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(王妃に愛された町・オビドス2)
Portugal Photo Gallery --- Obidos 2

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オビドス19
城壁からの眺め

オビドス20
オビドスの町並み

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白壁の街

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邸宅ホテル

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石段

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おみやげ店

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黄色い花

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赤いシャツ

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屋根修理

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石畳職人

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ポザーダ入り口

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休憩中

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ミュージシャン

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サンタ・マリア教会

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社会見学

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仲良し4人組

オビドス35
郊外学習

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城門の主

☆オビドスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから、バスで、1時間10分。日帰りも可能なので人気の町である。
オビドスはは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。
「谷間の真珠」と呼ぶにふさわしい絵のような町で夏は色とりどりの花が彩る。
1282年にすっかり魅了された王妃イザベルにディニス王が村をプレゼントした。
以後1834年まで代々の王妃の直轄地となり今もなお中世のままの姿をとどめている。
おとぎの国のようにかわいい町で、観光地として人気の町である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 王妃に愛された町・オビドス2 ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 《 ポルトガルの首都 リスボンは、朝から曇り空で、風が強い。 天気になってくれたらと基点にしている安宿の窓から外を眺めた。 今日は帰国する前に会っておきたいおばあさんがいる町に行くことに決めていた》

 2004年5月4日(火)。質素なモーニングを腹に収め、ロシオ駅から地 下鉄でカンポ・グランデ駅に行く。ここのバスターミナルはマフラやオビドス などリスボン近郊の町に行くには便利なバスターミナルだった。 前年、オビドスに行くとき発車場が判らず違うバスの運転手さんにきいたことを思い出した。 そのバスの運転手さんは、とても親切で、わざわざ、バスから降りて、バス停までつれていってくれたのだ。 だから、マフラから戻ってきたとき、オビドス行きの発車場を相棒の写真家と探しておいた。
 9時半発の二階建てバスに乗った。 バス代ひとり4.85ユーロ(630円)。 (乗る前に、オビドス発の帰り時刻を確認。平日は5便しかない) オビドスまで1時間10分。 バスが動き出すと10分ももたない(眠る)相棒は『今日は車窓を充分に楽 しむぞ!』と二階席の最前列を陣取った。
 『窓ガラスの汚いのには、慣れたよネ』 日本のバスの窓ガラスは、確かにきれいだ。車庫に戻れば毎日運転手はホー スで車体や窓ガラスを洗浄している。ここの運転手は何時するのだろうか。 前面の大きなガラス窓には、ヒビまであり、ガムテープで補強されていた。
 『呆れるより、何となく笑える。国民性かな?でも、観光客を乗せる路線な んだから、もうちょっと気配りしてもイイよね』 4割ほど座席は埋まっていた。オビドスは観光客に人気の地であった。

 「けいの豆日記ノート」
 オビドスまでの切符を買おうと思った。 バスターミナルの場合、バスに乗る前にチケットを買わなくてはならない。 売り場らしきところがあった。 外まで並んでいたので、並んでみた。 前の人のようすをみていると紙にかいてわたしている。 バスのチケット売り場ではないのかもしれない。 定期券とかのたぐいではないだろうか。 場違いだと思ったので、並ぶのをやめてバス停に戻った。
 チケットは、バスの運転手さんから、買うことができた。 ここのバスターミナルは、マフラ行きのように、各駅停車なので、前もって買う必要がないみたいだ。 以前、チケット売り場でチケットを買わなかったので、次のターミナルで買いに行かされたことがある。 チケットがいるのか、いらないのかの判断がわからなくて困るよねえ。

 やはり、意気込みだけだった。  相棒はバスの揺れに食われた。軽やかな振動に飲みこまれた。眠った。 ポーは乗り物に乗ると本が読みたくなる世代だった。昔からの癖だった。 中学時代からの愛読書〈文芸春秋・オール読物〉を空港で買った。 54年ほど前、今、92歳になる母が買ってきて父にナイショで読んでいた のを、息子が今、読み続けていた。以来、ポーの愛読書になっていた。 オール読売に載る小説はその時代時代を掴み取る編集長の手腕が好きだった。 車窓には、今にも雨を降らしそうな雲が流れ、家並みもまばらになっていく のが見える。 バスに揺られ3年前の9月に訪れたオビドス上空は、紺碧だったと思い出す。

