「ポー君の旅日記」 ☆ マテウスワインのラベルに使われたマテウス館のヴィラ・レアル2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
≪2018紀行文・15≫
=== 第3章●ポルト起点の旅 === ポートワイン〔マテウス・ロゼ〕ワインのラベルデザインはこの地の〔マテウス邸〕だった
《あの日 あの時》
2006年10月26日(木)、12年前(野老66歳)。
朝からいつ小雨が降り出してもおかしくない空模様の、ポルトガル〔撮影取材旅〕にとっては、完全なほどの「涙日」であった。
我らが泊まっていたのは、ポルトガル共和国の北部にある第2都市〔ポルト〕から、隣国スペインから流れ下る
「ドウロ川」上流100kmにある〔レグア〕(ペゾ・ダ・レグア)という[世界遺産]の〔アルト・ドウロ〕地域の中心的な町だった。
隣国スペインからポルトガル国境を越し、流れ下る全長925kmの〔ドウロ川〕は、ポルトガル共和国の北部にある第2都市〔ポルト〕の河口から大西洋に呑み込まれる。
その隣国国境に近いドウロ川上流の山間地は、ポルトガルの〔ポートワインの故郷〕と昔から呼ばれ、ポートワインの命である葡萄の生産地帯だ。
この地の急斜面の山肌の段々畑で採取された葡萄の原酒は樽に収められ、かつては小さな帆船〔ラベーロ〕に積まれ(現在はトラック輸送)、
ドウロ川を漕ぎ下り河口にある〔ポルト〕の川岸〔ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア〕に運ばれ、世界に名高い〔ポートワイン〕として製造され続けている。
その歴史も含め、2001年に【ドウロ川上流ワイン生産地域】が[世界遺産]に登録されている。
その〔ドウロ川〕のスペイン国境上流に、10日前から大雨が降ったようだった。
情報はホテルの早朝TVニュースで知った。
部屋の窓を開けると秋の気配の涼しい川風が飛び込み、眼下のドウロ川の生々しさが伝わってきた。
流れもやや早まり、水かさもやや増し、川一面が茶色に濁り出し、底石が流れ下る川音も不気味さを増して来たようだった。
「けいの豆日記ノート」
以前、訪れたときは、大雨の後であったので、ドウロ川の泥水の茶色であった。
それだけでなく、レグアの船着き場や公園が浸水して店も水浸し状態であった。
それを片づける人たちの苦労は大変だったと思う。
ポルトガルは岩山が多いため、大雨が降るとすぐに川に流れるため、洪水が多いらしい。
この朝も、只(ただ)でいただけるモーニングタイムが、我らのミーティングタイムだ。写真家の日々変わる計算し尽くされた、今日の行動日程を聞く。
〔ポルト〕在住の知り合い夫婦と15時に会う約束を守るためには、朝の三ヶ条[歯磨き・トイレ・持ち物チェック]の後、
ポルトガル鉄道の〔レグア駅〕から列車に乗れば2時間30分で、昼前には〔ポルト〕に戻れる。
『でもね、ポルトに着いて約束までの3時間がもったいない。
ここからバスに乗って北上し〔ヴィラ・レアル〕の町に立ち寄っていかない。
9時15分のバスに乗れば10時には着く。
3時間ほど町を散策して、13時頃のバスで〔アマランテ〕経由〔ポルト〕着で充分約束の時間に間に合うと思う。』
理にかなったミーティングであった。
〔レグア駅〕前広場の川岸にある、とフロント係に教えられた〔ヴィラ・レアル〕行き発着バス停を探した。
何処にも標識がないため我らは行き交う人に聴きまくる。
あの辺り、その向こうだと親切だが、らちが明(あか)ない。
広場の掃除をするおばさん達はキヨスクの前あたりだという。
それに、賭けた。そして、やっと9時15分発のバスに乗れる。
今も昔も、ドウロ川上流にある〔アルト・ドウロ地帯〕の交通の要でもあり、
かつてからポートワインの原酒葡萄集積所としても知られた〔レグア〕(ペゾ・ダ・レグア)から、
広大な段々畑の葡萄畑が天空に駆け上がるような山間地帯を北に向かってバスはゆっくり登って行く。
さすが交通の要から9時15分に走り出したバスは6割方の混みようで、15分もしない間に山間道路を登ったり下ったりを繰り返す。
