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≪2016紀行文・24≫
=== 最終章●リスボン起点の旅 === 下町〔アルファマ〕地帯の醍醐味は〔のみの市〕だった
《明日は帰国》
2016年5月31日(火)の愛しのポルトガル「撮影取材旅」も我らにとっては〔ケチケチ撮影取材旅〕9回目。
その最終日を迎えていた。首都リスボンを楽しく過ごすには、まず歩くことだ。
歩くと楽しさが向うからぶつかって来る。しかし無差別に歩くと一日でへばる。
なにせ、7つの丘の首都と呼ばれているほど、起伏激しく坂道が多い。
それもほとんど石畳。その高低差を楽しみ歩くには、3日ほどに地域を区切っての散策をおすすめしたい。
●1日目【リベルダーデ大通りの縦の中心軸地帯】
この大通りはリスボンの中心地で、道幅が94m・南北1・5kmもあり、中央は街路樹の大木が繁る遊歩道になっており、
左右には銀行・レストラン・商社ビル・在日本大使館などがあるビジネス街通りだ。
この【リベルダーデ大通り】を始め、250年以上も前の1775年のリスボン大地震の後、リスボンを再建復興させたのがポンバル侯爵。
そのポンバル侯爵は、この坂道大通りのてっぺんにある【ポンバル侯爵広場】で巨大な円柱の頂(いただ)きに
ライオンを従えた銅像となって眼下の1・5kmの大通り、
その先の繁華街バイシャの街並、そして海のようなテージョ川を見詰めている。
「大通りの縦の中心地地帯」についてもう少し細かく言うと、リスボンの〔中心地〕は
リスボンの町が一望できる緑豊かな【エドゥアルド7世公園】から階段状の坂道続きの【ポンバル侯爵広場】と
【リベルダーデ大通り】を下り、16世紀末から隣国スペインに支配された屈辱の60年間を1640年に
ポルトガル再独立を勝ち取った記念の【レスタウラドーレス広場】から【ロシオ駅】前を通り、
初代ブラジル国王になったドン・ペドロ4世のブロンズ像があるリスボンのへそと言われる【ロシオ広場】。
一日人で賑わう人気の広場をへて、碁盤の目状の【バイシャ地区】の繁華街を抜け、勝利のアーチを潜ると、
広大な【コメルシオ広場】が広がる。
真っ青なポルトガルブルーの空の下には【テージョ川】。
この広場の川岸から15世紀の「ポルトガル大航海時代」が始まり世界の海を制したのだ。
ここまでが、縦の中心軸地帯である。
この中心軸に、首都リスボンの魅力が詰め込まれていると思う。
そのため、この縦軸散策は、我らの撮影取材旅には欠かせないゾーンだった。
「けいの豆日記ノート」
ポンバル侯爵広場の北にあるエドゥアルド7世公園は幾何学模様の刈込がきれいなフランス式庭園になっている。
公園のバス乗り場周辺には、ジャカランダの並木道があり、花の咲く時期になると薄紫のすてきな通りになる。
祭りと花だけはその時期に行かないと見ることができない。
ポルトガル撮影取材を始めたころは、料金の安い冬場に行くことが多かった。
冬でもアーモンドの花や椿の花が咲いていてよかったが、
話には聞いていたジャカランダの花を見たくて5月から6月の時期に行ってみた。
話を聞くのと実際に見るのとは、感動具合がぜんぜん違うのである。
やっぱ、実物を見ないとなあ・・・
●2日目【15番・路面電車でポルトガル世界遺産地帯】
リスボン中心部からテージョ川沿い6km西にある「ポルトガル世界遺産地帯」は、一日中それこそ見るもの出会う物に感激感嘆の連続で、目一杯楽しめる。
始発は【フィゲイラ広場】だが【コメルシオ広場】からも【カイス・ド・ソドレ駅】からも15番・路面電車に乗って30分。確かな管理、
丁寧な保存がなされているポルトガル大航海時代を代表する建造物に出会える。
ポルトガル黄金期を象徴する【ジェロニモス修道院】。3度会いに行ったがまた行きたい。大袈裟にいえば、ここだけで一日いられる。
この修道院は当然の世界遺産だが、マヌエル1世が1502年に着工し、海外からもたらされた富をつぎ込み凡(およ)そ1世紀かけて完成させた。
マヌエル様式を代表する壮麗な建築美、将にポルトガル大航海時代の栄華、ポルトガル海洋王国の記念碑だと称賛されている。
