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(北の国境の町・バレンサ・ド・ミーニョ)
Portugal Photo Gallery --- Valenca do Minho
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スペインですが≪トゥイ≫もどうぞ!
☆バレンサ・ド・ミーニョの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトガルの大西洋側の北の端にある国境の町である。
ポルトから、列車で2時間ほどの距離にある。
国境のミーニョ川は、澄みきった静かな流れをしていた。
城壁に囲まれた町の中は、市場のようでスペインからも買い物に来る。
ミーニョ川の向こうには、スペインのトゥイの町が見える。
ガイド本にもない町だが、とても印象深く、ぜひ訪れたい町だ。
「ポー君の旅日記」 ☆ 北の国境の町・バレンサ・ド・ミーニョ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
ヴィアナ・ド・カステロからバレンサ・ド・ミーニョの町に向かう列車に乗っていた。
2004年4月23日(金)の午前10時であった。
列車は左側の窓越しに見える大西洋沿いを北上していた。
車窓から大西洋の波が、海岸に打ち寄せるのがまじかに見える。
草原を走ると、また点在する家と家の間に青い海が続く。
トンネルを抜けると海面が目の前に飛び込んでくる。
大西洋の海をこんなに楽しめるとは想像もしていなかった。
今回の撮影取材スケジュールを立てたとき、ガイド本にはバレンサ・ド・ミーニョの町を紹介するページがなかった。
地図を見るとヴィアナ・ド・カステロの北、スペインとの国境にもうひとつ町があった。
どんな町なのか興味がわいた。
その国境の町に行ってみたいと相棒の写真家が予定に組み込んだのだった。
ガイド本に載っていないから期待はしていなかった・・・。
「けいの豆日記ノート」 列車は大西洋の海から右に曲がり大きな川沿いを走って、バレンサ・ド・ミーニョ駅に着いた。
ホームに立って、少しドキドキした。町の情報が皆無だからだった。
駅舎を出た。駅前には何もない。工事中でホコリっぽかった。
はるか先に団地の建物が見えた。
この町を選らんだことにミスッたかな、と不安が頭をよぎった。
まず、トリズモ(観光案内所)を探して地図と資料をもらいたかった。
地図が無いと歩く計画が立てられない。駅から100mほど歩き雑貨屋を見つけた。
おばあさんに聞いた。指差した方向に歩いてみたがトリズモは見つからなかった。
仕方なしに町の俯瞰が見たかったので小高い丘に向かう。
時計の針は11時を過ぎていた。列車に乗っていたのは45分そこそこだったのだ。
景色を堪能していたのでもっと乗っていたような気がしていた。密度が濃い車窓だったと思う。
丘を登りかけた時、木造の平屋の壁にTURISMOの文字を発見した。
7文字が輝いて見えた。
係りの女性は《日本から来たのか!》と驚き、地図を説明してくれた。
Sim,Simと頷き聞く相棒の頭の中には、バレンサ・ド・ミーニョの地図が描かれていた。
相棒は《犬》だった。地図にはめっぽう強かった。
トリズモは旅人のオアシスだ。命を吹き返した。 「けいの豆日記ノート」 小高い丘に登った。
眼下に町の姿が見えた。
駅舎の周りは中層ビルが立ち並ぶ新興住宅地に変身中らしく、街路樹も道も整備途中のようだった。
そして、登りきった先に更に高い石積の壁が目前に迫ってきた。
貰ったばかりの地図をポーはひろげた。
リックから《日ポ辞典》を出して地図の単語を引く。
そこは《バレンサ・ド・ミーニョ城塞(じょうさい)》だった。
『ポー、行くぜ!』
新しい発見には俊足が売りの写真家。石の門に向かって駆け下っていた。
ポーは、資料を読む暇もなかった。
陽射しは強い。石畳の反射が熱い。
厚い城壁をくぐった。ひやりと涼しさが首筋をはった。
城塞の中は、旧市街地であった。観光客であふれている。
こんなに多くの観光客を見たのは今回の旅で初めての景観であった。
狭い路地を囲んでお土産屋が軒並みに続いていた。空は、限りなく青かった。
大きなビニール袋を両手に重そうにさげたサングラス集団がいた。
『ポー、何処から来た人たちだと思う?スペインの人たちじゃないかな』
撮影をしながら相棒が聞いてきた。
服装もラフだし、家族連れが多い。国境を流れるミーニョ川の向こうはスペインだった。
もらった地図はありがたかった。
辞書で単語を引きながらの断片的な情報の旅は、新鮮であった。
それが、面白かった。
地図の単語を確認しながら、先を進む。歩きながら辞書を引いた。 「けいの豆日記ノート」 おなかがすいた時が、食事時だ。
狭い路地にカフェやレストランがいっぱいあった。
ブリンナーヘッドが手招く。(頭が見事につるつるの中年だった)
招き猫の、ツルツル頭は見たことがない。
手招きが可愛かったので、そのレストランの店先に並ぶ丸テーブルに席をとった。