車窓からの風景は、胸が早鐘を打つようにドキドキするほどの入り組んだ山道を走り、深い眼下の谷間斜面は赤茶色の葉っぱでおおわれる。
収穫シーズンの終わりを告げる段々状の葡萄畑が幾重も連なり、大きな白い建物が葡萄の赤茶葉で埋もれるように点在している。
車窓眼下の広い葡萄畑景色は遥か先の青い山々まで折り重なるように続いていた。
〔ヴィラ・レアル〕の町までの45分間は季節の変わり目を感じさせてくれ飽きることはなかった。
毎年毎年の葡萄作り生産の良し悪(あ)しが、直接その年の〔ワイン品質の命〕になる。
壮絶な過激な労働環境の急斜面の山肌で、ワイン葡萄を作り続けている現実を垣間見、思い知らされ、感動すら覚えた。
「けいの豆日記ノート」
以前にヴィラ・レアルに来た時は、バスの乗り換えだけで、町中を見ていなかった。
バスの中から見た、ヴィラ・レアルの町並や教会がステキで、ゆっくりを見てみたいと思っていた。
レグアからバスが出ているようだし、帰りはブラガンサから来るポルト行きのバスに乗れば、能率的に行けると思っていた・・・
の、はずであった。
《通過点と乗換点と逆戻り点のヴィラ・レアル》
山間道路を下っていくと、小さな町の古びたバスターミナルに着く。
アルヴァン山地とドウロ川の支流であるコルゴ川流域マランの山に挟まれた山間に、〔ヴィラ・レアル〕の町はあった。
バスから降りた野老は、緊張して固まった身体をほぐしながら、ゆっくり1回転させ周囲を眺める。
その視界の中に相棒の写真家がバスターミナルの切符売り場に駆け込む姿もとらえていた。
〔アマランテ〕経由〔ポルト〕行きの時間確認だ。写真家は撮るだけが仕事ではない。
あれもこれもそれも、一人で熟(こな)す。
山間の田舎町だと思ったが、侮(あなど)ったら大怪我をする気配を感じさせた。
恐怖の山間道路を幾重も越してきた野老は、信じ難い美しい町並みや建物のたたずまいの造りに、何処かで一度見たかも知れないと思う。
その時から2年前(野老64歳、若かった)、フィルム撮影時代の2004年4月17日(土)だった。
〔ポルト〕から高速2階建バスで、北東200km4時間の標高660mにある中世の城壁に囲まれた〔ブラガンサ〕に行くための通過点に、〔ヴィラ・レアル〕の町はあった。
〔ポルト〕〜〔アマランテ〕〜〔ヴィラ・レアル〕〜〔ブラガンサ〕へのバスの旅は、
大西洋の港町〜タメガ川のサン・ゴンサーロ〜山間の古都〜中世の城塞、と飽(あ)き知らずの新鮮味でいっぱいだった。
トイレタイムでアマランテのバスターミナルで10分ほど停まったが、〔ヴィラ・レアル〕は、2階建高速バスの2階最前列に陣取っていた我らは「こんな所にこんな町」的な長閑(のどか)さと、
ひょっとしたらまた来るかも知れない予知を感じながら通過した。
それと、何故か〔ブラガンサ〕での、奇遇の結婚式に遭遇した感動は忘れられないでいた。
花嫁は全員サングラスをかけた花婿仲間に囲まれ、花婿は花嫁の仲間に囲まれ、それぞれ別々の記念写真を撮る風習には驚きと微妙な感動が混ざり、
今も鮮明に色濃くその情景が残っている。
その2日後、強烈な忘れられない出来事を〔ヴィラ・レアル〕に野老は、残していた。
〜〜〜〔ブラガンサ〕からの帰路は、南西1時間45分で〔ヴィラ・レアル〕を通過し、45分南下してドウロ川岸の交通の要〔レグア〕。
更に30分南下してドウロ渓谷の南、旨い発泡性ワインとスモークハム、標高605mの丘の上に建つ〔ノッサ・セニョーラ・ドス・レメディオス教会がある
〔ラメーゴ〕に向かっていた〜〜〜
通過すると思っていた〔ヴィラ・レアル〕のバスターミナルでバスが停まった。
トイレタイムかとのんびり記録ノートを整理している時、「乗リ替えだからすぐ降りて!」と運転手が叫ぶ。
野老は慌てて降りて、指定の〔ラメーゴ〕行きのバスに乗り替える。
「あっ、忘れた。座席の網ポケットに、ガイド本を・・・」 バスは〔アマランテ〕に向かって山間道路をゆっくり走っていた。
その頃は、ガイド本が我らの旅の〔羅針盤〕だった。
「けいの豆日記ノート」
ブラガンサのバスターミナルの始発のバスに乗ろうと思い、切符売り場に行くが早朝のためか閉まっていた。
