「ポー君の旅日記」 ☆ 静かで素朴な町タヴィラ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
国境の町、ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオ駅から列車に乗ったのは午後3時半だった。
2月だというのに太陽はまだ天空高くにあり、定宿があるファーロに帰るには旅人として「もったいない」時間帯だった。
ファーロから、アントニオに向かう時、鉄橋を渡る車窓から大きな川を挟んで広がる美しい街を見たときだった。
『ポー、途中下車だね!』
写真家が叫んだ。異論はなかった。
1.20ユーロ(156円)、30分で、その町に着いた。駅名は《タヴィラ》だった。
駅舎を出ると下り坂の石畳が川に向かって伸びている。坂道の両サイドはレストランやカフェ、お土産店がのんびりと並ぶ。人影はない。
4時というのに快晴の空と暖かい太陽で、冬の気配を感じない。相棒はご機嫌。
シャッターの音も快適だ。坂道を15分ほど下ると、左手に城跡があった。無料なので、入る。
『やった〜!』と叫んだのは勿論、相棒だ。タヴィラの町が一望だった。なんか得した気分になる。
ガイド本の地図を見る。目の前に広がる川は、ジラオン川。河口なので広い。川の向こうまで架かる橋は二本あった。
川面がきらきら輝いて、夏日のようだった。城跡の隣に教会がある。入館無料17:00まで。急いで城跡から駆け下りた。
無料の二字に弱かった。
サンタ・マリア・ド・カステロ教会は、13世紀に建てられたが、1755年の大地震後再建したと言う。
でも、内部のアズレージョ(タイル画)は一見の価値ありだ。教会から川に向かうと、町の中心レプブリカ広場があった。
「けいの豆日記ノート」
広場で乗り物発見!遊園地で見かける汽車みたいな乗り物が町を一周して2.5ユーロ。
ちょっと高いと思ったけれど、町を歩き回る時間がなかったので乗った。5ユーロあれば美味しいものが食べられるのに。
『まっ、いいか!』
30人ぐらい乗れるのに二人だけ。貸切だった。川の両サイドに広がるタヴィラの町を一周する乗り物になぜかワクワクしたよ。
ジラオン川に架かる木の橋を渡るとギシギシ音がするんでおもしろかった。普通は、怖いって思うんだけどね。
橋が川に写って、不思議な風景になっていたよ。
ローマ人が作った橋で、今かかっているのは17世紀に修復されたもので、橋の長さは150mもある。
川べりには幾つも木のベンチが並んでいる。ハンチングをかぶった男たちが川面を見ながら語り合っていた。
こんな風景はポルトガルの各地で見られた。なぜか、男たちの姿が多い。のどかで静かな川沿いの町だった。
橋の姿が川面に映り揺れていた。
タヴィラの町は紀元前4世紀頃ギリシャ人によって築かれたそうだ。そして、ローマ人やムーア人もこの地に移住。
15世紀にはポルトガルの重要な港町として栄えてきたと。でも、今はそれほど活気があるようには感じられなかった。
「けいの豆日記ノート」
途中下車の町がものすごい歴史を持っていると知ると、なんか、すご〜く得したみたいだよね。
小さな町だったけれどね。乗り物に揺られて両岸の町のようすを見たけれど、雰囲気がちがっていた。
橋を渡った街並みは旧市街という感じ。降りてみたいところもあったけど、無理だものね。
乗り物に乗った地点に着く。30分の旅だった。歩けば1時間はかかったかも知れない。川沿いの市場に行ってみた。
午後だったので、ほとんどの店が終わっていた。しかたないよね。
漁を終えた色とりどりの漁船が川面で踊っていたよ。夕方6時を過ぎたのに、まだ明るかった。
帰路にした。明るさの中にとばりの色があった。急に暗くなる気配を感じた。
その土地に来れば、会得できる体験だった。こんな時も今まで生きてきた世界、仕事が役立っていた。
ロケを重ね、限られた日数で作品を作ってこなければならなかった35年以上の映像人生の生きる術は、自分が気象官的感性を養ってこなければならなかった。
太陽の大切さが身にしみていた。太陽が作品の良し悪しを決め兼ねない世界で生きてきた。
だから、天気の変化に、敏感だった。
その時も、この明るさが、たとえポルトガルの地とはいえ、日本で会得した感性に狂いはないと思った。
どんぴしゃり。明るかった天空が、冬の闇夜に変身していくのに時間がかからなかった。
『ポーって、すごい!気象官になれるぜ!』
めずらしく褒めてくれた。
褒めないのを身上にしているみたいな相棒の言葉が返ってきた。『まっ、いいか!』だった。
坂を登ったタヴィラ駅の左手に大きなスーパーがあるのを写真家けいちゃんは見逃していなかった。
駅舎に進む足は、スーパーへと向かう。あるある、なんでもあった。
こんなに小さな町なのに、どこから集まってくるのか駐車場は乗用車でいっぱいだった。
ポルトガルも大型スーパーが市民の台所だった。珍しい商品であふれた通路は相棒を悩ませた。
好奇心旺盛な写真家は、目に飛び込んでくる品々にカメラアイだった。写真が撮りたくても撮影不可。
じりじりしている雰囲気が伝わってくる。撮りたい気持ちが理解できる。でも、撮れない。それが規則だったから。
でも、通路から通路を泳ぎ回って、嬉々として買い物をした。まるで、地元のおっかさんだった。
スーパーを出たら、闇夜だった。
風も出て、寒くなっていた。買い物の荷物をポーに預け,写真家は駅舎に走った。
相棒が、構内のベンチでショボンと待っていた。列車が1分前に出たところだった。こんな時は,正確に出発するものだ。
次の列車は1時間10分後。仕方なしに、待合室のベンチで1ユーロワインとパンで夕食にした。
サラダの食材はホテルに戻ってから作ることにした。壁にかかる大時計の針は7時3分だった。心にしみる赤ワインの味だった。
「けいの豆日記ノート」
途中下車の駅の待合室のベンチで、夕食を食べるとは思わなかったよ。
いつもは、遅れること多いのに、こんなときばっかり、時間通りにくるよ。
でも、これが予期せぬ個人旅なのかもしれないね。負け惜しみかもね。
1分差の悲劇だったけれど、楽しい夕食でもあったよ。・・・悔しい!
8時13分の列車でファーロに発ち,8時43分に着いた。
万歩計をみたら、22083歩だった。今日も一日、歩きに歩き、出会いを求め、沢山の人々に出会えた。
足は、パンパン。それが撮影の、醍醐味だった。
夜のファーロの町を駅から宿まで、一日を噛み締めて歩いた。感謝を込めて。
ヨットハーバーを照らすライトが水面をユラユラ揺るがしていた。
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