 城壁全長1565mに囲まれた旧市街地に足を一歩踏み込んだときの感動は 今も忘れられない。 オレンジの屋根に白い壁、窓辺の植木鉢にはさまざまな花が咲き、狭い石畳 の道は、この町の人々が生活するメインストリートになっている。 小さい教会から鳴る鐘の音は心に染み込み、焼きたてのパンの香りが路地を 走り抜け、小さな広場からはベンチに座った老人が聞くラジオのファドの歌声 が哀愁を込めて流れる。 狭い坂道の石畳を猫が走り抜け、子供がサッカーボールを追いかける明るい 声が響きわたる。 また、長い板の上に並べた素焼きの壷を器用に運ぶ若い女性が微笑み、レス トランのシェフが息抜きの煙草を店先に出て美味そうに吸い道行く人に声をか け、ベランダの花に水をやるおばあさんが腰を伸ばすのが見える。
   ブーゲンビリアの花が狭い道の上にトンネルを作り、ここで生活している 1000人足らずの人々の日常生活の町を、観光客がのんびりと観光見物と言 うより溶け込んで、楽しむのどかさに心が踊る。 まるで箱庭みたいな、まるごと観光地みたいな、町であった。 そして、この町の上空には紺碧の空があり、太陽が町の隅々まで照していた。

 「けいの豆日記ノート」
 オビドスは、リスボンから、近いので、ツアーだと絶対に入っている町である。 城壁に囲まれた美しい町ということで。 実際、そのとおりなのだが、作られた町という感じもぬぐいきれない。 高山の町並みのように保存されている。 町並みを変えないように、新しいものがはいらないように決められているのだろう。 印象的な白壁も1年に1度は、塗り替えているという。 きっと窓辺の花もきれいに植え替えているのだろうと思う。 観光地として生きるのには、それなりの努力も必要なんだろうと思う。

 《相棒と初めてポルトガルを訪れのは3年前。9・11ニューヨーク同時テロ 事件発生の11日後だった。 頼れるのは持参したガイド本だけ。リスボンから日帰りで帰れる観光地を探 し、眼に飛び込んできたページが偶然にも〔オビドス〕だった。 バスを降りると目の前に城壁が迫っていた。 石畳の坂道を登ると旧市街地に入る狭い入り口がある。 そのポルタ・ダ・ヴィラと呼ばれるアーチ形の通路を入った内側壁面にアズ レージョ(タイル画)があり、その下の太陽光線が直接当らない薄暗い隅っこで もう何十年と毎日小さな椅子に座り手編み刺繍を編み込み、その作品を観光客 に買ってもらい生活しているというおばあさんに出会った》3年ぶりにオビドスに向かった目的は、このおばあさんに会うためだった。 たとえ撮影できないドシャブリ雨でも、会いに行きたいと思っていた。

〔オビドス〕はローマ時代海からの敵の侵入を防ぐために砦を築いたことに 始まるという。その後イスラム教徒に占領され、1148年ムーア人に支配さ れ、1282年には王妃イザベルの心をとられたこの地はディニス王の配慮で 進呈される。そして1834年までオビドスは代々の王妃が受け継ぎ、今日ま で中世の雰囲気を保ち守られてきた町だと知る。

