小さな画面をクリックすると、大きな画面&コメントのページになります!
☆ブラガの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトから、バスで1時間のところにある、宗教の町ブラガ。
かつてはミーニョ地方のそして現在はブラガ県の首都である。
大司教座が置かれ中世から近世にかけてポルトガル第一宗教都市として栄えた。
16世紀の大司教ディオゴ・デ・ソウザは国王にもまさる強大な権力を持っていた。
近郊には、巡礼の地であるボン・ジェズスがある。
「ポー君の旅日記」 ☆ 祈りの町・ブラガ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 2004年4月21日(水)の朝は、雨だった。 ポルトから日帰りで中世から近世にかけてポルトガル第一の宗教都市として栄えたという「ブラガ」に行く予定にしていた。 ガイド本をなくし羅針盤がなかったが、計画通り実行しようとモーニングを取りながら相棒の写真家が決めた。 ポーに依存はなかった。 ブラガというと、2年前のことが思い浮かぶ。 ポルトのバスターミナルから、ギマランイスにいく予定だった。 前日に行って、時刻表を確かめたはずだったのに、ギマランイスのバスはすでに出た後だった。 次のバスを待っていると、ブラガ行きのバスが来たので乗ってしまった。 両方、行きたいと思っていたので、これも旅の流れだった。 2年前は曇りから雨になったブラガだった。 雨の日は、写真家の気が乗らず、昼にはブラガからギマランイスのバスに乗っていた。 そんな思い出の町ブラガでは市場の他はほとんど見ていなかったので再度挑戦したかったにちがいない。 9時発のバスに乗って1時間。やっぱり、今回もブラガは雨だった。 「けいの豆日記ノート」 まずバスターミナルから5分ほどの市場に向かう。 2年前の午前10時過ぎ、どしゃぶりで雨宿りに飛び込んだのが市場だった。 そこで「折り鶴教室」をした時の、たくましい腕っ節のおばさんたちに会いたかった。 おばさんたち覚えていてくれるかな? あんまりそっけなかったら、どうしようかと少し心配だった。 写真家のガッカリした顔を見たくない。 写真を撮らせてくれたおばさんたちが、いた。 八百屋に2人、魚屋に3人、肉屋に1人、元気そうな顔だった。 『ボア?元気?』と相棒は顔中笑顔で近寄った。 あら〜っ!と太っちょの肉屋のおばさん、太い腕で相棒を抱きしめ頬にキスをした。 覚えていてくれたのだ。 持参してきたおばさんたちの「2L写真」を一人一人に相棒は『ボア?ボア!オブリガーダ!』と渡した。 雨模様で薄暗い市場の一角が歓喜のやかましい声であふれた。 いっぱい、いっぱい言葉をくれるけれど??。 でも、相棒は笑みを絶やさない。 『オブリガーダ!ありがと〜う!』の連発だ。 言葉が分からなくても心は通じる。だから、旅はやめられないのだった。 「けいの豆日記ノート」 雨が降る日は、教会の中を見学するに限る。 カテドラルの宝物館見学コースを見ることにした。ひとり2ユーロだった。 閉館間際だったが、ぎりぎり入れてくれた。 15人くらいのグループになって、説明をしながら、展示品を案内してくれる。 ちょうど、はじめの部屋(カテドラルの礼拝堂が見える部屋)の説明が終わったばかりだった。 ドアから、みんなが出てくるところだった。 電気をつけながら、次の部屋へと案内していく。 説明がわかるわけなく宝物など、見てもわからないのだが、とりあえずついていく。 一つの部屋の説明が終わると電気を律儀に消して、次の部屋へといく。 どうも高価なものには、縁がないせいか、興味がわかない。 写真撮影ができない、写真家も退屈そうだ。 全部、見終わって、帰ろうとしていた時、はじめの部屋を見てなかったので、ドアを開けようとした。 するとガイドがとんできてダメだって。 「見てないから」と身振りでアピールしたが、ダメだって。 