この修道院を建てた目的は、大航海時代の幕開けを飾ったエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、
新天地開拓へ乗り出して行く航海安全を祈願してマヌエル1世が着手したのだ。
惚れ込んだ野老の〔ジェロニモス修道院〕の見どころ。
〔内部回廊一階二階〕ロープや珊瑚など大航海時代を象徴するモチーフが繊細で、中庭を囲む55m四方の回廊は幾重にも施されたアーチが織り成す空間を生み出している。
〔外観西門〕扉の上の大理石に彫られた彫刻は受胎告知やキリストの降誕(こうたん・この世に生まれ出ること)の礼拝は見事な美しさだ。
〔サンタ・マリア教会〕はこの門から入る。教会内部は複雑に交差する高い天井の荘厳さに圧倒される。
〔外観南門〕この門の外観は見応え充分、30分見ても飽きが来ない素晴らしさだ。
1518年作。聖母マリア像を中心に24人の聖人や高位聖職者の像が大理石に浮かび上がる美しさに惚れる。
レース細工のように繊細な彫刻が見事。門の中央にエンリケ航海王子の像が印象的であった。
そして、テージョ川ほとりに立つ1515年着工、1520年完成の「テージョ川の貴婦人」と司馬遼太郎さんに書かせた【ベレンの塔】。
船乗りたちを見送りで迎えた河口を守る要塞だった。ここに王が住み見送り迎えたとも言われている。
それに、1960年に大航海時代の立役者エンリケ航海王子の500回忌記念〔発見のモニュメント〕がテージョ川岸に立っている。
大海に乗り出すカラベル船上には先頭にエンリケ航海王子、その後ろにヴァスコ・ダ・ガマなど大航海時代を切り開き活躍した天文学者、宣教師、船乗りなどの姿が勇壮だ。
〔海洋博物館〕〔国立馬車博物館〕〔国立考古学博物館〕もぜひ立ち寄って欲しい。
また目の前のテージョ川に架かる1966年に開通した全長2277mのつり橋嬌【4月25日橋】と110mの巨大キリスト像【クリスト・レイ】などが楽しめる。
昨夜9時夕焼けを撮りに路面電車で来たが帰路は寒さに震えて中心部の宿に帰還。
5月末、ジャカランダの青紫色が満開であっても夜と言ってもこちらでは夕日が落ちる21時が夕方だが、急に寒さが降りて来るからご用心。
「けいの豆日記ノート」
ジェロニモス修道院は数回行っているが、また行きたいと思っている。
世界遺産になるだけあり、500年も前にこれだけの建物を造るのはすごいことだと思う。
他の世界遺産のバターリャ修道院やトマールのキリスト教修道院もすごいと思うが、やはり、ジェロニモス修道院が1番でないかと思う。
●3日目【28番・路面電車に乗ったり降りたり歩いたりで下町情緒堪能】
この28番・路面電車は首都リスボンの中心地の町を、
西から東へと突き抜けてゆっくりコトコトと走るから車窓街並見物にはもってこい。
起伏が激しい路線なので一度終点までゆっくり乗って車窓見物し、終点でまた乗り換えて戻ってくればいい。
一往復して今度は記憶に残った所で降りて見学しながら、また乗ればいい。
そのためには、1日何度乗ってもただチケットをお勧めする。いちいち財布を開けないから、スリ用心にもなる。
我らはこの28番に乗り、一日なん往復もした。
緩やかな走り、レールとの走音と連動した揺れが心地よく思わず睡魔に負け、終点で女性運転手に何度優しく起こされたことか。
一往復したって1時間もかからない。
「けいの豆日記ノート」
リスボンの地下鉄、バス、市電、ケーブルカー、エレベーターなどの交通機関に乗るためには、
まず、ヴィヴァ・ヴィアジン(VivaViagem)というチケットを0.5ユーロで購入する必要がある。
このチケットカードに券売機でチャージをして使うのである。
旅では、ほとんど24時間有効の乗り放題として使うことが多い。
1日でなく24時間ということが、ミソである。
夕方6時に使い始めたら、翌日の夕方6時まで使えるのである。
交通機関が乗り放題と観光施設が無料になるリスボンカードというのもあるが、料金が3倍ほど高くなるので、
計画的に使わないと損になるかもしれない。
《28番・路面電車の旅》
では、路面電車の28番に乗って西から東までのコトコト気まま旅の出発だ。
