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ポルトガル写真集(大学の町・コインブラ)
Portugal Photo Gallery --- Coimbra

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コインブラ1
大学の時計台
大学の時計台

コインブラ2
半円風景
半円風景

コインブラ3
新カテドラル
新カテドラル

コインブラ4
ファドを歌う大学生
ファドを歌う大学生

コインブラ5
コインブラ大学の丘
コインブラ大学の丘

コインブラ6
モンデゴ川の夜景
モンデゴ川の夜景

コインブラ7
占領された校舎
占領された校舎

コインブラ8
記念写真
記念写真

コインブラ9
アルメディーナ門
アルメディーナ門

コインブラ10
わかれ道
わかれ道

コインブラ11
オープンカフェ
オープンカフェ

コインブラ12
赤いベンチ
赤いベンチ

コインブラ13
タイムスリップの道
タイムスリップの道

コインブラ14
広場の群衆
広場の群衆

コインブラ15
一枚いかが
一枚いかが

コインブラ16
窓

コインブラ17
涙の館
涙の館

コインブラ18
アズレーショの庭園
アズレーショの庭園

☆コインブラの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市である。
リスボンから、バスで、2時間半、ポルトからバスで1時間半のところにある。
丘の上のコインブラ大学を中心に発展した文化都市である。
人口9万人ほどの小さな町だが歴史の中で果たした役割は大きい。
コインブラ大学は、1290年ディニス王によって創設された。
町を流れるモンデゴ川はエストレラ山脈を源とする美しい川である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 大学の町コインブラ ☆    〔 文・杉澤理史 〕

  

 1月27日(日)は、朝から小雨がこまかくふり、石畳の道を洗っていた。 日曜日の朝は、町が悲しげ。店も開かず、人の歩く気配もない。 町の商店街はひっそり。日曜日は町全体がお休みだった。 そんなポルトガルの第2都市・ポルトからバスで1時間半のコインブラに向かう 朝7時。『あ〜ア、食べた食べた!満足満腹!』と、相棒は明るい。
ホテル・メルク−レバターリャのモーニングはうまい!食べ放題だ。 写真家は朝からご機嫌であった。

 雨を吸い込んだ石畳の坂道は歩きにくい。重い旅行バックの回転車輪が滑った。 『ポー、ころぶなよ〜!』相棒が叫ぶ。バスターミナルまでの10分が長かった。 初めて訪れたポルトは、ポーが住んでみたいと思った街だった。
首都リスボンが政治の都市だとすれば、ポルトは商業の都市だという。 どちらも、好みだったが出会った心に残る人びとが、ポルトには多かった。 特に、市場で生活する人々が相棒にとっては心が休まる仲間になった、と思う。 3日間、市民の台所と言われているボリャオン市場に通いつめ、働く女性を撮り続けた。 八百や、魚や、肉や、オリーブや、花や、果物や、パンや、乾物や、造花や、履物や、燻製や、下着売り、刺繍売りなど働くのは皆、女たちだ。
勿論、写真家の手作りの〈折り鶴〉が女たちの手のひらで舞った。 感謝の折り鶴だった。

 『ポー、また、必ず来るよ〜、会いにね!』 と写真家けいちゃんは、少し、涙声で市場に別れを告げた。

 昨日の午後、小雨が降り出した石畳の坂道を歩いて行く相棒の後姿が悲しげであった。 ポルトには、なぜか、心に沁(し)みる、あたたかい風が吹いていた。 小雨の中を高速バスは走る。お腹満腹の相棒は、すでに後部座席で夢の中。 バスの揺れは、ゆりかごだ。
 ポルトガルの旅を始めて二年目、2002年の冬だった。 ポルトから100キロ南下。12時15分コインブラのバスターミナルに着く。 当然、コインブラも日曜日だ。でも、雨も上がり1月だというのに初夏の暖かさ。 名古屋からfaxで予約しておいたホテル・アルメディナに向かう。 10分、ガラガラとバックを転がし、途中で自家用車に乗って出かける家族に、ホテルの場所を聞いた。 100m先だという。チャンスがあれば声をかける。 通じるはずがないと解っていたが、目的意識があって話しかければ通じるものだ。 〈日本から来たのか、二人でか!?〉とお腹の大きなご主人が驚く。
 ガラガラ石畳に音を響かせ、バックを転がした。道行く人がその音で振り向く。 陽射しが強い。上着を脱ぐ。汗が頬を泳ぐ。『夏だね〜』相棒がつぶやいた。額の汗が輝く。 『ありがたいね。寒くて震えるよりは』とポーが指差す先に目指すホテルがあった。 ミラーガラス張りの小さなホテルだった。 二階の101号室で荷を解いた。
この街がどんな街なのか、まず、トリズモ(観光案内所)をガイド本の地図で見当をつける。

