「ポー君の旅日記」 ☆ 悲恋物語の町アルコバサ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
昼食一回分の代金がタイヤの回転とともに飛んでいった。
バターリャで、手違いがあって、バスに乗れなかったからだ。
しかたなく乗ったタクシーの車窓には、真っ青な青空が広がっていた。
2002年1月末日の午後。バターリャからアルコバサに向かった。
タクシーだと20分ほどの距離だった。
首都リスボンからだと120km北、アルコア川とバサ川の合流点にある川の名を合体した、小さな田舎町だ。
タクシーはこの町の唯一の目玉サンタ・マリア修道院、その西側にある4月25日広場で止まった。
降りるとき相棒が感謝のお礼にと、折り鶴一羽を運転手にあげたら、1ユーロ(130円)まけてくれた。
『オブリガーダ!』素直に、ありがとうの言葉が相棒の口から出た。
130円の笑顔は輝いていた。トリズモ(観光案内所)が目の前にあった。地図と資料をもらう。
トリズモは、どこの町にもあり地図をもらえるので、とても便利だ。
『お腹、空いたねえ』この一言をポーは待っていた。午後2時前、腹ペコだ。
今日は、もしかしたら思わぬ散財のため昼ぬきかと覚悟していたポーは嬉しくなる。
トリズモのわき道に入り、入り口の狭いピザ屋を見つけた。
ポルトガルでのピザは初めてだった。一番安いピザを一枚とファンタ一本をたのむ。
よほど貧乏旅行者だと思ったのか、それともこの店の女主人がいきなのか、注文した一枚のピザを半分に切り一皿ずつにして出してくれた。
それに、一本のファンタにコップがふたつ。うれしかったし、感動もした。
相棒は立ち上がり『オブリガーダ!』と女主人に頭を下げた。
一番安いピザだったので具は少なかった。でも、味はピザだった。端っこはカリカリと焼け全体がモチモチしている。
味を噛みしめて、いただいた。しめて5・74ユーロ(746円)を支払う時、女主人に折り鶴をお礼に貰っていただいた。
忘れられない、素敵な笑顔を返してくれた。
「けいの豆日記ノート」
サンタ・マリア修道院という名前は、どこにでもある。
マリア様から来るのか、マリアという名前が、圧倒的に多い。
どこの町にも、同じ名前の教会や修道院があり、まぎらわしいよ。
この修道院の前に、4月25日広場がある。
ポルトガルを旅していると、いたるところで4月25日の名前がついた橋だとか広場だとかに出会う。
ポルトガルの人にとっては『4月25日』は大切な記念日だから。
それは、1974年4月25日をポルトガル人は『リスボンの春』と呼び、無血革命で新政府が誕生したからだ。
この数字をそのまま名前につけるところが、日本と違うところなんだろう。
サンタ・マリア修道院は白い壁にオレンジの屋根を背負った二階建ての外観が200m以上も連なり、
中央にバロック様式のファザード(入り口玄関)がでんと構えていた。
(1989年に世界遺産に指定されている)奥行きも100mほどの修道院は1178年〜1252年にかけて建てられたと言う。
リスボンのジェロニモス修道院のような派手さがない外観ではあったが、簡素だけれど風格がただよっている。
「けいの豆日記ノート」
修道院の前にある広場のベンチに座っていたら、どこからか、ハトが飛んできた。
胡麻せんべいを食べていたからなのか。
胡麻せんべいは、固くておいしいので、必ず、持っていくようにしている。
くずを公園の石畳にまくと、ハトがたくさん寄ってきた。
ハトというのは、どこの国でも、人なつっこい。餌のせいだろうけど。
この修道院には、壮絶な恋物語,許されぬ恋物語の主人公たちの、ふたつの棺が今も眠っていた。
そのいきさつをトリズモで貰った資料をもとに『推理』してみた。
1153年アフォンソ・エンリケス王によって、サンタ・マリア修道院建設が決まった。
建設が始まったのは前述の通り1178年だったが・・・。
≪ペドロ王子とイネスの恋≫==================================
アフォンソ4世の子、ペドロ王子は父のすすめでカスティーリャ王国のコンスタンサ姫を妻として迎えた。
ここまではハッピーな話だが、悲恋が隠されていなければ恋物語に進展しない。
実はこの結婚は政略結婚だったという。
昔も今も、よくある話だが、コンスタンサ姫がお供に連れてきた従女イネス・デ・カストロにペドロ王子は恋焦がれてしまったのだ。
従女イネスは《ローマの休日》のオードリーみたいに可憐で気品があったのか。
しかし、コンスタンサ姫も可愛そう。
政略結婚とはいえ、姫にも、国に恋しい人がいたかもしれぬ。
しぶしぶ親の頼みをうけ、泣きながらこの地に来たかもしれない。
悲しさの余り、その顔は打ち歪んではいなかったか。
また、従女イネスは思いもしなかった王子の甘いささやきに戸惑い、苦悩したに違いない。
彼女は己が立場をわきまえていた。そんな女性だったかもしれぬ。
