《バターリャには世界遺産の修道院があった。痺れるほどの感動をくれた。》
2002年1月31日(木)の朝、漁師町ナザレのバスターミナルから8時30分発のバスに乗ってバターリャに向かった。
大西洋からの潮風は冬だというのに、あけた窓から心地よく吹き込んできた。乗客はふたり。まるで、貸し切り状態だ。
運転手のすぐ後の席に陣取った。運転席の椅子が悲鳴を上げそうな大きなお尻の運転手が声をかけてきた。
(日本人か?)(はい)(ツアーか?)(いいえ)(二人でか?)(はい)(何処に行くんだ?)
(バターリャ)(ごにょごにょ・・)(・・・・・・)
会話は、そこまでだった。でも、(アルコバサ)という言葉は聞き取れた。
『バターリャに行くにはアルコバサで乗換えだ、と言っているかもよ』と相棒。
ポーは慌てて運転手に『はい! yes! sim! sim! オブリガード!』と応える。
こんな按配で旅を続けていた。
恥ずかしい限りの体たらくだった。
「けいの豆日記ノート」
バスに乗るとき、入り口で、必ず、行き先をいって確認をする。
チケットを渡すときでも行き先を言うようにしている。
ちがうバスに乗ってしまうとたいへんだから。
会話は、できなくても、このバスが、どこにいくのかはわかるから。
それに、親切な運転手さんは、チケットを持っていないと売り場までつれていってくれたりする。
それに、降りるところになるとちゃんと教えてくれたりする。
こういうとこ、ローカルバスは、いいよね。
30分ほどでアルコバサのバスターミナルに着く。快晴だ。太った運転手は親切だった。
乗り換えのバスまで連れて行ってくれ、さらにそのバスの運転手に
(この二人はバターリャに行きたいそうだから頼むぜ!)と、
言ってくれたみたいだった。ポーは運転手と握手して頭を下げた。
相棒は折り鶴を差し出した。笑顔が可愛い運転手だった。
たのまれた方の運転手は痩せていた。早く乗れ、と手招く。
『オブリガーダ!』と切符を見せ相棒はバスに乗り込んだ。
さあ,これで安心。後は、バターリャまで車窓を楽しむだけだ。
田舎道をのろのろ15分ほど走ってきた四辻のバス停で、運転手が(ここで降りろ)とアクションを交え指示してきた。
どう見ても田舎のバス停だった。道の斜向かいにある小屋を指差してあそこから乗れ、と言っているようだ。
また途中で乗り換えるとは聞いてなかった。
たぶん出発する時アナウンスされたのだろうけれど、そんな内容だとは思ってもいなかった。
仕方なしに、降りた。『オブリガード!』『オブリガーダ!』と運転手に礼を言いながら降りた。
斜め前の小屋は小さな雨よけのトタン屋根がついたバス停だった。
黒づくめの服装に包まれた50代の女性が一人、煙草をくわえて立っていた。
『ボア タルデ(こんにちは)』と相棒。ニコリ笑って、おばさんは煙を吐いた。5分が過ぎ10分が過ぎ去った。
おばさんはベンチに座り2本目の煙草に火をつけた。
バターリャ行きのバスは本当に来るのか、不安になる。写真家の相棒は道端に咲く野草の花を撮っていた。
マイペースは崩さない。バスが来なければ来ないでかまわない。来た道を歩いてアルコバサまで戻ればいい。
伝家の宝刀「まっ、いいか!」と一言吐けばすむ。相棒にとっては簡単な選択だった。
「けいの豆日記ノート」
ガイド本にはナザレからバターリャまでバスで1時間と書いてあったけれど、
田舎道のバス停で乗り換えに20分も待つなんて書いてないぞ〜。
ガイド本っていいかげんなんだから。
もしかしたら冬時間だからかも知れない。そう、思うことにしたよ。
黒い衣装の婦人に飴を上げたら受け取って口に頬張ってくれた。目が綺麗だった。
この人がいてくれてよかったと思うよ。だれもいなかったら不安だものね。
飴を舐めていたら、やっとバスが来た。
10分も乗らずにバスは大きな建物の前で止まった。
さっきの婦人が『ここだよ。』というように目配せしてくれた。
9時50分だった。バターリャのサンタ・マリア修道院だった。
今まで見た修道院とは、雰囲気が違ったよ。
《バターリャとはポルトガル語で『戦い』という意味がある。》
1385年、ジョアン1世はスペインからの独立をかけてカスティーリャ軍と戦い、勝利をおさめる。
歴史に残る戦いはポルトガルの独立を守った。
そして、ジョアン1世は勝利の暁にはこの地に修道院を建てるという約束を実行する。
1388年のことだったという。そして100年以上もの歳月をかけ建立。正式名、勝利の聖母マリア修道院だ。
壮大なこの修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建物の一つとして、1983年に世界遺産に登録された。