このへん、頑固だ。 次の見学コースを申し込めといっているらしい。 といっても昼休みになるから、2時間もあとらしい。あ〜あ。やめた・・・。 雨が降り出しそうな空をうらめしく思いながら、今のうちにお昼を食べることにした。 公園の横にカフェとレストランの間のような店があった。 外を通る人が見えるのでここにした。 注文を待っている間、隣の女性が食事が終わり、デザートを頼んでいた。 来たデザートをみてびっくり。イチゴがカップに山盛りでクリームがかかっていた。 相棒の目が点になっていた。 食べたそうだ。 イチゴはスーパーで買うと安いことはわかっているのでがまんしているようだ。 貧乏旅行は辛いな。 と思ったのもつかの間、相棒はしっかりアイスを頼んでいた! 「けいの豆日記ノート」 花びらから水滴が落ちる。 街路樹の3mばかりのハナズオウ並木が100mほども続いていた。 ハナズオウ並木を歩いているとポルトガルとは思えない。 日本の桜並木に似ている。 相棒は小さな靴屋に入った。ポルトガルは革靴が安かった。 白髪のおじいさんが靴を作っていた。ひとりで。 背後の棚には短いブーツが並んでいる。いいデザインだ。驚いた。 靴ではなしに、会話にだった。ポルトガル語と日本語で話が通じるのだ。 写真家とおじいさんの会話が弾む。信じてもらえなくて当然。 ここは「祈りの町」だ。念ずれば通ず、だった。 歩け歩け、歩けば向こうから出会いたい人がやってくる、と信じて撮影を続けてきた。 広場より路地を歩くのが好き。その時も吸い込まれるように路地に入った。 石畳を歩いて行くと小さな小さな教会に出会った。 日本の天神様みたいな感じの可愛い教会だった。祈りの街ブラガだ。 いたるところに祈りの場があったよ。おばあさんが3人しゃがみこんで祈っていた。 「けいの豆日記ノート」 小さな教会の前に、薄暗いカフェがある。 中で20人ほどの男達が丸テーブルを囲んでトランプに興じていた。 賭けゲームだ。昼間から煙草の煙の中でだ。 映画のワンシーンを見ているような雰囲気があった。 写真家の眼がキラリ輝くのをポーは見逃さない。 やばい!行くな!スルリと写真家が店内に吸い込まれる。 カウンターの中でグラスを磨く男に向かって一直線に。 撮りたい雰囲気であることは間違いない。が、無謀だ。話?をした。 グラスを磨く手が止まる。ゲームをしていた男達の手も止まった・・・。 万事休す。ポーは構えた。助けに飛び出すのはポーしかいない。 緊張で胸が絞めつけられる。その時だ、祈りの町のご利益か。 グラスをキュッと拭いて男が言った。『Do Japao!』(日本からか!)と笑顔だ。 写真家は『Sim!Sim!』(は〜い!)と笑顔いっぱいで答える。 撮影OKだった。やったね!でも、胸のバクバクが治まらない。 心配させるぜ。ゲームを楽しむ雰囲気に戻る男達。ハンチング帽が皆、似合っていた。 「けいの豆日記ノート」 《愛しのポルトガル》をテーマに撮影取材を続けて、4年。 4回目の取材中だったが写真家も肝が据(す)わってきた。 公園の一等地にマクドナルドが円形の二階建てで眼を引いていた。 2年前の雨の中、相棒はここでトイレだけ借りた。 相変わらず若い客層で店内は賑わっている。 ポーはチーズバーガーを久し振りで食べたくなった。 でも、財布はトイレ中の相棒のリックの中。ローマ字のMがとても遠くに見えた。 二年ぶりに訪れたのにトイレだけでごめんなさいだった。 空には雨雲がのさばる。 『雲、厚いからな〜、あきらめて帰るか、ポー』相棒は行きたい場所があった。 でも、この天気。撮影に行っても無駄と判断したようだ。 「けいの豆日記ノート」 この天気を晴れにしなければ男じゃない。祈りの町、ブラガだ。 ポーは、祈った。無理と分っていたが、祈った。 (ポーが手を合わせるのは、朝日だった。 朝陽には昔から何故か抵抗なく手を合わせていた。 信州の大ばあちゃんも八ヶ岳に向かって、毎朝手を合わせていた。) 