 バスは、南西から北東に細長く城壁に囲まれている市街地の南西側に止まる。 灰色の雲間に青い空がちらちらと覗く。雨が降らないことを祈りながら西門に 向かう。坂を登ったところにあるトリズモ(観光案内所)で地図と資料をもらう。
 『ポー、ドキドキするね!覚えていてくれるかなー?』 相棒の眠気顔が不安そう。
 「覚えていないと思うな、一年間に何十万人もの観光客が来るんだよ。それに 3年前だよ、無理無理」とポーは冷たい。相棒の頬がプッと不満でふくれる。 アーチ形の西門通路を、くぐった。目の前の隅っこに、あのおばあさんがい るはずだ。しかし、小さな椅子と小さな台だけ眼に飛び込んできた。台の上に は手編み刺繍が飾られているが、おばあさんの姿はなかった。 (75歳?のあの方は、生存だ)『ホッ!』相棒の吐息が、背後から聞こえた。
 11時過ぎていた。おばあさんはトイレかと思い10分ほど待ったが、戻っ てこない。昼食には早すぎる時刻だ。   ぶらリと町をひと廻りしてくることにした。 門を抜けるとすぐ左手に城壁通路に上る石段がある。そこに、唯一の信号機 が3年前にはあったが取り外されていた。
 『この石段に座っていた、あのおじいさんはどうしてるかな?』 (作品タイトル【視点】「愛しのポルトガル写真展part1」で発表) 格子柄のハンチングをかぶり、西門から入ってくる人々を顔も動かすことな くジーと見つめていた老人を思い出した。おじいさんの〈視点〉は今まで生き てきた過去なのだろうか。話すことが出来たら聞いてみたかった、とあの時ポ ーは思ったものだ。

 「けいの豆日記ノート」
 この城門にいつもいるおばあさんは、みんなが知っている。 オビドスを尋ねた人は、覚えている人だ。 オビドスにきて、初めて会う、土地の人という意味でも。 みんなの写真のモデルになっているにちがいない。 でも、その写真をもらうことは、ほとんどないにちがいない。 (と、かってに思っている。) だから、その町に再度いく機会があったなら、前に写した写真を届けたいと思っている。 どこに住んでいる人か、わからない場合はムリなのだが。 オビドスの城壁の主は、必ずいると思っていた。

 西門から見ると、両サイドの城壁が町を包み込むようにして北東に連なり、 狭い石畳の路地が左右に分かれ、それぞれの道の両側に白い壁の家がひしめき あって伸びている。左側の道がメインストリートでレストランや土産店などで 華やぐ。右の道はサン・ペトロ教会やサンタ・マリア広場、サンタ・マリア教 会などがあり、二つの道はかつての城を改築した国営ホテルポザーダ・ド・カ ステロにつながる。 相棒は右の道を選んだ。下ってすぐ左手に公衆トイレがあるからだった。
 雲間から日差しがこぼれ白い壁で反射し町を一瞬明るくしてくれるが流れる 雲が早いため〈光の穴〉がすぐ閉ざされてしまう。
 『カメラマン泣かせの日だよ』 相棒はシャッターチャンスを中断させられ、撮影に集中できないようだ。
 『オビドスは、太陽が似合う町だよ。太陽に照らされていないと寂しいね』 白い壁が反射面になり太陽光線が日陰まで柔らかく包み込むため、映像が しっとり落ち着くと相棒はいう。人物を撮っても白い壁がレフバンになるから 光がまわって助かるとご機嫌だ。しかし、この日は撮影泣かせのようだった。
 オビドスの町は歩き続ければ一時間もあれば狭い路地から路地、隅から隅 まで見られるほどこじんまりとした町だが、3年前は好天気もあって5時間 も撮影していた。それでもまだ、時間が足りなかった。

 「けいの豆日記ノート」
 青空の白壁は、光っているようで、とてもきれいだ。 空が青いのと白いのとでは、印象がだいぶん違う。 曇り空でも町並みは変わらないはずなのになんでだろう。 影ができないからかもしれない。 同じ建物でも影のあるのとないのとでは、立体感がちがってくる。 今日は、晴れたり曇ったりで、撮りたいときに撮れないのは、辛いなあ。

