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愛しのポルトガル写真集ギャラリー(歴史的な城砦の村のモンサント3)
Portugal Photo Gallery --- Monsanto 3

モンサント3 Monsanto 3 5月20日午後(晴天)

モンサントは、12年前の冬に訪れたことがある町である。
リスボンからバスで3時間半でカステロブランコに到着する。
岩の村モンサントに行くために起点となる町である。
2日目の午前にペーニャ・ガルシアと、イダーニャ・ア・ヴェリャを訪問した。
そのあと、またモンサントの村を歩いてみた。
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モンサント67
ツバメ飛ぶ・モンサント in portugal
ツバメ飛ぶ
モンサント68
ルカーノ塔・モンサント in portugal
ルカーノ塔
モンサント69
洗濯物・モンサント in portugal
洗濯物
モンサント70
カフェのベンチ・モンサント in portugal
カフェのベンチ
モンサント71
岩肌につく家・モンサント in portugal
岩肌につく家
モンサント72
工事中の家・モンサント in portugal
工事中の家
モンサント73
4人よれば・モンサント in portugal
4人よれば
モンサント74
ミゼルコルディア教会の鐘・モンサント in portugal
ミゼルコルディア教会の鐘
モンサント75
岩が屋根1・モンサント in portugal
岩が屋根1
モンサント76
岩が屋根2・モンサント in portugal
岩が屋根2
モンサント77
岩が屋根3・モンサント in portugal
岩が屋根3
モンサント78
落ちそうな岩・モンサント in portugal
落ちそうな岩
モンサント79
狭い路地・モンサント in portugal
狭い路地
モンサント80
岩の路地・モンサント in portugal
岩の路地
モンサント81
影の路地・モンサント in portugal
影の路地
モンサント82
岩がのったレストラン・モンサント in portugal
岩がのったレストラン
モンサント83
大砲・モンサント in portugal
大砲
モンサント84
下の村・モンサント in portugal
下の村
モンサント85
ギリギリを通る・モンサント in portugal
ギリギリを通る
モンサント86
指定席・モンサント in portugal
指定席
モンサント87
土産店・モンサント in portugal
土産店
モンサント88
手作り人形・モンサント in portugal
手作り人形
モンサント89
十字架の人形・モンサント in portugal
十字架の人形
モンサント90
バス停前のカフェ・モンサント in portugal
バス停前のカフェ
モンサント91
大きな岩1・モンサント in portugal
大きな岩1
モンサント92
大きな岩2・モンサント in portugal
大きな岩2
モンサント93
大きな岩3・モンサント in portugal
大きな岩3
モンサント94
城壁の残る路地・モンサント in portugal
城壁の残る路地
モンサント95
湧水・モンサント in portugal
湧水
モンサント96
十字架・モンサント in portugal
十字架
モンサント97
カフェレストラン・モンサント in portugal
カフェレストラン
モンサント98
3人寄れば・モンサント in portugal
3人寄れば
モンサント99
夕日が沈む・モンサント in portugal
夕日が沈む
モンサント100
ルカーの塔と夕日・モンサント in portugal
ルカーの塔と夕日
モンサント101
朝日が昇る・モンサント in portugal
朝日が昇る
モンサント102
雲の間の朝日・モンサント in portugal
雲の間の朝日
モンサント103
白い雲・モンサント in portugal
白い雲
モンサント104
アントニオ教会の墓地・モンサント in portugal
アントニオ教会の墓地
モンサント105
朝日を浴びて・モンサント in portugal
朝日を浴びて
モンサント106
朝の散歩・モンサント in portugal
朝の散歩
モンサント107
ほしいワン・モンサント in portugal
ほしいワン
モンサント108
ナッティおばさん・モンサント in portugal
ナッティおばさん
モンサント109
お見送り・モンサント in portugal
お見送り
モンサント110
運転手さんとオブジェ・モンサント in portugal
運転手さんとオブジェ

モンサントの岩のアートの村 特集版・『モンサントの岩のアートの村』 こちらからどうぞ

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カステロブランコ県
カステロブランコ県地図

リスボンから、バスで3時間でカステロブランコに到着する。
そこから、バスで1時間半ほどでモンサントに到着する。
カステロ・ブランコから48km東のスペインに近い場所である。
ただし、モンサント行きバスは、1日に1本か2本しかない。

