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(王妃に愛された町・オビドス)
Portugal Photo Gallery --- Obidos 1

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オビドス1
城壁に囲まれた町

オビドス2
花が絶えない路地

オビドス3
国旗

オビドス4
青空と白壁

オビドス5
ピンクの花

オビドス6
そびえる城壁

オビドス7
サンタ・マリア教会

オビドス8
白壁の町

オビドス9
小窓

オビドス10
風車

オビドス11
レース編み

オビドス12
視点

オビドス13
岩の入り口

オビドス14
いくよ〜

オビドス15
ワイン

オビドス16
私がママよ

オビドス17
壁のイス

オビドス18
アズレージョの店

☆オビドスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
リスボンから、バスで、1時間10分。日帰りも可能なので人気の町である。
オビドスはは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。
「谷間の真珠」と呼ぶにふさわしい絵のような町で夏は色とりどりの花が彩る。
1282年にすっかり魅了された王妃イザベルにディニス王が村をプレゼントした。
以後1834年まで代々の王妃の直轄地となり今もなお中世のままの姿をとどめている。
おとぎの国のようにかわいい町で、観光地として人気の町である。

「ポー君の旅日記」 ☆ 王妃に愛された町・オビドス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 《初めてポルトガルに行ったのは、2001年9月中旬だった。 9・11ニューヨーク同時テロ事件があった11日後のことだ。 みなさんの心配をよそにして思い切って出かけたポルトガルであった。》

 愛知県刈谷市の画家に誘われ、行く気になった。彼が日ごろから「これから、一生、住み着くんなら、ポルトガルだな」と言い続けていたからだ。 彼はポルトガルの風景を水彩画で描く画家だった。 [彼は今、名古屋を基点に、ポルトガルの水彩画が全国的に売れまくっている画家だ。 人柄と描く水彩画が、人の心をくすぐる画風で人気を博している] 
その彼が、ポルトガルに誘ってくれた。9月中旬過ぎには、ポルトガルを南下して首都リスボンに着いているからと。で、行った。 9月22日の深夜に、20時間あまりの空の旅で(オランダのアムステルダムで乗り換え)やっと、リスボンの空港に着いた。 彼が出迎えていてくれた。 彼も、ポルトガルを一人で絵を描きながら旅をして今日リスボンに入ったところだった。 疲れているその彼が迎えに来ていてくれたのだ。優しい男だった。

 「けいの豆日記ノート」
 2001年の時は、名古屋空港からKLMとルフトハンザの便があった。 でも、よく年から、KLMは、なくなってしまい、ルフトハンザのみになってしまった。 アムステルダムの空港は新しく大きいので、時間つぶしには、最適だったのだが。 なんか、残念だなあ。

 彼が常宿にしているホテルまでタクシーを使う。だが、そのスピードに驚いた。 リスボンのタクシー運ちゃんの暴走は聞いてはいたが。 深夜の町を猛スピードで走り抜ける運転振りにはポーも恐怖で疲れがすっ飛んだ。 朝食後、首都リスボンを一日中見物した。 23日はロカ岬に足を伸ばし、ユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、東経9度30分を満喫させてくれた。 その夜、アルファマ地区で遅い夕食のファド(ポルトガルの民衆歌謡)に案内してもくれた。
そして、24日。ポーと相棒の写真家けいちゃんは放たれた。彼は更に南下しての仕事、絵の旅に出たからだった。 不安だったが初めての[ポルトガル珍道中]の幕開けだ。

 2001年9月24日は『愛しのポルトガル』の記念日となった。 頼れるのは、一冊のガイド本「地球の歩き方」だった。 以後、毎年ポルトガル撮影取材の旅が始まるが、この本が旅の羅針盤となる。 画家の助言もあり、初旅は[オビドス]にした。 小さな町だが一日ゆっくり楽しめるからと言うだけで決めた。 宿はバイシャ地区にある「ホテル・インテルナシオナル」。 フィゲイラとロシオ広場の間にあるアウグスダ通りの角にあって、交通の要ロシオ駅にも近かった。

 ガイド本の地図を頼りに出発だ。 ポルトガル語は読めないし、喋れない。あるのは勇気だけだった。 オビドスへは、列車でもいけるが駅からかなり歩くと聞いて、バスでいくことにした。 カンポ・グランテのバス乗り場から1時間10分で行くという。 まず、ロシオ駅から、地下鉄でカンポ・グランテまで行く。 『ドイス!』と相棒の指先はチョキ。二枚だ。判りやすい。 地下鉄は、距離に関係なく一定の金額だ。 <ガイド本の末巻にある3ページの「旅の言葉」の中から、2の言葉を捜した。 この時はユーロではなくエクスード(Escudo)だった>

 「けいの豆日記ノート」
 カンポ・グランテ駅についたのはいいのだが、オビドス行きのバス停がわからない。 バスターミナルなので、バス停が多すぎる。 だれかに聞こうと探したのが、ちょうど来たバスの運転手さん。 説明してもわからないと察したのか、そのバス停までつれていってくれた。 自分のバスをその場においてだ。 なんて親切なんだろう。 知らない場所での親切は涙がでそうなほどうれしかったよ。 (こういう親切な人が特別でないこと旅をしていてよくわかった)