しかたないので、バスの中でも買えると思い、チケットなしで乗り込んだ。
だが、チケットはバスの中では、買えなかった。
次の町の停留所で降ろされ、チケット売り場に連れて行かれ、チケットを買うことになった。
バスが行ってしまわないか心配であったが、バスは待っていてくれた。
そんなこともあり、運転手はラメーゴに行くことを知っており、不慣れな東洋人のことを気にかけていてくれたのだと思う。
ヴィラ・レアルで乗り換えがあること知らず、ゆっくりとしていたら、運転手さんが降りるように言う。
なんだかよくわからないが、急いで荷物を持ち降りた。
降りたばかりのバスが次の町へ出発してから、ガイド本とスケジュールや感想の書かれたメモノートを忘れたことに気が付く。
チケット売り場で、身振り手振りで忘れ物のこと伝えたが、絶望的な表情で見られるばかり。
旅は始まったばかりなのに、ガイド本もなく、困ったことになった。
『御免、ごめん、ゴメン、今日は〔ポルト〕行きの便は、19時30分の1便しかないんだって。
で、これから1時間後のバスで〔レグア〕に戻って、列車で〔ポルト〕に行く。ゴメ〜ン!』
写真家の決断は早かった。それに『御免なさい』の4色発声の使い分けも見事だった。
〔ヴィラ・レアル〕での1時間をどう過ごし、凹凸道路の45分間をどう乗車し〔レグア駅〕前広場に戻って来たかの記憶は疎(うと)い。
はっきり覚えているのは、写真家の45分間も睡魔に身をゆだねる度量の深さと、強さに驚嘆した。
そして、バスがドウロ川岸広場に戻った瞬時の、写真家の行動だった。
一昨日も歩き回ったドウロ川岸散策道の船着場に住民が走り寄る雰囲気を察知し、その後を追っていた。
船着場も喫茶店レストランも茶色の濁流に足首くらい飲み込まれ、白い椅子やテーブルなどを2トン車に運び上げるスタッフの姿があった。
写真家は撮影もしたが、66歳の野老に応援のシグナルも当然発信していた。
しかし、水びたしの連中は来るなと叫ぶ。
観光客への配慮を彼らは忘れていなかった。トラックに積み込む彼らに、無言の声援を送るしかなかった。
左側車窓からは、赤茶色のドウロ川の流れが列車と平行して〔ポルト〕に向かっていた。
線路の間近まで濁流が迫っているように見え、恐怖心が揺れた。
我らはポルトに着き、ご夫婦に会え、会食で快食させていただいた。
鮮度抜群の午前中からのエピソードネタを披露した。
久し振りでご夫婦にお会いでき、笑いと悲痛の話題で当然盛り上がった。
「けいの豆日記ノート」
以前、ブラガンサからポルトの中継地点のバスターミナルと違う場所であった。
バスタ―ミナルの建物がなく、切符売り場の小屋しかなかった。
バス会社が違っていて、ローカルバスなのだと思う。
しまった、そこまで考えてなかった。
ポルトまでのバスがあるはずなのに夕刻までなく、しかたなく、出発したレグアにまた戻ることになる。
そんなはずではなかったのに、計算違いであった。
《 「マテウス・ロゼ」ワイン 》
あれから12年の歳月が流れた、2018年5月28日(月)の今朝。
〔ポルト〕で5泊していた〔ホテル ペニンシュラ〕を出て、目の前の〔サン・ベント駅〕構内キヨスクで朝刊各紙を見る。
昨日〔アルト・ドウロ〕地区の〔ピニャオン駅〕や〔レグア駅〕で遭遇した21000人の赤服ランナーイベントの記事を探す。
あれだけのイベントだった記事は大きな扱いかと思ったが、普通紙ではなくタブロイド紙の囲み記事に【21mil a correr e a caminhar】「走ったり 歩いたり 21000人」と、赤服ランナー達の写真4枚が載っていた。細かい字の記事は相棒に任せた。
今日の行動予定は、写真家が熱望した〔ヴィラ・レアル〕にある「マテウス邸」が目的地だった。
野老にとっての「マテウス邸」は、ポルトガル〔ポートワイン〕の20世紀大ヒット商品『マテウス・ロゼ』の平べったい丸味のある緑色の瓶に貼られた〔ラベル〕に描かれた〔美しいマテウス邸の建物デッサン〕が世界的に人気を呼び、ラベルの下の6文字の白い〔MATEUS〕が心に焼きついていた。