 沢山の子供たちの声が風に運ばれ、流れてきた。 相棒にとって今回は景色は要らない。でも、人物は別だった。流れてくる 声に向かって走る。サンタ・マリア教会から50人ほどの小学生たちが出て きて広場(と言ってもオビドスだから小さい)に集合中だった。グループご とにかぶるキャップの色が違う。赤黄青、信号色だ。相棒の青い帽子が右に 左にと移動している。広場を見下ろせる道からポーは見ていた。小羊を追う 犬を見つめる牧童のようにだ。
 小さな町だが教会は4つある。教会廻りの社会見物のようだ。 相棒は30分も追いかけた。次ぎの教会に子供たちが入っていくと外で待っていた。 小腹が空いたのかバックから日本から持参の好物 〈ゴマせんべい〉を取りだし食べる。醤油の香りが風に舞う。
 刺繍編みのおばあさんが気になったが500mも戻るのもと思い、昼食に した。ポザーダで高級料理を食べれば旨いに決まっているが気安く入る金も なく、何時ものように路地に並ぶレストランに入る。 (どの町に行っても必ず一軒はある中華店は、この町にはなかった)
 鱈(たら)のコロッケとライスにサラダ3.0、豚肉ソティーポテトサラ ダ4.0、グラスワイン0.5、セブンナップ1.0、計8.5ユーロ (1105円)の昼飯。入った店はいい雰囲気だったが、間違った。 鱈のコロッケは旨くない。豚肉は、顎の力がつくほどかたかった。 豚肉じゃなかったかもしれない。「まッ、いいか。」と、あきらめた。

 「けいの豆日記ノート」
 ラッキー。子供たちを見つけると思う。 社会見学のようだった。 途中、ポザーダの前の広場で、寸劇のようなものをやっていた。 ポルトガルの歴史の物語を寸劇にしたようだった。 自分たちで、劇にするとよく覚えられていいのかもしれない。 まずは、興味を持たせることが必要だからかな。 社会見学のおっかけは、これからも続くのだろうな。

 レストランを出て、家と家の間の狭い石段を登ると城壁の下の路地に出る。 この道が好きだった。3年前歩きまわったとき知った人通りのない道だ。 メインストリートが観光客で混み合っていても、一筋上のこの道はすれ違う 人もいなかった。 白い壁や白い塀の下が巾50cmほど青色だったりオレンジ色で帯状に塗 り分けられており、ところどころ家の角が青色で縦帯状に塗られている。 塗り巾はまちまちだが塗りこんだ線はまっすぐで美しく気持ちがいい。 白い空間に2つの色が鮮やかに印象ずけられる。 ポルトガルの各地で見られるこの色彩は、魔除けだとか、権力の象徴だと か、幸運の呼び込みなどの〈呪い〉だとも言われている。  それが200mも続くと別世界に来た気持ちになる。
 白い壁を背景にして黄色の花やピンクの花が咲いている。 高級住宅が連なっているこの路地には、店は一軒もない。 中世の雰囲気が味わえる路地だった。しかも、高台なのでオビドスの町が 俯瞰で見えろポイントもある。城壁には狭い通路があるのでそこから見れば 町の俯瞰は見えるが風の強い今日みたいな日は危険だ。 午後一時を過ぎていた。おばあさんの所へは2分もかからない。上の路地 から下の路地に下りれば、西門の前だった。

 「けいの豆日記ノート」
 前に来た時には、城壁に登ってみた。 町の周りの城壁をぐるりと1周することができるようになっている。 どこでもそうだが、片方しか塀がない。 階段も片側が壁で、片側がなんにもない。 手すりがない状態だ。 だから、とても怖い。 登りは、いいのだが、下りは下を見るので怖い。 ただでさえ、目が悪いせいもあって、普通の階段でも下りは注意している。 足を踏み外しそうで、怪我はしたくないしね。 階段を登った上の城壁の通路は、幅80cmないくらいだと思う。 すれ違うときがたいへんだから。 下を見るとオレンジ色の屋根が広がっている。 町全体が見えるほどの小さな町だ。