 「けいの豆日記ノート」
 ホテルから南東に向かった。暑い。 ポルトでは高い建物が密集して建っていたが、コインブラではなんかすかすかといった感じ。 ポルトガル第3の都市って言う気がしないよ。 300mほど歩いたら鉄道のコインブラ駅に出た。
 ついでだから明日、日帰りで行く予定のアヴェイロ行きの時刻を調べた。 冬だし観光客もいないみたいなので前売り乗車券は買わなかったよ。 時刻表の見方も、だいぶ慣れたね(自分で感心したりしてさ)。

 駅の前には、巾が200m近い川が流れ、川風が汗を止めてくれた。 モンデゴ川だった。そのモンデゴ川に架かるのが、サンタクララ橋。 左手には丘があり、そこには白い壁とオレンジの屋根が折り重なって天に伸びていた。 頂上にある大きな建物がコインブラ大学だった。 大学を中心にしたコインブラの街は、それほど大きな町ではなさそうだ。
 橋の近くにトリズモは、あった。地図と資料をもらう。 資料はカラー写真もあり美しかったがもう何年も作り変えた感じがしない。トリズモの前はポルタジェン広場。 そのベンチに座り、川風の心地よさに打たれ地図をひろげた。 ポーは方向音痴、相棒は〈犬〉だった。地図を見る目は、猟犬のまなざし。一度通った道は忘れない。 きっと頭の中に東西南北の升目が走っているに違いない。

 『さて、行くか!』相棒の顔が写真家の顔に変わった。目の輝きが鷹になる。

 広場から街の中に商店街が伸びている。フェレイラ・ボルゲス通りだった。 商店街は閑散。店の閉まったシャッター前で5人組の学生風がギターでファドを歌っている。 髪の毛の長い男が通行人に投げ銭を求め回る。写真を撮る相棒にも来た。 服装も昔のヒッピー風。学生ではなさそうだ。 相棒が言った。『ボア タルデ!(こんにちは)』と、にっこり。
そして『アデウス!(さよなら)』だった。男はニヤッと笑い、追いかけては来なかった。 見事だった。限りなく持ち合わせがない単語からの選択だったが・・・。

 「けいの豆日記ノート」
 500mほど商店街の通りを歩いていくと、5月8日広場に出た。 小ぶりの広場の中央に水が噴射していない噴水があって、冬支度の市民の姿も多かった。 レストランの前に黄色いパラソルが二つ。ワインを楽しむ家族がいた。
焼き栗売りが二台。煙が栗の香りを運んできて食べたくなる。そういえば、昼食はまだだったよ。

 5月8日広場にあるサンタ・クルス修道院の脇から丘の上の大学に向かった。 狭い石畳の曲がりくねった路地を歩く。陽射し相変わらず強い。路地の両側には建物が続く。 古い石積みの壁には苔の跡。
『この建物は、大学かな』『違うんじゃない』 カシャ、カシャと相棒が放つシャッターの音が狭い路地に響く。
20分ほど登ってきたのに誰にも会わない。猫一匹にも。日曜日の、大学の丘は孤島か。 その時だ、ファドの歌声が聞えてきた。(まるでテレビの旅番組みたいに・・。)

 路地を抜けると目の前にギターを奏でファドを歌う10人ほどの学生風群。 階段がまるまる練習ステージだ(旧カテドラルの建物に入る石段だった。 ここは初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケスによって1162年に建てられたロマネスク様式の教会だった)。 ポーは建物の影で汗を拭き拭き一休み。相棒はステージ撮影だ。 学生風群は笑顔で相棒に応えてくれる。歌声が盛り上がってきた。 撮影満足のお礼の一言『オブリガーダ!』と相棒は手を振った。
『ジャポネーザ!』の声が返ってきた。 よく〈日本女性〉だとわかったものだと、戻ってきた相棒に話す。
『学生達は教養があるからね』と、涼しげに言う。 『それよりさ、トイレ』坂の角に小さなカフェがあった。
パン2個とファンタ2本(3・2ユーロ416円)が昼食だった。勿論、相棒はトイレを借りた。