モンサントは、ポルトガルの東部、スペインとの国境付近のエストレラ山脈の東にある小さな村である。 標高約758mに位置するモンサントの村は、ポルトガルで最もポルトガルらしい村といわれている。

モンサントには村のいたるところにごつごつした大きな岩がある。 なかには、200トンの重さをもつ岩もあるそうだ。 この特異な地形から昔は聖なる場所として崇められていた。 ここに住む人々はこの大きな石を利用して家を建てている。 石造りの家が岩にしがみつくように建ち並び、 ある家は大岩を家の壁に利用している。 興味ひかれる自然の岩のアートだ。

この石は、地中のマグマが雨で冷やされ固まったものが、 後に地上に表れたものだ。 山の上にある集落は、中世の城砦の高い塔が目印となって 遠方からでも一目で分かる事から、敵から身を守る戦略地として 大きな役目を果たしたようだ。

モンサントの岩のアートの村 特集版・『モンサントの岩のアートの村』 こちらからどうぞ

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「ポー君の旅日記」 ☆ 歴史的な城砦の村モンサント3 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

≪2016紀行文・6≫
    === 第3章●モンサント起点の旅 === 歴史的な城砦の村は、地震も避ける女性の村であった

          《モンサントの宿のテラスからの朝日》

 今日は、5月20日(金)。朝夕は少しばかり涼しいが、日中は33℃を越す暑さの〈モンサント〉。 昨日、ベイラ・バイシャ地方の中心地〈カステロ・ブランコ〉の宿に旅行バックを預け、1日2便しかないバスで「ポルトガルの歴史的な村」のひとつ〈モンサント〉に入った。 バスの便が悪く〈カステロ・ブランコ〉に泊らないと来られない村だった。 巨岩巨石だらけの石の村の女人の館[カーサピーレスマテウス]に泊る。

 そして〈モンサント〉の巨石に溶け込んだ村の山頂にある城砦跡に登った。 東の彼方にスペインとの国境の山並みが見えた。その国境線は当然の陸続きだ。 見えないその線を越して、幾多の戦いの歴史があった。 昨夜は21時過ぎ、宿の洗濯物干し場から西の草原に落ちる〈モンサント〉の夕焼け空と落日を見る。 そして今朝6時過ぎ、宿の同じ洗濯物干し場から東の山並みから昇る〈モンサント〉の朝焼け空と朝日を見た。 途轍(とてつ)もない贅沢な気持ちであった。

 〈モンサント〉は、将(まさ)に国境の村だった。 その城砦を頂点とし巨岩巨石だらけの中腹にしがみ付いて〈モンサント〉の人びとは生き抜いて来た。 しかし、〈モンサント〉はローマ帝国に続きイスラム帝国に支配されたり、隣国スペインにも国境を侵略された。 国境の歴史的村々も、いや、ポルトガル国家が、60年間もスペイン領だった苦渋と忍耐の歴史があったのだ。

「けいの豆日記ノート」
 12年前に、はじめてモンサントを訪れた。 カステロ・ブランコに泊まり、モンサントは日帰りでタクシーで往復しての撮影であった。 その当時、モンサントで宿泊できる宿は、ポサーダ(国営ホテル)しかなく、泊まることができなかったのである。 今回、ネットでホテルを探すと、5件ほど出てきた。 民宿のような小さなホテルであるが、ネットに登録されていないホテルも他にもあるのだろうと思う。 めずらしい岩を利用した家の村ということで、テレビなどでも取り上げられ、観光客も増えてきたのだと思う。 それでも、数か少ないので、モンサントのホテルを最初に予約した。 朝日も夕日も見ることができるテラスのあるホテルに泊まることができて、よかったと思う。

          《モンサントとイダーニャ・ア・ヴェーリャの人びと》

 ポルトガル中央部「ポルトガルの歴史的な村」のひとつ、巨岩巨石の村〈モンサント〉。 カメラマンとタクシー運転手(ポルトガルのジョン・ウエイン)の奥さんは、仲良く肩を並べ笑顔で石畳の急坂を登って行く。 首筋をつたう汗をぬぐって、おいらは巨岩越しのポルトガルブルーの空を見やった。惚れ惚れする青い空だった。