だが、〔ヴィラ・レアル〕の町の記憶は前述してきたように、数々のご縁があったにもかかわらず「通過点と乗換点と逆戻り点のヴィラ・レアル」だった。
そのため、この地に〔マテウス邸〕があることすら知らなかった。
(ガイド本 2018〜19版ポルトガル「地球の歩き方」には、ヴィラ・レアルはない)
では、何故〔ヴィラ・レアル〕の町も、〔マテウス邸〕の存在すら知らぬ木偶坊(でくのぼう)の野老が、
高級ポルトガルポートワイン【マテウス・ロゼ】を知っていたか。
55年前の友人宅で「マテウス・ロゼ」を初めて小さなクリスタルグラスで一杯頂いた。
飲んだこともない風味だった。〔ロゼワイン〕だから甘いかと思ったが、薄にがい味がした。
東京神田神保町で手広く代々酒屋家業をしていた友人宅2階で、CM15秒シナリオ8本を野老が書き、彼が絵コンテに起こし、
徹夜で合作CMを創り上げた朝、彼からゴチになった。
赤ワインといえば、当時は甘ったるい「赤玉ポートワイン」が流行っていた。
〔ポートワイン〕といってもポルトガル産ではない。
日本で作ったブドー酒である。
(野老の記憶は薄いが、「ポートワイン」の標示が後に、変えられたように思う)
ポートワイン〔MATEUS〕ロゼ・ワインは、お得意様の要望で輸入した高級ワインだと知らされた。
野老が生まれた3年後の1942年誕生の高いワインだとは知る由もない23歳を過ぎた頃だった。
その友は、今、何をして生きているか、懐かしさが強烈に過(よ)ぎった。
「けいの豆日記ノート」
ヴィラ・レアルは地球の歩き方のガイド本には、載っていない。
旅名人ブックスというガイド本には載っていた。
ヴィラ・レアルの町でなく、マテウス邸として記載があった。
18世紀のバロック様式の典型ともいわれているマテウス邸を見てみたかった。
建物の前に池があり、きれいに映っている姿を見てみたかった。
ポルトガルの由緒ある邸宅には、広い庭園と池があり、建物が映り込むように考えて造られている。
建物がすばらしいのことはもちろんだが、映り込む建物も見ごたえがある。
《バスは走る、忘却曲線も・・・》
昨日、ドウロ川を列車で追いかけた〔ピニャオン〕や〔レグア〕(ペゾ・ダ・レグア)。
その〔レグア〕に再び今日も行き、懐かしの山越えバスの道「行って即、戻って来た道」を12年ぶりに再現するか、
それとも14年ぶりで〔ブラガンサ〕に行ったルートで〔ヴィラ・レアル〕に入るかは、写真家の胸の内だった。
9時発のバスで行けば野老の好きな〔アマランテ〕(50分)経由で、〔ヴィラ・レアル〕(40分)には1時間半ほどで行ける。
当然ながら、時間も運賃も列車旅よりバス旅の方が早いし安かった。
〔ポルト〕の〔ロード社バスターミナル〕は相変わらず狭い路地にあった。
切符を買う。ポルト→ブラガンサ→ヴィラ・レアル(15.5×2=31ユーロ)。
9時発のバスは〔ブラガンサ〕行き、乗客数は15人ほど。
ポルトからアマランテまでの高速道路は軽快だ。
すぐ乗客のほとんどが眠りに落ち、50分ほどで目覚める頃がアマランテのバスターミナル。
トイレタイムの後〔タメガ川〕を渡る時は、運転手がゆっくり渡ってくれる。
400m下流に架かる1790年再建の花崗岩〔サン・ゴンサーロ橋〕の眼鏡橋風情が美しいからだ。
満々と流れるタメガ川はポルトガルブルーの空を映し出し、半円に造られた橋下が川面に映り丸縁眼鏡のようだ。
14年前に〔ブラガンサ〕に行った時、2階建高速バスの2階最前列シートに陣取って食い入るように見ていた車窓風景。
その景観を忘却の彼方にとっくに吹っ飛ばしていた野老は〔忘却曲線〕を描いていた。
つまり、心に記憶し保持したことが時間が経つにつれて、どのように忘れられてゆくかを示す曲線だった。
野老もいよいよ、「耄期」(ぼうき)つまり「耄」は70歳以上、または80歳、90歳とも。
「期」は100歳。ぼけゆく年齢を刻々、踏んでいた。
待て待て、迫り来る老齢域を打ち破って、野老は未だ未だポルトガルを歩き続けたいのだった。
バスは更に東に向かう。
車窓から見える延々と続いたオリーブの木の畑を過ぎると葡萄畑の葉っぱの若々しい緑色が爽やかだった。
