2月11日(火)のファーロの朝は快晴だった。
朝晩は少し冷え込む。ポーが住む名古屋と変わらなかった。
今日はエストレモスという町に移動する日だった。
一昨日の日曜日、夕方、相棒がバスターミナルで調べてきた。3便あった。
11時50分発の第2便で行くことにした。
ホテルのモーニングをとった後、出発までの時間を無駄にしたくない。
相棒けいちゃんは写真家の顔になっていた。
一眼レフカメラを握り締め、町に飛び出して行った。
小さな広場のベンチには朝8時だというのに、もう、それぞれの指定席にお年寄りたちが座り、話し合っていた。
毎日、話をしても飽きないようだ。それが日課であった。
唯一の楽しみなのかも知れない日課。きっと皆、一人住まいなのだと思う。
「ボン ジーア」と写真家は一人一人に朝のご挨拶だ。
ファーロに来て4日目、もう顔見知りになっていた。
朝陽に照らされた皺の顔に笑みが浮かぶ。
広場の上空を鳩の群れが朝日に打たれ、キラキラ輝き、円を描いて飛んでいた。
コウノトリもカタカタ鳴きながら、飛んでいた。
いつも高い巣の中で、じっとしているばかりだと思ったら、朝は、飛んでいた。
600mほど、ぶらぶら歩いたら教会に出た。
教会の重い扉を押した。
犬も歩けば猫も歩く・・・棒に当った。壁一面のアズレージョ(タイル画)に圧倒された。
思わぬ拾い物だ(オススメの空間だ)。地図を見たらサン・ペドロ教会だった。
天窓からこぼれ入る陽射しで祈る人々の姿が浮かんで見えた。
「けいの豆日記ノート」
ホテルに戻り、重い旅行バック二つを、3階から急な階段を滑り落ちるようにポーが運び下ろした。
私のバックは特に重かった。狭い階段なので手伝う空間がなかったよ。
ほんとだって。ホテルの母娘と頬にキスして,別れた。もう二度と会えるかわからない。
そんな感動的な別離だった・・・よ。
石畳をゴロゴロ転がして、やっとバスターミナルに着いた。汗、びっしょり(ポーが)。
エストレモス行きの第2便の時間に間に合った。11時50分発に。でも・・・信じられない!
朝、7時20分にエストレモス行きがでた後はもうなかった。
ちゃんと、昨日、バスの時間を聞いたのに。
正確には、バスの時間が書いてあるレシートのようなのをもらった。
3つ時間が書いてあったので、1日3本あるのだと思っていた。 なのに・・・
時間のほかに字がたくさん書いてあったのは、こういうことだったんだ。
曜日によって時間が違っていたんだ。それも1日に1本しかない。
ポルトガル語が読めない話せない、悲しさだった。
(こういうことがあると言葉を勉強しようと思うんだけど、日本に帰るとすぐに忘れるんだ。)
「ゴメン!」とわたし。「まっ、いいか!」とポー。明日の時間を確かめた。7時20分発。
過ぎてしまったものは、悔やんでもしかたがない。
また、ホテルにガラガラ荷を転がして戻った。
『もう一晩、泊めて』と、母娘にたのむ。
二人は、ハっハっハ・・と笑って、もう一晩泊めてくれた。
まさに「あるある大百科辞典!」の後、昼の12時を過ぎていた。
ポーは大仕事の連続。また重いバックを3階の部屋まで運び上げた。
だから、究極的に腹が減っていた。何でも、いい。腹に入るものがあれば。
相棒が通行人に聞いた中華店で、チャーハン、野菜炒め、焼きソバを一品ずつ頼む。
ここでも、テレサ・テンの歌が中国語で流れていた。
ポルトガルに来て、テレサの歌を、中華店でこんなに何度も聞くとは思ってもいなかった。
あの町この町の中華店であの哀愁の、鼻にかかった甘い歌声を何度聞いたことか。
ポーはテレサの日本語で歌う声に弱かった。
腹いっぱいの昼飯だった。日本で食べる中華の味とは違う。
でも残してしまう味ではない。安心して食べられた。腹いっぱいだった。