 1時間半の車中でガイド本を読み漁った。 <オビドスは13世紀から19世紀にかけ代々、王妃の直轄地として愛され、今もなお中世のままの姿をとどめている> 相棒は発車30分後にはバスの背もたれで、眠りに落ちていた。 せっかく、まわりの景色が良く見える1番前の席にしたのに。 深夜の到着、深夜のファド帰りで疲れていたのかも知れない。
11時にオビドス駅に着いた。相棒は反対側のバス停に走り、帰りの時刻を調べた。 ポイントは押さえる、その素早さにポーは感心した。地図にも強いようだ。 (方向音痴のポーには強い見方で安堵)

 「けいの豆日記ノート」
 門の隅っこでちょこんと座り、黙々とレース編みをしているおばあさんがいた。 彼女はお手製のレース編みを即売するオビドスの名物おばあさんだった。 撮影のお礼に、飛行機の中で折りためていた折鶴をもらっていただいた。 撮影したら必ず「折り鶴」をお礼にしようと決めて準備してきた。 乗用車がやっと一台通り抜けられほどの狭い城門に、上から赤・黄色・赤の信号機があった。 この城壁に囲まれた旧市街地にとっては唯一の信号機だと、後で知った。 信号機の下にある石段に座り込み、物思いにふけるおじいさんがいた。 なんか、いい感じだった。 ふたりの笑顔が弾けた。素敵な笑顔だった。 あ〜あ、よかった〜あ。お礼の気持ちが通じたようで、安心したよ。
(この階段に座っているおじいさんの写真は、後の写真展で評判になったものです。 現在、信号は、なくなったようだ。)

 城門を入ると狭い石畳の道が左と右に分かれてまっすぐ城跡まで伸びている。 左の道を選ぶ。道というより路地だ。その狭い石畳の路地の両側には、白い壁にオレンジの屋根。 白い壁の窓という窓には花が飾られ、カフェやレストラン、土産屋などがこじんまりと続く。 小さな公園ではお年寄り達がラジオから流れるファド音楽に耳を傾け、教会の鐘が心に沁みる(しみる)音色を聞かせる。 オレンジの屋根は太陽に輝き、路地の上にはブーゲンビリアが咲き、走り抜ける子供達の遊びのトンネルを作る。 ここは、映像を切り取る仕事をしている者にとっては、まさに、この空間は中世からの「贈り物」であった オビドスは城壁に囲まれた人口800人余りの町で一周するだけなら、1時間もあれば見て回れる広さだ。 でも、5時間ほど歩き回っても時間がたりなかった。(3年後の2004年に再び訪れた)

 ローマ時代から敵の侵入を防ぐ城壁は高く厚い壁で囲まれ、その城壁の高いところに一周できる狭い通路がめぐらしてある。 そこからは城内が見渡せ、振り向けば城外の大草原が一望できた。 まさに、長い歴史を守り続けてきた町の、城塞であった。

 「けいの豆日記ノート」
 城壁を登ってみた。けっこう高いところにある。 1mほどの幅の道が作ってある。 片側は城壁の外側だが、内側には、手すりとかなんにもない。 踏み外したらたいへんだ。 オレンジの屋根が並ぶ小さな町が足の下に見える。 王妃様が気に入ったというのもわかる気がする。 城壁の階段は、登る時はいいけど、降りる時が怖いんだよ。 そっ〜と そっ〜と降りたよ。 ここから、落ちた人いないのだろうか。

 城跡の1部はポザーダ(国営ホテル)になっていた。 ポザーダの中でも小さい方だが、人気は高いのだという。 中には入れなかったが(食事すれば入れる)、おなかも空いて来ていたが高そうなのでやめた。 昼食は路地にある食堂だ。それが、分相応だった。 ポルトガルは鱈(たら)の魚料理が多いと聞いていたので、鱈料理?を。 (ガイド本の「メニューの手引き」の中から鱈を探した。 Bの一番初めに「バカリャウ・塩漬けにし干したタラ」があった。 そういえば、画家が『ばかやろう!』って言えば鱈料理が出てくるといっていた。 これは、笑い話でもよくある。 で、出てきた料理は、鱈のコロッケとライスにサラダ3・0。  勘でたのんだ、豚肉ソティーポテトサラダ4・0。  言葉で言ったのは、グラスワイン0・5とセブンナップ1・0 計8・5ユーロ(1105円)。 (*料金はエスクードを今の、ユーロに換算した*) 鱈のコロッケはおいしくない。豚の方は玉子焼きがついていた。でも肉は硬い。 あごの力がつきそうだった。 ボザーダで食べれば、これが「ポルトガル料理」だという美味しいのが食べられたのにと、ちょっと後悔したよ。 でも『まっ、いいか』と、した。

 これが、ポルトガルに来て初めてふたりが注文した料理だった。
こんな按配の『愛しのポルトガル』珍道中が始まったのだ。

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 ほんとは、写真集の1番はじめに出さなくてはなりませんでしたが、 リスボンで、まとめて書いてしまったこともあり、遅くなってしまいました。 話が前後するかと思いますが申し訳ありません。

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