 宿の女衆76歳・68歳・25歳から、彼女たちの友人である〈モンサント〉の裾野の平原で農業(葡萄畑やワイン造り、オリーブ畑やオリーブ油造りなど)に従事し、 その一方でタクシー運転手を長年続けている男を紹介してくれた。 霊山〈モンサント〉の大平原を、ウエスタン映画の傑作【駅馬車】(おいらの生まれた1939年の作品)のごとく、 通の便が悪いスペイン国境に散らばる「ポルトガルの歴史的な村々」を住民や観光客を乗せ、嬉々として走りまわっている。 将(まさ)に、〈モンサント〉のジョン・ウエインであった。

 今日はほぼ一日、我らのために15分ほどの[歴史的な村・ぺーニャ・ガルシア]に運んでもらい、1時間の待機。 そして再び、オリーブ畑の細い道を走り抜け20分程で[歴史的な村・イダーニャ・ア・ヴェーリャ]に案内してくれた。 ここではゆとりの1時間半待機を願う。そして、タクシーが止まった大樹の木陰に13時に迎えに来てもらう約束を相棒がした。 往復30分、ゆっくり1時間のランチを自宅で食べられるはずだ。 相棒の配慮に笑顔を返してくれた我らのジョン・ウエインは、昼食を食べに嬉々として草原を走り去って行った。

 何もなかった。ゆっくり村をひと回り。 30分で元に戻った。 残り1時間を目前の廃墟になったサイロの煙突に巣を造り、子育て中のコウノトリが惜(お)し気もなく、舞い踊りカタカタ嘴(くちばし)を打ち鳴らし、子育てする姿を見せてくれた。 村には陽射しがいっぱい降り注ぎ、青い空は村をすっぽり包みこみ、音が無い静けさであった。 唯一の音がコウノトリの嘴のカタカタ音だけだった。物凄い夢のような空間である。

「けいの豆日記ノート」
 村の中心にあった教会の屋根の上にコウノトリを見つけた。 コウノトリを見るとラッキーだと思う。 コウノトリは、ポルトガルの南半分の地域にいるらしいが、田舎の村であってもなかなか出会わないのである。 いままで訪問した場所で、コウノトリのいた町や村は数か所しかない。 それも高い煙突や教会の屋根などに巣を作っているので、見るのもたいへんである。 イダーニャ・ア・ヴェリャの場合、小さい教会であったため、コウノトリの巣までの距離が短かった。 なので、大きなコウノトリを撮ることができたのである。 時間があれば、いつまででも見ていたいコウノトリである。

 30分が過ぎていた。30℃を百均で買ってきた掌に収まる温度計が教えてくれた。喉が渇いた。 BAR(バール)の文字に吸い込まれる。中にはL字型のカウンターで男たちが立ったままエスプレッソやサグレス瓶ビールを飲んでいた。 昼間のBARではほとんどが爺達の寄り合い場所だが、ここは働き盛りのジーパン仕事着姿のおじさん達である。 この村を何代にもわたり守り続けて来た戦士の子孫だろうか。

 おいらはサグレス瓶ビール、相棒は7UP。その冷たさが食道を伝わる心地よさを満喫。 呑み終えたカメラマンは男たちにカメラを向け『撮っても、いいですか?』と聞く。 9人程の労働者はハニカミながらも頷いてくれた。 「日本人に、初めて会ったよ!」と微笑む顔が良かった。 お礼にカメラマンはひとりひとりに礼を言って、千代紙で折った折鶴を渡す。みな嬉しそうで、喜んでくれた。 この後、カウンターにいた女性の要望で、折り紙教室が始まる。みんなに千代紙を一枚づつ手渡ししての教室であった。 おじさん達は『お〜ゥ!』と声を出し、千代紙の模様と色彩に見惚れる。自分の千代紙だけでなしに他の人の千代紙を見る度に、お〜ゥ!と声を出した。

 『い〜い!カウンターの上に、白い面を上にして置いて!判った〜ァ』相棒の折紙教室は、いつでも手厳しい、みんなに囲まれ、堂々の日本語で、伝授である。 16年間のうちで100回近くは要望があれば、市場のおばちゃんたちにも電車の中の小学生にも教えて来た。 一人でも10人でも。一番多い時は30人以上の高校生にも。そのため200枚の千代紙は用意して来ていた。 それも、みんなに囲まれた相棒は、堂々の日本語で教える。

