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ポルトガル写真集(雄鶏の伝説の町・バルセロス)
Portugal Photo Gallery --- Barcelos

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バルセロス1
雄鶏の伝説の町

バルセロス2
レプブリカ広場

バルセロス3
工芸センター

バルセロス4
旧市街地の入り口

バルセロス5
にぎわう旧市街

バルセロス6
ひとやすみ

バルセロス7
散歩コース

バルセロス8
露店の家族

バルセロス9
お手伝い

バルセロス10
クラスメイト

バルセロス11
小さな売り子

バルセロス12
家族でお買い物

バルセロス13
姉妹

バルセロス14
おちょうし者

バルセロス15
色とりどり

バルセロス16
頭も使いよう

バルセロス17
母娘

バルセロス18
バルーンはいかが

バルセロス19
あとつぎ

バルセロス20
焼き栗屋

バルセロス21
一人遊び

☆バルセロスの説明 (写真の上をクリックすると大きな写真が見れます。)☆
ポルトのサン・ベント駅から、列車で約1時間のところにある。
ポルトガルのシンボルでもある雄鶏にまつわる伝説の町として有名だ。
毎週木曜日には、生活用品が並ぶ、かなり大規模な露天市が開かれる。
普段は静かな町が一変する移動デパートのような露天市である。
じっくり見ていたら、半日はかかってしまいそうだ。

「ポー君の旅日記」 ☆ 雄鶏の伝説の町・バルセロス ☆ 〔 文・杉澤理史 〕

  

 2004年4月22日(木)は、あわただしい朝で始まった。 〔ポルト〕の早朝を撮りたいと5時に起きた写真家の相棒。 決めれば、寝起きがいい。ガタガタ鳴るエレベーターで0階に下りた。 1階が0階。こちらの決まりだった。 フロントの50代のおばさん、眠そうに欠伸(あくび)ひとつ大きく吐いて入り口のドアに大きな鍵を差し込み、開けてくれた。 冷たい空気が流れ込んできた。今年の4月後半は寒かった。 石畳の坂道を毛糸の帽子をかぶった少年が走りこんできた。新聞配達の少年だった。 『Bom dia!(おはよ〜う)』と、写真家。朝から、のりがいい。 眠さを押さえたフロント女性に新聞少年はズシリ重い新聞の束を渡した。 少年は相棒に笑顔を弾けて、走り去った。 後(うしろ)で、鍵を閉める音がした。

 街燈がやさしく石畳を照らす。見上げた空は青かった。ポルトに着いた翌朝のあの寒さではなかった。爽やかな4月の朝であった。 『気持ちがいいね。早起きは三文の徳って言うけれど、ポルトガルでも通じるのかな〜?』 陽気だった。 人影もまばらなサン・ベント駅の壁面のアズレージョ(タイル画)に見入った。 駅舎ではなく美術館の雰囲気だった。 ジョルジェ・コラコの作が駅構内のホール一面にジョアン1世のポルト入りなどが飾られていた。 通勤時に毎日ポルト市民は目の端にしているのだ。 町の中心地リベルダーデ広場。14世紀に建てられたサン・フランシスコ教会。 76mの塔がシンボルのクレリゴス教会などを1時間かけて撮影した。昼間とは違った顔の景観だった。 『これが、三文の徳かな?いい感じだったね』と相棒。 心の糧になったのなら一文でも二文でも、得だったはずだ。 宿に戻りモーニングを腹に収め、旅行バックをフロントに預け、サン・ベント駅から8時46分発の列車に乗って〔バルセロス〕に向かった。

 天気は上々の撮影日和。カタンコトン。この響きがたまらない。 ポルトのサン・ベント駅から、1時間20分でバルセロスに着いた。 毎週木曜日に大規模な露天市があるとガイド本に載っていたので今回のスケジュールに組み込んでいた。 でも、ポーがガイド本をバスに置き忘れたので地図がなかった。 トリズモ(観光案内所)で地図をもらうまで勘で歩かなければならない。 駅舎を出たらビニール袋を担いだ人がいっぱい歩いてくるので市が開かれている方向はすぐ分った。 地図などなくても大丈夫かもしれない。

「けいの豆日記ノート」
 この露天市場が見たいために木曜日にあわせてバルセロスに行くことにした。 市場は、大好きである。 特に太陽の下の露天の市場は、好きだ。 建物の中の常設市場は、いまいち暗くて撮りにくい。 前にカステロ・ブランコで露天市場を見たことがある。 青い空とバックの建物と野菜売りのおばあさんたちの顔が印象的だったよ。 ここの露天市場では、どんな風景に出会えるのかな。

 駅前から延びている道は町の中心地レプブリカ広場に向かう狭いメインストリートだった。 カフェやレストランなど住民の生活通り。質素で静かな通りだった。 きっと、木曜日だけは人の列が出来るにちがいない。 駅からまっすぐ600mほど歩くと、大きな広場がテント張りの露天市になっていた。 小さな看板に《 canpo de republica 》とある。 レプブリカ広場は買い物をする人々で大盛況だった。
 バルセロスは人口4000人ほどの小さな町。この町の売りは2つ。 毎週木曜日の露天市と赤い鶏冠(とさか)の雄鶏の置物だ。 雄鶏はポルトガルの幸運のシンボルとして人気がある。

