「ポー君の旅日記」 ☆ エデンの園シントラ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕
シントラに行ったのは2001年の9月25日、ニューヨーク同時テロ事件が二週間前にあり、世界中が緊張している時だった。
初めてのポルトガル訪問だった。
首都リスボンに着いたのは深夜だ。翌朝、ホテルの窓を開けたら朝の騒音と町の景色が飛び込んできた。初めて見るリスボンの風景だった。
昨夜は暗くて、眠くて、タクシーから降りてホテルに入って、足を伸ばして(窮屈な機内の椅子から開放された反動でベッドに倒れこんだ)眠った。
ホテル・インテルナシオナルはロシオ広場からテ−ジョ川にあるコメルシオ広場に通じるアウグスタ通りの角にあった。
モーニングの後、相棒の写真家けいちゃんと、未知の撮影取材の旅に出た。
と、言ってもリスボンからの日帰りだ。2005年の今から思うと、まさに珍道中だった。
ポーも相棒も覚えたての言葉は「オブリガード」と「オブリガーダ」(ありがとうの男と女のポルトガル語)だけだった。
その二人が、日本から持参のガイド本一冊を頼りに無謀(むぼう)にもシントラに挑戦した。
シントラにしたのは、その頃「世界遺産」が注目され話題になっていた観光地だったからだ。
生まれて初めて歩くポルトガルの首都リスボンに心が踊っていた。
ロシオ広場に立つ大きな大きな、ドン・ペドロ4世像を見上げながら横切り、200mほど歩くとロシオ駅があった。
シントラ行きの列車ホームを探すのに迷う。何人に聞いたことか。「シントラ、シントラ」と。
でも、みんな市民は親切だった。
「シントラ行きのホームは何処でしょうか」とたずねるのが礼儀だとは知っていても、しゃべれない悲しさ。
だから口から出る言葉はひとつ「シントラ、シントラ」と聞くのみ。
でも、みんな、親切だった。やさしかった。
【 ところで、『なんで、ポルトガルを撮影取材地に選んだのか』と《愛しのポルトガル・山之内けい子写真展》の会場でよく聞かれた。
そのたびに、ポーは、『作家・沢木耕太郎「深夜特急」で知ったサグレスに、愛読者の一人として行きたかったからだ』と答えた。】
「けいの豆日記ノート」
ロシオ駅から列車で45分、シントラ駅に着いた。
トリズモ(観光案内所)で地図をもらう。
王宮とムーアの城跡とペーナ宮殿がシントラの見所のようだった。
係りの女性が周遊パスを使うと得だと教えてくれた。筆談だよ。言葉ワカリマセ〜ンだもの。
シントラ駅→王宮→ムーアの城跡→ペーナ宮殿。
帰りはその逆で駅まで戻るバス路線が一日何回乗っても3・3ユーロ(430円)だった。
(駅からバス路線で歩けばペーナ宮殿まで5kmはあった。)
駅前から434番のバスに乗る。
青い空に深い緑が迫ってくると木々の間から白いとんがり帽子みたいな屋根が二本見え隠れする。
そして、にぎやかなレプブリカ広場のバス停に着く。
(乗客がみんな降りていくので、たぶん、と思い、降りた。)
黄色い車輪が目立つ馬車が何台も走っている。石畳にひづめの音がこだまする。
中世の時代にタイムスリップしたみたいだったよ。
白いとんがり帽子は王宮の台所にある二本のエントツだった。
広場は観光客でいっぱい。
馬車に乗る人、カフェのオープンテラスでワインを飲む人、操り人形を売るおじさんに捕まっている人、王宮の建物を背景に記念写真を撮ってもらう笑顔のおばあさん。
低い石の柵に7人の修道女(シスター)が座って広場の人々を眺めていた。
相棒の写真家は見逃さなかった。
『撮ってもいいですか』とカメラを向ける。
『sim!(いいわよ)』『オブリガーダ!』気持ちよくフレームにおさまってくれた。
(この時ポーが撮った、修道女と相棒の記念写真がけいちゃんのホームページのシンボルphotoとなった。
『愛しのポルトガル・山之内けい子写真展』のpart1の案内状にも、この写真を使った。
普通なら作者の作品を載せるのが常套(じょうとう)だけれど、作者が撮った「作品風景」の中に「作者」がいた方がインパクトありと考え、