 まず、ゆっくり説明しながら1羽、折ってみせる。そして、ひと折りひと折り、折り手の手先を確認しながら、丁寧に、注意したり褒めたりして。 何時もこの方法で教えた。このゆっくり確実さが大切だった。 呑みこみの早いおじさん、不器用なおじさんもいたが、10分ほどで皆、折れた。 オブリガード!の声が、カウンターを囲んだおじさんたちから湧きあがる。その笑顔が素晴らしかった。

「けいの豆日記ノート」
 ポルトガルに持って行くお土産というか、ちょっとしたプレゼントに最適なのが、オリガミである。 軽く、小さく、かさばらない。 四角の紙が鶴(鳥)になるのは、ちょっとしたマジックであった。 オリガミも単色の物でなく、和紙の千代紙にしている。 紙だけ見ても柄が和風できれいである。 その千代紙だけがほしい人もいる。 なので、いつも大量に用意していくのである。 ポルトガルでもオリガミは売っているが、結構高いのである。 町で道を聞いた人とか、写真を撮らせてくれた人とかにあげるのに重宝している。

 腕時計の針は、1時。迎えに来てくれる約束の時間だった。 その約束の大樹の木蔭に行くと、乗用車から婦人が降りて来た。 ご主人のタクシー運転手が都合で来らなくなり、奥さんが変わりに迎えに来てくれたのだった。 理由が判るまで、言葉の差でちょっぴり時間がかかった。20分ほどで〈モンサント〉に着く。 小さな駐車場で降りる。 相棒が、タクシー料金を払おうとすると、奥さんも降り、運転席からワインの瓶を3本運び出し、石畳の坂道を登りだした。 おいらの前をふたりの女性が話しながら歩いている。

 宿で奥さんは、25歳のイザベルに話した。イザベルは英語をまじえ相棒に話す。 納得した相棒は奥さんと笑顔で両頬をすり合わせる挨拶をし、明日朝10時に迎えに来て、〈カステロ・ブランコ〉まで送ってくれないだろうかと頼んだ。 奥さんはスマホでジョン・ウエインと連絡を取ってくれた。 『今日のタクシー代は、〈カステロ・ブランコ〉までお送りしたその時一緒に頂くと主人が言っております。』と言い、自家製ワイン3本と干しイチジクをいっぱいくれた。 ジョン・ウエインは断り切れぬ、やむおえない遠出の仕事が舞い込み、携帯も持たないわれらに連絡を取る術もなく、妻を迎えに来させたに違いないとおいらは思う。 その侘(わ)びのワインだろうと相棒と話した。ジョン・ウエインは、そういう奴だ。 荒野を走り抜く駅馬車の、正義感あふれた御者(ぎょしゃ)なのだ。

「けいの豆日記ノート」
 モンサントから出発して、ペーニャガルシアに行く前に寄った場所がタクシー運転手さんの自宅であった。 奥さんらしき人が出迎えてくれたので、和風柄の金魚の形をした巾着を2つあげたのである。 もちろん、高いものではない。実は百均で買ったものであった。でも見かけはとても百円には思えない物であった。 なので、きっとそのお礼にワインをくれたのかもしれないと思った。 なんだか、申し訳ないような・・・

          《もしも、地震があったなら》

 9世紀以上も巨岩の上に建ち、巨石に囲まれた住居で生活してきた〈モンサント〉の人びとがいた。 この地に初めて来た観光客は、この村の景観を見て何を思うのだろうか。 特に、地震国の我らは、この村の異様さの美しさに感動し、そして怯(おび)えるだろう。 日本人のように頻繁に起こる地震に慣れた国民であっても、この巨石に囲まれた景観には、いささかびびる。 首筋に、恐怖心が走る。振り向けば我らの宿の頭上にもでっかい巨石が鎮座(ちんざ)していた。