『帰ろうか』と相棒が言ったときだ。厚い雲が破れた。 そして、光が雲間からこぼれた。太陽光線が嘘みたいにやって来たのだ。 太陽が出ると、広場には灰色の空に向かって噴水が10mも吹き上げていた。 この噴水は雨の間は出ていなかった。 公園には、急に人が増えてきた。 風下の人たちが悲鳴を上げて飛沫から逃げまわる。 その姿が可笑しいとベンチを陣取ったハンチング帽のおじいさんたちが笑いこける。 のどかだった。 さっきまでの雨がうそのようだった。 相棒が口をポカンと開けていた。 『ジャ〜ン!信じられないよ!』と、また絶句。そしてトリズモに走った。 行きたかったボンジェズス行きのバス停を聞きに相棒は瞬間移動した。 決断力の素早さに何時も驚く。シャッターチャンスと同じ瞬発力だ。 メインストリートにはバス停が行列。4つ目のバス停の時刻表を見ていた相棒が振り向く。 『ここで待っていれば、あと5分で来るよ』6分でバスが来た。もう、4時を過ぎていた。 「けいの豆日記ノート」 青空に浮かぶ教会は1784年から1811年の歳月をかけて建てられた。 教会の前に8人の銅像がある。キリストの処刑にたずさわった8人だった。 中に入ると、厳粛で静寂。気品に満ちた巡礼地の晴れ舞台だ。 ここは、無信者に宗教をくれる。心に迫り、心を洗う。 そんな気持ちにさせてくれそうだった。 ぐあオ〜ン!と、鐘が鳴り響いた。5時を告げた。 腹に響き、心に溶け込む音色だった。 ひとつ、またひとつと沁(し)みた。帰りはジグザグの石段を降りた。 踊り場にはそれぞれに名があった。 視覚・聴覚・臭覚・味覚、そして触覚の五感だった。 信者は下からひとつひとつの教えを感じ、頂上の教会まで祈りながら登って行くのだ。 そこを下った。石段の数を数えて降りた。575段あった。 最終のバスも二人だけだった。フイルム3本が終っていた。 写真家は満足そうに青空を見上げ感謝した。7時のバスでポルトに帰った。 8時、石畳を下ってポルトの宿に向かう。 クレリゴス教会の76mの塔がライトアップされて夜空に浮かんでいた。 万歩計は24766歩だった。今日もよく歩いた。夕食は昨日の残り物だった。 *「地球の歩き方」参照* 〜〜〜〜〜 「けいの豆日記ノート特別編」 〜〜〜〜〜 セイヨウハナズオウ後日談 〜〜〜〜〜 そんなに信じていたのに、なぜ、気がついたのか・・・ 2006年10月の5回目のポルトガル撮影取材のことだった。 リスボンでハイビスカスの花びらを細くしたような花の大きな木を見つけた。 ツバキのように花があちこちに落ちていてきれいだった。 その花の名前を調べようと思い、ネットや本屋で探した。 名前のわからない花木を調べるというのはたいへんなことだ。 全部の花の写真を見なくてはならない。 その花の名前はまだわかってないが、ジャカランダの花は見つけることができた。 まったく違う花であった。 花の形も色も、葉の形も違っていた。 なんという間違いをしていたのか。 ブラガでみたピンクの花木はセイヨウハナズオウだということがわかった。 中国原産で日本にもあるがマメ科のハナズオウ(花蘇芳)は大きくても3〜4mくらいである。 セイヨウハナズオウは10mの大木になるという。 別名『ユダの木』という。 キリストをうらぎったユダが首をつった木だといわれているからだ。 とてもきれいな花なのに、ユダのために花言葉は『不信・裏切り』という。 ブラジルの国の名前の語源にもなっているらしい。 勉強不足で花の名前を間違えて記載してしまったことお詫び申し上げます。 写真展でも間違えた名前をいってしまい申し訳ありませんでした。 もし、他にも間違いなどありましたら、遠慮しないでメールで連絡くださいね。
|
聖ジョアン祭前日のブラガ2はこちらからどうぞ Braga 2
ホーム ★ ポルトガル豆知識 ★ プロフィール ★ ポルトガル写真集 ★ 写真展案内 ★ ポー君の豆日記 ★ 今月の1枚 ★ リンク ★