(運河の町・アヴェイロ)
Portugal Photo Gallery --- Aveiro
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☆アヴェイロの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトとコインブラの間に位置するアヴェイロの町。
入り組んだ潟が内陸に大きくくい込んでいるので自然の良港として16世紀に繁栄した。
大暴風雨の影響でさびれたりしたが、漁業を中心に立ち直った。
現在、おもな産業は漁業と牧畜である。
牧畜の肥料用の海草を運ぶ船をモリセイロという。
毎年3月25日からの大見本市では最も美しいモリセイロが選ばれる。
「ポー君の旅日記」 ☆ 運河の町アヴェイロ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 《大西洋から内陸にくい込んだ入り江に栄えた町アヴェイロ。 町の中心を運河が走る水の都だ。その運河にカラフルに彩(いろど)られた小船が浮かんでいた。 それが、モリセイロだった。》 大学の町、コインブラ駅から9時15分発の普通列車に乗った。
左手にモンデゴ川を眺めながら北上。今日も快晴だ。
あたたかい冬の2002年1月28日の月曜日だった。
でも、車窓風景はまるで春景色。菜の花畑やキャベツ畑が続いた。
のどかな田園風景を楽しみながらポーは眠くなる。
相棒は時間があれば、持参の千代紙で折り鶴作りだ。
ほぼ1時間。アヴェイロ駅に着くアナウンスで、降りる準備をしていた時、車窓に沢山の白いテントが見えた。
露天市場だった。市場と知った限り相棒は、寄らないわけがない。
『ポー・・』瞬時に『了解!』話は早かった。 《アズレージョとは、ポルトガル語で装飾タイルのこと。
ポルトガルではいたるところに飾られていた。
住宅の壁にも、レストランやカフェ、公園のベンチ、そして地下鉄のホームの壁面など、アズレージョが生活の中に溶け込んでいた。 まず、車窓から見た露天市場に向かった。白いテントの数は50位か。 陽射しは強いが、冬の影は長かった。影は、背丈の3倍はあった。 相棒けいちゃんは、意気揚々だったが30分後、『ポー。まっ、いいか』それが撮影終了の合図だった。 パン屋が2店、古時計売り1店、電気の傘屋1店、他は衣類店ばかり。ブラジャーの山盛り。 色とりどりだが、ひと胸2・5ユーロ(325円)。下着やブラウス、スカート、靴下などの山積がおばさんたちの手で崩れていく。 雪崩の如くに。日本でも見られるバーゲン会場みたいだ。 「けいの豆日記ノート」 アヴェイロは小さな町だった。 アヴェイロ駅から町の中心地までメインストリートは1400mぐらいあった。 ポルトガルの町では珍しく坂がない平坦な石畳の道だ。冬場なので観光客がいない。 ドトール・ロレソン・ペイシーニョ通りからヴィアナ・ド・カステロ通りと名を変えたメインストリートはまるで貸切状態であった。 駅から1200mほど歩いた右手にトリズモ(観光案内所)があり、更に200mほど歩くと中央運河に突きあたった。 「けいの豆日記ノート」 モリセイロはアヴェイロの華(はな)であった。 運河に浮かべられた色彩鮮やかな小船は目を引いた。 観光の目玉として配置されたものだったけれど。 船首にも船尾にもデザインがほどかされ,反り返った船体はゴンドラに似てもいた。 その飾られた船体と背後の建物が川面に映り、揺れていた。 爽やかな川風が微妙に運河を吹き抜けていた。 〔アヴェイロは漁業と酪農が主な産業だったと言う。 海で採った海草を使って肥料にし、土地を肥やして牧草地帯を作り酪農産業を発展させた。 その海草を採り海から運んだ小船がモリセイロだった。〕 魚市場の近くの小さなレストランに入って昼食をとった。
蛸と海老のリゾット、鶏肉のリゾット、ビールにセブンナップ、バニラアイスで10.38ユーロ(1350円)。
昼食としては奮発したが、口に合わなかった。リゾットを交換して食べてみたが、だめだった。
見かけは、おいしそうだったが、二つも頼むのではなかったと反省した。 「けいの豆日記ノート」 思い出した。東京都下、新島の墓地も印象に残っている。
真っ白い砂が墓地一面に敷かれ、太陽光線が照り付けると墓地全体が輝き、まるで浄土だった。
島のおばあさん達は毎日飾る生花で年金の全てを使い果たしてしまうほど、墓を守っていたのだ。
黒い衣装を身にまとったポルトガルのおばあさん達も新島のおばあさん達と同じ気持ちに違いない、と思う。
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