バスを降りてまず驚かされたのは、修道院の外観だった。
入り組んだ装飾の細やかな外壁は、薄青く輝いていた。
西側にある教会入り口で3ユーロ(390円)の見学料を払って中に入った。
興奮の痺れっぱなし!だった。目が洗われた。心が生き返った。
その華麗美に立ちすくんだ。その繊細さに酔った。
細長いステンドグラスの窓から差し込む柔らかい日差しが大理石の壁面に虹のような絵模様を描いてくれる。
その神秘さは神様の滑り台のよう。
奥行き80m、高さ32mの教会内部。隣で息をひそめシャッターを切る相棒の音が途切れない。
目がキラキラ輝いている。痺れているのだろうか。意外と写真家はクールな面もある。
(腹が減ったな〜、なんて思っているかも知れない。)
教会から王の回廊に出る。
繊細な彫刻を張り巡らした回廊は中庭からの逆行の光の中で濃淡を浮かばせ、より彫刻の深みを楽しませてくれる。
そして、中庭越しに建物の容姿を堪能させてくれた。回廊を3周もしてしまった。
また、未完の礼拝堂もある。屋根がないのだ。青空の見える礼拝堂だ。
未完になっているのは、建設技師がリスボンのジェロニモス修道院建立の方にとられたという説もある。
これだけの技法を駆使する職人は売れっ子のはずだ。
「けいの豆日記ノート」
『すご〜い!』これが第一印象だ。
町の真ん中にそびえ立つようすは、すごいとしかいえないよ。
町自体も小さくて、この修道院以外は、なにもないみたいだ。
こんなこと書いたら、住んでいる人に失礼かな。
ジェロニモス修道院よりずっといいと思った。
それに、ぬけるような青空だ。青がこんなに青いなんてと思うくらい青い。
フィルターなんて使わなくても、こんなに青いなんて、びっくりだよ。
王の回廊の奥に、参事会室があるけど、柱が1本もないんだって。そこに、二人の兵士がいた。
はじめ、ぜんぜん、動かないんで、作り物の実物大の人形が置いてあるのかと思っていたら、本物だった。
それに、1時間ごとに、兵士の行進がある。王の回廊を、回っていくだけだが。
何が起こったのかと、びっくりしてしまったよ。
修道院の中に2時間はいた。
帰りのバスが出るまで10分しかなかった。しかし『後10分もあるよ〜』と渋る相棒。
でも、手を引っ張って外に出た。バス停まで3分。充分、間に合う。
写真家はまだあきらめきれず走り出して外観のアングルを追う。
ポーはその姿を視野に入れながらバス停に。まだ、バスの姿は無い。安心安堵。
5分が過ぎて相棒もバス停に来たが、バスはまだ来ない。10分が過ぎた。バス、来ない。乗客もいない。
『バスが出るところが違うのかな?』と相棒。『えっ?』とポー。
アルコバサ行きの時間は降りるとき、運転手に書いてもらっていた。メモを確認した。
12時10分。間違いない。運転手の勘違いか。考えられない。とすれば、バス停が違うか遅れているかだ。
さらに、10分待った。でも、バスは来なかった。
『まッ、いいか』と相棒が、吐いた。そして『トイレに行きたくなったから、カフェに行く』だった。
カフェでファンタ1本頼み、相棒はトイレ。店のおばさんに聞いた。
アルコバサに行くバス停を指差した。待っていたあのバス停だった。
トイレから出てきた相棒は美味そうにファンタを喉に流し込む。
炭酸飲料は冷えているけど、ジュースとか水とかぬるいことがあるので要注意だ。
「けいの豆日記ノート」
バス停事件は忘れることにしたよ。原因は簡単。会話ができないことだ。
でも、なんでバスが来なかったのだろう。
なんかが違っていたのだろうけど、それもわからないのは情けないよ。
こういうとき、『ポルトガル語を勉強しないとな。』と思うのだけど、日本に帰ると忘れるんだよな。
アルコバサまでタクシーで行った。
カフェのおばさんがバスの時刻表を見せてくれた。
相棒の担当だ。次のバスまで、二時間半もあった。相棒の決断で時間を金で買った。タクシーだった。
タクシー乗り場を聞きだして向かう。勿論、タクシー運転手との交渉人は相棒。13ユーロ(1690円)まで粘った。
筆談と笑顔、そして折り鶴が決めてだった。
25分のタクシードライブは複雑。昼食代が飛んだからだ。
でも、相棒けいちゃんはご機嫌。
『また来たいね、バターリャ。今度は泊りがけで、もっとゆっくり見たいよ。』
今日は、1日で、2ヶ所をまわる予定を立てていた。
ガイドブックに『アルコバサと合わせて、観光するとよいだろう。』なんて書いてあるから2ヶ所の予定を立ててしまったが、
もっと、余裕をもって計画するべきだったと反省した。
こんなにすばらしい修道院なら1日いてもいいくらいだった。
タクシーの車窓に、真っ青な空が飛んでいった。