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(王妃に愛された町・オビドス)
Portugal Photo Gallery --- Obidos 1
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☆オビドスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから、バスで、1時間10分。日帰りも可能なので人気の町である。
オビドスはは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。
「谷間の真珠」と呼ぶにふさわしい絵のような町で夏は色とりどりの花が彩る。
1282年にすっかり魅了された王妃イザベルにディニス王が村をプレゼントした。
以後1834年まで代々の王妃の直轄地となり今もなお中世のままの姿をとどめている。
おとぎの国のようにかわいい町で、観光地として人気の町である。
「ポー君の旅日記」 ☆ 王妃に愛された町・オビドス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕 《初めてポルトガルに行ったのは、2001年9月中旬だった。 9・11ニューヨーク同時テロ事件があった11日後のことだ。 みなさんの心配をよそにして思い切って出かけたポルトガルであった。》 愛知県刈谷市の画家に誘われ、行く気になった。彼が日ごろから「これから、一生、住み着くんなら、ポルトガルだな」と言い続けていたからだ。
彼はポルトガルの風景を水彩画で描く画家だった。
[彼は今、名古屋を基点に、ポルトガルの水彩画が全国的に売れまくっている画家だ。
人柄と描く水彩画が、人の心をくすぐる画風で人気を博している] 「けいの豆日記ノート」 彼が常宿にしているホテルまでタクシーを使う。だが、そのスピードに驚いた。
リスボンのタクシー運ちゃんの暴走は聞いてはいたが。
深夜の町を猛スピードで走り抜ける運転振りにはポーも恐怖で疲れがすっ飛んだ。
朝食後、首都リスボンを一日中見物した。
23日はロカ岬に足を伸ばし、ユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、東経9度30分を満喫させてくれた。
その夜、アルファマ地区で遅い夕食のファド(ポルトガルの民衆歌謡)に案内してもくれた。 2001年9月24日は『愛しのポルトガル』の記念日となった。 頼れるのは、一冊のガイド本「地球の歩き方」だった。 以後、毎年ポルトガル撮影取材の旅が始まるが、この本が旅の羅針盤となる。 画家の助言もあり、初旅は[オビドス]にした。 小さな町だが一日ゆっくり楽しめるからと言うだけで決めた。 宿はバイシャ地区にある「ホテル・インテルナシオナル」。 フィゲイラとロシオ広場の間にあるアウグスダ通りの角にあって、交通の要ロシオ駅にも近かった。 ガイド本の地図を頼りに出発だ。 ポルトガル語は読めないし、喋れない。あるのは勇気だけだった。 オビドスへは、列車でもいけるが駅からかなり歩くと聞いて、バスでいくことにした。 カンポ・グランテのバス乗り場から1時間10分で行くという。 まず、ロシオ駅から、地下鉄でカンポ・グランテまで行く。 『ドイス!』と相棒の指先はチョキ。二枚だ。判りやすい。 地下鉄は、距離に関係なく一定の金額だ。 <ガイド本の末巻にある3ページの「旅の言葉」の中から、2の言葉を捜した。 この時はユーロではなくエクスード(Escudo)だった> 「けいの豆日記ノート」 1時間半の車中でガイド本を読み漁った。
<オビドスは13世紀から19世紀にかけ代々、王妃の直轄地として愛され、今もなお中世のままの姿をとどめている>
相棒は発車30分後にはバスの背もたれで、眠りに落ちていた。
せっかく、まわりの景色が良く見える1番前の席にしたのに。
深夜の到着、深夜のファド帰りで疲れていたのかも知れない。 「けいの豆日記ノート」 城門を入ると狭い石畳の道が左と右に分かれてまっすぐ城跡まで伸びている。 左の道を選ぶ。道というより路地だ。その狭い石畳の路地の両側には、白い壁にオレンジの屋根。 白い壁の窓という窓には花が飾られ、カフェやレストラン、土産屋などがこじんまりと続く。 小さな公園ではお年寄り達がラジオから流れるファド音楽に耳を傾け、教会の鐘が心に沁みる(しみる)音色を聞かせる。 オレンジの屋根は太陽に輝き、路地の上にはブーゲンビリアが咲き、走り抜ける子供達の遊びのトンネルを作る。 ここは、映像を切り取る仕事をしている者にとっては、まさに、この空間は中世からの「贈り物」であった オビドスは城壁に囲まれた人口800人余りの町で一周するだけなら、1時間もあれば見て回れる広さだ。 でも、5時間ほど歩き回っても時間がたりなかった。(3年後の2004年に再び訪れた) ローマ時代から敵の侵入を防ぐ城壁は高く厚い壁で囲まれ、その城壁の高いところに一周できる狭い通路がめぐらしてある。 そこからは城内が見渡せ、振り向けば城外の大草原が一望できた。 まさに、長い歴史を守り続けてきた町の、城塞であった。 「けいの豆日記ノート」 城跡の1部はポザーダ(国営ホテル)になっていた。 ポザーダの中でも小さい方だが、人気は高いのだという。 中には入れなかったが(食事すれば入れる)、おなかも空いて来ていたが高そうなのでやめた。 昼食は路地にある食堂だ。それが、分相応だった。 ポルトガルは鱈(たら)の魚料理が多いと聞いていたので、鱈料理?を。 (ガイド本の「メニューの手引き」の中から鱈を探した。 Bの一番初めに「バカリャウ・塩漬けにし干したタラ」があった。 そういえば、画家が『ばかやろう!』って言えば鱈料理が出てくるといっていた。 これは、笑い話でもよくある。 で、出てきた料理は、鱈のコロッケとライスにサラダ3・0。 勘でたのんだ、豚肉ソティーポテトサラダ4・0。 言葉で言ったのは、グラスワイン0・5とセブンナップ1・0 計8・5ユーロ(1105円)。 (*料金はエスクードを今の、ユーロに換算した*) 鱈のコロッケはおいしくない。豚の方は玉子焼きがついていた。でも肉は硬い。 あごの力がつきそうだった。 ボザーダで食べれば、これが「ポルトガル料理」だという美味しいのが食べられたのにと、ちょっと後悔したよ。 でも『まっ、いいか』と、した。 これが、ポルトガルに来て初めてふたりが注文した料理だった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ほんとは、写真集の1番はじめに出さなくてはなりませんでしたが、 リスボンで、まとめて書いてしまったこともあり、遅くなってしまいました。 話が前後するかと思いますが申し訳ありません。
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