小さな画面をクリックすると、大きな画面&コメントのページになります!
☆コインブラの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市である。
リスボンから、バスで、2時間半、ポルトからバスで1時間半のところにある。
丘の上のコインブラ大学を中心に発展した文化都市である。
人口9万人ほどの小さな町だが歴史の中で果たした役割は大きい。
コインブラ大学は、1290年ディニス王によって創設された。
町を流れるモンデゴ川はエストレラ山脈を源とする美しい川である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 大学の町コインブラ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
1月27日(日)は、朝から小雨がこまかくふり、石畳の道を洗っていた。
日曜日の朝は、町が悲しげ。店も開かず、人の歩く気配もない。
町の商店街はひっそり。日曜日は町全体がお休みだった。
そんなポルトガルの第2都市・ポルトからバスで1時間半のコインブラに向かう
朝7時。『あ〜ア、食べた食べた!満足満腹!』と、相棒は明るい。 雨を吸い込んだ石畳の坂道は歩きにくい。重い旅行バックの回転車輪が滑った。
『ポー、ころぶなよ〜!』相棒が叫ぶ。バスターミナルまでの10分が長かった。
初めて訪れたポルトは、ポーが住んでみたいと思った街だった。 『ポー、また、必ず来るよ〜、会いにね!』 と写真家けいちゃんは、少し、涙声で市場に別れを告げた。 昨日の午後、小雨が降り出した石畳の坂道を歩いて行く相棒の後姿が悲しげであった。
ポルトには、なぜか、心に沁(し)みる、あたたかい風が吹いていた。
小雨の中を高速バスは走る。お腹満腹の相棒は、すでに後部座席で夢の中。
バスの揺れは、ゆりかごだ。 「けいの豆日記ノート」 駅の前には、巾が200m近い川が流れ、川風が汗を止めてくれた。
モンデゴ川だった。そのモンデゴ川に架かるのが、サンタクララ橋。
左手には丘があり、そこには白い壁とオレンジの屋根が折り重なって天に伸びていた。
頂上にある大きな建物がコインブラ大学だった。
大学を中心にしたコインブラの街は、それほど大きな町ではなさそうだ。 『さて、行くか!』相棒の顔が写真家の顔に変わった。目の輝きが鷹になる。 広場から街の中に商店街が伸びている。フェレイラ・ボルゲス通りだった。
商店街は閑散。店の閉まったシャッター前で5人組の学生風がギターでファドを歌っている。
髪の毛の長い男が通行人に投げ銭を求め回る。写真を撮る相棒にも来た。
服装も昔のヒッピー風。学生ではなさそうだ。
相棒が言った。『ボア タルデ!(こんにちは)』と、にっこり。 「けいの豆日記ノート」 5月8日広場にあるサンタ・クルス修道院の脇から丘の上の大学に向かった。
狭い石畳の曲がりくねった路地を歩く。陽射し相変わらず強い。路地の両側には建物が続く。
古い石積みの壁には苔の跡。 路地を抜けると目の前にギターを奏でファドを歌う10人ほどの学生風群。
階段がまるまる練習ステージだ(旧カテドラルの建物に入る石段だった。
ここは初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケスによって1162年に建てられたロマネスク様式の教会だった)。
ポーは建物の影で汗を拭き拭き一休み。相棒はステージ撮影だ。
学生風群は笑顔で相棒に応えてくれる。歌声が盛り上がってきた。
撮影満足のお礼の一言『オブリガーダ!』と相棒は手を振った。 「けいの豆日記ノート」 一日二万歩の旅を続けているご褒美がライスシャワーだったかも知れない。
コインブラ大学はアルカソバの丘の上にあるポルトガル最古の大学だった。
1537年にジョアン3世によって、この地にコインブラ大学が誕生。
それ以来大学の町として栄えてきたという。
相棒が講義室を見たいと言うので校舎に入り、事務所を探した。やっと見つけた。 『愛しのポルトガル 山之内けい子』と。 校舎を出て校門がある丘からコインブラの町が見渡せた。 眼下に広がるオレンジの屋根越しにモンデゴ川が悠然と流れていた。 サンタ・クララ橋が対岸に長く伸び、輝く川面がまぶしい。一服の絵を見る思いだ。 静かな日曜日の、午後だった。 旧大学と呼ばれている一隅があった。 17世紀に作られた鉄の門をくぐると、広い中庭があり、旧校舎と時計塔が青空に浮かんでいた。 気品に満ちたコインブラ大学の象徴空間だった。 「けいの豆日記ノート」 女の先生だった。
『デスクーペ!(ごめんなさい)』と相棒が言ったら、先生は笑顔で『日本から来たの!私は東京の大学に2年いたのよ。会えてうれしいわ』と手を差し延べてくれた。
ほっとした相棒はお礼にと折りためていた折鶴を5羽差しあげた。
すると、折り方を子供達に教えて欲しいということになり、そこで〈折り鶴教室〉が始まってしまった。
相棒は手持ちの千代紙を生徒達の手に渡した。
輪の中で撮影することを忘れた写真家は折り鶴をうれしそうに伝授。 夕焼けの坂道をくだった。昼のパン1個がひびく。腹が鳴った。
アルメディーナ門をくぐると商店街(メインストリート)に出た。
この門は大学に行く近道だった。
この通りとモンデゴ川に挟まれた一段低い地区がバイシーニャと呼ばれている下町でレストランが多かった。
7時前だったのでレストランは閉まっていた。
夕方になるとやはり寒い。陽が落ちて冬を意識した。
寒くて腹が減っていたので、開いていた食堂に入った。学生食堂という感じだった。
干し鱈(たら)とじゃがいもの炒め物とサラダを一人前ずつに、ビールにファンタで8・9ユーロ(1157円)。
どこでも一人前の量が多いから二人前は頼んだことがない。
相棒の口癖ではないが、節約節約であった。
|
☆ コインブラ Coimbra シリーズです ☆
コインブラ1
・コインブラ2
・コインブラ3
・コインブラ4
・コインブラ5
・コインブラ6
ホーム ★ ポルトガル豆知識 ★ プロフィール ★ ポルトガル写真集 ★ 写真展案内 ★ ポー君の豆日記 ★ 今月の1枚 ★ リンク ★