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愛しのポルトガル  ポルトガルの世界遺産

 ☆☆バターリャ修道院 1983年ユネスコ世界遺産登録☆☆

バターリャ修道院

バターリャ

 正式名聖母マリア修道院(Mosteirode Santa Maria da Vitoria)

 バターリャ修道院は、ドミニコ修道会の修道院であり、ポルトガル・レイリア地方の都市であるバターリャにある。ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も用いられている。バターリャ修道院は、切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁によって多くの人々を驚嘆させる。
 バターリャ修道院は、ポルトガルの独立を象徴する建築物であり、1983年、ユネスコの世界遺産に登録された。 

バターリャ修道院

バターリャ

バターリャ修道院

 バターリャ修道院は、1385年8月14日、バターリャ近郊で行われたアルジュバロータの戦いで、カスティーリャ王国軍をジョアン1世が打ち破ったことを聖母マリアに感謝するために建設が開始された。アルジュバロータの戦いは、1383年からカスティーリャ王国とポルトガルとの間で展開された戦争において、ポルトガルの勝利を決定付けた戦いとして知られ、バターリャとはポルトガル語で「戦闘」を意味する。
 修道院は、2世紀にかけて建設された。建設が開始されたのは、1386年であり、1517年にある程度の完成を見せるが、その間に、ポルトガルの国王は、7人が在位したことになる。
 修道院の建設には15人の建築家が携わったが、その中でも、6人の建築家の名前(アフォンソ・ドミンゲス、フュゲット、フエルニヤーオ・ド・エヴォラ、マテウス・フェルナンデス、ディエゴ・ボイタック、ジョアン・ド・カスティーリョ)が知られている。また、膨大な人的、物的資源が投入されると同時に、バターリャ修道院の建設を通して、ポルトガルは国内では未知であった建築技術、芸術様式が導入され、独自の発展を遂げた。

バターリャ修道院の入り口

バターリャ

バターリャ修道院の入り口

 西側の広場に面している修道院の入口は、アーチ・ヴォールトの形をとっており、そのヴォールトの中には、78の聖像が飾られている。78体の聖像は6列に分けて並んでおり、それぞれに旧約聖書に登場してくる王、天使、預言者、聖者が天蓋の下に並んでいる。また、ヴォールトから地面へとつながる部分の両脇には、使徒と鎖で縛られた悪魔の彫像がある。加えて、修道院の入口のアーチ・ヴォールトの上部の三角形のような形をしたスペースには、キリストの戴冠の様子が彫刻で施されている。

バターリャ修道院の王の回廊

バターリャ

バターリャ修道院の王の回廊(Claustro Real)

 王の回廊は、もともとは、バターリャ修道院の建設計画になかったものである。フェルニヤーオ・ド・エヴォラが1448年から1477年にかけて建設した。王の回廊に残されている彫刻は、マヌエル様式とゴシック様式を上手に融合させており、第2の建築家であるフュゲットが最初に施し、後にマテウス・フェルナンデスが追加している。

バターリャ修道院の洗盤

バターリャ

バターリャ修道院の洗盤

 洗盤は、王の回廊の北西の角に置いてある。バターリャ修道院に設置してある洗盤は、マテウス・フェルナンデスの作品である。水が出る装置と2つの小さな洗面器からなり、洗盤の周りの複雑な狭間飾りを通して、全体が金色の光に包まれている。

バターリャ修道院の未完の礼拝堂

バターリャ

バターリャ修道院の未完の礼拝堂(Capelas Imperfeitas)

 未完の礼拝堂は、バターリャ修道院が完成形を見ることがなかったことを示す証でもある。未完の礼拝堂自体は、ドゥアルテ1世によって、1437年に着工した。目的は、ドゥアルテ1世と彼の子孫が埋葬されるための王室の第2の霊廟であったが、実際には、ドゥアルテ1世とその妻であるレオノール・デ・レオンの2人のみが埋葬されている。
 未完の礼拝堂は、もともとフュゲットが設計したものであるが、後にマテウス・フェルナンデス設計のものが現存の礼拝堂の主な姿となっている。礼拝堂のそれぞれの角には、ヴォールトを支えるために作られた未完の控え壁がある。また、マヌエル様式の彫刻が施される形で、ボイタックが設計した支柱が立つ。
 礼拝堂の入口は、15mの高さになっている。もともとはゴシック建築の手法が用いられていたが、マテウス・フェルナンデスの手によって、マヌエル様式の傑作へと変わり、1509年に完成した。華美で、またスタイリッシュであるマヌエル様式の彫刻は、天球、翼を生やした天使、ロープ、円、木の切り株、クローバーの形をしたアーチといった形で表現されている。また、バターリャ修道院建築において庇護者の立場を採ったマヌエル1世やドゥアルテ1世のモットーでもある"Leaute faray tam yaserei"(朕は常に忠実なり)という言葉が200以上、礼拝堂の中のヴォールトやアーチ、柱に施されている。
 1533年ごろには、ジョアン・ド・カスティーリョの手によって、ルネサンス建築の手法である涼み廊下が施された。

バターリャ修道院

バターリャ

バターリャ修道院

 バターリャ修道院の外装は、ポルト・ド・モスで産出された石灰岩によって構成されており、時が経過するにつれて、黄土色へと変色していった。バターリャ修道院の外装は、レイヨナン式とフランボワイヤン式といったゴシック建築の様式に加え、ルネサンス建築が融合した稀有な例であり、また、イングランドの垂直様式の要素を強く持つ。他の全てのドミニコ修道会の教会のように、バターリャ修道院は鐘楼を持たない。
 騎馬像のある広場に面した西側のファサードは、控え壁と巨大な片蓋柱によって3つに仕切られている。西側のファサードの壁を隔てて、創設者の礼拝堂があり、このファサードの右手には、未完の礼拝堂がある。
 修道院の入口は、この西側のファサードが南に面していることから、騎馬像を左に見ながら右側に曲がったところ、西側の広場に面している。この入口から修道院内部に入り、左手に王の回廊があり、王の回廊の東側には、参事会室、王の回廊の北側には、アフォンソ5世の回廊がある。

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