〜〜〜〜〜雄鶏の伝説〜〜〜〜〜
 バルセロスの雄鶏がなぜポルトガルの幸運のシンボルになったのか。 その伝説をかいつまんで。まず初めは、こうなる。 『その昔、あるところに・・・』あるところは当然、バルセロス。 『巡礼の男がスペインの聖地に詣でる途中のバルセロスを通りかかった。 その頃、頻繁(ひんぱん)に窃盗事件があり、運悪く窃盗犯と疑われ、逮捕され処刑の運びとなった。 無実の男は町の聖ヤコブで加護を祈った。 その祈りが通じたのか刑が執行される前、裁判官の家に連れて行かれる。 裁判官は友人とローストチキンを食べるところだった。 男は言った。「私は無実です。その証に私が処刑されるその時、この雄鶏は必ず鳴きます」  裁判官は一笑した。だが、男が処刑される瞬間ローストチキンがコケコッコー!と声高に鳴いたのだ! 裁判官は約束通り男を解放。 聖地への巡礼を終えた男はバルセロスに戻り、聖ヤコブに石の十字架を立てる。今も、その十字架は残っている』 伝説は、いつも、すごい。
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 その伝説の雄鶏の置物を買った。 赤い鶏冠にボデイの玉模様が華やかだった。一羽一羽みな別衣装模様だ。 手作りなのが嬉しい。 どこにいっても土産を買わないポーだが、一羽買った。 ポーが初めてポルトガルで買ったのが、雄鶏の置物だった。 それも陶器の雄鶏。鉄製の3倍ぐらい大きい。 鉄製3・33、陶器1・22ユーロだった。 陶器は壊れやすいから持ち運びに大変だ。

「けいの豆日記ノート」
 普通のお土産屋では、鉄製の雄鶏の置物しかない。 大きさは、小指ほどのものから、30cmほどのものまでたくさんある。 ひょっとしたら、もっと大きいものもあるかもしれない。 でも、鉄製ということもあって値段も高く、重いし、あまり買わなかった。 陶器の置物を初めてみたのがエヴォラの露天市だった。 その他のところでは、みたことがなかった。 さすが伝説の発祥の地のバルセロスだよ。 露天市では、陶器の置物が山のようにあった。 陶器だと手描きの為、模様が違っていて楽しいよ。 お土産は買わない主義だが、陶器のトリは、たくさん買ってしまった。 まだ、旅は、始まったばかりだというのに・・・

 トリズモ(観光案内所)で地図と資料をもらう。どこの町にいっても必ずトリズモはある。 そして、係りの女性は若くて美しかった。 日本に来た外国人はその町の地図や資料をどこで貰うのだろうか。 市役所、区役所、町役場の観光課だろうか。 他の外国は知らないけれどポルトガルはどんな小さな町に行っても必ず《TURISMO》の看板があった。 旅人には情報のオアシスだった。 露天市には野菜から日常雑貨、民芸品など満載だ。 この地方一帯の憩いの市場でもあった。 木曜日を楽しみにしている人の多さに驚く。 列車、バス、マイカーで訪れる人々は人口の5倍にはなるだろうか。朝から夕方までの楽園だ。 市の南側には移動遊園地があり子供達でいっぱいだった。 子供達の夢が詰め込まれた絵本の世界。嬉々とした子供達の笑顔があふれていた。 ほっぺたの張りがパンパンの笑顔、弾ける無心の笑顔は子供の宝だと思う。 工芸センターの建物を出たところで30名ほどの小学生の一団に出会った。 社会見学だろうか。相棒が言った。 『追っかけやるから、ここで待っていて!』 行ったきり、30分も帰って来ない。 携帯があったらとっくに呼び出していた。 治安がいい国なのとこの露天市の歴史に安心していたが、長すぎる。不安になった。 よし、捜査に出ようとベンチから腰を上げたとき『待った〜!ごめんごめん!』とビニール袋をさげた相棒が小走りで戻ってきた。 イエローカードもんだ。 『子供たちの撮影はすぐ終ったけれど、露天市が許してくれないのよ〜』まっ、いいかでチョンだった。

「けいの豆日記ノート」
 露天市場の何がいいかっていうと、やっぱ、人物が気軽に撮れるということだ。 買い物にくる家族連れとか、友達とか、楽しそうな笑い声が聞こえそうだ。 露天商の働く人の姿もいいと思う。 子供たちは、小さいうちから、商売を手伝ったりしているだね。 色とりどりのお店も楽しい。 で、写真にかこつけて、洋服とか見てしまうのですよ。 縫製とかは、日本のものが1番だと思う。 ポルトガルでも中国製のものが増えている。 市場はほんと楽しいよ。 もっと時間がほしいよ。

 腹が減った。駅に戻る途中のレストランに入った。間口3mの狭さだったが奥が深い店だ。 一品と飲み物で5・60ユーロ(728円)がふたりの昼飯だった。 盛りが多いから一品で充分なのだ。 『時間が無いぞ〜!』食事代を払って相棒は店を飛び出した。 『先に行って、キップを買っているからね〜!』 ポーは陶器の雄鶏人形を壊さないように後を追った。 改札口でキップを渡されたとき、列車がホームに入ってきた。 目的地は[ヴィアナ・ド・カステロ]。今日の宿泊地だ。列車は北上。 40分で着いた。ポルトからだと70キロ。田園風景が広がる農業地帯だった。 2時。壁面を工事中の駅舎を出て町を見た。 男女が踊る銅像からまっすぐ町の中心に向かって広いなだらかな石畳の坂道が伸びていた。 その道をはさんで建物が囲み、そのはるか先にキラキラ輝く水面が見え、その先に緑の風景があった。 上空には広い広い青い空が高く高く町を包み込んでいた。 『いいね〜、美しいよ!』相棒、写真家の第一声だった。

 地図がないのでトリズモ探しが先決だ。 300mほど坂道を下った時、相棒の足がぴたり止まり、急に左折した。 ピタリ、目の前にトリズモがあった。 ポルトガル北部の町で相棒を待っていたかのようにあったのだ。 相棒のけいちゃんは〈犬〉だった。 撮影取材は〈犬〉次第で決まった。

                              *「地球の歩き方」参照*

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