 もしあのドデカイ丸い巨石が落ちれば、宿はもとより他の住宅地、裾野の新興住宅地にも被害が及ぶのは必見。 なのに、住民は想像以上に安楽だった。宿のオーナー76歳のおばあちゃんは『もう、7世紀も8世紀も9世紀も、安泰!よ。 今さら、もし地震が起きたら、それは運命よ。仕方ないわ、今さら起きたら、それはその時ね』と微笑む。 おいらも、同年輩のオーナーに、素直に同意した。相棒に聞いてみた。「それが恐ろしいなら2回も来ちゃいないわ、」と心臓がでかかった。 「くよくよしてたら、何処にも行けないよ!」このカメラマンと16年間もポルトガルだけの写真取材旅を続けて来られたのも納得できた。

 15時過ぎ遅い昼食を夜食を兼ねて食べに宿を出た。 太陽は、まだまだ垂直に陽射し、温度も33℃もあった。しかし裾野の大草原から吹き上げて来る風は冷ややか。 気持ちが良かった。石畳の狭い坂道を登る。レストランは5軒ほどあるらしいが、この時間帯は1店しかなかった。 最近出来た裾野からかよってきてピザ屋を始めた若夫婦の店だ。ここも、1軒また1軒と貸し家が増えていた。 この村を離れ地行く人びとが多く、現在住民は50人いるかどうかだと裾野の町に住む25歳のイザベルが言っていた。 腹が減っていたが、一人前頼んだピザを我らは半分残した。何しろ1枚のピザはでっかく、厚かった。

「けいの豆日記ノート」
 イダーニャ・ア・ヴェリャからモンサントに戻ってから、また、モンサントの村を歩いた。 3時ごろ、遅いランチを食べようと思った。夕食兼用である。 昨日、カステロ・ブランコのバスターミナルであった関東からきた彼女たちに教えたもらったレストランに行こうと思ったら、閉まっていた。 ランチタイムが終わったから閉まっていたのか、定休日だったのかはわからない。 しかたがないので、向かいにあるピザ屋に入った。 モンサントという名前がついたキノコとサラミ入りのピザにした。 ピザにしては高いと思ったが、できあがったピザを見てびっくりだった。 半径40cmはありそうな生地の厚いピザであった。 とても食べれそうにない。 家に帰るのなら、持って帰るところだが、もったいないけど残してしまった。

 帰路、顔を描いていない人形を自宅前の石段で可愛いおばあちゃんが自作品だと売っていた。 相棒は当然写真を撮らせてもらう。そこでおいらはトイレに行きたくなり、相棒と別れた。 用心棒役のおいらは宿も近いので安心して、先に帰った。その後、事故が起こったのだった。 血をみたらしい。コケタと、事後報告があった。

「けいの豆日記ノート」
 その帰り道になだらかな下り坂になっている路地で転んだ。 いつも、転ばないように気を付けていたのに失敗してしまったのである。 そのときは、すぐに起き上ったが、左肩と左ヒザを擦りむいた。 カメラを前にぶら下げていたのだが、とっさにカメラをかばって左手のヒジを前に出したのかもしれない。 カメラは、少しぶつけたが、支障はなかった。よかった〜〜  ホテルに戻り、オーナーのエデッツさんに薬がないかと聞くと救急箱から消毒液とガーゼを出して手当をしてくれた。 薬を貸してくれるだけでよかったのだが、手当までしてくれて、ほんとに親切だと思った。

          《2泊したモンサントで、2度の愛しの夕日と2度の希望の朝日が撮れた》

 2泊した〈モンサント〉の女人の宿[カーサピレースマテウス]で、5月21日(土)の朝が来た。 昨夜は2度目の夕日が撮れ、今朝も2度目の朝日が撮れた。68歳のナッティおばさんの的確な助言の、あの隅っこだった。 その隅っこは、2階にある大草原が一望できる洗濯物干し場であった。

 オーナーの76歳のエディツさんはおいらと同い年。あ〜ア、その姿を見て、おいらも、これかと実感した。 ポルトガルを旅していると、同い年が多くなったな〜と思う。飼い犬3歳のファニーがおいらの足元ににじり寄る。 この宿の素晴らしさは、優しさに満ちていたことだった。76歳・68歳・25歳の女衆のコンビの融合であった。