目的地は、1755年に町を崩壊させたリスボン大地震の被害を奇跡的にまぬがれた〔アルファマ〕地帯だ。
迷路のような急な坂道や狭い路地。
そこで生活している下町気質などリスボンで最も古い街並みにどこか哀愁漂う旅情を求めて時間を掛けて楽しもう。
低い地区と言われる【バイシャ】の西端、その丘の上に広がるのが「高い地区」と言う意味の【バイロ・アルト】。
ここはファドやレストラン、若者に人気のBARも多い地区である。
そこにある白亜の外観が美しい【エストレ―ラ聖堂】が目の前の【エストレーラ停留場】。
始発は墓地のある〔プラゼレス〕だが、今回はここの停留場が〔28番・路面電車に乗る西の出発点〕だ。
チンチン!さッ、出発。運転手は可愛い女性だ。本当に路面電車の運転手は女性が多くなった。気楽に乗って車窓を楽しもう。
まず、左側に石段の上に建つ【国会議事堂】を見ながら町中を下って行く。
バイロ・アルトの町中の【カリャリース】には、テージョ川を背景に【ビッカのケーブルカー】が急坂を上がり下りしている。
当然、相棒のカメラマンは見逃さない。リスボンには3か所ケーブルカーがある。
いかにも急坂が多いリスボンの証(あかし)。その風情が楽しめる。
ケーブルカーを楽しんで来ても、ここから次の〔シアード〕までは2停留場。歩いても5分ほどだ。
【シアード】は、バイロ・アルト地区とバィシャ地区との接点の町。
カモンイス広場とシアードのメインストリート・ガレット通りが交差する場所だ。
周囲には、1389年に建てられ当時はリスボン最大の教会だったが1755年の大地震で崩壊した【カルモ教会】がそのまま残されている。必見だ。
また1584年、苦難の航海の末リスボンにたどり着いた日本の天正遺欧少年使節が滞在したイエズス会の教会で正面ファサードは大地震で壊れその後再建。
今でも大地震の爪痕が残る【サン・ロケ教会】の礼拝堂も必見である。
正面にテージョ川を見ながら急坂を下り、左に大きくカーブして28番・路面電車は〔1日目〕で紹介した【コンセイサオン通り】に入る。
碁盤の目状で名高い【バイシャ】地区の中心だ。
【ロシオ広場】からテージョ川に接した【コメルシオ広場】の間の道路が整然と区切られ、商店やレストランで何時も賑わっている。
大道芸人も見られ楽しい清潔なリスボン一番の繁華街だ。
コンセイサオン通りを抜けると、【マダレーナ教会】の前で曲がり、坂道を登って行く。
進行方向に向かって左側に建つ、リスボンの守護聖人サント・アントニオ誕生の地に建てられたに【サント・アントニオ教会】がある。
6月13日の聖人祭りはリスボンの祝日となり、12日は夜更けまで【アルファマ地区】は賑わう。
その教会を過ぎると、正面にド〜ンと堂々とした建物が、リスボンの【大聖堂・カテドラル】だ。
1147年から建設が始められ、砦の役目もあって頑強な造りは1755年の大地震にもびくともせず。
バラ窓で薄暗い聖堂内部に美しい光がそそぐ。必見だ。
28番・路面電車は、更に坂道を上がって行く。歩いていたらシンドイ坂道。
でも野老は撮影のために、相棒に歩かされた。
76歳だった。石畳の急坂を登った所に展望台がある【ポルタス・ド・ソル広場】に到達。
眼下にはアルファマの町並み、目線の先にはポルトガルブルーの大空と海みたいに広いテージョ川。
振り向けば丘の上にリスボンの歴史を見守って来た【サン・ジョルジェ城】が見える。
歩いて15分ほどで行ける。城壁からはリスボンの一大パノラマが見れる。
ぜひ1500年前の創設時の情景を堪能していただきたいと思う。
そして、28番・路面電車の最終章は、更に先に進む。細い道をすり抜け、
【サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会】で乗客のほとんどが下車。
今日は火曜日、アルファマ名物〔ドロボー市〕開催日だ。
28番・路面電車はガラガラで走って終点地【グラサ停留所】に向かう。
降りたフォーラ教会前のここが、終点の28番・路面電車が多い。いかがだったでしょうか。
西から東までの首都リスボン横断28番・路面電車の旅。チン、チ〜ンッ!
