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ポルトガル写真集(陶器の町・カルダス・ダ・ラィーニャ)
Portugal Photo Gallery --- Caldas da Rainha

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カルダス・ダ・ラィーニャ1
町の教会

カルダス・ダ・ラィーニャ2
ボルダロ・ビニェイロ工房

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工房のレストラン

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レストランの窓

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キャベツもよう

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幻影

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にぎわう朝市

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市場のババさま

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朝市の主

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マイカー

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鉱泉病院

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ドンカルロス1世公園

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もう、乗れないよ

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ひなたぼっこ

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町のアズレージョ

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冬の日差し

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夕刻の公園

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波紋

☆カルダス・ダ・ラィーニャの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ナザレの南約30kmのところに位置する、人口2万人ほどの小さなまち。
カルダス・ダ・ラィーニャとは、「王妃の湯治場」という意味だ。
ジョアン2世の王妃レオノールが設立した鉱泉病院がある。
町の中心レプブリカ広場で開かれる朝市は活気にあふれている。
ポルトガルを代表するボルダロ・ピニェイロの工房もある。

「ポー君の旅日記」 ☆ 朝市と陶器の町・カルダス・ダ・ラィーニャ ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 相棒けいちゃんが笑みを弾かせ、市場から出てきた。 避暑地であり漁師町のナザレ。 そのバスターミナル前にある市場で写真を撮ってくると入ったきり30分も戻ってこなかった相棒だ。 10時35分発のカルダス・ダ・ライーニャ行きのバスは、すでにエンジンがかかっていた。
 『ポー、0.8ユーロ(105円)だよ。信じられる?!』 紙袋の中には20粒(つぶ)ほどの真っ赤な大きな苺が入っていた。 ポーと相棒が乗るのを待っていたようにバスはドアを閉め、出発した。 2002年2月1日(金)は、雲ひとつない青空だった。 袋から苺を取り出し美味そうに食べる相棒。甘い苺の香りがバスの中に漂う。 『ひとつ食べてみる?』やっと、お声がかかった。 摘み出した大きな苺は艶があった。一口で頬張る。口内に、新鮮な苺の香りと甘さが拡がった。
 『美味いよ!それに、信じられないほど安いね』  相棒は嬉しそうに、頷いた。出発時間すれすれに戻ってきて冷や冷やさせたことなど眼中になかった。 そんな顔を見ていると『まッ、いいか』という気になる。車窓にオリーブ畑が走っていった。

 40分ほどでカルダス・ダ・ライーニャのバスターミナルに着く。 ターミナルを出ると暖かい陽射しがメインストリートに降り注いでいた。 巾6mほどの石畳が南北に伸びた道は、南に向かう人ばかり。 ガイド本の地図を見て朝市がひらかれているレプブリカ広場を確認。 『南に向かう人について行けばいくよ』と相棒は言い、肩にかけたバックから一眼レフを取り出した。 相棒は写真家の顔になった。

 「けいの豆日記ノート」
 ガイド本を広げて、いきたい場所を示すとおじさんは、ニコニコ笑っていた。 はじめ、道を教えようとしてくれていたが、わかってなさそうに見えたのか、その市場まで、連れて行ってくれるようだ。 だいだいは、わかっていたが、せっかくだから、ついていくことにした。 ほんとに、親切だと思う。 夢にまで見た、露天の朝市。うれしかったなあ。

 150mほど歩き、2本目の路地を左折して100mほどで広場に出た。 ぱっと、花が咲いた空間だった。100近い赤や青、黄色白などのパラソルの花園だった。 周囲を白い建物に囲まれた朝市は太陽の日差しの中で息づいていた。 『ラッキー!』写真家は声を弾ませ人の輪の中に飛び込んで行った。朝市はこの町の台所だった。 近郊から運ばれてきた野菜や果物、色とりどりの花、手作りパンやケーキ、チーズにワイン、 この町で作っている陶器、生きたニワトリなど、パラソルの数だけ露天があった。 売り手はほとんどが、おばさんやおばあさん。買い手も同じ。馴染みの買い手と売り手の明るい声が響く。 まさに、朝市の楽園だ。こんな活気のある朝市は初めて!だった。