以後part10までの写真展案内状にこのパターンを続けている。)
二人のポルトガルの珍道中旅日記は続く。
王宮に入るには3ユーロ(390円)。中を行く。
アラブの間、礼拝堂、中国の間、紋章の間、カササギの間、白鳥の間と便乗して観光客の流れに乗って見た。
「けいの豆日記ノート」
どうも苦手。確かにそれぞれ綺麗だったけれど、文化的素養がないんで・・・。
王宮からバスでムーアの城跡に向かう。降りたのは4人。
大きなリックを背負った青年2人はバス停の前にある小屋に入っていった。
バス停からは城跡が見えない。
小さな看板に〈castelo dos mouros〉と書いてある。
トリズモで貰ってきた地図と照らし合わせた。
間違いなし、と決めて木に覆われた細い道を10分ほど進むと、門みたいなのがあって男が一人立っていた。
通り過ぎようとしたら「見せろ」と言う。「何を」と英語で聞く。
「チケットを見せろ」と言ってるようだ。「幾ら」と聞くと、中指・薬指・小指を突きたて「3ユーロ」だという。
6ユーロ出したら、今度は指差して「あっち」だという。そうか!バス停の所にあったあの小屋で入場券を売っているらしい。
そうとわかれば即、行動に移す変わり身の早さを持つポーはリックを置くと、ここで待っていて、オレ買ってくるからと往復20分かかる、今、来た道を走り去った。
「何かあったら、大声で叫べ!」と、一言残してくれて・・・。
戻ってくるまで道端に咲く花を撮り、ゴマせんべいをカリカリ食べて待ったよ。
待つ20分って、とても長く感じた。頬に汗を流して戻ってきたポーにご苦労さま、でした。
8世紀か9世紀ごろムーア人によって築かれたというムーアの城跡にやっと入れた。
そして、狭い石段を頂上に向かって30分かけて登る。もう1時間歩き詰めだ。
でも、頂上からの眺めは疲れを忘れさせてくれた。
シントラの町が、緑の木々に囲まれたペーナ宮殿が、美しく輝いて見えた
青空が180度。遠くにキラキラ光っているのは、大西洋かもしれない。
頂上でスエーデンから来たカップルにあった。
二人は太陽の陽射しに感謝なのか、上半身が裸身に近かった。
ウフッ!て言う感じ。見てしまって、ごめんと言う、ウフッ!だった。
「けいの豆日記ノート」
ムーアの城壁は、一部しか残っていないという割には、長かったよ。
城壁は片側がなんにもないので、すれ違う時は、かなりのスリルだった。
階段は、下りるほうが怖いんだよね。足を踏み外したら、下まで、まっさかさま。
落ちた人、いないんだろうか。みんな注意して歩くので、落ちることはないのかな。
帰りは28分、下り坂をいっきに歩き、小屋の前のバス停から更に上のペーナ宮殿に向かった。
バスには10人ほどが乗っていたが日本人はいなかった。
皆が降りたので、降りた。
500mほど坂道を登ると城壁の中に立つ黄色や赤、青に塗られた城が見えてきた。
ペーナ宮殿だった。入場料は5ユーロ(650円)ちょっと高いなと思ったよ。
ドイツのルートヴィヒ2世はかの有名なノイシュヴァンシュタイン城の建築を命じたが、
ペーナ宮殿建築の命を下したのはそのいとこにあたるフェルディナンド2世である。
ドイツから建築家を呼び寄せ、1850年に完成した宮殿だ。
面白いと言えば面白いが、なんかごてごてした奇妙さがあった。
解説書を見たら、イスラム・ゴシック・ルネッサンス・マヌエルなどの様式の寄せ集めの宮殿とある。
それで納得した。だから、面白く感じたんだと。
「けいの豆日記ノート」
よかったのは標高500mからの展望だったよ。360度の大パノラマだ。
森林に囲まれた建物や青い大西洋まで見渡せた。5ユーロでもいいかと思い直したよ。
ごてごてした宮殿も撮り方によっていろいろな建物に見えるので、おもしろかったよ。
ペーナ宮殿までのミニバスも楽しかったよ。
シントラは、はじめてのポルトガルで、はじめて自分たちの足で行った町で、不安も多かったが、
これで、自信がついた記念すべき思い出の町になった。
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