地図を見ていた相棒は午後の予定を考えていた。それが列車でふたつ目の駅、オリャウンだった。
ガイド本には載っていない。決めた理由は、相棒の勘だ。旅はいつも相棒の〈勘〉で動いていた。
130円の列車の旅だった。10分ほどでオリャン駅に着く。駅舎の壁は幾何学模様のタイル。
改札口の上には、大きな丸い時計。それが、ドラマの時の流れを刻む。印象的だ。
舞台の書割(かきわり)みたい。まるで舞台風景の駅舎、そのものだった。
「けいの豆日記ノート」
駅舎を出てどっちにいこうか迷ったが、海岸に向かってみたよ。
どんな町かガイド本にのっていない町なので、なんの情報も持っていない。
不安だけれど楽しみのほうが大きい。
狭い路地に着飾った馬を発見!お祭りがあるのかも!追いかけた。
馬の後ろにつながれた荷台には建築廃材が山ずみだった。運搬用の馬はなぜか悲しそう。
目がうるんで見えたよ。でも、なんでこんなに着飾っているんだよ、労働中にさ。
馬くんのプライドに配慮がないよ、と思う。
太った男が家の中から廃材を運んできて荷台にドサッとのせた。
馬は重みに耐えるように踏ん張った。目に涙がうるむ。
おやじが、撮るな、シッと追い払う手つきで声をだした。それが悔しくてバシバシ、撮ったよ。
石畳を歩いていくと建物の壁やゴミ入れの大きな容器に、落書きスプレー文字がこれでもかとびっしり。
アートになっていない落書きだった。
でも、石畳にタバコの吸殻やゴミが落ちていない町だ。
小さい町だと決めて来たけれど以外に奥の深い町のよう。
民家も商店も教会も、外壁は白で統一されていた。
海岸にレンガ色の大きな市場があった。カフェやレストランもあるがほとんど閉まっていた。
時間が時間だし、観光客もいない冬場、無理もない。
藤棚がある小さな公園で父娘と仔犬が陽だまりで遊んでいた。4歳位の少女の栗毛が風でなびく。
栗毛の仔犬が跳ね回る。若い父の笑顔が弾ける。勿論、了解を得て相棒は家族を撮る。
ポーはそのシーンを楽しむ。長閑(のどか)な昼下がりであった。
町の路地を歩き回った。教会にも入ってみた。二時間が過ぎていた。
ポーが相棒に提案した。駅舎ウオッチングだ。
書割(かきわり)駅舎の舞台鑑賞に写真家ものってくれた。
時間は一時間。相棒の鑑賞眼が楽しみであった。
・ ホームにある木の長椅子で背を丸めて列車を待つおばあさん。
・ 壁にもたれ携帯電話で話をしている少女。フットボール(サッカー)の新聞記事を読む中年男性。
・ 重そうな荷物を背負ってホームを歩くおばさん。
・ 白いビニール袋を腕に下げて列車が来る方向を見つめる婦人。
・ 子供の手を引いて突っ立っているネクタイ姿の男性。人待ち顔の女子学生。
・ スケボウを小脇に握り締め黒い犬と誰かを迎えに来た少年。
一時間があっという間に過ぎ去っていた。
「けいの豆日記ノート」
ポーの策に、はめられた感じ。でも、こんな撮影も面白いか。
駅舎は切符を持っていなくても自由に入れた。
不思議なことに、小さな駅なのに人の出入りが意外と多かった。ホームを犬も歩いていたし。
私としては〈駅舎ドラマ〉を撮りたかった。
人との出会いを求めて歩き回っての撮影とは違い、観察撮影も面白かったよ。
撮影させてもらった人に、ポーがひとりひとり〈折り鶴〉を差し出していた。
しゃべれないのに何と言って渡していたんだろうね。
貰ってくれた人たちが笑顔だったから判って貰えたと思うけれど。
5時20分の列車でファーロに戻った。駅舎から海岸に出る近道を走った。
夕焼けになってきたからだ。ぎりぎり太陽が落ちるのに間に合った。
漁をする船が赤く燃える空の中、シルエットで見えた。
相棒が叫んだ。「ラッキー!」と。今朝のバス乗り遅れ事件は何処かに飛び去っていた。