 それに、旅人に人気の宿になっている理由(わけ)は、モーニングの気づかいの美味さにもあった。 ポルトガルの安宿を16年間泊り歩いて来た中で、最高のモーニングだった。 特に卵をおしみなく使ったスクランブルエッグには、歓喜して食べた。 隣のテーブルのドイツ人ご夫婦も、大きな声を出して喜ぶ。 きっと、ま〜!なんて美味しいこと!しっかり食べ、味覚えてよ。家に帰ったら作ってもらうからね!なんて、言っているに違いない奥さんの喜びようだった。

「けいの豆日記ノート」
 ホテルとはいえない民宿の様なペンサオンでもモーニングはついている。 でも、安いところだと、モーニングもないところがある。 ネットの予約のときに、モーニング付きは欠かせない条件となっている。 モーニングがない場合、近くのカフェなどで食べればいいのだが、朝、ホテルを出て食べるのは面倒だし、料金もかかるのである。 それになるべく早く食べて、ホテルを出発する前に早く出したいのである。 旅の途中でのトイレ問題は切実であり、朝が快調だと、1日快調である。
 モンサントの宿のモーニングはすばらしかった。 ポザーダ(国営ホテル)には、1回しか泊まったことはないが、そこより豪華だと思った。 出来合いの食べ物でなく、愛情こもった手作りのモーニングであった。 個々のモーニングの時間にあわせて、調理してくれるのである。 生絞りのオレンジジュースや、カットして食べやすくしてあるフルーツや、手作りのカステラやジャムがきれいに盛り付けられていた。 またモンサントに来る機会があれば、必ず、このホテルに泊まろうと思った。

 10時に、あのタクシー運転手ジョン・ウエインが迎えに来てくれる手筈なっている。 モーニングの後、壁に毎年行われる伝統の祭り[ノッサ・セニョーラ・ド・カステロ祭]の写真が飾ってある。 この祭りの主役で参加したイザベルさんの姿が初々しい。 その写真の下の丸テーブルで、2人のお年寄りと相棒の話が始まった。 時間があると何時も4人は話し合っていた。しかし、今日は土曜日。 裾野の町から通ってくるイザベルの姿はなかったが、おいらは、あえて参加しなかった。

 丸テーブルには厚手の毛布が掛けられていた。 76歳と68歳はイスに座り掛けられたその毛布の中に足を突っ込んでいる。 布の中には、電気あんかがあった。 〈モンサント〉の炬燵であった。朝夕の日陰は夏でも冷える。 今、5月に中旬過ぎの日中でも、高台にある巨岩巨石に囲まれた〈モンサント〉を吹き抜ける風は冷たかった。 壁や屋根が直接、巨石に接している建築様式の村である。それが影響しているとナッティおばさんは、ニカッと微笑み教えてくれた。

 おいらは2階の洗濯物干し場から、眼下の大草原と大好きなポルトガルブルーの濃い青空を眺めた。 なぜか、流れ飛んで行く大草原の透明な風に色が付いているように思えた。 3人の女衆の明るい楽しそうな家族の笑い声が、階下から木製階段を伝わり聞えて来た。 窓下からはジョン・ウエインお迎えのクラクションが、優しく軽やかであった。

                              *「地球の歩き方」参照*

終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
・・・・・・・今回分は2017年1月に掲載いたしました。

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カステロブランコ3
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ナザレ3
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ポルト13
Porto 13
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Porto 14
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リスボン14
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トマール2
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Evora 5
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Cristo Rei
2008−16話
カシーリャス
Cacihas
2008−17話
ノゲイラ・アゼイタオン
Nogueira Azeitao
2008−18話
フレスカ・アゼイタオン
Fresca Azeitao
2008−19話
エヴォラ2
Evora 2
2008−20話
ベージャ
Beja
2008−21話
ベージャ2
Beja 2
2008−22話
セルバ
Serpa
2008−23話
ヴィラヴィソーザ
Vila Vicosa
2008−24話
ボルバ
Borba
2008−25話
ルドンド
Redondo
2008−26話
エヴォラ3
Evora 3
2008−27話
アライオロス2
Arraiolos 2
2008−28話
ポルト8
porto 8
2008−29話
アヴェイロ2
Aveiro 2
2008−30話
コスタ・ノヴァ
Costa Nova
2008−31話
ブラガ2
Braga 2
2008−32話
ポルト9
porto 9
2008−33話
ポルト10
porto 10
2008−34話
ポルト11
porto 11
2008−35話
リスボン9
Lisboa 9
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