『コンニチハ!』とブリンナーは愛想がいい。
日本人だとよく分ったものだ。相棒がブリンナー野郎に注文した。
だが、こやつは商売人だった。(横浜に1年住んでいたという)
グラスワイン一杯が瓶のハーフワインに、鳥焼き半分が1羽と手羽が2本。
一人前だと念を押したのに、ブリンナー野郎は二人前をテーブルに並べ『ドーゾ、ドーゾ』と、愛想がいい。
奴の頭脳に負けたと観念して、食べた。17ユーロ(2210円)だ。
昼食で最高の金額だった。残したポテトと手羽2本をナプキンに包んでお持ち帰りだ。
悔しい!ブリンナー野郎め。でも、美味しかったのが悔しい! 写真家は高い城壁の上を気持ちよさそうに歩く。
草で覆われた足元は緑の絨毯(じゅうたん)のようだった。
左を見れば、城壁が幾重にも連なり一周すれば終わりという城塞ではなかった。
右を見れば、広大な大地がはるか彼方まで広がっていた。
緑の耕地の中に黄色いベルト地帯が太陽に照らされ美しい。
なんの花が咲いているベルト地帯なのか。
巾が1キロはあるだろうか。
その大地に沿って左から右にミーニョ川がスペインの間を太い国境線みたいに流れていた。
『綺麗だね。吸い込まれちゃうね。だから、旅はやめられない』と相棒が吐いた。
『こんな素敵なところ、ガイド本に載せないなんてもったいないよね、ポー』その通りだった。 「けいの豆日記ノート」 川面が空を映し、青い帯を作っていた。
それが、国境線だった。
眼下に鉄道の線路が走り、陸橋を渡った先がスペインだった。
17世紀に作られたという国境の要塞、バレンサ・ド・ミーニョから川沿い側の城門を出て、線路まで下った。
実は、相棒がポルトのサン・ベント駅で時刻表を調べていた時、バレンサ・ド・ミーニョ駅の次に止まる駅はスペイン国境を渡りトウイ駅を過ぎた、ビーゴ駅に止まってスペイン入りということを知った。
更に、時刻表から時間差がスペインとでは1時間あることに気付いた。
最初は、ポルトから国境を渡ってビーゴ駅まで行って戻ってくればいいかと思ったが、一日に二便しかなく仕方なしに今回の行動にした。
いろいろ調べて、旅をするのは楽しいものだ。
鉄橋は二階建てだった。
二階が鉄道で、一階が車道と狭い人道になっていた。
鉄橋の途中でミーニョ川にスペインのトウイの街並みが川面にくっきり映っていた。
『川に空の青さが映り、青い川面の中に町があるなんて素敵』
と、シャターを切って写真家が言った。相棒は詩人になっていた。
振り向けば、今までいた城塞も川面に映えていた。鉄橋を渡るのに10分かかった。 「けいの豆日記ノート」 スペインのトウイの町に入った。
国境では何のチェックもなかった。
チェックどころか建物らしきものもない。
拍子抜け、だった。
鉄橋を渡ったところにパトカーが一台止まっていた。
ポリスの姿なし。ダミーなのか。
カンカン照り。暑い!今までが寒すぎた。
要塞の上から見たトウイの高台に見えたカテドラル風の建物を目指して歩いた。
大学生風の男女と女の子の一人旅にあった。
こちらに気が付くとにこやかに手を振ってくれた。
『日本から!』と、目を張った。
温かい出迎えのようでうれしかった。
照りつける太陽。相棒は上着を一枚はいだ。
大西洋に面した二つの国の二つの町を歩く快感に足も軽かった。
大きな犬と散歩中の婦人に偶然3回も会った。三度目には彼女も『あらっ!』と微笑んだ。
気品を感じた。(撮影のお邪魔になったかしら?)という仕草から感じ取れた。
トウイの町も高台を生かし、町を守り抜いてきた中世の香りがした。
午後1時過ぎの太陽はまぶしかった。町には人の影も無い。
暑いので家の中かも知れない。 「けいの豆日記ノート」 インフォメーション(ここは、スペインなのでトリズモとはいわないだろうな)を探した。
相棒がトイレを借りたいというからだ。
市庁舎の入り口にあった。
町の地図をもらってトイレも貸してもらった。
カフェにでも入ればいいのだろうけど、少しでも倹約したいので。
それに時間もないし。
少し覚えかけたポルトガル語もここでは使えない。
なんにも考えてなかった。
スペインの辞典とかも持ってきてない。
「ありがとう」の言葉もいえないなんて情けないことだ。
スペイン語も覚えないとだめなのかな。
あんまり人には、会わなかった町だが、スペイン語の挨拶くらいは、覚えておかないと困ると痛感した。
困るというより、国を尋ねる上で失礼のような感じがする。
1時間ほど散策して帰路にした。 「けいの豆日記ノート」 鉄橋の真ん中でポルトガルとスペインとの間をとうとうと大西洋に流れていく国境のミーニョ川を相棒と眺めていた。
何百何千年という時の流れと共に、この川は生きてきた。
今まで、この流れをはさんでいくたの争いの歴史が刻まれてきたに違いない。
そんな話しを相棒としていたら、ポルトガル側から大きなビニール袋を幾つも下げた一家が楽しげに渡ってきた。
ドラマのワンシーンを見ている思いだった。
国境はなかった。
*「地球の歩き方」参照*
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