5月28日の照りつける太陽の光を吸い込んだ色鮮やかな葉が眩しい。
高速道路から広々とした山間(やまあい)の葡萄畑を見ながら町にる入る道に降りた。
コルゴ川とカブリル川の合流地点を見下ろす高台に〔ヴィラ・レアル〕はあった。
10時40分に着いたバスターミナルは新品だ。
12年ぶりの田舎町には不釣り合いと思えるほど、大きくモダンなバスターミナルを突きつけられ、侮ってはいけないという警鐘が耳元で鳴っていたが、
新品ではない初の〔ヴィラ・レアル〕紀行者として迎えてくれていた。
「けいの豆日記ノート」
バスターミナルが新しくなっていた。
もともと、バスターミナルは郊外の広い場所に造られていることが多いので、まわりには、何もないことがよくある。
バスターミナルのカフェにいた女性に「地球の歩き方(ヴィラ・レアルは記載がない)」でない他のガイド本の地図のコピーを見せて、ここはどこなのか聞いてみた。
その地図もかなりアバウトでバスターミナルの記載がなかった。
カテドラルなどの記載はあるが、バスターミナルの場所がわからなければ、どちらの方面に向かっていけばいいのかわからないのである。
地図が日本語で書かれていたこともあり、バスターミナルの現在地はわからなかった。
カテドラルの方面を聞いてみて、その方向だけの情報で、歩くことにした。
《常設市場での出逢い》
手元に地図がない。
まず〔トゥリズモ・観光案内所〕を捜し、地図と資料が貰いたい。
何時ものように困った時の神頼み、写真家の〔東西南北地図頭脳〕は確かだ。
十中八九、確率は警察犬のごとし。当然、後姿に従(したが)った。
陽射しはある、青空もある。白い雲は薄い。撮るもよし、歩くもよしの、山間の高台にある町〔ヴィラ・レアル〕は、坂の町だった。
トゥリズモは町の中心部に多いと踏み、撮りながら坂道を下る。
緑の木々も多く、しっかり敷き詰められ、組み込まれた石畳の道には乱れがない。
欠けた石魂ひとつ無く、たばこの吸い殻皆無。
気持ち良く、歩きやすい、静かで品の良さが伝わって来る雰囲気が良い町だった。
「けいの豆日記ノート」
バスターミナル近くの住宅地を抜け歩いていく。
分かれ道になると、勘だけで進んでいく。
地図がないと、ほんとに心もとない。
建物が、古い感じになっていくと、正解だったかなとうれしくなる。
市場らしき建物が見えた。
これは、寄るしかない。
常設市場は、だんだん少なくなってきている。
『寄ってくよ!』 写真家が好きな〔常設市場〕だった。
ポルトガルでもご多分に洩(も)れず、それぞれの町から日常生活の要だった常設市場が、郊外の大型スーパーマーケット進出で消えていくご時世だ。
久し振りに小綺麗な常設市場に出会えた。
通路の掃除も行き届き、この市場を守り続けてきた商店の人々の品位も感じさせてくれた。
果物屋さんの真っ赤な西瓜の輪切りが目を引く。
メロンにオレンジ、桃、林檎など1個1個が整然とひな壇に並ぶ。
肉屋さんの店内一面には、黒い小石が敷き詰められ、美味そうな燻製の肉が店内いっぱいに吊るされている。
ポルトガルの主食、身の厚みが5cmほどもあり、全長80cm程の背開きされたでっかい〔バカリュウ・干し鱈〕が1尾9.40ユーロ(1222円ほど)。
安い、日本だと6000円で買えるかどうか。
角っこに背の高い椅子が並ぶ立飲み的コーヒー店。
洒落者の爺さん達ばかりだ。5月末の11時過ぎだというのに黒いセーターに白い襟、黒ズボンに黒い革靴、粋な黒ハット。
隙(すき)が無い。高地の山合いの朝夕は涼しく、その気温差が葡萄産地には必要なのか。
洒落者のその爺さんが教えてくれた。冬には、ここだけ雪が降るし、今でも朝晩は寒いという。
その時、店先にウイスキーが並ぶ棚の奥に、あの神父さんの顔があった。
ポルトガルに来ても、中々お逢いできない【LAGRIMA】porto RAMOS PINTO の赤ワインと白ワインの6本入り段ボール箱が8箱積まれてあった。
髪口顎髭(カミくちアゴひげ)が似合う8人の神父さんがいた。
あり得ない神々しいタワー、夢のパラダイスだった。
予期せぬ野老の大好きなポルトワインが山積みだ。
なかなか手に入らないシロモノなのだ。