 ここの朝市は一年中休みがないという。朝7時から午後3時まで人の群れは途切れない。 これぞ、日々の生活を支える台所だ。一軒の花売り場でねこやなぎと白い椿の花を見て、ポーは、何故か嬉しくなる。 赤い帽子が狭い通路の中を泳ぎまわっていた。写真家の目印だった。 ロバをひく荷台からおじいさんが大きなキャベツを下ろし、おばあさんの露天に運ぶ。 7時に店を開きおじいさんは畑に戻り、そして11時再びロバの尻を叩いてやって来たに違いない。 写真家がロバの様子を撮っていた。相棒が嬉しそうに手をあげて撮影終了の合図を送ってきた。 ボディーガードのポーは赤い帽子から目を離したことはなかった。任務遂行は完璧だ。

 「けいの豆日記ノート」
 露天の朝市は、最高だった。 食品、日用品が多いのがうれしい。 生活に密着した市場は、活気が違うと思うからだ。 それに、天気に恵まれて真っ青な空がまぶしい。 カラフルなパラソルが元気そのもの。 ロバを見つけた。
『やった〜!』 ついて行きたい気分だが、それは無理かな。

 ポーの役目としては、撮影時間の管理をすることだ。 町を歩き撮影している時はそばにいてフイルムの面倒をする。 でも、市場など離れていても監視できる空間では、放し飼いにする。 それは、気ままに撮影ができる雰囲気を作ってあげる心配りだった。 ボケッとしているようだが、ロケ慣れしているので、安心して撮影ができるように考えている。
撮影に夢中になっているときは、時の流れを確かに忘れてしまうものだ。 それを管理しないと、いつまでたっても先に進めないからだ。
   『撮りすぎたよ!5本!残り本数を計算しながら撮っているけど』(相棒は、150本のフイルムを用意していた)

 カルダス・ダ・ライーニャは人口2万ほど。のどかな町だった。 『あっ、桜の花が満開!』と相棒が叫んで、走っていった。 レプブリカ広場から狭い路地を50mほど南下したところに広大なドン・カルロス1世公園がある。 その東端にあるレオノール王妃鉱泉病院の建物を背景にして、桜の花は咲き乱れていたのだ。
(実は、桜の花ではなくアーモンドの花だった。)

 「けいの豆日記ノート」
 アーモンドの花、ポルトガルに来て初めてみた花だ。桜と間違えるほど、そっくりな花だ。 後で、人に聞くまで、ほんとに桜だと思っていたよ。 2月だったけど、こちらは、暖かいので、早く咲くのだと思っていた。 冬場は、寒くて花がなくて、さびしいかなと思っていたが、以外と花は咲いているものだ。 公園には、黄色い花がたくさん咲いていた。 名前までは、わからないけど。 ちなみに、桜の花は、日本と同じ、4月に咲いていました。(4回目取材で確認したよ)

 公園の中に池があり、アヒルや鴨それに、オシドリまでいた。 波紋を描いて雄のオシドリが色鮮やかに泳ぐ姿は美しい。 まさかポルトガルでオシドリに会えるとは思ってもいなかった。

  ≪オシドリの里≫  ===============================

 愛知県設楽町田峯にオシドリの里がある。
伊藤夫婦が20年以上も自分の敷地の横を流れる寒狭川に毎年やってくるオシドリをドングリの実で餌付けしたオシドリの楽園だ。 毎年10月〜2月まで飛来して来るオシドリを守り続けていた。

 この旅に来る二ヶ月前、ポーは相棒をそのオシドリの楽園に案内した。 初めて目の前で泳ぎまわる愛くるしいオシドリを見て、シャターを押す指が震えるほど興奮していた相棒の素直さが忘れられない。 その印象があったからポーは、ポルトガルでオシドリに会えたのが嬉しかったのだった。

 ポーが伊藤夫婦に会ったのは10年ほど前だった。 「ふるさと紀行」というテレビ番組で初めて夫婦に取材に行った。 ロケハンはポー、ひとりで。その時、開口一番、取材に対してけんもほろろ。 特に、親父はマスコミ嫌いだった。猟銃で撃たれた、美しい羽を持つオシドリは剥製にするには逸品だった。 それがこの村の財産であり猟をするのが、この村の特権でもあったのだ。 しかし、それを阻止したのが伊藤せんじさんだった。村人の四面楚歌に夫婦で対抗した。 オシドリの可憐さ、その命の大切さに対抗したのだ。 猟銃の弾に当っても、それで死んでもという迫力でオシドリの飛来を、身をていして守った。 マスコミにも何度と訴えたが取り上げてくれなかった。