 「けいの豆日記ノート」
 大学の構内を歩く。誰もいない。校舎の窓から大きなタコの足が3本。洒落に違いない。 でも、びっくりしたよ。新カテドラルの入り口でものすごい量の赤い花びらとお米を発見。 ライスシャワーだった。午前中にここで大勢の仲間に祝福された新郎新婦がいたんだね。 チャンス逃したよ。悔しい〜!両手に一杯すくって空に向かって投げた。
赤い花びらと白い米の雨が舞って降ってきたよ。きれいだった。

 一日二万歩の旅を続けているご褒美がライスシャワーだったかも知れない。 コインブラ大学はアルカソバの丘の上にあるポルトガル最古の大学だった。 1537年にジョアン3世によって、この地にコインブラ大学が誕生。 それ以来大学の町として栄えてきたという。 相棒が講義室を見たいと言うので校舎に入り、事務所を探した。やっと見つけた。
交渉人ポー、難航した。5分もかかったが成立だ。 講義室は階段状に長椅子が連なり、200人は講義が受けられる広さだった。 席の中ほどに座っていた相棒が突然席を立ち黒板に向かった。そして、白いチョークで書いた。

 『愛しのポルトガル 山之内けい子』と。

 校舎を出て校門がある丘からコインブラの町が見渡せた。 眼下に広がるオレンジの屋根越しにモンデゴ川が悠然と流れていた。 サンタ・クララ橋が対岸に長く伸び、輝く川面がまぶしい。一服の絵を見る思いだ。 静かな日曜日の、午後だった。 旧大学と呼ばれている一隅があった。 17世紀に作られた鉄の門をくぐると、広い中庭があり、旧校舎と時計塔が青空に浮かんでいた。 気品に満ちたコインブラ大学の象徴空間だった。

 「けいの豆日記ノート」
 鉄の門を出ようとしたら30人ぐらいの団体が入ってきた。高校生の社会見学の一団だった。 旧校舎をバックに記念撮影が始まったので、便乗して撮影させてもらう。 すると、カメラを向ける先生でなく私の方に生徒達の目線が集中。
 先生がこっちこっちと叫んでいるみたいだけれど、目線はこっち。 先生がまた何か叫んだら、どっと生徒達から笑いが起こった。あっ、やばい!先生が近づいて来る。 ポーも跳んで来た。「スミマセン!ご迷惑かけました!」と。

 女の先生だった。 『デスクーペ!(ごめんなさい)』と相棒が言ったら、先生は笑顔で『日本から来たの!私は東京の大学に2年いたのよ。会えてうれしいわ』と手を差し延べてくれた。 ほっとした相棒はお礼にと折りためていた折鶴を5羽差しあげた。 すると、折り方を子供達に教えて欲しいということになり、そこで〈折り鶴教室〉が始まってしまった。 相棒は手持ちの千代紙を生徒達の手に渡した。 輪の中で撮影することを忘れた写真家は折り鶴をうれしそうに伝授。
30分があっという間に過ぎ去っていった。 空が夕焼けになってきた。一羽誕生するたびに生徒達から拍手が起こる。 千代紙が鶴となって生徒たちの手先から50羽は飛んでいった。心に残る偶然の出会いに感謝だ。
まさに〈鶴の恩返し〉であった。

 夕焼けの坂道をくだった。昼のパン1個がひびく。腹が鳴った。 アルメディーナ門をくぐると商店街(メインストリート)に出た。 この門は大学に行く近道だった。 この通りとモンデゴ川に挟まれた一段低い地区がバイシーニャと呼ばれている下町でレストランが多かった。 7時前だったのでレストランは閉まっていた。 夕方になるとやはり寒い。陽が落ちて冬を意識した。 寒くて腹が減っていたので、開いていた食堂に入った。学生食堂という感じだった。 干し鱈(たら)とじゃがいもの炒め物とサラダを一人前ずつに、ビールにファンタで8・9ユーロ(1157円)。 どこでも一人前の量が多いから二人前は頼んだことがない。 相棒の口癖ではないが、節約節約であった。
 夜道を、まるい月明かりで浮かぶモンデゴ川の流れを左手に見ながらホテルに帰った。

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