「ポー君の旅日記」 ☆ たくましい女・ナザレ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
ナザレは、首都リスボンからはバスで二時間余り、大学の町コインブラからは一時間半の距離にある。
夏場はポルトガルの各地からは勿論のこと、ヨーロッパからの観光客で、浜辺はビーチパラソルの花畑になるという ナザレに着いたのは11時15分だった。
ナザレという地名を知ったのは、大学時代。映画を一日二本は見ていた頃だ。あの頃は、文化放送のラジオ番組にハガキを毎日のように投稿して、映画の試写会をゲットしていた。映画試写会の全盛時代だったかもしれない。試写会は銀座のヤマハホールが多かった。
その頃、昭和35年頃だったと思う。日本橋だったか、銀座だったか忘れたが、フランス映画を保管した館があった。古いフランス映画の特集を組み、定期的に上映していた。そこで見た映画が今も忘れられない。タイトルは[過去を持つ愛情](1954年)。無論、モノクローム。
内容はよく覚えていないが、映画の中で流れるテーマ曲〈暗いはしけ〉は今も心の中で重く残っている。アマリア・ロドリゲスのとうとうとした歌声が、心にしみこんできた。その時、《ナザレ》という地名をはじめて知った。
ポルトガルで行きたいところが2つあった。映画で知った《ナザレ》と沢木耕太郎の「深夜特急」で知った《サグレス》だった。
その1つ《ナザレ》に着いたのは、1月30日(水)午前11時15分。バスターミナルの前に市場があった。 相棒の写真家の目が輝く。すぐ飛んで行って撮影したいに違いない。
でも、大きな旅行バックを転がしながらでは無理。「明日の朝にしよう!」とポー。渋々、写真家は同意した。
石畳の道をバックふたつポーはゴロゴロ転がして、まずメインストリートの海岸通り(ビエイラ・ギマランエス通り)に出た。目の前に広い砂浜が広がり、その先に青い大西洋の海があった。いかにも遠浅の海水浴場だった。爽やかな海風がほんのり汐の香りを運んできた。
冬の寒さはなかった。暖かい日差しが心地よい海岸通りだった。
ガイド本の地図を見ながら相棒は「(予約してあるホテル)マレまで800mはあるな〜」と平然と言う。
左側は大西洋、右側はホテルやカフェ、レストラン、土産店が続く。その石畳の道を北に向かって、ゴロゴロ重いバックを転がしていかなければならないと思うと・・・。タクシーがないわけではない。400円の運賃が惜しいだけだった。海に面した黄色い壁のホテルから太ったおばさんが近寄ってきた。
「30ユーロでいいよ」と。
「ポー、悔しいね。マレより安いよ」と残念そう。
海岸通りを800m転がして、右側の路地を20mほど入ったところに5階建ての小さな〈ホテル・マレ〉があった。
1泊31ユーロ(4030円)朝食付きだった。1ユーロ(130円)高いホテルの部屋からケーブルカーが急な岩肌をはうようにして上にある町まで伸びているのが見える。
左手は海岸、右手は街並み、眼下は石畳の路地。その時だった。カシャ!シャッターが切られた。写真家けいちゃんがナザレに着いてから放った、1枚目のシャッター音だった。
(この写真は、個展で評判を呼んだ1枚だった。相棒の瞬間芸であった。眼下でのドラマを見逃さなかった。)
その1枚とは。三人のおばあさんが顔をつき合わせて立ち話。その横で、3匹の犬が固まって話しているような一枚写真。タイトルは『3匹寄れば、文殊の知恵』だった。
ナザレも高齢化社会。お年寄りは犬が好き。3匹の犬は、そのおばあさん達の大切な家族だった。
荷を解き、12時半に町に飛び出した。お腹も減っていたので昼食が欲しかった。マレを出て、狭い路地を右に5分も歩かないところに小さな広場がある。そこで、たった一つの露天商を見つけた。色とりどりの豆を売るおばさんに出会った。一合升(ます)に豆を山盛りにして売っていた。
夏場は海水浴客でにぎわう漁師町も、冬場の今は観光客を見ない。腰まわりが相棒の3倍もある豆売りのおばさんに捕まった。写真を撮らせてもらったお礼にあげた〈折り鶴〉が気に入ったのか、どう作るのか教えろと言うのだ。来たばかりの町。天気のいいうちに歩きまわって、撮影したかったに違いない相棒。
でも、写真家は、優しかった。カメラバックから千代紙を出し、おばさんのための[折り鶴教室]が始まった。1羽、2羽、3羽と熱心に相棒は伝授。7羽目で豆売りのおばさんの顔に笑みがこぼれた。「ね〜、撮って、そこの・・・」ポーはカメラを向けた。ファインダーの中で、ふたりは楽しそうに笑っていた。
ナザレでけいちゃんの折り鶴を最初にゲットしたのは、豆売りのおばさんだった。1時を過ぎていた。大切な30分だったが、貴重な30分でもあった。
海岸通りに出る路地で、炭で魚やイカを焼くおじさんがいた。ジュウジュウ焼く音と煙に腹の虫が騒ぐ。小奇麗な小さなレストランの店先で焼いていたおじさんが焼いた魚とイカを持って店内に入っていく。
つられて相棒も店内に消えた。その前にシャッターは切られていた。煙の中のおじさんだ。仕事はちゃんとしていた。
女性客が4人いた。焼き魚を食べている。その香りにポーは思わずふらつく。久しく食べていない焼き魚にめまいがした。当然、鯵の塩焼きを頼む。レモンの汁をしぼって食べた。あったか〜い白いご飯が欲しかった。
「けいの豆日記ノート」
海岸通りの俯瞰(ふかん)ショットが欲しくなった。ケーブルカーで行けば崖の上に10分もかからないはずだった。
ガ〜ン!夏シーズンに備えてのメンテナンス中だったよ。でも、迂回して崖の上まで登った。眼下に、40分ほど前に見上げていた海岸通りがケーブルカーの遥か先に「く」の字に見えた。
最高の俯瞰だったよ。打ち寄せる波が砂浜に絵模様を描き、ナザレの町がひとつかみできそうなくらいだよ。
『登ろう!』と言ってくれたポーに感謝だね。
翌朝、6時。7時からのモーニングを捨て、市場に走った。
活気満点だった。少年野球が出来るほどの広さの中に、100を越す売り場が密集しており、女達の売り声が飛び交っている。朝、港にあがった魚、採りたての野菜や果物、焼きたてのパン、切り出した肉のかたまりなどここに来れば〈食〉には困らない。
ポルトガルは野菜と果物が豊富で安かった。そして、うまかった。こんな市場が近くにあれば、毎朝来てみたいと思う。
撮影が終ると相棒はまた走った。天気がよければ、朝7時過ぎには来ていると言っていたおばさんに会うためだった。腕っ節のたくましい、約束してくれたおばさんが作業を始めるところだ。
「ボン ジーア!(おはよう!)」相棒の挨拶におばさんは笑顔を投げてくれた。本当に来たんだね、という笑顔だった。昨夕、散策している時、海岸で出合った。仕事を片付けていた。海辺で魚の開きを干していたのだ。
「けいの豆日記ノート」
ポルトガルは魚やイカ、タコを食べるということは知っていたけれど、冬時に魚の干し物をしているとは思わなかった。私にとっては、ビックプレゼントだよ!
知多半島の先端にある日間賀島で干し物風景は撮ったことあるけれど、
二度目がナザレとは想像もしていなかった。
嬉しかったね。たくましい腕、深く刻まれた顔の年輪が朝陽に照らされ浮かび上がってくる。美しい顔だった。
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