 流れていた雲に〈穴〉が開き、一条の光が射し込んだ。 薄暗かった西門通路の隅っこの指定席に、あの会いたかったおばあさんの 姿が浮かび上がった。戻っていた。〈あんたは、マリアか!〉 緊張気味の相棒がおばあさんにカメラを向けた。 気配を感じカメラ目線で微笑むおばあさん。〈カッチャ!〉 その笑顔を何百万回と観光客のカメラに向かって、微笑んできたのだろうか。 相棒は、シャッターを押した後、ポツリ悲しげに言った。
 『ポー、帰ろう!』 おばあさんが、相棒を覚えていなかったと察知したのだ。 当たり前、だった。 何百万人の中の〈一人〉を、おばあさんが覚えているはずがない。 当然、だった。
 『ポー、帰ろうよ!』 でも、3年ぶりに、会いに来たという思いだけは伝えるのも〈礼義〉だ。 相棒の肉ずきのいい腕をつかみ、ポーはおばあさんの前に引っ張った。 相棒は、3年前の写真展で発表したおばあさんのカメラ目線の2L写真を 差し出した。 おばあさんは、10秒ほど差し出した写真を、ジーと見続けた。  ・・・・・・・・・・・・・。
 写真から眼を離し、写真家の顔を見つめ、首をちょっと傾げ、 『あんたは、グロウ(鶴)をくれた、赤い帽子の日本人?』 と、吐いた。
 青い帽子をかぶっている相棒の瞳が弾けるのをポーは見逃さなかった。 相棒の目から、一筋二筋、涙が流れ落ちていくのを目撃した。 ポーはおばあさんの前にしゃがみこみ、肩からリックを下ろし《愛しのポ ルトガル写真集》を引き出して、85ページを開き、その写真を見せた。 写真集に載った自分の姿におばあさんは、釘漬けだった。
 相棒が言った。 『この写真集、もらっていただけますか』 わざわざ、日本から届にきてくれたのが、嬉しそうであった。 おばあさんに写真集をもらっていただくのが、目的の旅でもあったので おばあさんの嬉しそうな顔を見ているとポーも感涙した。 おばあさんが言った。 これを、あんたにあげたいと。相棒は突然の提案に驚き、目線をポーに送 ってきた。勿論、黙って頷いた。 それは、おばあさん手作りの刺繍だった。 その刺繍のテーブルクロスは、12.5ユーロ(1560円)もした。 こつこつと編み込んだ刺繍であった。 一日、何枚売れるのだろか。
 別れ際、88ページに載っている石段に座るおじいさんの写真を見せて、 ポーが聞いた。 おばあさんは、黙って胸の前で十字を切った。 聞かなければ良かったと、ポーは思った。

 「けいの豆日記ノート」
 涙もろいのは、子供のときからだ。 言葉より先に涙が出てしまうのでなんにも言えなくなってしまう。 泣き虫でいやだったなあ。 テレビで泣いている人をみただけで、理由もわからないのにつられ泣きをしてしまう。 ドラえもんを見ても泣いてしまう。 やさしさに弱いんだなあ。 水分、多すぎかな。

 予定の14時55分のバスに乗るため城壁の西門を出た。 おばあさんとの再会感動を引きずりながら坂道を降りていくと、中年の 日本人夫婦にバス停で出会った。  京都からの旅人、Tさん夫婦だった。昨夜はここのボザーダに泊まり、 これからリスボンに帰り、その足でタクシーを使いエヴォラまで行くという、 うらやましい旅をなさっていた。
 (これがご縁で京都で開催した「愛しのポルトガル写真展part9」に来場 いただき写真集を5冊も買ってもらった。旅は道ずれ世は情け、であった)
   リスボンに戻ったのは午後5時半。小雨が降っていた。 宿の隣のスパーで夕食の買い物をした。1ユーロワインもあったが、今日は 2ユーロ(260円)ワインを買う。 おばあさんからいただいた刺繍のテーブルクロスを国旗のように壁に貼り、 赤ワインで乾杯した。2ユーロの方が、美味しかった。
 

                                          *「地球の歩き方」参照*               

終わりまで、旅日記を読んでくださり、ありがとうございます。 次回をお楽しみに・・・・・・・2007年10月掲載

オビドス1 ・・・ポルトガル写真集・「王妃の愛した町・オビドス1」はこちらからどうぞ

レース編みとポー君 ・・・オビドスの城門の主からもらった「レース編みとポー君」拡大版はこちらからどうぞ

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