〔ポルト〕の酒屋さんでも置いてある処は少ない。
赤白揃えて買えたら、それは奇跡に等しかった。
笑顔が絶えない小柄な店主に、赤3本と白2本の購入を約束し、17時30分のバスで〔ポルト〕に戻るまで残して置いて欲しいと頼み、
店主の怪訝(けげん)な顔に野老は笑顔を送り店を出た。
「けいの豆日記ノート」
ポルトガルに来るたびにワイン店で探しまくるキリストの顔の印刷されたワインがある。
私には、ワインの味はわからないが、美味しいワインらしい。
特に高いくもなく、普通の値段のワインである。
ワイン専門店でも扱っている店が少なく、店を覗いてもないことが多い。
そのワインがこの市場の古い店には山のように在庫があった。
この地方のワインなのだろうか。
すぐに買いたいが、今から町を歩くのに、重い荷物を持って行くわけにはいかなかった。
帰りに寄ることにした。
市場の営業時間を聞いて、メモに書いてもらった。
昼休みが2時間あるので、3時半からは午後の営業をしているという。
そのころに買いに来ますと伝えたつもりだが、信じてもらえたかわからない。
《TURISMO》
下る坂道の先に開ける町並みは、どっしり落ち着いていた。
歩道も車道も広場も路地も、ねずみ色一色の石畳だ。
敷き詰めた石魂の大きさは同じだが、並べ方の向きで直線にもなり曲線にもなる。
直線が右方向に伸びたり左方向に伸びたり、曲線に並べられ渦(うず)にもなる。
まるで川の流れを感じさせた石畳模様だった。
それが、古い町並みに動きを与え、そよ風を送り、大きく呼吸させ、町全体が躍動感で溢(あふ)れているように思える。
建物には高層ビルはない。
2階3階5階4階と隣の建物に寄りそうように建ち並び、外観は石組みだったりタイル張りだったりと石畳模様の川を挟んで坂下に延びている。
月曜の昼前、適度の住民の動きの中に、目印の赤い帽子の写真家が行ったり来たり、店に消えたり、子供連れの母娘を撮って『オブリガーダ!』の、
ありがとう!の声が30mも離れていても聞こえるほど、〔ヴィラ・レアル〕の町は長閑で静寂である。
町の中心地〔カステロ・大聖堂〕がある通りの歩道石畳は、4mほどの幅で何100mも白い石魂で敷き詰められている。
陽射しは、ほぼ真上。白い石畳がまばゆい。歩く先にねずみ色の石魂で並べられた太字が現れる。
TURISMOと読め、しかもねずみ色の「長方形額縁」に収まり、白い石畳の中で浮かび上がっているようだ。
〔観光案内所〕は、その前にあった。
重厚なガラス扉を押しいって中に入る。
広い室内は照明内臓の白いアクリル版で仕切られ、カウンターには眼光凛々の長身の青年がいた。
その背後に大きく一文字「La’」(あそこ、あの場所、未来などの意だろうか)。
写真家は只(ロハ・ただ)の地図を貰い、説明を聞くのが好きだった。
『ああ・・バスターミナルからこっちに下ってくれば・・ここかッ、5分じゃん・・まッいいか、メルカードにも・・ワインあったし・・
タクシー乗り場って意外と多いな〜・・』説明を聞きながらも、独り言が多い旅人であった。
「けいの豆日記ノート」
トリズモの中は意外と広かった。
男性2人がいて、マップがほしいというとすぐに出してくれた。
観光名所などを地図に印をつけながら説明してくれた。
バスターミナルの場所を聞くと、町の西側に印をつけた。
でも、歩いた感じから、もっと遠いような気がして、北方面の高速道路近くではないかと聞き返した。
しかし、同じ場所を示した。
こんなに近かったんだ・・・
すごく遠回りして、トリズモにたどり着いたこと地図を見るとよくわかった。
遠回りしたおかげで、市場にも行けたし、町はずれの教会も見ることができた。
それもいいのかもしれない。
《ランチタイム》
写真家から聞いた。
『〔ヴィラ・レアル〕は「王家の町」という意味だってさ。
貴族が暮らしていたんだって。人口5万人を越したそうよ。
大学もあるって。見所は、カテドラル・カルモ教会・カルヴァニオ教会・カレイア公園、それに今日の目的地マテウス邸。
何時?1時!2時にはマテウス邸に行きたいな。その前にご飯にしよっ』。
トゥリズモの通りはメインストリート、カフェもレストランも沢山あった。