 その根が、せんじサンには、あった。 マスコミ嫌いは当然だった。撮影取材の了解をえるために近くの民宿に二晩泊まり、せんじさん通い。 断られても、断られても通った、ポー。そこで出会ったのが、スチールカメラマンだ。 自然の命を究極的に追い求める野性味あふれる男だった。 オシドリを撮影するために、撮影小屋の建設から何年も伊藤さんに協力し続けた須ヶ原さんだった。 彼との出会いがポーとせんじさんを結び付けてくれたと今でも感謝一杯だ。

 『あんたには、負けたよ』その一言で、撮影取材が決まった。

 その年、2000羽のオシドリが狭い川の透きとおる冷たい水のなかで、繁殖していた。 大鷲が川で泳ぐオシドリを鉄砲玉みたいに空からいっきに襲い、両足の爪でオシドリを水面下に押し込んだ。 10秒,20秒・・・。大鷲が水面から飛び立った。 鋭い爪から逃れたオシドリは、さらに10秒後、水面下から浮かび上がって来た。
 そして、襲われたオシドリは何事もなかったように川面を泳ぎ、仲間の群れに溶け込んでいった。 その映像にせんじさんは涙を流し、撮影の根気よさを讃えてくれた。 それは、カメラマン安楽君がション便を、暮れの激寒の中じっと耐えた5時間の快挙だった。 ポーは、撮影し続けるカメラマンの映像をモニターから目を離さず、見続けチビッて、いたのだ。

  =======================================おわり

 ドン・カルロス1世公園は広く美しかった。2月1日。そよ風が気持ちいい。 花壇ではなしに散策する道すがら野草が花をつけ、それもいろんな色の花が咲いている。自然を感じた。 作られた空間ではなかった。老夫婦がベンチで語らい、その隣のベンチで若いカップルがキスをしていた。 まさに、長閑(のどか)。相棒は野草の花を撮り、カップルも撮った。 でも、キスをする最中の二人にはお礼の手作り(折り鶴)は渡せなかった。

 公園のはずれの東端に、来たいと思い続けていた所があった。それは、ボルダオ・ピニェイロの工房だ。 キャベツの食器で知られる工房だった。ボルダロの陶器。写真でなしに本物が見たかった。 風刺画家ラファエル・ボルダオ・ピニェイロがこの地に窯を作ったのは、1884年。キャベツの葉模様の皿や器の陶器を製作。 キャベツの葉、そのものが器になったみたい。色合いもいいのだ。愛知県の知多半島にある陶芸の里、常滑。 その近くに住むポーはピニェイロの工房を訪れるのが夢だった。 陶芸を少しばかりかじるポーはポルトガルに行ったら、この地を訪ねてみたかった。 そのボルダオ社のシンボルマークはカエルだ。

 「けいの豆日記ノート」
 工房といっても思っていたよりでかい。公園の一隅の木立の中にポルダオ・ピニェイロ社があったよ。 アポイントなしで見学させてくれるのか不安(しゃべれないからな〜)。 敷地に入っていくと、目の綺麗な黒髪の女性がいた。 ポーがひっしこいて、日本から来た女性カメラマンだが中を見せてくれないだろうか、と英語でたのむ(危なっかしい英語で)。
金曜日の午後は休みで、と断られたよ。 こんなもんだわさ。でも、撮ったよ、キャベツの器を。 目の前に並んでいたからね。製作中の姿を撮りたかったけれど、残念!

 工房の前に、この会社が経営する小さなレストランがあった。庭にはカエルの陶器。この庭がよかった。 相棒はレストランの人に了解をとり30分も撮影していた。キャベツ模様の器で食事がしたかったが中に入れなかった 素晴らしい雰囲気のレストランだったが、財布の中身が心配だった。 そんなわけで中に入れず、涙を飲み料理は食べられなかったが、美しい庭園は隅から隅まで、味わった。
 腹がグウーウ!と鳴った。もう、2時を過ぎていた。 公園を出たところに小さなレストランがあった。なんでも、よかった。 腹が満ちてくれれば!相棒が、頼んだ料理は一品とビールにファンタで11・5ユーロ(1495円)。 大皿に山盛りの料理はパスタとひき肉のトマト煮だった。これが、意外と美味かった。 腹が減ってはいたが、口にあった味だった。
メニューが読めないから席に着くまでの間に客が食べている料理をすばやく観察する術に相棒は長けていた。
『ドン、ピシャ!だね』とニコリ笑った。

 18時発のバスに乗ってナザレに戻る。天空の月はだいぶ欠けてきた。大西洋からの海風は少し冷たかった。
腰につけている万歩計を見た。21087歩だった。

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