ポルトガルの首都リスボンはイベリア半島に位置している。
市街は西南ヨーロッパの大西洋岸に位置するテージョ川河口の湾の北岸に位置している。
川幅が広がって行ったテージョ川は大西洋に注ぐ最後の数kmの河口部分は狭くなって行く。
岸からはいくつかの丘が隆起しており、リスボンには高い丘や深い谷がある。
リスボンの最高地点は226mで、市街は長い間テージョ川に沿って開けている。
・・・アルファマの説明・・・ リスボンでも最も古い地区で、サン・ジョルジェ城からテージョ川にかけ南斜面に広がる。 地区の名称はアラビア語のAl-hammaから来ており、泉や浴場を意味する。 ウマイヤ朝によるヒスパニアの征服(英語版)の時期、アルファマは市内の大部分を占め西側のバイシャ地区に拡大した。 だんだんとアルファマには漁師や貧しい人々が暮らすようになり、貧しい地区との評判は今日でも続いている。 1755年リスボン地震の時には首都全体は大きな被害に見舞われたが、アルファマは複雑で密集した狭い路地と小さな広場により少ない被害ですんだ。 被害から免れた歴史的な地区には住宅や小さなお店、ファドのバーやレストランなど様々な用途に建物が使われている。 新しい建物も建てられて来たが、古い建物も別の目的に利用されたりリフォームされ、現代化の傾向は地区を活気付けている。 ・・・バイシャの説明・・・ バイシャ・ポンパリーナはリスボンのダウンタウンで街の中心で、単にバイシャと呼ばれることも多くバイシャ・ポンパリーナは洗練された地区である。 主にリスボン地震の後に造られ、その名称はジョゼ1世下で宰相でポルトガルの啓蒙時代に鍵となる人物であったポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの名から取られている。 1755年の震災後、公爵はリスボンの再建に関して厳しい条件と建設指針を課し、震災前の地区を特徴付けていた本来の通りは現在の格子状の通りへと変わった。 結果として、バイシャ・ポンパリーナは耐震建築の最初の1例となった。 建築のモデルは兵士たちを周辺で行進させ、地震に見立てて試験が行われた。 注目されるポンパリーナ構造には「ポンパリーナ・ケージ」も含まれ、地震の力を分散することを目的とした対称的な木製の格子状の骨組みと 火災の広がりを防ぐためテラス間の壁が屋根材より高く造られた特徴が含まれる。 ・・・バイロ・アルトの説明・・・ バイロ・アルトBairro Altoはポルトガル語で高い地区を意味し、リスボンの中心地区の一つである。 住宅や商業、娯楽の地区で、若者を惹き付けるポルトガルの首都のナイトライフの中心である。 バイロはリスボンのパンクやゲイ、ヘヴィメタル、ゴス、ヒップホップ、レゲエなどそれぞれのシーンの拠点で、クラバやバーに専門性を与えている。 ポルトガルの民族歌謡であるファドは新しいナイトライフでも残っており、バイロ・アルトに集まる群衆には文化や娯楽の多文化が混在している。 |
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1684年に着工されたバロック様式の教会である。
エンリケ王子やバスコ・ダ・ガマなど、ポルトガル史上活躍した人物を祀る国立のパンテオン(霊廟)になっている。
完成までに300年以上かかっている。ドームに上ることができる。
サンタ・エングラシア教会 (Igreja de Santa Engracia)は、ポルトガルの首都リスボンにある17世紀創立の教会。
20世紀に入ってから国立のパンテオン(名士合祀殿)となり、ポルトガルの著名な人物が葬られている。
教会はアルファマ地区にあり、近くにサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院がある。
現在の教会の建物は、ブラガの殉教者聖エングラシアに捧げられた以前の教会の替わりである。
最初の教会は1568年頃、マヌエル1世の王女マリアが後援していた聖エングラシアに捧げられた。
1681年、最初の建物が崩壊したあとに現在の教会の建設が始まった。 新たな設計者は、王室建築家でポルトガル・バロック期の重要な人物の一人ジョアン・アントゥネスがおこなった。 建設は1682年から、アントゥネスの死んだ1712年にかけ進められた。 ジョアン5世は教会に興味を失い、大規模なマフラ修道院に資金をまわした。 教会は未完成のまま20世紀まで放置された。 20世紀半ばになりドームが加えられ、教会は1966年に再び落成された。 ジョアン・アントゥネスは、サンタ・エングラシア教会にポルトガルで試みられたことのない、精巧な設計を準備していた。 教会は、ギリシャ十字(四方の長さが均等な十字)の形で中央に引きつけられた平面図をしていた。 角には四角い塔をもうけ(小尖塔は完成しなかった)、ファサードはフランチェスコ・ボッロミーニのバロック様式に似せた。 ファサードにはガリレ・ホールと像を据えた3つのくぼみがある。 教会入り口には、2人の天使が抱えたポルトガルの紋章を持つ美しいバロック様式の堂々とした正門がある。 20世紀になってもうけられた高い中央ドームがある。 教会の調和のとれた内装は、十字架と本堂の曲線に囲まれた場所が支配している。 床と壁は、バロック様式の大理石製色彩装飾に彩られている。 18世紀の壮麗なバロック・オルガンは、リスボン大聖堂から持ち込まれた。 1966年、独裁者アントニオ・サラザール政権時代、サンタ・エングラシア教会は国立のパンテオンに指定された。 大統領マヌエル・デ・アリアガ、テオフィロ・ブラガ、シドーニオ・パイス、オスカル・カルモナ、作家ジョアン・デ・デウス、アルメイダ・ガレットとグエラ・ジュンクエイロ、国民的ファド歌手アマリア・ロドリゲス、らの人物が埋葬された。 ルイス・デ・カモンイス、ペドロ・アルヴァレス・カブラル、アフォンソ・デ・アルブケルケ、ヌノ・アルヴァレス・ペレイラ、ヴァスコ・ダ・ガマ、エンリケ航海王子らの記念碑もある。 |
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1684年に着工されたバロック様式の教会である。
エンリケ王子やバスコ・ダ・ガマなど、ポルトガル史上活躍した人物を祀る国立のパンテオン(霊廟)になっている。
完成までに300年以上かかっている。ドームに上ることができる。
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特集版・『 アントニオ教会&マダレーナ教会 』 こちらからどうぞ
特集版・『 サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会 』 こちらからどうぞ
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ポルトガル写真集以外で画像が多いものは、特集版にしました。
教会、博物館、美術館、大学、建物の内部の装飾、お祭りのパレード、市場の人々、民族衣装の人々などお楽しみください。
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