白い石畳に白いパラソル、オレンジ色のテーブルと椅子が並ぶカフェレストラン。
牛肉のソテー(4.5ユーロ)、生ビール(1.7ユーロ)、アグア(0.75ユーロ)計6.95ユーロ(900円ほど)。
勿論、牛肉ソテーは一人前だ。
〈 水より安い生ビール。昼間の生は、たまランチー!〉
レストランの目の前は〔カテドラル・大聖堂〕。
石積外壁は強固で地味がいい。
三角屋根の下の丸い明り取りは内側から見ればステンドグラスの色模様。
ここの明り取りはなぜか控えめ、40cmほどだ。内部の壁も石積がわかる造りで祭壇も簡素。
キリスト像が外光で浮ぶ控え目さが堪らない。
また、祈りの椅子が良い。普通は渋い色の長椅子が並ぶが、新品の木目も鮮やかな一人がけの椅子が整然とならんでいた。
天井は均一の太さの丸太組み。山間に祈りを響かせるパイプオルガンが小さな明り取りのやわらかい陽射しで、並ぶパイプが美しく輝いていた。
カルヴァニオ教会の壁一面のアズレージョ。
カルモ教会の礼拝堂祭壇中央のキリストのフレスコ画と天井画には品がある。
ミゼリコルディア教会の外観はこの町で一番目を引く。
しかし内部は意外に狭く質素だった。
日々の祈りの場には、華やかさは必要ないと思う。
「けいの豆日記ノート」
トリズモに行く途中の通りで見た、レストランでランチにした。
早く食べたかったので、どこでもよかった。
ランチメニューの看板が出ていた。
こういうレストランはランチがお得になっている。
店の外のテーブルにしようと思った。
テーブルの下がガタガタしていて、店の人が紙を挟んでくれた。
《マテウス邸》
郵便局近くのタクシー乗り場から昼下がり2時にタクシーに乗った。
3キロ程で10分もかからない。
6.45ユーロ、800円ちょっと。2時間ほどの見学。
入館料一人12.5ユーロ。
3時から室内の1時間の案内説明があるが、室内は撮影禁止と言われた写真家は自由行動の外部撮影と即決。
説明を聞いても判らないし、その上室内撮影禁止で1時間が無駄になる。
4時までの2時間弱が勝負だった。
『歩くの大変だったら、休んでな。迷子になったら入館した入り口で、4時厳守』写真家は自分に言い聞かせるように言った。
「けいの豆日記ノート」
マテウス邸の入館料は説明付きとセットになっていた。
ポルトガル語や英語の説明は、意味がわからないが、内部も見てみたかった。
説明付きの場合、グループごとに時間が決められていて、6グループが一緒であった。
6つの違う国の人たちばかりであった。
世界中から見に来る建物なんだと思う。
はじめに、入ったところの礼拝堂で、写真を撮ったら禁止だといわれた。
ポルトガルの美術館などは、撮影OKのところがほとんどであるが、まれに博物館などは、禁止の場合がある。
説明付きの場合は早くまわらなくてはならないので、写真を撮っていられると遅くなるために仕方ばないのかもしれない。
それにこの建物は、現在も侯爵が住んでいるという。
ポルトガル・バロック建築の傑作だという〔マテウス〕邸。
1740年にイタリア人ニコラウ・ナソーニと言う人が建てたそうだ。
入館料を払って、生い繁る樹々の林を過ぎると池に映り込むバロック建築のある風景に出る。
これが〔マテウス・ロゼ〕の容器に貼ってあるラベルデザインの建物〔マテウス邸〕であった。
確かにバロック様式は美しいと思う。
毎年暮れの『山之内けい子・ポルトガル写真展』の案内DMに使う、写真家入れ込みスナップを撮る。
野老の大切な仕事のひとつだ。
写真家は手入れが行き届いた庭園を撮っている。
野老は売店を探してみる。
当然〔マテウス・ロゼ〕が目的だ。
理科の実験授業時に使った〔フラスコ〕を左右から押しつぶしたような容器に、ロゼワインが入っていた。
ロゼの色はピンクに近いオレンジ色。
貼ってあるラベルも大きく、デザイン画は〔マテウス邸〕だった。
野老が55年前に見た〔マテウス・ロゼ〕ワイン瓶は確かにフラスコを両手で押しつぶした緑色の容器に、小さめのラベルが貼ってあったように思える。
ロゼ色はクリスタルグラス1杯のゴチだったので、記憶に薄い。