しかし、王子の熱き瞳に、負けた。恋に落ちてしまった・・・。
だが、父アフォンソ4世の激怒でふたりの仲は引き裂かれてしまう。
もう、オペラの世界だ。ふたりの甘く悲しい恋歌は、やがて別離の絶叫となり、暗転。
王子は姫と結婚。でも、姫は産後の経過が悪く、若くして亡くなったという。
姫は知っていたに違いない。王子の心の中には、イネスが住み着き離れられないでいたことを・・・・。
そして、ペドロ1世は周囲の反対を押し切り、イネスを側室に迎える。
ふたりは3人の子供をさずかる。
ふたりにとっては幸せな日々であったに違いない。
だが、ペドロ1世に思いも寄らぬ幕が切って落とされた。
イネスと3人の子供の暗殺だった。
亡くなった姫の里、カスティーリャ王国の圧力を恐れたアフォンソ4世とその重臣たちが暗殺に走ったのだ。
第二幕。ペドロ1世が王位を継承。彼の心の中には、怒りと憎しみの炎が燃え枯れてはいなかった。
暗殺に関わった重臣たちを処刑した。
関与した重臣たちの中には察知して逃げた者もいたかも知れぬ。
だが、すべて処刑されたのだ。
そして、アルコバサのサンタ・マリア修道院で亡きイネスを王女であることを教会に認めさせたのだ。
イネス暗殺から10年後、ペドロ1世もこの世を去る。
彼の遺言でふたりの棺はサンタ・マリア修道院で、今も並んでいる。
(ちなみに、イネスが暗殺されたという《涙の泉》とイネスが住んでいた館が大学の町・コインブラに残っている。)
==================================ジ・エンド
ちょっと、話がコインブラに戻るが、2日前の午後、サンタクララ橋を渡ってサンタ・クルス修道院などを散策していた。
ガイド本によるとこのへんに『なみだの泉』があると書いてあるのに見つからない。
それらしい所に、鉄扉の門があり、入ると左側がショートホールのゴルフ場があってとても綺麗なリッチな感じだった。
正面に洒落た建物が木立の間に見えた。ゴルフ場のホテルだった。
重い大きな扉を開けたらフロントがあって美しい女性が立っていた。
相棒は『エウ ソウ ジャポネーザ(私は日本人です)バーニョ!(トイレ!)』恐る恐る言っていた。
フロントの人は、初め大きな瞳で、『ウグウ?(なに?)』って感じだったけれど、ニコッって微笑んでくれて、アッチ!って手の平で指してくれた。
『オブリガーダ!』だよね!アリガトウを繰り返し呟いてトイレを借りた。
ホテルのトイレは、さすがにきれいでありがたい。
実は、この館が、かつてイネスが住んでいたとは知らなかった。後で知って驚いたようだった。
あんまりきれいに改装されてしまっていた。
そして、この館の裏にある『なみだの泉』で暗殺されたとは・・・。
「けいの豆日記ノート」
ガイド本には、『なみだの泉』が観光のポイントのひとつのように書いてあったが、どこにあるのかわからないようなところにある。
こんな、リッチなホテルの裏にあるなんて想像つかないよ。
廃墟のようになっているとは、書いてあったが、ほんとに廃墟だった。
悲しい恋といっても、よくある話ではないかと思うのだが。
アルコバサは修道院を中心にした町で10分も歩くと川の合流点。
日本の田舎で見られる長閑(のどか)な風景に変わる。
その手前で、保育所と小学校が一体になった校舎を見つけた。塀の向こうに子供達がいた。
相棒がカメラを向けた。そして『ボア・タルデ!(こんにちは)』と声をかけたら、弾ける笑顔を返してくれた。
その笑顔の素直さは輝き、心を打った。
こんな笑顔の美しさを見たのは何時以来だろう、と思う。忘れていた輝きに満ちていた。
日本の子供にもこんな輝きの笑みがあった。
アルコバサだけではない。ポルトガル各地の町を歩き回り、出会った子供達の笑顔は、本物だった。
出会えて嬉しくなった。心がとける至福の笑顔に会えた。
「けいの豆日記ノート」
ブルーのすてきな建物が見えた。教会かなと思って近づいたら、幼稚園のようだった。
庭の遊具でみんな、遊んでいる。おそろいの上着を着ている。
金網の塀の間から、中を覗くと子供たちが、気がついて寄ってくる。
中にも塀があってそばには近づけないけど、笑顔がいっぱい。
すなおな笑顔は、エネルギーを与えてくれるよ。
今回、ガイド本の情報を信じて、1日にバターリャとアルコバサの2ヶ所をまわる計画を立ててしまった。
普通の通りすがりの観光なら、それもよかっただろうけど、撮影取材だということを忘れていた。
もっと、余裕をみて、思いっきり、写真を撮らせてやることを考えなければと、反省点も多い。
見るべきところももっとあったはずなのに中途半端に終わってしまった。
次の旅には、改善したいところである。
しかし、ポーのこんな反省をよそに子供たちの笑顔に出会えたことだけで、大満足の写真家であった。
アルコバサからナザレまでバスで1時間弱。
ぐっすり眠って目がさめたら夕焼けの空が待っていた。
|