)がないと一流カメラマン にはなれないとポーは確信している。

 「けいの豆日記ノート」
 先を見透かしているわけではない。 同じものなら、安く買いたいだけである。 空港であってもポルトガルとフランスでは、値段がちがう。 日本でもそうだが、スーパーで買うのが1番安い。 お土産は、あまり買わないのだが、留守番の家のものには、少しだけいるかなと思う。
 缶に入ったキャンディも買ったのだが、帰りのマデイラの空港でひっかかった。 手持ちにしていたのだが、缶の中味を調べるとかで、開けられそうになった。 缶のセロテープをはがそうとしていた。 ここで買ったお土産だということをアピールして、なんとか開けられずにすんだ。 これを教訓にして、リスボンの空港では、手持ちにしないで、スーツケースに入れることにした。
 (なんでもかんでもスーツケースにつめこんで、重量オーバーになり、リスボン空港でカバンを広げて店開きしていまった。 重いものを出そうと思い、ワインも手持ちにしたら、チェックのところで、とられてしまった。 せっかくのワイン2本、もったいなかったなあ・・・あ〜あ)

          《マデイラ最後の食事》

 午後1時を告げる教会の鐘が鳴った。 フンシャルはリゾート地、マデイラ島の高級料理を食べようと思えば至る 所に高級レストランはある。(いちど入ってみたいとは思ってはいたが・・) 今までポルトガル各地を旅してきたが、その機会がなかった。財布を握って いるのが相棒だった。だから、ポルトガル料理で何が美味しいの?と聞かれ るのが一番つらい。高級料理を知らなかったからだ。聞かれたとき返す言葉 はいつもひとつしかない。それは、鰯の炭火焼が最高だと答えるしかない。 レモンを絞るとジュ−と音をたて、香りが飛び散るあの瞬間が好きだと。そ して、頭からがぶりと食らいつく。至福のまいうー!だ。(本当にうまい!)
 昼飯は、旧市街地の中華レストラン長城飯店。コンニチハ!アリガトウ! 店長の三世から昨日、日本語を教えて欲しいと頼まれた言葉を笑顔いっぱい で大きな声を張り上げ迎えてくれた。ポーも、ボアタルデ!(こんにちは!) と声を張り上げていた。 もやしが沢山入ったやきそばを食べた。マデイラ島、最後の昼食だった。

 中華店からセシリア嬢の高級ホテルを通りぬけると5分もかからず5泊の 宿ミラソルに出た。(セシリア嬢との出会いは、前回を) 預けておいた大型旅行バック2つを宿の外に出した。奥さんのイネスさん は別れを惜しんで坂道で送ってくれたが、宿の主人ミラおじさんの姿はなか った。奥さんが言った。部屋で泣いている、と。また必ずケイコが会いに来 てくれると・・・。男は泣き顔を見せたくない、って部屋で別れを。そんな 人なの、許してやってね、と笑って奥さんが見送ってくれた。
 坂道を下った。 あの、80歳をとうに過ぎたおばあさんがいた。 小さな椅子にでっかい尻を乗せて待っていた。
 ポーは、言わなければと、吐いた。 また、来るまで、そこで待っていてね! 勿論、日本語でだ。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2009年6月掲載

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