目の前のような綺麗な色ではなかった気がする。試飲は無いようなのであきらめた。
実は、瓶の緑色が鮮やかで美しかったので、後日彼から貰って本棚に飾っておいた気がする。
晩霞(ばんか)、夕方に立つかすみのような思い出かも知れない。
「けいの豆日記ノート」
マテウス邸の庭園の奥の裏庭には、ブドウ畑があった。
ブドウはまだ早くて実が付いていなかった。
サクランボ畑も見つけた。
サクランボが山のように実が付いていた。
スーパーでよく見るアメリカンチェリーでないサクランボである。
食べたら、おいしかった。
草の茂みで、トカゲを見つけた。
トカゲというには、すごく大きい。
カメレオンくらいあるトカゲであった。
こんなに実が付いているサクランボの木を見たことがなかった。
《神様のプレゼント》
我らの顔を見て、常設市場の酒屋のおじさんは驚き、弾け、満面の笑顔をくれた。
16時30分だった。マテウス邸の入館受け付け係がタクシーを呼んでくれた。
常設市場までお迎え料金が加算され7.65ユーロ。
ここのタクシーは安かった。
「けいの豆日記ノート」
マテウス邸からの帰り、タクシーを拾おうにも走っていない。
バスなどはなく、タクシーを待っていても来そうになかった。
行きのタクシーの運転手に名刺をもらっていた。
そこに電話番号が書いてあり、『連絡してくれれば、迎えに行く。』と言われた気がする。
電話で伝えるのは難しいので、チケット売り場の受付の人に頼んで呼んでもらった。
〔 LAGRIMA RAMOS PINNTO 〕は、赤も白も(750ml 19.5%alc,/vol,) 8.95ユーロを約束を守って来てくれたから、一本8.50ユーロにオマケしてくれた。
5本で42.5ユーロ(5525円)。
安くしてくれて感謝した野老だった。〔ポルト〕の酒屋で買えば一本4ユーロも高い12.95ユーロもする。
おじさんは、6本入段ボールに5本入れてくれたが、瓶と瓶が触れる音高らかに両手で抱えて、坂道を登ってバスターミナルまで歩くのは辛い。
「けいの豆日記ノート」
市場の酒屋のおじさんは、市場の前の道路で待っていた。
マテウス邸に寄り、行くのが遅れたので、きっと30分以上は、待っていたと思う。
道を間違えていないか、心配だったのかもしれない。
来るのか来ないのかわからない客を待つのは、時間が長く感じられたと思う。
約束を守ってくれた日本人の評判は上がったに違いない。
語り継がれているかも・・・そんなたいしたことはないってか・・・
『任せな!』相棒の頭の回転は早かった。
野老のリュックサックの中身を、自分の肩掛けバックとエコバッグに押し込み、5本の瓶を手拭いやジャンパーに包み、リュックサックに瞬時に収めた。
いの一番に拍手したのは、酒屋のおじさんだった。
親指を立てて「Bon! ボン!」と、何度も嬉しそうに可愛く叫び、相棒を讃(たた)えた。
「けいの豆日記ノート」
ガラス瓶に入ったワイン5本はかなり重たい。
手に持って、バスターミナルまで歩くのは、難しいと思った。
リュックなら、重くても持って行けそうであったので、中味を入れ替えすることにした。
重くても自分で買ったものだから、なんとしても持って行くだろう。
バスターミナルまでの緩やかな登り坂を好物のワインをしょって歩くのもいいかもしれない。
17時30分の〔ポルト〕行き高速バスに乗る。
今日は2004年からの14年間に及ぶ〔ヴィラ・レアル〕との因果(いんが)関係もめでたく成就(じょうじゅ)し、帰路の1時間30分、
隣のシートでリュックサックの瓶の触れ合う音が心地よく、睡魔に落ちて19時に港街〔ポルト〕に着いた。
●漢字に(・・・)と読みを容れていますが、読者の中に小・中学性の孫娘達がいますので了承ください。(野老)●
*「地球の歩き方」参照*
終わりまで、ポルトガル旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。
・・・・・・・今回分は2019年10月に掲載いたしました。・・・・・・・
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