「けいの豆日記ノート」
いつも、最終日には、リスボン乗り放題券を使って路面電車に乗りまくることにしている。
年々、リスボンの路面電車の人気が上がってきている。
停留所には、人がいっぱいで、どの電車もすぐに満員になってしまう。
古い電車は座る場所が少ない。
満員で、立ちっぱなしでの電車はあまり心地よくない。
ガタガタと揺れるので、しっかりとつかまっていなくてはならず、外を見る余裕もない。
なので、始発駅から並んで乗るのが座れるのでいいと思う。
でも、電車に乗ると寝むくなってしまうので、何のために乗ったのかわからなくなってしまう。
やっぱ、歩かないとだめかなあ。
《アルファマ地区のドロボー(のみ)の市》
28番・路面電車の旅で紹介した【ポルタス・ド・ソル広場】の展望台からアルファマの下町景観を見て、
次の終点のグラサの手前【サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会】前で降りると、毎週火曜日と土曜日の午後10時ごろから16時ごろまでの
【ドロボー(のみ)の市】に出くわすから嬉しい。
今回の旅は、この市を最終章にしよううと相棒が計画をたてた。
それも、ポルトガルブルーの青空の下であった。
我らは【サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会】と【サンタ・エングラシア教会】の屋上からこの二つの教会の間の【サンタ・クララ広場】で展開している市場を観察だ。
その第一印象は、ポルトガルの市や市場には、野外であろうが屋根付きであろうが積極的に探し出し撮影取材して来た。
相棒のカメラマンが眼下の〔ドロボー(のみ)の市〕を撮影しながら言う。
「今までに見た中では、雄鶏の伝説と露天市場で知られる〔バルセロス〕が1番かと思っていたけれど、考えが変わったよ。
ここは店舗の数は1番だね」
二つの教会に挟まれたサンタ・クララ広場は短パン姿が目立つ家族連れの人で溢れていた。
大きな店はない。畳半畳のスペースで5枚ほどのシャツを売る女性を始め、乳母車に赤子を乗せ使用済みのお手製玩具を売るお母さん。
ブルーシートを敷き、シャツや古着を吊るし売りの若い女性たち。
細々としたガラクタ類、眼鏡、タイル画、スケッチ画を売るサングラスの若者。
まるでガレージセールスだ。このエリアは家族的で売っているド素人たちだ。
ジャカランダが咲く木の下ではバンド演奏。ファドぽいが今いち。
さい銭入れは空っぽ。白髪のプロっぽいおじさんの商売品は、吹き出しは日本語の20冊ぐらいの日本の漫画本だった。
手にとる人はいない。
真っ赤なオープンカーが1台。買い手があるのだろうか。烏賊のリング揚げの匂いが良い。
旨そうだ。エッ?これで5ユーロは高くないかい?!
エリアエリアで売り手も買い手も違う。一発で一攫千金を狙う、通ぽい老人はネクタイで決め陶器や絵画を物色する。
プロの姿は映像になる。タイル画のアズレージョの中にはお宝がある。
欠けた1枚のタイルで1000ユーロ(13万円)の掘り出し物だってある。
本来のドロボー市にはロマンがあったはず。どんなガラクタを並べても客は集まる。
それだけ〔市〕には、人の心を揺らし引き寄せる魔物が住んでいても可笑しくない。
「けいの豆日記ノート」
露店市場は、人物撮影にうってつけの場所である。
常設市場でもいいが、室内なのでバックが壁なのでさびしい。
露天市場は、バックの建物や樹木などが入り、とても明るくていいと思う。
カステロ・ダ・ライーニャやバルセロスの露店市場は大規模であり、店数も多い。
生活に密着しているので、野菜、魚、肉、日用品などの店が多い。
このリスボンの泥棒市は、生鮮物はなく、衣類や雑貨などの趣向品が多い。
値段がないので、交渉次第なのかもしれない。
見ているだけでも面白いと思う。
《サン・ジョルジェ城》
〔ドロボー(のみ)の市〕から〔ポルタス・ド・ソル広場〕に戻り丘の上にある城に向かった。
撮影しながら歩いて30分もかからない。歩くことには〔苦〕はない。
しかし、76歳はあちこち〔痛さ〕が増す。
初めて〔サン・ジョルジェ城〕に登りリスボンの町を一望したあの時の感激は一生忘れられない。
2001年9月11日・ニューヨーク同時多発テロ事件があった11日後の、
9月22日に初めてポルトガル共和国の首都リスボンの空港に深夜着き、
翌朝ドン・ガバチョ画伯に連れられ、サン・ジョルジェ城から初めてのリスボンの町並み景観を見た。
あの感動の日から15年の2016年5月31日の今日、我らは眼下に首都リスボンの町並みを再び見た。
何処までも広がるオレンジ色のかわら屋根と白い壁のコンストラストはまるで打ち寄せて来る波のよう。
そして広い広いポルトガルブルーの空の下のリスボンの町並み。
この同じ空の下の景観を城壁創設時の1500年前の人びとにはどう映っていたのだろうか。
コメルシオ広場の先には海のように広いテージョ川が左手から右手に向かって流れ、その先は大西洋だ。
広場の川岸からポルトガルが世界に先駆け、エンリケ航海王子の意志で15世紀のポルトガル大航海時代の
幕開けである船出を大西洋に向かって築いて行ったのだ。
日本の4分の1しかないポルトガル共和国の底力である。
その様子が手の先で眼の先で展開しているように、野老は胸を熱くしていた。
●漢字に(・・・)と読みを容れていますが、読者の中に小・中学性の孫娘達がいますので了承ください。(野老)●
*「地球の歩き方」参照*
                       
終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
今回で、2016年の旅の紀行文が終了しました。・・・・・・・今回分は2018年7月に掲載いたしました。
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